「2012 チベット(カイラス聖山・ラサ)の旅 」
田山 豊實
この7月23日〜8月8日の日程で、ネパールカトマンズ経由で、中国チベット(カイラス聖山・ラサ)への旅に友人、その山仲間を誘って出かけた。今回のツアーメンバーは、当初7名であったが、リーダーの仕事上の都合で、直前にドタキャンとなり、リーダーの山仲間達4名と我々2名の計6名となった。私にとって、「カイラス聖山」は、信仰の対象の巡礼地では無いにも係わらず、5年くらい前から行ってみたいと思っていたのでツアーの準備から、気合と熱が入った。1997年、15年前の8月だったが、東京でネパール語を習っていた時に、ネパール人の先生と、ネパール語仲間数人でラサからカトマンズへの旅に出かけたことがある。その時に受けたチベットの人々、生活の様相などへの強烈な印象が、おぼろげではあるが、抜けずにいたのと、中国政府によるチベット族、チベット仏教者等に対する制圧、弾圧などについてのニュースや情報を耳にするたびに、一体どうなっているのだろうか?と気になっており、出来ればチベットへ出かけ、現状を見てみたいという想いがつのっていたこともある。また「カイラス聖山」が、チベット仏教徒、ヒンドウー教徒にとって、一度は巡ってみたい聖地として、シーズンともなると巡礼者達が、ひきもきらずに目指して行く聖地と知り、巡礼者達、しかも五体投地で巡る姿に接することが出来るかも知れないという想いもあり、この「カイラス聖山」行きを計画したのである。標高3,000m〜4,000m〜5,600mというカイラス聖山巡礼路に、身を置くということに対する不安はあったが、それより、行ける所まで行こうという想いが段々強くなり、現地入りをした時には、そのような腹決めになっていたように思う。そして、本当に不思議なことに、何の高度障害を感ずることがなく、順調に、普通に動くことが出来たのである。天候はどちらかと言えば、一日中快晴という日は少なく、どちらかと言えば薄曇りの日が多く、カイラス山コラルの間は濃い霧、厚い雲におおわれ、雪がちらついた時もあったが、雲間から差し込む陽射しは強く、凍えるような思いをすることが無かったことも、幸いしたのかもしれない。日本東京に住む私からすれば、チベット自治区の大半は雲の上で展開されている世界、人々の生活なのである。まさに雲上人である。
7/23(月)薄曇り
12:45 ツアー参加者(5名)、ネパール人ガイド(1名)、キッチン兼ポーター担当2名と計8名が、チャーターしたマイクロバスで、ネパールと中国の国境に向けて出発した。カトマンズ〜バネパ〜デュリケル〜パンチカル〜バラビセを通過し、中国との国境を流れる、ボテゴシ川沿いに、コダリへとむかう。バラビセに入るころになると、右側にそそり立つ崖の上から、日光の白糸の滝のような滝や、岩肌を伝わって流れ落ちる流水などが、流れ落ちている。豊富な水量を利用しての水力発電所を横目で見つつ、コダリの街へ入る。この水量、水の流れを見る限り、カトマンズ等で毎日実施されている1日8時間〜10時間の停電が、不思議に思えてくる。
17:00 コダリの街の道沿いの店頭には、中国製品ばかりがずらりと並べられている。コダリにて、宿泊となる。
12:15 全員の通関手続が終了。チベット側、ガイド、ランドクルーザー(以後ランクルと記載)2台、ツアー用荷物、食糧等の運搬用トラック1台による出迎えを受ける。14:00 ザンムー(2200m)にて、昼食をとりつつ、チベット地域入境許可が出るのを待つことになった。チベット地域入境申請中国管理事務所にてトレッキング申請用紙の在庫が無い為、シガチェから取り寄せ中とのことで、書類が届き手続きが完了するまで停滞となる。このような役所で「手続書類の在庫が無い」等ということがあるんだと、ビックリするやらであったが、もしかしたら、6月下旬まで、外国人のチベット入境が止められていたということと、関連するかもと勘ぐったりしていた。 18:00時間切れで、ここで宿泊となるかもとガイドより説明がなされたが、ぎりぎりニャラムまで行ける時間でトレッキング許可が下りたので、ニャラムへ向けて出発することとなり、ランクル(2台)とトラックで、ハイウエーを走行する。約1時間後、ニャラム(3,750m)着 標高3,500mくらいから森林限界となったのか、樹木がなくなった。
7/25(水)青空には、白い雲がただよっている。
10:00 二ャラム(3,750m)〜サガ(4,400m) /270km に向けて出発 途中タング・ラ峠(5,200m)手前の草原にてトイレ休憩となる。足元をみると、紫いろ、ピンク色などの花々が咲きほこっているので、もしかしたら、日本では見られない「ブルーポピー(青い芥子 メコノプシス・ホリドウラ)」が咲いていないかなとキョロキョロ探してみると、透き通った青い花びら、のブルーポピーが、足元に咲いているではありませんか。皆に「ブルーポピーが、咲いているよ」と大声で叫び、心の中で神様ありがとうと言いつつ、夢中で写真を撮りまくったのでした。15年前のチベットツアーの時も、走行している道路際に咲いているブルーポピーを見つけた時、車を止めて!と強引に止めさせ、車から降りて皆でキャーキャー言いながら、写真を撮りまくったことを想い出した。あの時、ガイドさんも、ドライバーさん達が、なんでその辺に咲いている野花に、皆が歓声を上げているのだろう?と不思議そうな顔をしていたのに、こちらがビックリしたのであった。今想えば、彼らにしてみれば、いつも咲いている野草に、日本人たちが大騒ぎする意味がわからなかったのかもしれない。車に戻った後、ガイドさんに日本では見ることの出来ない「幻の花 青い芥子」だからと説明をした時、納得したよう表情などを、鮮明を想い出したのである。さて、ここの地、この草原以降、ブルーポピーを見つけることが出来なかったので、本当にラッキーだった。
12:30シシャパンマ自然保護地区に入る。(4,580m)ペク湖のほとりで、お昼ご飯となる。用意してくれた、おにぎり、ソーセージ、チーズ、バナナ、オレンジジュースを、頬張りながら、チベットの風、空気を全身で実感した時、ついに“チベットに来ることが出来た”と感無量の思いに包まれたのである。
15:30にサガへ到着 チベッタンの街というよりは、観光客を受け入れる為の街といった印象である。宿泊するロッジに入り、一休みをした後17:00となっていたが、未だ陽射しが高いので、高度順応も兼ねて、丘の中腹にあるゴンパの白いチョルテンの立っている所まで散歩に出かけた。眼下にサガの街、真下に中国軍の駐留基地(町の1/4を占めている?)を望むことが出来た。 20:00(日本時刻:21:00、ネパール時刻:17:45)キッチンスタッフが調理した、食事が部屋に運ばれてきて夕食となった。 中国国内は時差が無く統一時間のせいか、外はまだ夕闇になっていない。
7月26日(木)サガ〜バリヤン〜マノサワール/546q
起床後、高山病対策として、錠剤を飲むと共に、パルスオキメーターで、体内酸素濃度等を測ったが、高山病の症状は出ていなかった。
10:15 マノサワールに向けて出発、標高は4,000mもあるのだが、空気が乾燥しているのと、太陽光の陽射しが強いこともあって、気温(体感温度)は23℃くらいに感じる。気温は昼間も零度以下だと思い込んでいたので、日本の快晴の秋を思わせる爽やかさと、陽射しの強さにビックリ。
7月27日(金)
マノサワール(4,570m)〜ダルチェン(4,670m) /60q カイラス聖山は、厚い雲の中にあり見えない。11:05 出発 はるか彼方まで、一直線のハイウエーを時速120kmで走行する。左側には、マノサワール湖、右側の沿道には、人が住んでいる気配が無いチベッタンの家数軒あり。なんか寂しい風景である。 111:25 公安ポリスによる通行チェックを受ける。その公安警察署の隣のチベッタンの家は、壊れていて、住んでいる気配がしない。30分後、ダルチェンに到着。ダルチェンはチベット人の街というよりは、街並みも建物も中華風に様変わりしつつあった。我々以外の日本人の姿は見ないし、インド人の巡礼者グループも思っていたより少なかった。ネパーリのガイドが、昨年200名のインド人のカイラスコルラ(巡礼)に同行したと話してくれた。彼らの宿泊は大型テントで、荷物はヤクで運び、ある人は馬で、ある人は歩きとそれぞれのペースでコルラするとのことである。
昼食後、町を散歩していると、カイラス山に向かって、五体投地をして歩を進めている巡礼者1名に出会った。
7月28日(土)ダルチェン滞在
ツアーメンバー1名が、酸素ボンベを吸引しても、軽い高山病の症状が回復しない(パルスオキメーターの数値が上がらないため)、チベッタンガイド、ネパーリガイドと相談のうえ、カトマンズへ戻ることになり、ランクルで出発した。見送ったあと、残った4名は高度順応の為、カイラス巡行路入口 タルボチェ(4,740m:巨大なタルチョ―柱が立っている地)まで、ネパーリガイドとハイキング。タルボチェでタルチョ-がはためいている背後に、黒い岩肌に真っ白な雪がかぶっているカイラス山山頂、その麓の鳥葬台地を眺めつつ、ゆっくりと散策する。残念ながら、鳥葬による葬儀は行われてはいなかったが、これまで本や映像でしか見ることがなかった、鳥葬台地をこの目で見、側に立つことが出来て感激である。
7月29日 ダルチェンからグゲ巡りをする2名、カイラス巡りをする2名、それぞれ目的地に向けて出発する。グゲコースは、2泊の予定でチベッタンガイド1名とランクルで巡り、カイラスコース組とこの地で合流する。
我々2名は、22q先のディラプクにむけて、カイラス巡礼出発地点に向けて、ランクルで出発する
10:45 カイラス巡礼出発地点着、一帯が濃霧?雲?につつまれている。 左前方崖中腹に、曲古寺(チュク・ゴンパ)が望まれる。ここから我々2名は、巡礼路を馬に乗って巡る為、馬方(チベタン2名), 馬(2頭), 荷物運搬用ヤク(1頭)を待つ。ネパール人ガイド(1名)、コック兼ポーター(2名)は徒歩で同行してくれる。インド人のグループも、これから巡礼に出るらしく馬、ヤクが、集まって来た。近くのテント茶屋で、昼食をとり12:45に出発となった。皮ジャンを着たオシャレな若い馬方に、馬をひかれながら、ラ・チュ川に沿って進む。カイラス北面(黒い縞模様の岩肌)に見守られながら歩を進めていると、前方から50代から60代の男性、女性(5名)が、五体投地をしながら一歩、一歩下ってくる。このような巡礼者の、崇高な想いに頭が下がる。
15:40 5,210mの地ディラプクに到着する。宿泊ホテルで、一休みをした後、体調は悪くないので、時間は17:00を過ぎようとしていたが、外が未だ明るいことでもあり、川向こうのカギュ派のディラプク・ゴンパまで出かけることとした。40分ほど歩いてゴンパへ着く。歩いて来た道を見ようとゴンパを背にすると、正面に、真っ黒な岩肌のカイラス北面が、姿を現しており、思わず、手を合わせてしまった。この神聖さが、人を惹きつけ信仰の対象として崇められる要因なのだろうと、納得してしまう。
ゴンパを参拝し、ホテルに戻る途中、石ころだらけの草っぱらの穴から出てきた、マーモットに出会う。なんと可愛らしいのだろう。野生動物とは言え、5,000mの高地で逞しく生きているのだ。思わず写真を撮りまくってしまった。小雨が降ってくる。
7月30日 8:00 厚い雲?濃霧につつまれている。
川の上流にある橋を渡った所で、馬に乗りドルマ・パ峠にむかって登る。 同行者が、高度5,000mと教えてくれる。行き交うチベッタン巡礼者とすれ違う時、馬の上から「タシデレ」と声をかけると、私の方に顔をむけて、にこやかに「タシデレ」と、挨拶をしてくれる。嬉しいし元気が出る。
10:30 雪がちらつき始めた巡礼路最高地点ドルマ・パ峠(5,660m)に到着する。私は馬から下りて、タルチョに、持ってきたカタを結ぶ。そしてカイラス聖山最高地に立つことが出来た嬉しさで、思わず”バンザイ”をする。カイラス聖山の頂上は濃霧の中で見えないが、 頂上から続く西面の黒い岩肌と雪渓が目の前に。下から、カイラス右回りのチベッタンの巡礼者たちが、手にペットボトルと数珠を持ち、登ってくる。我々は、左回りの巡礼者と共に岩石の道の急坂を、左に空色のヨクモ・ツオ湖を見ながら下る。ところどころ岩石帯に黄色の花(キクの種類か??), マリーゴールド色の花(イワベンケイか??)が、しっかりと咲きほこっている。12:45(5,040m)ランチ休憩となり、同行のシェフが用意してくれたインスタントラーメンを食べる。一息ついた後、さらに馬で下っていると、下から青年(2名)が五体投をしながら登ってくるのに出会う。この姿を日本の若者たちにみてもらいたいと、思ってしまう。14:45(4,800m)テント場で休憩していると、インド人グループの荷物を運んでいるヤク(16頭)到着する。インド人巡礼者数は、不詳だがそれぞれのペースで歩いている。チベッタン巡礼者は親子連れ(時には父親が赤ちゃんを抱いている)、友達同士、男女・若者などなど、まるで高尾山ハイキングのような風景だ。15:45 宿泊地ズトゥル・ブクの近くで(4,835m)馬をおりて歩く。良いペースだ。
16:45 ズトゥル・ブク(4,665m)着 そして、ズトゥル・ブク・ゴンパ (カギュ派寺院)を見学する。院内に入り、1月にインドブッダガヤで、チベット高僧(グル・リンボチェ)からいただいたカタを、仏陀のひざに置かさせていただく。
7月31日 相変わらず 雲と霧の中、10:00カイラスコルラ最後のコース、ズトウル・ブクからダルチェン(4,550m)まで12qの巡礼路を、インド人巡礼者たちと並んで、馬に乗りカイラス聖山を背にして、数キロ先に見える峠に向かって歩を進める。峠からは、馬を下りて、はるか下方彼方に歩いている巡礼者達の背中を見ながら、登ってくる巡礼者と交差しつつ歩く。11:15カイラス巡礼出発地点に帰着。迎えにきてくれていた、ランクルで、合流先のホテルへ。グゲへのツアー者(2名)が出迎えてくれる。お互い、無事に元気で目的が果たせたことを喜び、握手を交わした。12:50 カイラスツアー者、グゲツアー者とも、体調に問題が無いので、ランクル2台、荷物運搬用トラック1台に分乗して、バリヤンに向けて出発する。13:05 公安ポリスチェックを受ける。左右広大な草原の中の一本道ハイウエーをランクルでひたすら、走りぬける。ところどころ(数キロ離れている)、ポツポツとチベタンの家が建っているが、全く人気がない。左右の草原は、畑などに開拓されていない。でも犬や馬が歩いている。放牧されているヤクの群れ、羊の群れも見えない。 14:35ポリスによるチェックを
受ける。ガイドさん、ドライバーさんが、通行許可証を提示するなどの対応をする。16:00を過ぎて、バリヤンが近くなってきたのだろうか、放牧されているヤク、羊が目に入るようになった。でも、人家も見えてきたが人気が無い。 公安の建物が建設中であるが、その周囲は廃墟が多い。16:50草原と砂丘に囲まれた町バリヤンに(4,500m)到着する。20:00 待ちに待った夕食となる。メニューは、パスタとなんと野菜天ぷら(人参、インゲン、赤玉ねぎ)である。 高地にも関わらず、カリカリに揚げてくれている。コックさんの技量にビックリし、感激しつつ食す。皆無事に、目的のツアーが終わったのと、翌日ラサへ行きとカトマンズ行きに別れるので、日本人が大好きな天ぷらを揚げてくれたとのこと。実は、コックさん二人ともシェルパで、いろいろな国のツアー客に同行しつつ、食事を担当しているプロ職人なのである。その一人は何度もカイラスツア−に同行しているとのこと。もう一人は始めてのカイラスコルラだったとかで、無事にコルラ出来て嬉しいという表情をしていた。彼にとっても仕事とはいえ、念願のカイラスコルラだったのだろう。
振り返ってみれば、今回のツアーは、車(トヨタランドクルーザ)と馬で、次の目的地まで、200キロ〜500キロ、とか数10キロという距離をこなしており、時折高度順応の為の散歩とか、歩きたいから歩くといった程度での歩きしか無く、汗をかきつつ体力を消耗することがなかったのが私にとって幸いだったのかもしれない。一方、このような開発が、現地で生活している人々にとって、プラスなのか?良い方向になるのか?は、視点を変えてみる必要があるとも思う。さて、何事もなく普通に動いているドライバーさん、馬方さん、ガイドさん達をみていると、高度に対して我々だけが神経質になっていることが、変かもという想いを持つようにもなったのである。「日常生活をしている地の高度そのものが違うから」というのが、その理由であり、間違いは無いのだけれど。かつて秘境だった、歩くか、馬やヤクに乗って行くしかなかった聖地を、観光地に変容させる為か、よりスムーズに、安全に移動できるようにとインフラ整備が進められている。おかげで、高度4,500mの道路を、時には5,000mの峠を、時速80q〜120qでスムーズに走り抜け、高度感、違和感を、私に感じさせることがなかった。また、チベット領域に入ってからの私は、「やっと来た!! この広い、広い、空、大地、原野、連なるヒマラヤの峰、峰、青い湖はなんなんだ。このダイナミックさは、この風景を見たことが無い人に説明のしようがないじゃないか!」と、言いながら、空気を胸に一杯吸い続けているうちに、その空気に呑まれ、同化してしまったのかも・・・。日本には無い高地に在る道路、平原、湖、川、そして、村落、町、人々の生活などに目を奪われ、気持ちがほとんど舞いあがっていたのかもしれない。
10年くらい前に、カイラスに行った人達は、今回のようなランクルではなく、ジープとトラックで、兎に角ガタガタな道や、橋が流されてしまった川を、走ったとのこと。時には車輪が、泥道にはまってしまい皆で、車体を押して引き揚げたりして、なんとか現地にたどり着いたとの話であった。もうそのような道は無く、「カイラス聖山」の麓、ダルチェンに向かって、ひたすら、ランクルでハイウエーを走り続けて行った。兎に角運転手は、タフだ。ランチ休憩、トイレ休憩をとりつつも、交替の運転手はおらず、ずっと一人で、チベットの音楽CD を聞きながら、渋滞などが無い、一直線の道を時速100qから120qで黙々と車を走らせる。5,000m級の峠越えをする時も、カーブを楽しそうに、得意げにハンドルを操作していた。後部座席に乗っている我々も、危険な思いや、怖さを感じることなく、前後左右に展開する雄大な景色に目を見張ったり、居眠りをしたり出来たのだから、運転手の技量に脱帽である。
とのこと。また、私達のツアーの日程は、ネパールから入るインド人が少ない時を狙って、決めたという。おかげで、マイペースでじっくりとコラル出来て、本当に良かった。
さて、カイラス聖山(カン・リンボチェ)は、1周約52qの道のりを、馬に乗って2泊3日で巡ることにした。それまで元気だとはいえ、高度4,600m〜5,000m〜5,600m〜4,600mの巡礼路を、1日20数キロを歩き通すことなど考えられなかったからである。チベッタン、インド人の巡礼者と共にコルラできた事は、本当にラッキーで、私のペースに合わせてくれた、ガイドさん、コックさんたちのおかげで、感謝あるのみである。
子ども連れの家族、友達・仲間で、あるいは五体投地をしながら聖地を巡礼するチベッタン、インド人たちと共にコルラして、彼らのひたむきな「信仰」の姿に、ガーンと頭を殴られた想いでいる。時には濃霧につつまれた、時には青空の中、真っ黒な岩肌の上にすっくとたちあがっている、真っ白な「カイラス聖山」の脇に立てた時に感じた、有難さ、伝わってくる人々の魂に対する思い、願いなどが、今でも心深く染みわたっている。
こうして、カイラス巡りを無事にこなした我々2名は、チベッタンガイドとドライバーさんと共に、チベット自治区の中心であるラサに向かうことが出来たのである。
8月1日 (水) 晴天 バリヤンからサガへ
10:00 ロッジの飼い犬チベット犬親子に見送られ、草原と砂丘に囲まれた街、バリヤンを出発する。走行するランクルの窓から、どこまでも広がっている大草原に、草を食んでいる数百頭はいるだろう羊たちや、ヤクたちが望める。そして、土壁の人家や、建築中の家がポツポツと点在し、一直線のハイウエー沿いには、電信柱が立ち並んでいる風景が、人気を感じさせ何故かホットする。12:30 小川が流れている草原で、ランチタイムとなる。草原の先には小高い砂丘がつらなり、その頂の上には、透き通るような青空に真っ白な雲が浮かんでいる。温かい陽射しの中で、今朝用意をしてくれた、蒸しパン、カレー風味のジャガイモ、ニンジン、玉ねぎのサラダ、ホットティーをいただく。ハイウエーは車の走行が少なく、我々だけの世界である。14;15サガ着 この街も、新しい街つくりが始まっているのか、商店街での道路拡張など工事が行われている。
8月2日(木)晴れのち曇り サガ〜ラッツエ〜シガッチェ
9:50 ここで、カトマンズへ戻るグループと別れ、ラサを目指して出発する。給油後、
ヤルンツアンポ川(ブラマプトラ川)沿いを走る。シガッチェ、ラサに近くなってきたせいか、
自転車に乗ったツーリストが見られるようになった。又、羊、ヤクの放牧もあちらこちらで
なされているし、廃墟となっている人家もあるが、ハイウエー沿いには人家や村落が目立つようになってきた。山の中腹には、巨大なソーラーシステムが設置されている。ラッチェに近づくにつれ、ハイウエー両サイドには、一面黄色く染まった菜の花畑、からし菜畑、麦畑が拡がっている。菜の花、からし菜は、油を採取するとのことで、採取工場のような建物もみることが出来た。併せて、規模は大きくは無いが村落が、30分、15分毎にみられるようになる。どこから来るのかトラックの走行も増え、菜の花、麦、などの栽培がこの地域の経済の基盤。生活の基盤となっている様子がみてとれた。
17:25 シガチェに到着する。
8月3日(金) シガチェ滞在
10:00〜12:30 タシルンボ ゴンパ見学
ガイドブックによると、1447年に、第1世ダライ・ラマによって創建されたゲルク派の寺で、ダライ・ラマ5世の後、パンチェン・ラマによる政治、宗教の中心の寺となった。1447年といえば、その頃の日本は室町幕府の時代である。日本史ともども歴史に疎いので、それぞれの人々がどのような暮らしをしていたのか、想像しにくいが、仏陀を崇める宗教が、人々に受け入れられ、根付いていったことが、伝わってくる。境内には、高さ30mの大弥勒殿、金と銅で作られたお体、琥珀、サンゴ、トルコ石などがちりばめられている弥勒像、第10代パンチェン・ラマを始め、歴代のパンチェン・ラマの霊搭殿などなどがあり、チベッタンは勿論のこと、外国人観光客などがガイドの説明を受けながら、参拝していた。境内の一角僧院の
庭だろうか。修行僧たちが、数人でグループを作り、お互いに腕を振り上げながら問答をやっていた。本気になって問答の相手に、問いかけている僧もいれば、ただ見ている僧もいた。
午後 チベット仏教の仏具、チベット装束、家具、宝飾品、薬草・漢方薬などの店が並んでいる旧市街、自由市場を散策する。歩いている途中、白い帽子をかぶった人達が、ゾロゾロと路地からでてきたので、覗いてみると奥に、イスラム教のモスクがあった。チベットに、イスラム教? イスラム教徒がいるの?と、ちょっとビックリした。が、それは私が、中国について知らなさすぎることを認識させられた一つである。13世紀元の建国後、政府が回教徒(イスラム教徒)を中国に呼び寄せたことで、以後各地に分散居住するようになり、イスラム教が定着し、中国では回教と呼ばれているとのことである。
8月4日(土)シガチェ〜ギャンチェ
ランチ後に、ギャンチェに向かって出発するとのことなので、パンチェン・ラマの夏の離宮
デチェン・ケルサン・ボタンへ、歩いて出かける。20分ほど歩くと、若い警官2名が警備
している、入口門に着いた。その奥に、夏の離宮があるので、門をくぐり入ろうとすると、その警官に止められたので、私達はデチェン・ケルサン・ボタンを見学したいと、つたない英語で、話すと彼らが、首をかしげている。全くこちらの希望、言っていることが通じないのである。私達は、チベット語、中国語が話せないので、会話がなりたたない。一人が、門の上の方を指さすので、見ると、英語で“入場停止期間中”と書いてあるので、納得しつつも、奥の門まで入ることが出来ないか聞くと、携帯無線機で連絡をとり始めたので、英語の出来る人を呼んだのだろうと、その結果を待つことにした。そうすると奥の門の方から1名の警官が走ってくるので、これはと期待したら、なんとその警官も英語が通じずであった。それ以上無理強いをしても、仕方が無いので見学をあきらめることとし、お互い苦笑いをしながら「さようなら」と手を振って、引き上げた。全く言葉が通じないのでは、クレームもつけようがないし、喧嘩にもならないと呆れつつも、笑うしかなかったし、中国のある一面を見た想いである。
ランチ後、迎えにきたガイドとランクルで、ギャンチェに向かう。街外れに、公務員宿舎か、大きな団地が現れる。また、ハイウエーの両サイドの畑には、大型のビニールハウスが並び、トウモロコシ、麦、まっ黄色に開花した菜の花畑が拡がっている。
14:30 ギャンチェに着き、引き続き白居寺(パンコル・チョウデ)を見学する。ユニークな形をした仏塔が建っている。「36角の形をした基底・1階・2階・3階・4階からなる計
5層の基盤の上に、5階に当たる円筒状の覆鉢がのり、その上に6階にあたる方形の平頭があり、更に7階・8階にあたる円錐形の相輪があって、相輪の上に開かれたテラス状の9階があって、最上部に宝瓶が置かれている。地上から宝瓶まで約42mである。(聖地チベット‐ポタラ宮と天空の至宝‐コラム4「ペンコルチューデ」より転記)。入場料10元を払って、内部に
入り、右回りをしながら階段を上がってゆきながら、壁、天井一面に描かれた仏画、各室に安置されている本尊、仏像を拝顔して歩く。まさにチベット仏教美術品の宝庫である。
19:00 外で夕食をとった後、市場を散策する。沢山の野菜が屋台に並べられている。きゅうり、トマト、長ネギ、大根、なす、ピーマン、キャベツ、白菜、唐辛子、シシトウ、冬瓜などなど。兎に角日本のサイズの2倍から3倍も大きく、太く、このような野菜を調理して食する人々の食生活はいかほどのものなのだろうか。圧倒される想いである。
8月5日(日) ギャンチェ〜ラサ
8:15出発 間もなく、ハイウエーの両側は麦畑となる。麦はハダカ麦なのだろうか。中国の経済政策の一環として、チベットハダカ麦ビールの原料として生産され、農民の収入に貢献しているようだ。ランクルは、山あいの道へと入り標高4,000mの地となるが、道路沿いの池の水は凍っていない。ダム湖の右奥に雪をかぶった岩山がそそりたっている。標高が高くなってきたのか、霧雨が降ってくる。カロ峠を下ったところで、トイレ休憩となる。車外にでると体感温度だが、18度くらいだろうか寒くない。ナガルチェを通過して、間もなくつづれ折りの坂を上ってゆくと、ラサ近郊の観光スポット、ヤムド湖の展望台に到着する。観光バス10数台、乗用車数台が駐車場に駐車しており、沢山の観光客がカメラを持って、眼下に広がるヤムド湖を背景にして、記念写真を撮ったりしている。ここまでバスで来た中国人の若者1名が
下まで乗せて欲しいと言っているとのことなので、ピックアップする。下からの高度は800mくらいはあるだろうか、ドライバーが、気持ちよさそうに右に左にとハンドルを操作しながら坂を下る。チュスル(曲水)にて、ランチをとった後、ラサにむけてランクルを走らせる。
やがて、右手に展開されているラサ〜シガッチェ間の列車線路造成工事(鉄路工事)現場と並走する。ラサまで13kmあたりで、ハイウエーの頭上に掲げられているスローガン看板が目につくようになる。「分裂反対 一致団結」、「愛国団結 発展 文明」、「同心同徳 同心同向 同心同行」などなど。多民族、多文化の国ならではの、スローガンメッセージを、複雑な想いを持ちながら、中国が抱えている課題のようなものが少し見えたような気がしている。そして車種別走行スピード制限の看板も掲げられあった。ラサを出入りする走行車数が、増加するからだろう。14:30ラサ市街に入ると、頭上斜面にポタラ宮が聳えている。圧巻である。ユネスコの世界遺産に登録されているという。チベットカイラスホテルに到着。ここで、ランクルのドライバーが、契約が終わったのか、自宅のあるシガチェへと戻っていった。お疲れさま。
8月6日(月)・7日(火)ラサ滞在
ラサの街は、16年前(1997年8月)に訪れた時に受けた印象「チベット仏教の本山、チベット文化の中心地」という様相、雰囲気が薄れ、中国の一大観光都市として整備されつつある街に様変わりしていた。チベット部族、その他少数部族が抱えている問題などを、考えると
一概にこの変化を、中国の大発展の結果だと素直に賛同出来ない複雑な想いが湧き出てくる。そして、同時に日本にも、観光を通して仏教を傳えている地域があることにも気付かされた。人々が創りだす経済、文化、文明、技術等の伝統、発展、進歩と称するものが、必ずしも、全ての人々に平和、幸せをもたらすとは限らないのかも知れない。
ラサでは、大昭寺(ジョカン寺)、セラ寺、ポタラ宮、チベット博物館、ノルブリンカ宮殿と
巡り、それぞれ、保存され、かつ崇められているお釈迦像を始め多くの仏像、観音像、壁画(仏画)、遺品などを見たり、触れたりすることが出来た。まさに「ラサ」まで行ったからこそ味わえたことで、その感動、感激、圧倒感は、言葉にすることが出来ないでいる。その一方、ラサに対して、何か『核』になるもの、中心となる『柱』が欠けているような気がしてならないでいる。それは、ジョカン寺の入り口前広場で、真摯に五体投地をしながら祈るチベッタンの人々から受けた、声に出せない「メッセージ」なのかもしれない。
8月8日(水) ネパールカトマンズへ戻るため、ラサ空港へ向かう。
ラサ空港 11:00発の予定であったが、天候が悪い為か、3時間半待たされる。その間、インスタントカップラーメンの支給サービスがある。最初搭乗者が外国人の観光客10数人程度だったが、その後、続々と中国人の若者たちのグループが集まってきて、出発時には、満席状態となった。ということは、空港で待たされた理由は天候の為だけでは無かったのかも知れない。カトマンズ空港で、定宿のホテルの車の出迎えを受ける。その日は、カトマンズ市内では、市民?による抗議デモ行動により、全ての車両が通行止めとなっていた。ホテルからの出迎えの車は、普通は走ることの無いバグマティ川沿いの裏道を走って来てくれたのであった。
以上
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