アミ 小さな 宇宙人 |
| AMI_EL NINO DE LAS ESTRELLAS |
| 最終更新日時 2006/12/20 水曜日 08:54:51 by ガオ |
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アミ小さな宇宙人 第1章より |
宇宙にはたくさんの善良な人たちが住んでいる… 初めて会ったペドゥリートに、アミはそう説明しました。 宇宙からの侵略者がない理由が述べられており、 同時に地球人が宇宙と交信できない理由がここにあります。 宇宙の基本法である「愛」を尊ぶ社会ができたとき、 |
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アミ 小さな宇宙人 第1章より |
ペドゥリートは目の前にいる子どものような宇宙人が、実は自分の心を読み取れるという、驚くべき能力を持っているという「別の現実」に直面して戸惑いました。 それはペドゥリートにとっての「別の現実」でしたが、アミはさらに「もっと別の現実」があることを伝えてくれました。 そのキーワードは「繊細」、「デリケート」。 とてもデリケートで繊細な世界は繊細な知性そのものであり、繊細な入り口からのみ近づくことができ、そこでは別のコミュニケーションが交わされているとのことです。 宇宙人アミは、より繊細な世界の存在を示すために、まずハートとハートを直結するコミュニケーションの実演をしてみせました。 疑おうと思えば幾らでも疑える世界で私たちは信頼、信じ合うこと、飾らないこと、ありのままを正直に表現することを集中して学べるのだと思います。 |
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アミ 小さな宇宙人 第3章より
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宇宙人は地球侵略をたくらんでいる…、ペドゥリートの思い込みにアミが答えた言葉です。 キーワードは「偶然」。 でもアミの言葉からは、因果関係はすべてのものに法則的に働きあっていることが伺われます。 「予期せぬ出来事が起こる」のは事実ですが、そこに「何の因果関係もなく」という前提を置くことに無理があるのかもしれません。 身に起こる出来事を「不昧因果」を無視して「偶然」として処理するか、認めて「必然」として受け止めるかでは、その後の人生に大きく影響しそうですね。 「宇宙は完全だ」と言われてもピンと来ない私たちは、やっぱり未開世界の住人なのかな、と一瞬思います。 |
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アミ 小さな宇宙人 第3章より |
前の続きの部分です。 悪い宇宙人が科学を発達させて地球に攻撃を仕掛けてくるのではないかと心配するペドゥリートに対して、いわゆる「悪の末路」についてアミが語った言葉です。 すべての悪、つまり「悪玉の素」はネガティブなエネルギーを発していて、放っておけば腐って消滅してしまう、と言われているように思えます。 それは宇宙の「法」として存在し、宇宙の秩序を維持し発展させてゆくための免疫システムとして機能していることのようです。 具体的には科学が悪用され混乱をもたらすことによって悪そのものが駆逐されてしまうという経過をたどるようです。 法則を知らないのは重い石を頭上に放り投げてじっとしているように怖いことなのです。 |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より |
満天の星が美しく瞬く夜の海岸の岩場で、初めて出会ったペドゥリートとアミが交わした会話の一部です。 アミは夜空を眺めながら世界の美しさに感動していましたが、ペドゥリートの関心はアミの正体と、ついさっき目撃した海面に「墜落」した円盤のことでした。 ペドゥリートにとっては宇宙の美と神秘よりも、今起こっている信じがたい現実を受け入れるほうがずっと重要な課題だったのでしょう。 アミが円盤を海中に「墜落」させたのも、恐怖から来るパニックを避けて落ち着いた雰囲気を作り出し、ペドゥリートと向かい合うための方法だったようです。 アミはペドゥリートの興味の対象についても、避けることなく分かりやすく簡潔に答えてくれました。 テレポーテーションという現象を実用面に生かすことができるためには、やはり科学水準に見合った愛の水準が達成される必要があるのだと思います。 アミは宇宙と愛をひとつの「存在」として捉え、その姿を「美」として表現していたのです。 |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より |
ペドゥリートがおばあちゃんのことを盛んに心配するため、アミは小さな機械を取り出して寝顔を映し出して見せました。 ついでにペドゥリートのために用意された夕食の皿の中の物を投影し、肉を見て「死体だ」と仰天しました。 この機械は、アミによると小学生の工作で自分が作ったものだそうです。 原理はごく単純、…フォーカス、フィルタリング、チューニング、アンプリファイ、そしてモニタリング。 一方、この社会でそんな機械が誰にでも作れたとしたら、たちまち世界は大混乱の末に自滅してしまうでしょう。 どのような惑星にも愛のレベルに応じた可能性の限界が存在し、物質的な技術も相応に進歩できると考えて良さそうです。 実際にはすごく単純なことが、別の世界では絶対に不可能という「不思議な」世の中に私たちは住んでいるようですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より |
SF映画の「宇宙戦争」が、私たちの地球の姿を端的に表しているように思えました。 そこには高度な科学が憎悪と我欲の赴くままに暴走したらこうなるだろう、というシミュレーションが見事に描かれているように思えます。 もし宇宙という無限の空間に何の制限もなく科学を発達させ、他の惑星を住人もろとも破壊し、占領し、その支配を拡大することが許されたとしたら、「宇宙戦争」はSFどころか既に現実に起こっていたことでしょう。 でも宇宙のどこを探しても宇宙戦争の形跡は見当たらず、きわめて静かな空間が無限のかなたに広がっている現実は天文学者も認めるところだと思います。 ひとつは「宇宙は無機質であり、人類のみが高度な生命で科学を発達しえた」という考え方。 アミの存在(言葉の真理を含めて)が宇宙の真実を証明しているのですが、地球流の科学を絶対として譲らない人々は宇宙を所有の対象として捉えてしまい、他の宇宙人も同じ考えであるという仮定を掲げて自らの主張を正当化しようと試みることでしょう。 愛を欠いた科学の発達はその最終局面で必ず自己破壊の結果を招くことになり、その因果関係が宇宙の普遍的法則として定まっていることを経験として学んで行くにはあまりにも甚大な破壊と犠牲と苦悩と痛みを体験しなければならず、その連鎖は宇宙の調和を維持する上で大きな妨げとなることでしょう。 真実は科学の発達はある条件のもとで無限に許されていて、その延長線上にはひとつの統合された目標が設定されているのだと思います。 その条件となるのが「愛の水準」であり、逆に言えば「愛の水準」が科学の発達レベルを引き上げていくと言えるのだと思います。 今まさにこの惑星はその変換点に達する直前であり、人類に残された課題は一人一人が愛を成長させることだけなのかもしれません。 |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より |
きっかけはペドゥリートが抱いていた「神」のイメージでした。 白いひげを生やして杖を持ったお爺さんの姿を連想するのは、幼少期に見た絵本や昔話の影響が強かったのでしょう。 そのようなペドゥリートの神概念を、アミは感動的な表現で溶かしてくれました。 形はなく、君や僕のような人間ではない。 ペドゥリートはあまりにも美しい言葉に心が洗われると同時に、ひとつの疑問を感じました。 好戦的で野蛮な「悪人たち」と「限りなく純粋な愛」とを結ぶ糸が見えないで悩みました。 その戦争やテロや虐殺すら、純粋な愛なる神は許している…、なぜだろう? そしてその悲惨な情景を、愛の視点からじっと見つめている神がいるのです。 「すべてが相対的なんだよ…」というアミのひとことがあります。 悪とは相対的な現象に過ぎず、実体のないものなのだと思えると、人の迷惑行為も子どもの遊びのように感じられるから不思議ですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より |
人々が寝静まった夜の海岸で、アミとペドゥリートは闇に包まれた街に灯る幾つもの明かりを眺めていました。 夜道を照らすオレンジや白の街灯、家々の屋根に林立するアンテナのシルエット…。 海岸に打ち寄せるやさしい波の音、近くの森に住むふくろうの声…。 少年ペドゥリートは今、自分が宇宙人といっしょにいること、世にも稀な体験の只中にあることの不思議を感じ取っていました。 また彼のおばあちゃんが目を覚まし、心配して探しに歩いてくるのではないかと気がかりでした。 そんな時、アミがやさしくペドゥリートに語りかけた言葉です。 過去のすべての体験を総動員しても現実を理解できるパターンを探し当てることができないペドゥリートの心には、ぽっかりと空洞が生じていたことでしょう。 「注意の目は、人生そのもののすべてに向けてごらん…」、と。 私たちはいつも何かに怯えるように、見たもの聞いたもの得たもの感じたものを頭で分析し、加工し、味付けし、データ化して何かに利用しようと考える癖がついているようです。 アミはそんなありふれた風景にも無数の感動が隠されていることを気付かせてくれました。 背後で誰かが、「ボヤッと考え込んでないで仕事、仕事ぉ〜!」って叫んでいるかもしれませんね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より |
アミによると宇宙には法(法律でも憲法でも律法でもない、ただの「法」。規定や罰則を制定した成文法ではなく、限りなく「法則」に近い「法」という意味のようだ)があって、一定レベルに達しない世界は「未開世界」に属し、高度な文明世界は「法」によって過度の干渉を禁止されているということです。 …そう書くと「な〜るほど、ここもその『未開世界』なのだな」と自ら納得してしまうのです、残念ながら。 最後のフレーズが「皆さんよくご存知の通り、未開世界には過度に干渉してはいけないことになっているんですよね〜(^ー^)」と書ければ、ここも「文明世界」というわけですが、「法」って何だかわかりますか?「宇宙の基本法」を知っていますか? だから僕もあなたも「未開世界」の「非文明人」なんですね、はなはだ残念ながら…。 文明世界の干渉や接触が「宇宙の法」で禁止されていることすら知らずに、宇宙が生命のない無機質で無秩序で無目的な世界だと決め付けてしまっている私たちの姿を想像すると、洞穴に住んでどんぐりやトカゲを焼いている原始人のように見えて、思わず吹き出してしまいそうじゃないですか? 文明世界の条件として、アミはここで「三つの条件」を挙げました。 一つは「宇宙の基本法」を知ること。 (ああ…、つくづくここが「未開文明圏」であることを実感するなぁ) 第二は世界の統一を図ること。 たった一つの政府を作るべきなんだ。…とのことです。 (ああ…、ますますここが薄暗い洞穴の中であることが実感されるなぁ、ねぇ、トカゲの丸干しもう一本焼いて、煙るなぁ…ゴホゴホ) |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より |
宇宙の未開世界に対する文明世界の干渉は「宇宙の法」によって禁止されている…。 それならば、今僕の目の前にいるこの宇宙人は法を破っているじゃないかと、ペドゥリートは直感しました。 その指摘に対するアミの答えは、これは救済計画の一部であり、干渉とは違うのだということでした。 ある未開世界がその自由意志によって発展の段階にある場合は干渉の禁止が法則性を持ち、その社会が科学と愛の乖離において臨界限度に達して自滅しようとする直前には救済の実施が検討されるという事なのでしょう。 自滅の可能性が高まるに従って救済の計画が法則的に開始され、対照的に干渉の禁止法則が緩められていく、という事のようです。 そのように極めて深刻で危険な時代を招来してしまった地球人の危機意識と、宇宙の文明世界における地球の現実に対する認識に基づいた救済計画の間には大変な理解度の格差が存在するようです。 自滅と救済の前に、宇宙の文明世界の友人たちは、地球人の誤った宇宙認識を改めるために円盤を目撃させ、撮影させ、コンタクトを開始し、脳波へメッセージを送り始めたということです。 アミの出現はそういった有史以来、未曾有の危機に直面し自滅の瀬戸際にある太陽系第三惑星「地球」とその住民に対する事前警報の役割を担っていると思うと「さくらももこ調」の可愛いアミが、実は救済計画の最高責任者という偉大な人物として鮮明化してきますね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より |
多くの地球人は宇宙に対して荒涼とした砂漠のような印象を抱いています。 どこまでも果てしない広がりを持つその空間は未知のフロンティアであり、人類が征服してゆくべき未開拓の原野のように見ています。 高度な知能を持った生命体は無限に小さな確率でしか存在せず、この地球は宇宙でも一二を争う高度文明が栄えている星だと考えているようです。 そこでアミは、この体験を本として出版するときは「報告書」のようにではなく、「おとぎ話」として書くようにペドゥリートに勧めました。 ここにも「救済計画」のデリカシーな側面が見て取れるわけですが、あくまでその星の自由を最大限に尊重しながら、伝えるべきことを余すところなく伝えるという目的において、「おとぎ話」というカプセルは最善の策と言えるでしょう。 「どのように解釈されてもけっこうです、何が良くて何が悪いはありません、子どものように無邪気に遊ぶのもよし、大人っぽく常識で判断されても構いませんよ」というニュアンスですね。 コチコチのガチガチ大人にならないで、素直で無垢な子どもの心で宇宙と接したいものですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より |
アミはペドゥリートに「進んだ文明を持った悪い宇宙人が地球を侵略することは絶対にない」と念を押したあとで、「もし…」の仮定をパラドックスとして表現しました。 そもそも「進んだ文明を持った悪い宇宙人」という表現がパラドックスを含んでいて、それは「進んだ文明=よい宇宙人(=名実共に宇宙人)」、「遅れた文明=悪い宇宙人(⊇地球人)」であるから、そこには自然法則が作用して文明の存続が決定されるという流れになるのでしょう。 そこでアミはいくつもの矛盾をつなぎ合わせて、宇宙の文明に侵略戦争がないという「常識」を、メッセージとして語りかけてくれています。 そして「もし…」、自滅の瀬戸際だというので宇宙の友人たちが無配慮に手を差し伸べたらどうなるか、というシミュレーションの結果を、あえてここで示してくれました。 一行目の言葉の前後を入れ替えると、「手助けするためには、地球人が悪を克服すること」という意味になります。 「地球を救う」には「悪の克服」から始めなければいけないという貴重なメッセージですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より |
アミは地球の多くの人の意識は催眠状態で眠っていると言いました。 眠っているから人生には楽しいことがなく、心配や苦しみだけでいっぱいになり、そのことばかり考えて生きているのは愚かしいことだとも。 心が「今」という一瞬に向いていないとき、つまり過去の出来事に縛られていたり、まだ起こってもいない未来の不安に怯えていたら、人は世界の美しさを見失い催眠状態に陥り、自分が作り出した不幸の意識の中に溺れてしまうのだと。 アミは、人生を豊かに送る秘訣が「今」という瞬間を無限の美しさとして受け止めることにあると教えてくれました。 人生を天国に変えていくのは過去や未来や他人ではなく、今という一瞬を生かされている自分自身の美意識の目覚めなのでしょうね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第4章より
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ペドゥリートは、アミの語ったこの言葉の意味がよくわからなかった、と書かれています。 人間の進歩と変わらないシステム…、そのシステムの持つ悪の側面が不幸や犯罪の原因になっている、とアミは語りました。 ところで、その「システム」とは何でしょう? 宇宙には古いシステム、悪いシステム、新しいシステム、良いシステムというのがあるようです。 アミ小さな宇宙人(第1巻)からヒントを抜き出してみましょう。 108 でも、誰にも神の作った進歩のシステムに反することはできないんだ。 108 ある人間とかある世界が一定の進歩の段階に達した時のみ、 189 ―すべての進歩した宇宙の宗教とは、愛を持って生きることにある。 197 それは、いまだに、時代遅れの古い考えと、 どうやら「システム」は、「法」「法則」「ルール」「段階」「愛」「幸福」など、地球の人々が気付いていない(あるいは忘れ去って久しい)「本来の上質な人生」を手にするための必要条件のようです。 「愛」や「自由」の取り違え、不理解からすべての仕組みが狂ってしまったのでしょう。 良いシステムとは、「愛を絶対的なベースとした社会構造」ということかもしれませんね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第5章より |
アミの円盤に招き入れられたペドゥリートが最初に知った不思議は、この乗り物が地上からは見えない透明な状態で空中に浮かんでいることでした。 地球人が未確認飛行物体(UFO)と呼んでいる実体の中で、ペドゥリートはアミと言葉を交わしていました。 そこでペドゥリートの自己顕示欲が頭をもたげ、「地上から見えたら自慢できるのに…」と思いました。 地球の文明レベルは「未開文明」であり、未開文明とのコンタクトは「法」によって厳密に規定されていて個人の気まぐれで接することは禁止されています。 未開文明の末期的な危機は科学技術と精神性のアンバランスによって生み出され、その際は「良い種」だけを救出する「救済計画」が組織されるということです。 宇宙の先進文明は銀河系そのものの「意思」と一体となって行動しており、そこに完全な調和と健全な進歩が実現しているのでしょう。 未開文明の特色は、このように「閉じた文明系」であり、そこには宇宙の意思である愛が反映されておらず、その行方は迷走の末の滅亡だということをアミたち宇宙の友人たちは法則として認識していて、「干渉」ギリギリのところを銀河の意思と連携しながら警告を送っていると言えるでしょう。 マスコットのようなやさしさのアミが担っている使命の大きさは、ひとつの惑星を滅亡の危機から救うという巨大なものなのです。 |
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アミ 小さな宇宙人 第5章より |
円盤を操作するアミは、ペドゥリートにおばあちゃんの姿をスクリーンに映し出して見せました。 そのスクリーンは立体画像で目の前のものが手に取れるくらいにリアルでした。 手を伸ばして触ろうとしたら画面のガラスに手が当たってしまいました。 さて、ここにも「古いシステム」という言葉が出てきました。 …もうお分かりですね、古いシステムは平面、つまり2次元です。 新しいシステムというのは一つ上位の次元を自由に使うことのできる世界、と言えるのではないでしょうか。 すなわち現在の地球のように科学だけを追及しても次元の壁は法則によって超えることができず、科学と精神性との極端なアンバランスによって文明そのものが崩壊する方向に進みます。 しかし科学と愛とを調和させることによって私たちでもその限界を突破することは可能で、その時には宇宙の先進文明の助けを受けることができ、地球も生まれ変わることができると言われています。 愛がどれほど大切なものか、真剣に考え直す必要に私たちは迫られています。 |
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アミ 小さな宇宙人 第6章より |
宇宙には地球の人間が知らないことがたくさん、たくさんあるんだな、と思います。 そして私たちは私たちを取り囲み、私たち自身を創り上げている「本質」の絶対的な尺度にまったく気付かず、知ることなく人生を送っているんだな、と思うと一種の「寂しさ」が心に去来するのを感じます。 それはこの地球という惑星が進化の初期段階に留まっていて宇宙とのコミュニケーションを自由に交わすことができず、常に惑星内の閉鎖系でのみ自己評価のできない相対基準しか持ち得ないところから来る孤独感、孤立感に由来するものだと感じます。 宇宙人アミの来訪は、そのような「窒息状態」にある私たち地球人への、宇宙からの生命維持装置のプレゼントと言うこともできるでしょう。 「進歩度」という宇宙レベルの統一基準が存在し、すべての被造物はそのどこかの水準に対応することも、私たちの意識を宇宙レベルへと引き上げてくれる知識の一つと言えます。 私たちはまだまだ愛の段階において基準を知るレベルに達しておらず、「センソ・メトロ」と呼ばれる計測器を手にすることは宇宙法則上、許されないことで、その構造や仕組みを求める前に、自らの霊的レベルである進歩度を高めることが必要なことなのです。 そのように物事を掘り下げてゆくと、すべてのことが愛から出て愛を表現し、愛に収束していくのだな、という真理に到達できるのだと思います。 まず第一に愛を追求することであり、第二からあとはその結果の連鎖でしかないことを覚えたいものですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第6章より |
ペドゥリートにはひそかに自慢できる高名な科学者の叔父さんがいました。 彼は最新兵器の開発に携わっているエキスパートで、優れた知識と経験とアイデアの持ち主でした。 ペドゥリートの友人たちもその話を聞くときはペドゥリートをうらやましく感じていたことでしょう。 私たちは人の能力を評価する場合、知識の豊富さ、経験の豊かさ、アイディアの多様さなどを指標として優劣を判定しようとします。 ペドゥリートの叔父さんは、そのような能力の豊かさを存分に発揮して人生を謳歌しているような人でした。 でもアミだけは彼の豊かさを真っ向から否定しました。 その叔父さんにとって「武器」は誇りであり、生き甲斐であり、豊かさの泉であり、自分を正しく評価してくれる最大の味方と言えるでしょう。 子供が成長して親を裏切ることがあるように、武器という子供は必ずこれを誇りとし、頼みとし、喜びとする人たちを裏切ることになると、アミは明言しました。 世紀単位ほどの短いスパンでは観測できない法則かもしれませんが、生み出された理念は人の一生にかかわりなく生き続けていて、転生の秘密として因果の法に姿を変えて付きまとうことになるのでしょう。 私たちにはあまりにも知らないことが多すぎるように思えます。 体験を通して修正を掛けていくには「手遅れ」の規模に膨れ上がったものがカルマとしてこの地球に重くのしかかっているのでしょう。 |
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アミ 小さな宇宙人 第6章より |
アミは人間には二つの脳があり、一つは頭脳、もう一つは胸の「脳」だと教えてくれました。 「脳」とは感覚と思考と行動の中枢であり、人の意識(感情)と意思に深くかかわる器官です。 アミの言った二つの脳のうち、私たちは脳神経細胞で組織された「頭脳」が人間のすべてをコントロールしているように思っていますが、実は頭脳は胸の脳に奉仕するための器官だったのです。 頭脳は知性をつかさどり、胸の脳は頭脳を制御しながら情緒を表現します。 一方、胸の脳はとかく自己本位の考えに傾きがちな頭脳を情緒面からコントロールし、思考の方向性を総合的に統一する働きがあるのでしょう。 情緒の根源は愛なので、頭脳の働きを方向付けることにより物質世界での愛を体験的に学習することができ、低次元における相乗効果によって魂の飛躍的な発達が図られることになるのでしょう。 ほんとうのインテリとは優れた頭脳が愛に根ざした情緒によってコントロールされ、知性と感性が調和された高次の理性を内包する人のことを指すのですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第7章より |
UFOに対する人間の反応はさまざまです。 銃口を向けて撃ってくる人、ただ唖然として見上げる人、何か恐ろしいことが起こるのではないかと恐怖を感じる人、そして神のように崇拝の対象としようとする人…。 突然の未知のものの出現による人々の行動は、心にある風景をそのまま反映してしまうようです。 常に対象を自分と比較して上か、下かで判断しようとすると、そのような極端な反応となって現れてしまうのでしょう。 神を法則としての愛として捉えられない限り、彼らの過ちは自ら気付ける時まで繰り返されることでしょう。 アミの言葉は、その友人の立場から見た私たちの独断とその結末について語りかけてくれています。 宇宙の友人が私たちの進化に対し、干渉を避けつつ温かく見守ってくれている事実に感謝したいと思います。 |
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アミ 小さな宇宙人 第7章より |
地球人の祖先に当たる人たちが住んでいる進化した惑星「オフィル」への時空元変換の途次、不思議な音楽に合わせてアミとペドゥリートは自由に踊りました。 音楽と共にあるとき、人は身体を動かして自分を表現し好きなだけ楽しみたいのだけれど、「人に見られる」ことを気にして自分を装ってしまいがちです。 もっと自由になるんだ……。 自分自身になることは他人の目を過度に意識しないことから始まると言ってもいいでしょう。 そう決心したとき、人は他人からも、そして自分自身からも自由になれるのだと思います。 一人一人が自由に振舞える社会をイメージすると、現代の都会のような人口密集地帯はやがて姿を消して、その代わり広々とした田園風景に溶け込んだ平和な暮らしが私たちの本来的なライフスタイルなのだとわかります。 時空元移動の最中にダンスを踊る…、移動そのものに際し搭乗員は予め肉体と霊体とを調和させるための一種の訓練を必要としていると信じていた私に、この光景は新鮮な驚きをもたらしました。 何万光年もの距離を数分間のダンスと音楽で移動できる…、夢のような時代が「愛」というキーワードひとつで開ける現実を、アミはいともたやすく実演して見せてくれました。 「愛・自由・平和」の尊さが真に胸に迫ってくる光景ではないですか! |
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アミ 小さな宇宙人 第8章より |
アミはペドゥリートに対して最初から「愛」という言葉を持ち出さず、「宇宙の基本法」と言葉を変えてその大切さを教えてくれました。 「法」や「神」や「愛」が一つの「存在」だと認められない文化に対しては、言葉の解釈自体にレベルの違いがあるため、そこから生じる誤解を避ける必要があったのでしょう。 アミはその点をよく心得ていて、ペドゥリートに対して早合点のないように注意深く段階的に説明を進めてくれました。 まさにこのことは「デリケートに服用しなければならない一種の『薬』のようなもの」(第4章)なのですね。 そして地球に住む私たちが「宇宙の基本法」に対する無知によってとても大きなそして深刻な思い違いをしていることと、その結果として災いや苦しみを自ら招いている事実を伝えてくれました。 こういった因果関係については短期的な経験では明確に認知できない難しさがあり、法則として受け入れるためには一種の信仰に似た精神が求められると思います。 だから「因果の理法」をより短期のうちに悟りとして体得できるために、優れた導師により信仰の道が説かれてきたのだと思います。 人をあやめたら自分も同じような苦しみを反動として受け取る、という法則を知るために、何度も戦乱の時代を体験し、ある時は加害者、ある時は被害者の立場に身を置いて転生を繰り返しながら「因果」を「法則」として魂で理解する必要があるわけですね。 ただ、アミによれば地球には「業(ごう)」が大量に蓄積し限界に近づいているため、一刻も早くこの「法則」を知って個人的な悪循環を断ち切る必要があるということです。 「体験による認証」にも一定の限度があり、それによって魂の進化がなされず、悪戯に悪いカルマだけが蓄積することは、もっと深刻な別の法則を引き寄せるきっかけになりうると警告されています。 「人につかず、法につく」という言葉をどこかで聞いたことがありますが、まさにその通りですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第8章より |
アミが最初に連れて行ってくれた銀河系内惑星は「オフィル」でした。 そこには数千年前地球で勃発した核戦争に遭遇し、事前に円盤によって救い出された人たちの子孫が高度な精神文明を築いていました。 そのような意味でオフィルは銀河系内ではもっとも私たちの地球に近い人たちの惑星なのですね。 彼らは一人残らず「宇宙の基本法」をよく知っていて、互いに愛し合い、一つの家族のように調和してオフィルの文化を創っています。 地球に必要なのは目に見えない世界からの霊的な援助と同時に、現実的な観点からはオフィルの文化を学びオフィルのような惑星を目指す姿勢が大切なのだろうと思います。 そしてその姿は「宇宙の基本法」をもとにして成り立っているという事実を知る必要があるのでしょう。 オフィルの人たちの「常識」を、私たちの心と日常に取り入れることが最初の出発点なのでしょう。 |
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アミ 小さな宇宙人 第8章より |
地球人がまったく知らないことを宇宙人が知っていることの一例です。 宇宙は過去の出来事のすべてを記録に留めていて、謎のままである事実はひとつとして存在しないということでしょう。 地球人の私たちには信じられないことでも「事実」は事実として留められていて、その記録の前では何人と言えども否認することなどできないほど完璧なアーカイブが存在するのでしょう。 地球レベルでは「アカシック・レコード(アガシャーの記録)」と呼ばれている総合データベースが存在し、ここに地球の歴史のすべてが記録されているそうです。 結局すべての可能性が「霊性進化」と深く関連しており、進化に伴う認識力の拡大が二重螺旋構造を描きながら進んでゆくという方向性が法則として定まっているのでしょう。 アミは現地球人の共通の祖先がアトランティス人だと言いました。 私たちには地球40数億年の歴史のうち、わずか2,3千年の過去しか垣間見ることができませんが、事実はすべてアカシック・レコードや銀河の中心にあるという「スーパーコンピューター」に記録されていて、それぞれへのアクセスはひとえにその資格に相応しい意識レベルのみがなし得る世界がこの宇宙だということのようです。 そこで忘れてならないことは、私たち個人レベルの心の動きや行動についても逐一水も漏らさぬ正確さで「想念体」という記録媒体に納められていて、それが「浄玻璃の鏡」として再生され、霊界で自らの一生を振り返ることになるのでしょうね。 知られていない事実は何一つとしてない、という「事実」を知らないのも「未開世界」の特徴の一つなのでしょうね、残念ながら…。 「我知る、人知る、神知る」…う〜ん、そのとおりだ、完全犯罪なんてあるわけない。 |
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アミ 小さな宇宙人 第8章より |
ペドゥリートの乗った宇宙船はオフィルという素晴らしい惑星に時空元移動しているにもかかわらず、ペドゥリートの心の中は地球にいるおばあちゃんが目を覚まして大騒ぎになるのではないかという心配でいっぱいでした。 せっかく愛と調和で満たされた惑星に行ったとしても、その人がまだ起きていないことの心配をしているならば、幸せは受け取れないことをアミは教えてくれました。 たとえ溢れるほどの愛の中に身を置いていても、もし心の中に自分が作り出した仮想現実とそれに対する恐れ、不安、心配などでいっぱいだったとしたら、愛は自分の中に入ってくることはできません。 それらネガティブな感情は「野放しの想像力」の産物であり、いわば「考えすぎ」の弊害だとアミは私たちに語っています。 考えを停止することは自己防衛の放棄のように思えますが、裏を返せばそれほどまでに私たちは警戒心や猜疑心、恐怖心の虜になっているのかもしれません。 本来の自分自身になることは、身にまとっている「考えの鎧」を脱ぎ去って裸になることであり、取りとめのない「考察ゲーム」の縛りから自分を解放することを意味します。 子供のときから私たちは「考えなさい、頭を使いなさい、お利口さんでありなさい」と周囲からけしかけられるようにして育ってきました。 だから頭を使うことは良いこと、好ましいこと、当然のこととして生活の基本スタイルになっています。 私たちは今、アミやペドゥリートといっしょにオフィルの世界にいます。 郷に入りては郷に従え…、堂々巡りを考え続けることをちょっとの間忘れて、オフィルの人たちといっしょに今の人生を味わい、楽しんでみてはいかがでしょう。 それこそが忘れていたものを取り戻す方法なのです、…ここはオフィルです。 |
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アミ 小さな宇宙人 第8章より |
思考、知覚、愛…。 私たち地球人は「愛する」ことや「感じ取る」ことよりも、「考える」ことを最高の精神と考えています。 頭で考える力、つまり知覚した情報を分析・解析し、次にとる行動をいち早くパターン化する能力でお互いを評価しあっています。 そのため思考能力を高めるためのあらゆる手立てが考案され、世の中をますます過酷にしていると言ってもよいでしょう。 私たち人類は何か大きな誤解をしていると思いませんか? そして魚類から類人猿までの脳容積を比較して、そのどれよりも大きいことを理由に地球ではもちろん、宇宙でも唯一の知能の持ち主だと思い込んでいるのではないでしょうか。 アミはそんな人類に向けて「思考」は「第三水準」にあることを明示してくれました。 そして更に「思考」と「知覚」の外側には「愛」という「第一水準」の感覚があり、これが宇宙を一つにしている唯一の力であることを示してくれました。 私見ですが「思考」というのは一つのユニットとして捉えられるものだと思います。 その複雑なプロセスを通して宇宙・自然を見ることが習慣になっているのが私たち地球人の特性なのかもしれません。 どういうことかといいますと、プロセスを通さずにダイレクトに感じ取ってごらん、という意味のように受け取れます。 感覚という生命存在の源泉についても同様で、人はよりシンプルでダイレクトな方向へと進化していく存在であると言えるでしょう。 あるべき水準の順位を見誤らないことが、地球を救う条件でもあるような気がします。 でも、もうあまり時間がないような気がします。 ありがたいことですね(^ー^) |
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アミ 小さな宇宙人 第9章より |
オフィルの人々の姿を宇宙船の窓越しに見ながら、ペドゥリートはその自由な振る舞いに驚き、戸惑ってしまいました。 「通りがかりの異性の人と、そんな気安く抱き合ったりキスしあったりしていいのかなぁ…?」 そこでペドゥリートは彼なりの結論を下しました。 しかしオフィルの静かな街角では、人々がごく自然にお互いを尊重し合い、いたわり合ってスキンシップを楽しんでいました。 なぜそんな大胆な挨拶がふつうに行えるんだろう?と、私たち地球人は誰もが疑問に思います。 オフィルの人々はまるで家族のように一つに溶け合って互いに愛し合い、排斥や仲間外れなどの不調和な行為とは無縁の世界を築いていました。 人々が自分の理想を生きられる時、当然ながら他人との間の確執というものはできません。 すべての人がそれぞれの人生を謳歌できる社会は、私たちがまず実現可能な射程内の次のステップとして手本とすべきものですね。 文明世界には嫉妬は存在しない…、この言葉は私たち地球人に深い示唆を与えてくれているように思えます。 |
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アミ 小さな宇宙人 第9章より |
オフィルの地上は静かな田園風景そのものだったようです。 田畑では機械が「黙々と」仕事をしていたのをペドゥリートは目撃しました。 騒音も危険も大気汚染も、過密も孤独もそこには存在せず、豊かな自然の懐の中で人々は調和して生活を楽しんでいました。 近くへの移動は徒歩や小さな車で、遠距離の移動や運搬には円盤が使われていました。 大気圏内型円盤の移動方法は主に「飛行」によるもののようです。 それらの移動装置はすべて銀河の中心にある意識とつながっていて、事故や危険とは無縁の乗り物として機能しています。 地球の科学では閉鎖系のコンピューターによって電子的な制御で安全が保たれていますが、未来科学では物質次元が高次元の意識と接続することで「完璧な安全性」が保障されることになるようです。 アミはその未知のシステムのことを「スーパーコンピューター」と表現したようです。 |
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アミ 小さな宇宙人 第9章より |
オフィルの世界は組織化と機械化が完全に整備されていて、人が身体を使ってすることはほとんど「ない」と言って良いほどだそうです。 することがなければ人間は退屈しきってしまい、淫楽に耽り、最後は堕落して滅びてしまうのではないかと考えるのが地球人的予測です。 しかしオフィルの人たちは肉体労働や頭脳労働の代わりに、遅れている文明をサポートする仕事に精魂を傾けていました。 アミによるオフィルの「解説」を読めば読むほど、私たちがどれだけ地球的発想に縛り付けられているかがわかります。 地球上では経済というシステムが普遍的に受け入れられ、人々は当然の仕組みとして生活のベースとしていますが、そこには生き残りをかけた熾烈な生存競争があり、愛はなおざりにされるどころか邪魔者と考えられる有様です。 ギクシャクした仕組みの中で自分の立場を客観視するためには、まずアミが提供してくれた優れた文明世界のパラダイムを理解する必要があるのでしょう。 閉鎖系文明から開放系文明へと、私たちも進歩をしたいものですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第9章より |
地球は宇宙人の監視下にある…。 恐怖のSFみたいな話だけど、地球が危険な状態でいる限り、この監視体制は緩められない、ということのようです。 私たちは物質レベルの科学を発達させてきましたが、もう一方の大切な科学をなおざりにしてきました。 見えない部分をないがしろにしてきたツケが、現在の物質科学乱用による様々な環境問題、社会不安、国際紛争などの原因として現象化してきたと言えるでしょう。 このような無目的な科学の発達は内地球的にも宇宙的にもきわめて不安定な要素として悪影響を及ぼし、宇宙親交という一つの組織を持つ宇宙の友人たちにとっては目を離せない危機的状態を作っているわけです。 内的宇宙への探求が欠落した文明は、やがて自ら築き上げた科学によって自滅の途をたどる…。 火遊びをしている子供を黙って見ている親がいないのと同じで、私たちは間違えば地球も宇宙も焼き払ってしまいかねない危険な遊びに興じているようです。 |
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アミ 小さな宇宙人 第9章より |
私たちは「家族」という最小のコミュニティを形成して相思相愛の関係を築き、愛し合う実践を通して「愛」の本質を学ぼうとしています。 たとえ自分が身寄りのない孤立無援の一人であったとしても、この身体を作り維持しているのは父母から受け継いだ遺伝子の働きであり、家族と無縁の人は誰一人としていません。 家族を体感できなくても、この社会にある無数の家族に囲まれている人間ならば「家族とは何だろう?」というテーマに想いを深めることは可能です。 人によっては家族の愛に恵まれなかったり、今現在の悩みの中心が家族にあることもあるでしょう。 宇宙の先進文明では、たとえ姿かたちは異なっても(ものすごく多様なバリエーションがあるらしい…)、彼らは互いに深い愛で結ばれていて「他人」は存在せず、みなが一つ屋根の下の家族として生活しているということです。 そこには「いじめ」も「仲間外れも」も「犯罪人」も「極悪人」も「危険人物」も「被疑者」も「原告」も「被告」も(あ〜、疲れた…)も存在せず、すべての人は内的に確立された個人として尊重され、互いに自然な信頼関係で結び合わされて「危険」も「犯罪」も「事故」も「喧嘩」も「いざこざ」も「戦争」も「不条理」も「不自由」も「飢餓」も「不幸」も(…キリがない…)存在しない世界を当然として生きているようなのです。 地球上には数え切れないほどの「問題」や「事件」や「謎」や「苦悩」や、その他もろもろのネガティブ事情が取り囲んでいて、私たちはそれらの諸問題を当然のこととして暮らしています。 ごまかさないで正直に答えなさい(^ー^) |
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アミ 小さな宇宙人 第9章より |
物事は相対的な捉え方が必要な場合も多いというのを感じます。 ただ宇宙の普遍的な真理である「愛」に関しては、その存在自身が絶対的な位置を占めるため、これを語る場合は次のようなストレートな言い回ししか方法がありません。 「進歩とは、愛により近づいていくということを意味しているんだ。 これは真理です、普遍的な愛に関する宇宙の真実をそのままアミは伝えてくれました。 愛を実践し、愛を育て、愛の世界を築くには「どうしたら」いいのでしょう? 愛は、積み上げることよりも障害を取り除くことのほうが、方法論としてはわかりやすいのかもしれません。 光は簡単な覆いで遮断することができるように、私たちの日常に去来する様々なネガティブな感情によってたやすくブロックされてしまう性質を持っているようです。 私たちも一種の「電波」を発していて、愛である光に干渉縞を生じさせ、感情を通してポジティブなものやネガティブなものとして受け止めることになるのでしょう。 その繊細なエネルギーをブロックするもの、その最たるものは私たちの心にある「エゴ」なのですね。 だから人の姿を見れば自分の姿をその中に重ねて見出すことができるのでしょう。 押してもだめなら引いてみる…、まず、ブロックであるエゴ、すなわちアミの言葉を借りれば それを取り除くことを実践し始めれば、相対的に愛を積み上げることになると、アミは教えてくれました。 |
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アミ 小さな宇宙人 第9章より |
オフィルでは宇宙親交の人たちが集って円形劇場ショーが演じられていました。 様々な体型、色とりどりの衣装、自由なしぐさ、テレパシーによるコミュニケーション、笑いや拍手…。 この手のショーには賞がつき物だ(笑)、と思い込んでいたペドゥリートは商品の山や審査員の席を探しましたが会場のどこにもそれらしきものは見当たりません。 アミは、これは単なるショーで、コンテストやコンクールのように優勝者を決めるものではないことを教えてくれました。 私たちはいくつかのグループが集まったら何かのランク付けをすることで個々のグループを特徴付けようとする習慣があります。 お互いに切磋琢磨して、より素晴らしいもの、より優れたもの、より力に勝るものを生み出そうとする精神そのものは決して「悪」とは言い切れません。 繊細な精神の波動で統一されている先進文明では「争う」ということが「分裂」や「破滅」の原因であることを「法則」としてすべての人々が知っています。 私たちはまだまだ「因果の法則」のABCを、永遠の時間軸を利用して危険と痛みと苦しみと悩みといった感覚を通して肉体で習得している段階なのかもしれません。 しかしどうやら地球人たちは自分たちの教室や学校を破壊するまでに「実験」をエスカレートさせ、集団自殺を図っているようなのです。 「どのグループが勝ってるの?」…、何気ないペドゥリートの質問が、今後の地球の命運を分かつ重要なキーワードであることを見抜いて欲しいと思います。 |
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アミ 小さな宇宙人 第9章より |
宇宙の文明世界では「謎」というものがない…、とアミは言いました。 すべての出来事は事実として明瞭に認識されていて、そこには疑問も不信も欺瞞も虚も存在し得ない世界が実現しているようです。 信じるという行為すら、はっきりとした事実の前には不要なものとなることでしょう。 翻って私たちの世界は「謎に満ちた世界」ですね。 そのように断片的な事実を貼り合わせて目的の時間と空間に生じた出来事をイメージしていくのが地球流のやり方だと言えるでしょう。 私たちの意識は「今」という時制の中で世界を認識しています。 ただ、私たちにはその保管場所のありかと保管庫のあけ方がわからないだけなのでしょう。 まさに「謎の逆スパイラル」とも言える現象に陥ってしまったのかもしれません。 真実は真実として素直に明かすための、その検証法は数多くあるようです。 ペドゥリートはナポレオンやシーザーやキリストの姿を、ありあありと目にしたことでしょう。 |
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アミ 小さな宇宙人 第10章より |
「すべての人」といったとき、私たち地球人も含まれるのでしょうか? 当然ですね、含まれます(^ー^) 宇宙親交に属する文明の人たちは皆、お互いに兄弟として愛し合い、友達として溶け合いながら過ごしています。 物質次元の世界でもこのような平面的なヒエラルキー(階層)が存在し、その境界はごく特別な場合を除き交流のできない状態になっているようです。 その使命を遂行するために、ペドゥリートをはじめとして数多くのメンバーを地球に転生させ、自己救済の最後のチャンスを宇宙と地球の両面から実現化に動き出したことになります。 彼ら先進世界の人々は私たち地球人のことも兄弟であり、友達だと思っているから宇宙親交の救済計画に従って地球とその双子の惑星である「キア」(後述)にメッセージを送ってきました。 宇宙には国境も禁止事項も罰則も通行規則も何もなく、すべてのことが法である「愛」に直結していて本当の意味での「自由」が広く行き渡っています。 それゆえに私たちは「未開世界」を自らの意思で形成し、宇宙親交という惑星間組織の存在すら知ることなく、不調和で妙に複雑で生活困難な「地球社会」を耐え忍びながら生きています。 だから自然の法則によって、そのようなエゴの支配する世界は自らが「エゴの幕」に封じ込められることになり、宇宙親交も宇宙文明の真実すら知らずに、厳しい世界のままに何度も破滅の危機に遭遇して現在に至っているのでしょう。 私たちは残念ながら宇宙にまで国境を広げようとして、各国がせめぎ合いを続けています。 このような行為がどれほど危険な遊びに相当するか、地球人自身がいちばん無知でいるようです。 子供の火遊びはきわめて危険な行為です。 武器(心の武器、物質の武器)を捨てましょう、いくら祈ってもいくら善行を積んでも愛を実践しなければ行き着くところは同じです。 |
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アミ 小さな宇宙人 第10章より |
「もし」と言うことばが象徴するように、現在の地球はとても微妙で重大な選択を迫られているようです。 人々が真の平和と共存に向かって進み出せば、恐ろしい破壊のプロセスなしにひとつの段階を無事に乗り切ることができる反面、それができず自滅の選択をしてしまった場合は進化の過程は以前の反復を繰り返すことになるようです。 その時代のほんとうの価値というのは、その時代が過ぎ行き、別の時代からの観点に立ったときにはじめて明確に評価できる場合がほとんどのようです。 そこに生きていた人々が、偉大な人の存在を一個人の記憶として心に刻みながら死に絶え、更に世代を重ねてからはじめて、後世の人々が偉大な人の存在を認めるようになり、その時代の大きさが評価されることになるのだと思います。 今の時代も同じであり、現代に生きている私たちの心のあり方次第で、後に続く地球の姿がどのようにも変化してしまうという、重大な瞬間に生まれあっている事実を重く受け止める必要があるのでしょう。 今の時代の尊さ、大きさをほんとうに評価できるのは、残念ながら私たちではなく、後に続く世代の人たちであることを思うとき、それはやがて私たち自身の生まれる世界でもあることを自覚して今を生きる必要があるのではないでしょうか。 人々の「死んだらそれで終わりだ」という誤った妄想が、地球というかけがえのない生存基盤を危機的な状況に陥れ、やがてその反動が私たち自身の現実として厳しくのしかかってくることになるに違いありません。 現実の艱難辛苦が「当然のもの」として受け入れ続けられる限り、思いの実現としての現実はいつまでも「厳しいもの」であり続けることは想像に難くありません。 「大人」はそのような「真実」を受け入れることが困難ですが、「子供」と「子供のような心を持った大人」は、未来を自分が新たな一歩を踏み出すための大切な世界として尊ぶことができます。 信じることの尊さを、信仰とは別の次元において、自身の問題として受け止める必要があるでしょう。 |
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アミ 小さな宇宙人 第10章より |
真実「だけが」美しい…。 このことばを何度も反復して味わう必要があるようです。 私たちの感覚が真実に対して大きく開かれているかを見極めるための大切な観点でもあります。 すべてのことが「真実」ではあるけれど、私たちはすべての真実を意識を通して見ています。 進化の過程を踏みながら、意識の範囲を広げるにつれ、真実がより真実として把握できるようになるのでしょう。 宇宙の同胞たちの真実にしても同じことで、より美しくこの宇宙を眺められるようになったとしたら、私たちは進化の過程を誤りなく進んでいるとみていいでしょう。 美しさというひとつの価値基準について、より進歩した観点から理解ができたら素晴らしいですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第10章より |
子供たちは真実の美しさを知っています。 子供たちは世界の素晴らしさを知っています。 子供たちは平和の尊さを知っています。 子供たちは愛し合うことを知っています。 子供たちは遊びの本質を知っています。 子供たちは思ったことの表現力に優れています。 子供たちは思いのままに行動します。 大人はことごとく逆なようですね… そっちに行ったら生き延びられると思いながら、 大人の方たちに申し上げます。 |
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アミ 小さな宇宙人 第11章より |
私たちは「権利」と聞くと、それは自ら主張しないと得られないものと思っています。 黙っていたら、他人が「権利」を主張して、自分の権利が奪われてしまうかもしれないと思っています。 苦労して手に入れた権利は自分自身の財産であり、誰にも奪われたくないと思うのが私たちです。 そのように私たちは権利を主張するもの、保有するもの、守るものとして維持しようとします。 宇宙の文明社会では私たち地球人のような「権利の奪い合い、守り合い」は存在しません。 それは「与えたから与えられるのは当たり前」として人に要求を突きつけるのではなく、「与えた愛は法則によって戻ってくる」ことを皆がはっきりと認識しているからに他なりません。 進んだ文明の原動力は愛という理念であり、奉仕という行動で成り立っているようです。 権利というステータスが力関係と上下関係から解き放たれ、共に尊重し合うことを当然とする社会には、もはや疑いも恐れも争いも犯罪も存在しないことが理解できる気がしませんか? |
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アミ 小さな宇宙人 第11章より |
もしも、心の中がガラス張りというか丸見えの筒抜けだとしたら、一番最初に慌てふためく人ほど「大バカ度」が高いと言えそうですね。 周囲から自分を防衛するための策略を抜け目なく巡らし、自分の安全と利益だけを守ることに専念してきたとしたら、その手法とからくりの一切が他人に公表されてしまうほど恐ろしいことはないでしょう。 宇宙の文明社会は想いと行動とが完全に一致していて、地球人のような「腹黒さ」「策略」「計略」「権謀術数」といった「本音と建前」を使い分ける手法は通用しません。 心に思った言葉、描いたイメージ、受け止めた感情がストレートに他人に伝わってしまうテレパシーの世界では、策略に長けた人、他人をコントロールしたい人は存在そのものが極めて困難であり生存は不可能と言ってもよいでしょう。 地球のアセンションに伴い、まず最初に篩いにかけられるのはそのような二心の極端な人だと言えるかもしれません。 その人たちは文明社会の同胞から「大バカ者」と呼ばれても反論はできません。 それらの人たちが突然そのようなオープンな世界に放り込まれ、自らの意思で過ちを認めて反作用を受け止める場所が地獄と呼ばれる世界です。 悪事は自らを滅亡に追い込むことによってすべてを終息させる方向へと導きます。 |
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アミ 小さな宇宙人 第11章より |
宇宙の先進世界には悪人が不必要だから犯罪はなく、したがって警察も裁判所も留置場もない…、テレビで飽くことなく放映される犯罪の数々に見慣れている私たちには想像しがたい社会ですね。 そのからくりをアミは次のように説明しました(詳細は第4章)。 「悪いシステムが人を傷つけ、不幸へと追いやって、しまいに間違いを犯すようにさせる。 システムとしての社会が悪人を作り出す…、このような観点から「犯罪」を論ずる人はまずいないでしょう。 悪人がいるから社会が混乱する。 その結果、悪を取り締まる組織が拡大し、抑止力が強化されることによってより巧妙な悪、組織的な悪、テクノロジーに逆手に取った悪が出現して、その拡大再生産を助長しているようです。 奪い合いと競争の社会で弱者の立場に立たされた人々は、生き残るための過酷な手段として犯罪の組織化に身を投ずることになります。 アミは次のような言葉を残しています(詳細は第6章)。 「でも地球にはとても貴重な人がいる。教師、芸術家、看護婦、消防士……。」 ここに警官、裁判官、弁護士、新聞記者などが含まれていないことに気づくでしょう。 一人一人の心が愛に近づくと、その惑星の周波数も上がり、結果の循環によって悪人を必要としない社会へと変貌していくのですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第11章より |
前節の続きです。 ペドゥリートは悪人のいない社会、警察のない社会が実在することが信じられませんでした。 同胞であるべき人々が互いにいがみ合い、憎み合い、奪い合い、傷つけ合い、殺し合う…。 「戦争は外交の一手段である」などと定義する学者がいますが、その犠牲となるのは人殺しなど考えも及ばない善意の一般人なのです。 「未開世界には未開世界のルールがある、彼らが気づくまで自由を尊重してあげよう。」 もしも凶暴なゴリラだけが住む惑星があり、いつも凄惨な争いに明け暮れているのを見て止めに入ろうとしても、進化の途上で彼らが知らなければならない真実の存在を認識していたら、ただ争いをやめるように力ずくで干渉することはできないのです。 ただその争いが極限までエスカレートして、進化の問題が存在の危機によって無に帰する可能性が高まった場合に限り、超法規的な措置がとられることがあるとのことです。 犯罪も戦争も争いもない世界の人たちが、自滅寸前の世界に対して干渉にならない範囲でのサインを送り続けてくれているのです。 |
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アミ 小さな宇宙人 第11章より |
私たちは長い間、「人間と神」という単純な二元の世界に身を置いて過ごしてきました。 そして時代を変えつつ地球上のさまざまな地域に転生を繰り返しているうちに、ますます「神は神、人は人」とする分離を進め、人としての完成度は神のそれとじかに接していると考えるようになりました。 「人の上は神、神の下は人」といった、水槽に水と油を半々に注いだような世界観が定着してしまったようです。 そこに人々は完璧なる神のイメージを重ねることによって、自分たちも完璧さとは紙一重であり、ちょっと手を伸ばせばそこに究極の神がいると考えるようになりました。 そのような「水と油の世界観」を抱きながらその実、向上心に欠け、兄弟愛を持たず、自我ばかりを押し通す人々が増えてしまい、その結果として神の立場をますます低下させることになりました。 人の行為に干渉せず、ただ黙って見守っているだけの「神の沈黙」を「神の死」とまで勝手に解釈を施し、その結果人々の身勝手は自らの世界の天井を引き下げて圧死させるほどに自虐的になっています。 その狭められた平面空間で、私たち地球人は他人の粗探しや噂話にうつつを抜かしている毎日なのではないでしょうか。 神の世界は無限のヒエラルキーを有し、同時空間に無数の異次元世界が展開しているという宇宙観を持つためには「神とは何か」を一挙に問い詰めることをせず、まずアミのようなひとつ上の世界の人々との交流を第一の課題とし、段階的な進歩を目指す地道な努力目標を掲げる必要があるようです。 森を見たつもりで木々の一本一本に注意が払われていないことから、その森をイメージによってますます狭めてしまい、自分たちの生存環境まで瀕死の状態に貶めようとしているのが今の私たちのような気がします。 進化とは無限の階梯ではあるけれど、それを楽しみながら一歩一歩上ることが楽しみと喜びをもたらす源泉となることを体験してゆきたいですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第11章より |
「信仰とは教会に行って祈ること」「神とは権威があって人を支配する怖い存在」…。 そのように教え込まれていたペドゥリートは「人間と神」とは別のものとしてイメージしていました。 「人は人」「神は神」…。 そこでペドゥリートはアミに問いかけます、「神は、僕みたいな普通の人間とは違うんじゃないの?」。 ずるがしこくて横暴な神が唯一完全な「神」かい?、とアミは問いただします。 人々を権威と恐怖で支配する神がペドゥリートより「上」にいる天地創造の神なのかい?、と。 ペドゥリートは自分の神への矛盾を突かれて、「アミ、そんなふうには一度も考えたことがなかったよ…」と答えるしかありませんでした。 人々が力や権威を神の属性として求めるのは、彼らの現実が権力に逆らうことができず、そこからの開放を望んでいる心理を反映したものなのでしょう。 力の不均衡に苦しむ人々はその理想を「力の神」に求め、強いイメージによってそれを現実化してきたのだと思えます。 そこに現れた神の姿は荒々しく怒り狂う「暴力の神」であり、人々の心の中にある「愛の神」とはかけ離れたものになりました。 アミはペドゥリートの偏った神の概念を引き合いに出して批判することはせず、むしろ「神は愛なんだよ」と言って本来の姿を指し示してくれました。 うわべだけの信心や信仰の誤りを指摘する代わりに、愛を感じ、体験することの大切さを説いてくれました。 そして、人を愛することとは、利害を超えて人の役に立つことを望む人の姿に見出せることを教えてくれました。 そこでペドゥリートはきっと教会の説教を思い浮かべたのでしょう。 アミに質問します、「君の宗教は何??」。 アミはちょっと考えてから「宇宙の宗教」は「愛を持って生きること」だと答えました。 宇宙に宗教としての「宇宙教」はないけれど、愛に従って生きることがそれに相当することだと言いました。 ペドゥリートにはそれが「信仰の規範としての愛」として映ったので、アミが言っていた「宇宙の基本法としての愛」に対する信仰だと思っていました。 つまり「宇宙の基本法としての愛」がアミたちの信仰の対象だと考えていました。 そこでアミが語ったのが表題の言葉です。 愛は信仰の対象ではなく「法」、つまり「法則」「真理」「実在」のことを指すのだと。 やがて科学が実在と理念と生命を解き明かすとき、愛の科学的探究が始まるのでしょう。 そんな総合科学の時代がすぐ目の前まで近づいていることを感じます。 |
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アミ 小さな宇宙人 第12章より |
太陽のような恒星は内部の水素、ヘリウム、リチウムなどの軽い原子核が核融合反応を起こして膨大なエネルギーを放出していると考えられています。 また太陽に近い惑星ほど高温であり、遠い惑星は冷却していると考えられています。 そのように教えられている私たちには「太陽の人たちの話」はとても奇妙に聞こえます。 あの「燃え盛っている炎の天体」に生命が住んでいるなど、信じがたい話に聞こえます。 「アミ」シリーズの本は大人の心では通り抜けられないフィルターがところどころに仕掛けられています。 アミの言葉はまったく理論的でないように聞こえますが、そこに表現されていることは「事実」であり、理論ではないのです。 「聖書」が「神とは何か」を事細かに記述していないのと同様に、アミのメッセージにも「恒星に関する地球的解釈について」の理論的説明はありません。 ただ事実として、太陽には人が住んでいて、その人々は非常に度数の高い進化した人たちで、私たちとはあまりにも大きなレベルの開きがあって交流できないだけ、という説明を受け入れてしまえば核融合の理論はひとまず脇に置いておくことができます。 地球的理解もアミの言葉を腑に落とす大きな助力になりますが、大人の心は地球的観点に縛られていて初めから受け入れることを拒絶してしまいます。 太陽の人たち、というひとことが、実は柔軟な子供の心だけを通過させる識別子となっているのです。 太陽と太陽の人々は「ほとんど純粋な愛」だと、アミは説明してくれました。 私たちはその純粋な愛のエネルギーを受けて日々を生かされているのです。 太陽を見て、そこに「愛とは何か」を感じ取ることにしましょう。 |
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アミ 小さな宇宙人 第12章より |
アミとペドゥリートはオフィル星の特に「温度」の高い場所、人々が光のオーラに包まれて空を飛んだり野原に車座になり瞑想しているところを見ました。 オフィルの星には人々が活動している地域と、祈りや瞑想のために集まる地域とがあるようです。 国や国境、人種や言語といった壁のない、ひとつにまとまった惑星は人々の生活スタイルに合わせた区域が自然発生的に現れてくるのかもしれません。 惑星には特に波動が精妙で霊的エネルギーに溢れた場所が点在するとの事ですが、そういった地区が霊的進歩のために集中して利用されるようになるのでしょう。 人々は地面に輪を作り、高次の世界から流れてくる宇宙大自然の意思をキャッチし、その周波数を変換して地球のような低次の惑星に送信する「仕事」をしていました。 宇宙の進歩した世界では「仕事」と「プライベート」の区別はなく、生活そのものが目的のすべてとなる姿をここからうかがい知ることができるでしょう。 宇宙はまさに「波動の世界」であり、そこに生きる私たちのそもそもの役割は波動のプロセスに集約されるのかもしれません。 ちょうどラジオやテレビの受信機が空中の電波を取り込み、選択し、変換し、増幅し、映像や音声として出力するように、私たちの実体も宇宙にある情報に同調し、選び分かち、翻訳し、別の新しい情報として発信していくという役割を持つのだと思います。 人は神の情報のパイプになることで自らその情報を取得し、進歩していくことができるのでしょうね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第12章より |
私たちのこの惑星「地球」は新しい時代に入りつつあるとアミは言いました。 その時代の名前は「みずがめ座の時代」。 私たちの国、日本もこの百余年間、明治、大正、昭和を経て現代へとめまぐるしく変貌してきました。 私自身、昭和24年に生まれてから、普通なら何世代も輪廻転生を経験しないと味わえないほどのさまざまな科学や文化とともに時を過ごし、今はその後半を楽しんでいます。 時代の渦中に身を置いてしまうと、周辺を取り巻く変化の実態が客観的につかみにくく、ごく当然のことのように受け止めてしまいがちです。 しかし人々は魂の奥底の最も必要な学びと体験のために、この地球上にさまざまな風土と文化を創造して個々の必要を満たそうと努めてきたように思えます。 二度の世界大戦を経て経済的繁栄の社会を築いた人類は次のステップ、つまり愛と平和と安定の時代に向けて歩み出そうとしているのでしょう。 人々の心に新しい愛の感情が芽生え始め、それらが地球の波動を急速に高め、その相互作用で強力な霊的磁場に地球が包まれようとしているようです。 地球の人々は一応最終的なチャンスをそれぞれが必要に応じて受け取り、新しい時代「みずがめ座の時代」に向けて進み始めているのでしょう。 水瓶座のシンボルは波を表す並行する2本の線、それは情報とネットワークの象徴のようにも見えます。 宇宙にある繊細な波動の中から自分らしさにふさわしい情報を受け取り、これを流し合い、共有していく時代がアミの言う「みずがめ座の時代」なのかもしれませんね。 今はその過渡期、世代交代の真っ最中ということになるのでしょう。 自分はこの社会に適合できずに辛い思いをしている人たちにこそ知ってもらいたい、アミからのよき知らせということになるでしょう。 |
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アミ 小さな宇宙人 第12章より |
アミによれば、進歩した人ほど子供のようになっていくと言います。 子供は遊び心を持ち、すべての思考と行動とに遊びの要素が伴います。 そして私たちが住まう大宇宙も、元はといえば神の遊びの産物なのだそうです。 大人の私たちは一度もそんなことは考えてもいませんでしたね。 大人の目で大宇宙を見ると、そこはただ暗黒の謎と神秘に満ちた無機質の空間のように見えます。 しかし、宇宙の先進文明に属する人たちは大人の目には見えない姿で、宇宙を遊びの場として神と共有しています。 私たちは成長するにしたがって子供の純真無垢な心を知らず知らずに忘れ去ってゆき、いつしか自分は大人だという共通の認識に安住してしまいます。 でも宇宙の真実、神の世界の姿とはもっともっとシンプルで感覚的な精神でこそ実態を捉えることができるものなのですね。 大人の世界の神という言葉は無数の解釈があり、大人自身が自らの神を掴みかねているようなところもあるようです。 それぞれの人がそれぞれの神をイメージし、心の支えにしているのでしょう。 幼い子供たちは神を知らないように見えてその実、大人が忘れてしまった純粋な世界のすべてを心に描きながら過ごしています。 その美しさやきらめき、やさしさや清らかさを言葉で表現できないだけなのでしょう。 愛という言葉を知らなくても、愛は日々、感じ、味わい、楽しんで受け入れることができます。 そのような現実が大人の世界に多種多様な「神」という存在を生んできたのでしょう。 愛は精神を映す鏡であり、それによって「私」を宇宙へと拡大できるのだと思います。 |
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アミ 小さな宇宙人 第12章より |
アミはペドゥリートにオフィルの世界を案内しながら様々なことを教えてくれました。 ここに住む人々が地球に起源を持っていること。 地球の人々はかつての大災害の生き残りであること。 愛をおろそかにした人々がたどる道筋は破壊と滅亡であること。 宇宙には文明社会が無数に存在していて人々が幸せに暮らしていること。 高度な文明は高度な精神性に源を発して発展すること。 文明社会の人々はみんな兄弟のように愛し合っていること。 銀河系には宇宙親交という連合体が存在すること。 親交世界に入るとすべてのテクノロジーが共有できること。 文明社会の人々は愛を宇宙の基本法としてよく理解していること。 愛は普遍的なコミュニケーションそのものであること。 オフィルからは常に繊細な波動放射が地球に向けて送られていること。 そして文明社会の生活は決して遠くにあるのではなく、手の届く近くに存在すること。 私たちはエゴをベースとした科学技術を独自に発達させながら、その行き着く先に明るい未来のあることを夢見てきました。 科学技術の無限の発展の末に、人々の幸福と喜びが物質的な豊かさと共に待っていることを望んで、その夢に向かって進んできたように思えます。 しかし、私たちは技術を発達させる過程で大自然を修復できないほどに破壊し尽くしてしまい、気づいたときはすでに手遅れであったことを知らされる体験を重ねてきました。 欲望とエゴをベースにした科学の探求は、結局のところ計り知れない破壊と汚染を生命の源である地球自身に及ぼしてしまい、人類は今や自滅の瀬戸際に自らを追い詰めてしまいました。 そこに欠けていたものは、私たちがそれほど尊重することもなく、心のセンサーを向けることもしなかった愛という精神性への配慮だったのでしょう。 人々がすべての生命体とひとつにつながり、それが共同運命体であることを認識せず、人間が万物の霊長だとして高慢になり、暴力と武器によって世界を支配しようとした歴史が、この地球を憎しみと敵意と痛みと悲しみの波動に包み込み、人々は自らを混乱と破壊の世界に閉じ込める結果を生んでしまいました。 オフィルと地球…、二つの惑星を私たちはアミやペドゥリートと共に旅して、その違いがどこにあったのか、目に見えない精神性という愛と不可分の要素に対する態度を、もう一度見直してみる必要を強く感じたのは私一人だけではないと思います。 近くて無限に遠い世界、オフィル。 何億光年という距離を思えば、物理的には不可能なほど遠くにある惑星。 そこに私たちの祖先が、考えられる幸せのすべてを受け取りながら毎日を過ごしている現実。 その現実がアミの円盤が時空を超えて一瞬に移動できるように、手を伸ばせば掴めるほど近くにあるという事実を、「事実」として受け止める必要があるように思えます。 オフィルの旅は、無限の可能性を私たち地球人に教えてくれました。 |
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アミ 小さな宇宙人 第13章より |
オフィルから帰還の途次、宇宙船の中でアミは「神が愛であること」を段階的に優しく教えてくれました。 「人間の形をした神」のイメージから抜け出ることのできなかったペドゥリートにとって、そのレクチャーは「愛への一致」へと導く最高の気づきのための時間となったに違いありません。 小さな宇宙人、アミ…。 彼の小さな身体の中が、これほど豊かな愛への智恵に満たされているとは地球人の誰が予想できるでしょうか。 子供に愛は語れない…、そのような思い上がりは誤った大人の自覚による錯誤であると言えましょう。 子供だからこそ愛を語ることができる、というのが本当の姿なのです。 優れた教育者としてのアミの姿が、ここに如実に現されています。 キリストの言葉が古代イスラエルの時代背景のもとで語られ、後に文書として記されてもう2千年以上が経過しました。 「神は愛である」。 使い古された感のある、この簡単な言葉が、今ふたたび宇宙人の教師によってスポットライトを当てられているのです。 「神」を認識するすべての未開文明の人々に対して語られた不動の「講義」は、今後の人々の心を明るく照らす太陽の光となることでしょう。 高度な文明とその基本である繊細な精神性の世界に「神」は影をひそめ、「愛」という統一された言葉で語り交わされることになるのです。 愛がすべてである、…その紛れもない事実のもとに惑星の生命たちがひとつながりとなるとき、愛の働きが惑星全体に広がり、それによって広大な宇宙との人的・技術的交流が可能となるのでしょう。 愛を疎んじる世界の行く末は滅亡であり、愛を尊重する世界のみが宇宙で唯一生き残れる条件を獲得し、繁栄し、発展できるという「法則」が、もともとは愛でできていることを思えば当然なことですね。 |
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アミ 小さな宇宙人 第13章より |
愛についてのアミのレクチャーの続きの言葉です。 ここのフレーズだけを抜き出して「考える」と、地球人の私たちには難解に思えます。 …なるほど万物が神なのか、いわしの頭も神ならば宇宙創生の神もすべてが神なのか…。 ここまでの間にアミは愛をエネルギーという観点から、センソ・メトロを引き合いに出して説明をしました。 愛は振動数を持つエネルギーであり、それは物質という形態で宇宙を構成している。 それは振動波という結合要素を持ち、共鳴、共振、増幅、干渉などの作用を行う。 物質とエネルギーとは同じもので、ただ要素の形態と振動数によって現れ方を異にする。 要素の最小単位は愛である。 私たちの科学ではその検証法として客観性を重視するあまり、主観的な精神性をそっくり除外してしまっているようです。 すべての人たちが同じように納得できて誰が検証しても同じ結果になる事実のみを事実として認証し、そのほかの主観的認識についてはその多様性ゆえに統一できないとしてこれらを普遍的事実としては認めない方針が一般化しています。 しかしアミは、人々が愛についての正しい認識に立てたとき、一人一人の個性によって異なるように見える主観的観測も、ひとつの真実を多面的に見た結果の事実として、愛を基本に正しく認識されるようになると いう可能性を提示してくれました。 それには現代の科学でも追求しきれていない「物質」と「エネルギー」という異なった形態の統合理論の構築には、「愛」という理念の導入が不可避であること、その愛を認めるためには精神性という一種の波動原理が深く関与しているという基本的な認識が必要であることが示されています。 地球的な表現で言えば宗教的アプローチと物理科学的アプローチの統合が必要ということでしょうか。 いずれにしろ「愛を科学する」ことの現実性が人類の進化に深く影響を与えていくことになるのでしょう。 アミは親しい友達であると同時に偉大な愛の教師であると言えましょう。 ありがとう、アミ! |
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アミ小さな宇宙人 第13章より |
アミの言葉は本当に美しく、愛と真実に満ち溢れています。 このわずか3行の言葉の中に、人間のみならずすべての生命体に共通する宇宙の真実が語られていることを思うとき、私たちの文化はあまりにも物質的な見方だけに偏りすぎていることに驚きを禁じえません。 本当の私という存在が、実は目に見えず手に触れられず、耳に聞こえず味覚も臭覚もその実在に対しては何の役にも立たないものだということに気づけないかぎり、本当の自分を見出すことはできません。 地球の私たちは争いや恨み、妬み、敵意、恐れ、苛立ち、絶望といったネガティブな想念をこの地球上に際限なく蓄積させ、その結果、自らを物質偏重の狭い周波数帯域に閉じ込めてしまい、本当の自分の姿とそのありようの真実とを見失ってしまいました。 私たちはもっとも不幸なことに、自分たち一人一人が「愛」であることすら忘れ去ってしまったのです。 本当は「愛」そのものである自分という存在が、その自由意志の誤った使い方によって、自分自身を形作っている基本単位とその集合体についての基本的な認識すら、どこかに置き忘れてきてしまいました。 今、アミという小さな宇宙人が、もう一度私たちの本来の姿について、一人一人が忘れ去って久しい真実をペドゥリートに語った言葉を通して明らかにしてくれています。 アミの言葉を何かの比喩のように、たとえ話のように聞いてしまうと、本当に必要な真実を見過ごしてしまいます。 「愛」というひとことすら、人によって受け止め方はさまざまです。 しかし、「君は愛だ」という言葉を自分自身に対しても真実として受け止めることはとても大切なことだと思います。 同時にすべての人が、その本質に「愛」を宿し、「愛」そのものだという認識はさらに大切なことなのでしょう。 自分も他人も「愛」として分け隔てなく受け入れる、そして自分も他人も信頼することを学ぶのは、この不信と疑惑に満たされている地球という惑星の住人としてとても大切な課題なのだと思います。 外側よりもハートの中の自分や人の「愛」の種を見つけていくこと…、見方を変えてみればそこにまったく違った世界が展開してくるようです。 |
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アミ 小さな宇宙人 第13章より |
太陽の光が大気に当たって乱反射する日中には宇宙の星々を眺めることができませんが、澄み切った夜空には無数の星が光の点となって姿を現します。 漆黒の無限の空間に、競うように輝き瞬く無数の星々…、人は太古の昔から地平線のかなたから天頂を覆う宇宙を眺めては様々な空想を抱き、夢を語り、物語を創造してきました。 宇宙が無限であり、すべてのすべてを受け入れて余りある懐の深さを感じながら、人々は心の中の自分と対話してきたことでしょう。 外の巨大な空間が教えてくれるもの、それは小さな肉体の中に宿りつつ生かされ、万物とともに生きている自分自身の姿であり、心の不思議であることを、今も昔も人はそれぞれの時代に生きつつ感じ取ってきました。 その太古の昔のそのまた太古の昔には、この地球上にはとても進歩した精神性と科学力を持つ先進文明が数え切れないほど存在したとも言われています。 地球という惑星が宇宙の文明世界の一員として立派にその役割を果たしていた時代が、無数に存在したのだと言われています。 宇宙の文明といえども栄枯盛衰の変動がとても長い時間の経過とともにあって、とても高い山があったと思えば、より新しい文明が生まれるための谷のような停滞の時期もあったに違いありません。 時間というものが私たちの住む三次元の世界には一本の共通座標として流れていて、時間を越えて自由に過去や未来を往来することはできません。 そんな世界に過去の経験をすべて忘れて生まれてしまうと、この世界の法則がすべてのように錯覚してしまいます。 時間というものが現在、過去、未来に分かれていて、現在に生きている自分は過去も未来も自由に動き回ることはできず、時間の経過に従って空間を移動できることだけを物理的な自由として与えられている、と。 しかし人の心の世界は時間も空間も、その物理的な性質にとらわれることなく自由自在に行き来ができることを誰しもが体験しています。 現実に体験できないことを、心の中の真実を元にファンタジーとして、おとぎ話として親から子へ、子から孫へと語り継いできました。 宇宙は時に楽しい場所でもあり、また時に恐ろしい世界でもありました。 宇宙にまつわる数々の平和な物語や残虐な物語が生まれ、語り継がれてきました。 人々の心にある宇宙の姿をそのまま天空に広がる星空に転写して、天駆ける神話として、勇者の活躍する舞台として、またサイエンスフィクションの背景として自由自在にその姿を描いてきました。 人は心の自由を想像の自由として受け取りながら、それが神経細胞の活動の結果の現象と捉え、その映像が意味する深い意義とパワーを役立てることをしてこなかったらしいのです。 宇宙を舞台とした幾多の物語も、神話という形をとりながらその中にかつて実際に起こった出来事と宇宙の法則や仕組みについて巧みに織り込まれていて、長い人類の歴史を語り継がれて今に至っているのは奇跡とも言えるでしょう。 宇宙を肉体の目を通して眺めると、そこには無限の空間だけがあり生命のかけらも存在しないように感じられます。 そのわけは私たちが宇宙の真実をそのまま受け止められない精神性に留まっていることの現われなのですが、逆にそれは私たちが自らを深く真っ暗なブラックホールに投げ込んでしまった結果とも言えます。 その穴の底で出口を求めて右往左往する私たちを、真理である愛、地上では神様と呼ばれる存在は決して見捨ててはおられないことの証の一つが「アミ」を通してのメッセージなのです。 宇宙を物理的にただ眺めても、愛に到達することはとてもとても困難です。 逆に心の中にある「ほんとうの」宇宙を、自身の愛として受け入れるとき、天体の宇宙もその愛の姿を惜しみなく現してくれるに違いありません。 多くの人々が神を求め、神を理想化し、神を形にしようと努力してきました。 世界には実に無数の神の像が存在し、人々は尊崇し、畏敬の対象としています。 それも進化の一つの現れであり、心の中の宇宙への架け橋の一部分であることに違いはありません。 でも、もう宇宙の進化した友人たちが「神様は愛なんだよ」と解答を示してくれている限り、信じる人は受け入れてその事実を自らの体験を通して腑に落とし込んでいく段階に踏み出す必要があるのでしょう。 神を純粋な信仰の対象とする一般の人々がある反面、この世界にはそのような人々の心を権威の下に統合するための手段として宗教を起こし、政策に利用する手法が世界各地で行われてきました。 そして神とは権威の象徴であり、畏怖の対象であるとする考えが民衆の中に浸透してしまいました。 神が愛からどんどん離れていき、権威の下に命を守る手段として形骸化の道を辿ってしまいました。 そんな神の概念を一気に取り戻してくれたのがアミの言葉、「神の名を愛というんだ」ではないでしょうか。 そこには権威も恐れも保身も手段も存在しません、ただ「愛あるのみ」の世界です。 宇宙の真の姿を知ることは、きっと神の本当の姿に気づくことにつながるのでしょうね。 存在という実体が愛から生まれ、愛に生かされ、愛へと進化し続けるワンネスの宇宙の姿の表れと捉えるならば、愛の神はその素顔をもっともっと身近に示してくださることでしょう。 |
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アミ 小さな宇宙人 第13章より |
「完璧」という言葉があるとしたら、その意味は「純粋な愛」そのもののことを言う、とアミは説明しました。 この話のきっかけとなったのは「愛の12の果実」でした。 「真実、自由、公正、知恵、美が、それらの中に含まれている…」。 ペドゥリートは「12」という具体的な数字を聞いて、愛の果実はきっちり12種類あり、そのすべてをアミから聞き出して覚えてしまおうとしたようです。 しかしアミは「そのほかのものも自分で少しずつ発見していくようにね。そして、それを実行するように心がけることだ」、と答えました。 「後は自分で探しなさい」、と言われたようでペドゥリートはちょっと突き放されたような感じがしたことでしょう。 でもアミの言うとおりで、私たちは愛に含まれる12の「果実」について、ひとつひとつを自らの手足で探し出していく必要があるのです。 「12」という数字に何か特別な意味が隠されているのかどうかはわかりません。 おそらく「12」とは宇宙の人たちの間では完全数として扱われているのだと思います。 私たちが「全部」のことを「1から10まで」、などと表現するように、そこにはきっちり12の「果実」が名を連ねているわけではなく、長い魂の歴史の中で、個の体験を通して一つ一つ発見していき、一歩一歩「より完璧な自分」へと近づけていくプロセスを楽しむことが人生の目的なのだと教えられているように思えます。 私たちは地球流の数え方で10進法に慣れ親しんでいますが、どうやら宇宙では10進法はメジャーではないようで、6進・8進・12進が広く一般的に使用されているようです。 すると「12の果実」の言葉に込められた無限で永遠なるものの実体が何かぼんやりとでも見えてくるように感じられるでしょう。 私たちは答えを急いで求めようとするあまり、時として経過を尊重せず、解答だけを求めようとしてしまいます。 12の果実を全部暗記することなど、無限の愛とは大きくかけ離れた行為だと気がつくことでしょう。 完璧を主張することは、自分が神の座を占めようとする暴挙とも言えるかもしれませんね。 でもペドゥリートの前向きな学習意欲には個人的に教えられるところがあります。 一歩一歩、私たちは「12の果実」を捜し求めながら、完璧な愛へと近づいているのです。 |
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アミ 小さな宇宙人 第13章より |
この三次元世界に生きている私たちは、なかなか自分自身が魂であることを認めることができません。 なぜなら魂は物質ではなく、本質であり意識でありエネルギーであるため物質として捉えることが困難だからです。 見えないもの、さわれないもの、聞こえないもの…五感で現象として受け止められないことを認めるには一種の信仰心を必要とします。 しかし真理や真実は目に見える形で存在するとは限らず、五感を超えた世界、すなわち四次元、五次元、六次元といった多次元宇宙を包含しています。 いや、多次元宇宙という愛の中に、私たちの生活する三次元世界が同時空間的に存在する、と言ったほうが正確でしょう。 次元構造というのは物理的にはたまねぎの皮のような多層多重のヒエラルキーを構成していますが、その段階区分は波動エネルギーの周波数と繊細度によって自然の法則で分離し、各々の世界を独自に保持しているというのが真実のようです。 地球の表面もその本質が形成する帯域に細分化されていて、四次元以降の多次元世界を形成し、幽界から神界、菩薩界、金剛界に至る三千世界と言われる無数の波動階層に分かれて存在しているのでしょう。 すべての人はそれら実在の世界に本質の起源を有していて、肉体の死を境にしてより高い階層に戻り、徐々に周波数が高く繊細な自分として進化していくことを理想としています。 私たちに個性があり、付随する自由が神意(摂理)によって保障されている一方、個としての独立に伴う孤独や孤立の感情に苛まれることがあるのも確かです。 その孤立した感情は決してネガティブなもの、悪意あるものではなく、自由自在な個性の裏張りとしての確信を補強する感情としてポジティブに受け止める必要があるでしょう。 そして、私たちの霊性レベルで感じ取る孤独の感情は、実は魂の分離と結合とに深くかかわる真理を含んでいることを忘れてはならないと思います。 私たちは不完全なるがゆえに「完全」や「完璧」を求め、異性という存在に心魅かれ、共に相補う関係を形成して、より完全に近い自己を愛と共に成長させることを喜びとして感じ取ることができます。 人と人との愛、異性間の愛、兄弟や家族の愛、そしてより高度な存在に対する愛は、宇宙という巨大なワンネスの愛と一体であり、同時にその宇宙の愛は人の心の中に実在していて、すべてが愛であり、神であり、真理や摂理や法則に形を変えて私たちを守り、支え、成長させてくれていることを忘れてはならないでしょう。 孤独はワンネスの現われの一形態であり、永い永い時空の向こうに永遠の喜びが続いていることをいつも思い続けていたいものです。 アミの言葉は、時間と空間を超越した一つの愛という宇宙の真実を、ありありと描いて私たちに示してくれました。 いつまでも、どこまでも、永遠に愛と共に成長できる自分自身をお互いに喜び合いたいですね。 |
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アミ小さな宇宙人 第14章より |
私たちの文化は「生き延びる」条件を備えているでしょうか? アミは「そのままで行ったら生き延びることは不可能ですよ」、と警告を発しています。 なぜならば、人々は宇宙の基本法としての「愛」を理解しようとせず、国境を廃止しようとせず、家族のように皆が絆を深めようともせず、平等な統一された社会を願わず、愛による組織作りもしようとしないからです。 なぜ、そのような行動をし続けたら「生き延びることができなくなる」のでしょう? その理由は、宇宙の基本法が「愛」だからです。 そして宇宙の理念は「進化」にあるからです。 その進化の方向は、他ならぬ「愛」なのです。 つまり、愛を理解しようとしない文化は、進化の方向が愛に向いていないのです。 進化そのものを誤解している文化、とも言えるでしょう。 愛は人の外側に物体として存在するのではなく、人の内側に理念として存在しています。 だから人の五感だけでは愛を捉えることができません。 五感は愛を実践し、結果を得るための道具であり、現実は五感を機能させるためのフィールドです。 人の心の中にある愛が健全である限り、五感は愛に奉仕する形で働くことができ、現実はすべての存在が愛に向かって進化する方向へと変化することができます。 しかし人は有限な物質としての自分を意識するあまり、生き延びることだけに固執し、愛を求め続ける本来の姿を見失ってしまったのです。 そこに進化という目標が失われ、宇宙の方向性との調和が大きく乱されることになります。 宇宙という大調和の世界に、不調和の部分が生じることになります。 宇宙は愛という法則で成り立っていますから、その法則を外れた部分はその法則によって自らその姿を失うことになるのです。 すべては完全であり、愛と調和によってバランスが保たれています。 私たちは自らの自由意志によってそのバランスを崩すことすら許されているのですが、その結果については自らが責任を負うように創られています。 宇宙の不均衡はその影響が極めて深刻な事態を引き起こす可能性を秘めており、銀河系の友人たちは私たちの危険な行動を常に監視し続ける任務に携わっています。 それはアミが「宇宙の中心にあるスーパーコンピューター」と呼んだ宇宙意識から委ねられた仕事であり、アミもその一員なのです。 地球の人々は、もはや状況を座視している場合ではなく、一刻も早く一人一人の想念の誤りに気づき、心のあり方を修正し、組織の改革へと立ち上がらなければなりません。 宇宙船地球号の乗組員として、正しく宇宙のハーモニーを奏でる惑星に生まれ変えなければなりません。 地球を愛することとは、人類一人一人が自分自身を深く愛することから始まります。 地球や太陽系、銀河系を含む大宇宙は、人の心の中にすべてが存在するのですから。 |
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アミ小さな宇宙人 第14章より |
愛は一人一人の心の中にひっそりと眠っています。 その人が自らの心の扉を開け、その愛を取り出そうとするまでは。 「愛がない」ということは、行動に愛が伴わないことであり、心の中の愛の不在ではありません。 愛は常に内側にあり、それを取り出すのは人の自由に委ねられています。 心の中の愛を無視するとどうなるか? 行動における愛の不在は「エゴ」となって現れます。 「エゴ」…、自分中心、我のみ良かれ、他人を省みず自らの利益のみを追求する狭い心です。 「エゴ」は自己愛としてすべての人の心に存在し、物質としての身体の保持と管理に貢献しています。 ですから「エゴ」がすべて「悪」ということではないのですが、愛を忘れたときは「エゴ」が自分のすべてを覆い尽くし、アミの言う「エゴむき出し」の状態になります。 すなわちエゴが自分の思想にまで成長し、エゴイズムと呼ばれるスタイルができあがります。 自分にとっては「愛」として受け止めていても、他の人は「悪」と感じ、その人を攻撃し始めます。 他の人たちにとっては自分のエゴを損なうその人の存在を快く思わないため、その人を非難したり批判したり、場合によっては抹殺することによって自らの「愛」を守ろうと抵抗するわけです。 人々の心の中に「エゴ」が蔓延すると、社会は争いと責任追及の坩堝と化してしまいます。 世間的に弱い立場の人たちは社会の片隅へと追いやられ、権威のある一部の強い人たちがエゴを前面に押し出してその力を保持しようと勢力の維持を図ります。 権力の散在、そして一極集中化は様々な形のエゴを生み出し、愛のない繁栄を築き上げ、人々をますますエゴへと引き寄せてしまいます。 愛の不足、愛の枯渇は、人が本源的に持っている自己維持能力を変質させ、自らを害する「エゴの蔓延」へと導いてしまいます。 その結果、社会は事細かな取り決めを制定する必要に迫られ、複雑な上に複雑なシステムを要求されるようになり、最後は自縄自縛の結末を迎えてしまうでしょう。 それが愛の不足が引き起こす自滅の法則なのかもしれません。 愛の作用はシンプルであり、明確であり、普遍であり、平等かつ公平です。 これほど結果が明白な「原因」もない、と言えますね。 愛がすべてを変化させます。 |
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アミ小さな宇宙人 第14章より |
宇宙が完全なバランスの上に成り立っているならば、私たちの行為や経験についても同じことが言えるでしょう。 もしそのバランスを崩す作用が働いた場合、宇宙は回復のための反作用を及ぼします。 私たちの思いの世界、想念の世界についても、その法則はそのまま働いています。 宇宙は愛と呼ばれる法そのもので、バランスは法を基準に安定化に向けて作用します。 愛の方向を外れた想念や行動に対しても、反作用は一定の形を持って出現します。 また、愛の方向に従った想念や行動に対しても、反作用は愛の増加として現れます。 つまりマイナスの作用に対してはマイナスに、プラスの作用に対してはプラスとして反応します。 マイナスの反作用が現象化して痛みや悲しみや苦しみとして現れ、その結果がプラスへと引き戻します。 プラスの反作用が現象化して喜びや楽しみ、嬉しさとして現れ、その結果は更なるプラスへと導きます。 このように、すべてのことにバランスが作用するため、宇宙に偶然は存在せず、すべてのことが因果の法則によって必然の結果として現れています。 現象はすべて何らかの原因が結果として複合的に作用したものであり、身の回りに起こる良いことも悪いことも、すべては自らが作った原因によるものとして受け止めるべきでしょう。 すべての存在は、宇宙が愛によって自己完結しているように、自らの内に完全な輪廻を有しています。 愛に沿わない想念や行為に対しては、宇宙は反作用として存在が「痛み」として感知できる形でその誤りを指摘してきます。 人が間違いを犯すとすればそれは愛に対しての過ちであり、その過ちは自動的に完全に正されることになるという真理をよく理解すべきでしょう。 そのことに盲目だと自己保身から相手をコントロールしようとする行動となって現れ、復讐や仇討ちという短絡的自傷行為に走ってしまうことになるのです。 自分自身に対する愛の行為は、その永遠の積み上げしか他にありません。 あるときは取り崩し、痛みを受けてさらに積み上げ、やがてはマイナスの反作用なしに愛を増し加えることができることになるでしょう。 宇宙の文明世界の人々は痛みも苦悩も恐れも体験することなしに、ただ自分の愛の蓄積を喜びと感謝だけで増やしているように見えます。 本当の愛は「圧倒的、一方的、与え切りの愛」です。 |
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アミ小さな宇宙人 第14章より |
幸福を追い求めるためには愛を追い求めましょう(^ー^) |
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