声明・立場表明


2011年3月25日

緊急要望書                          

内閣総理大臣 菅 直人様

この度の福島第一原子力発電所の事故にあたって、下記のことを緊急に要望いたします。

政府は、早急に原発周辺の避難区域を広げ、特に放射線に弱い乳幼児と妊婦の安全と保護のために全力を尽くしてください。

子どものいのちの尊厳に国境はありません。また、子どもが安心して成長できる環境を整えていく責任がおとなにはあります。それゆえに、わたしたちはチェルノブイリ原発事故(1986年)で被災した子どもたち(事故後に生まれた子どもたちを含む)の支援にも微力ではありますが協力してまいりました。その過程で、特に成長途上にあって細胞分裂が活発な乳幼児、胎児に放射線が甚大な影響を与えることを学びました。

子どものいのちと権利を守ることを重要課題として活動しているキリスト教教育者として、わたしたちは政府が乳幼児と妊婦の避難に特別な配慮をもって緊急に対処することを強く求めます。

                  2011年3月25日

                  日本キリスト教協議会(NCC)教育部

                            総主事 大嶋果織

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2010年3月7日

内閣総理大臣 鳩山由紀夫様

文部科学大臣 川端 達夫様

                           

朝鮮学校を「高校無償化」制度の対象に含むよう要望します

わたしたちは、ひとりひとりの子どもが大切にされる社会の実現をキリスト教教育の課題と受け止め、活動する立場から、現在、政府・与党内で検討されている朝鮮学校を「高校無償化」制度から除外するという案に強く反対します。

日本が批准している子どもの権利条約に明記されているように、すべての子どもには、いかなる差別も受けることなく、学ぶ権利があります。特に民族的マイノリティの子どもには、自らの言語や文化、歴史を学ぶ機会が保障されねばなりません。日本の高等学校と比べて遜色のない教育課程を有し、さらに朝鮮籍、韓国籍、日本籍などさまざまな国籍の子どもが学んでいる朝鮮学校を「日本人拉致問題」を理由にして、一条校や他の外国人学校と区別して「高校無償化」制度の対象から外すことは差別以外のなにものでもありません。朝鮮学校で学ぶ子どもたちへの差別をこれ以上繰り返さないでください。

日本に住むすべての子どもたちが安心して学べる環境をつくっていく責任がわたしたち大人にはあります。朝鮮学校を「高校無償化」制度の対象に含むよう、強く要望します。

日本キリスト教協議会教育部

                                     総主事 大嶋果織

                                プログラム委員長 呉寿恵

                 

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2008年7月11日

下関市長 江島 潔様

下関市教育長 嶋倉 剛様 

日本キリスト教協議会(NCC)教育部

総主事 大嶋果織

プログラム委員長 呉 寿 恵


			

 わたしたちは、日本が朝鮮を侵略した過去を反省し、「在日」が味わわされてきた差別の苦しみを覚えつつ、これからの「在日」と日本と韓国・朝鮮の関係を平和で豊かなものにしていこうと、「在日」、日本、韓国の子どもたちの交流をプログラム化し、推進している団体です。

 わたしたちは、去る6月26日に、嶋倉剛教育長が山口朝鮮学園の関係者に対して、朝鮮半島に対する日本の植民地支配について「歴史的事実に反する」と発言したことを聞き、その歴史歪曲ぶりに衝撃を受けましたが、翌27日午後には、「(日本の植民地支配が多くの人々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えたという)政府見解を尊重する」と述べたことから、すぐに発言を撤回し、謝罪すると思っていました。ところが、嶋倉教育長は、発言の撤回や謝罪を求めて連日市役所を訪れている学園関係者と面会しないまま、7月8日の市教育委員会の定例会で、前記発言について、「大変なご迷惑をかけた、今後は教育行政の信頼を損なうことなく職務に当たる」、「(日本が植民地支配を謝罪した)日朝平壌宣言の詳しい内容について認識を欠いていた。政府見解を尊重する」と発言したと報道されています。

 認識の欠如に基づく間違った発言であったのなら、市教育委員会で上記の発言をする前に、まずは、山口朝鮮学園関係者に対して、説明と謝罪するのが本来ではないでしょうか。それにもかかわらず、嶋倉教育長は、山口朝鮮学園関係者たちと「直接会ったり、文書で回答するつもりはない」と述べているとのこと。なぜ、そのように頑なな態度をとるのでしょう。

 人間はだれしも間違いを犯します。この文書を書いているわたしたちも例外ではありません。大切なのは、間違いに気づいたときにどうするかです。素直に過ちを認めて、相手に謝罪し、同じ事を繰り返さないためにはどうしたよいか、考えていこうとする態度こそ肝要です。そこから、関係の回復も始まって行くのです。謝罪は恥ずかしいことでありません。

 どうか、嶋倉教育長には、山口朝鮮学園関係者に会って、発言の撤回と謝罪をしていただきたい。また、市長には、そのように指示していただきたいと思います。しかしもし、嶋倉教育長が本心では「植民地支配は歴史的事実ではない」と考えており、それゆえに、頑なな態度をとっているのであるとすれば、教育長として不適格であることは明らかです。その場合は、嶋倉教育長は辞任すべきであり、市長は嶋倉教育長を解任すべきでしょう。市長と教育長の早急かつ誠実な対応を望みます。

以上




声明「設立百周年を迎えるにあたって、

過去の罪責の悔い改めと、新しい時代への決意」

 日本キリスト教協議会教育部(以下、NCC教育部)は、2007年5月10日に設立百周年を迎えるにあたり、多くの人々の支えと神の導きに感謝すると共に、わたしたちがかつて日本日曜学校協会であった時代に、さまざまな形で戦争遂行に協力したことを思い起こし、心からの悔い改めを表明する。

 日本日曜学校協会は1907年に「基督教日曜学校事業の改善及び進歩」を目的として発足し、1941年に日本基督教団に全財産を移譲して財団法人を解散するまで、月刊誌『日曜学校』をはじめとする日曜学校図書の編纂・発行、日曜学校カリキュラムや教師養成カリキュラムの開発・実施、日曜学校大会、生徒大会、教師研修会開催等、多岐にわたる活動を超教派で展開した。こうした活動が、諸教会で奉仕する日曜学校教師を励まし、全国各地の日曜学校を盛んにしたことは言うまでもない。しかし同時に、アジアを蔑視し、国家や天皇制を所与のものとして受容していたため、国策に対して批判的視点を持ち得ず、日本のアジア侵略にさまざまな形で荷担してしまっことも否定できない事実である。

 特に、1920年の第8回世界日曜学校大会(世界日曜学校協会が主催し、日本日曜学校協会が現地実行委員会の中心的役割を担った)は、その開催の仕方において、その後の翼賛的とも言える戦争協力への歩みを決定づける出来事となった。すなわち、世界大会の日本開催に対しては、日本の侵略に苦しむ中国と朝鮮のキリスト者から反対の声が上がったが、日本日曜学校協会はそれらの声に耳を傾けず、かえって日本政財界の全面的支援を受けながら、同大会を開国以来最大規模の国際会議として華々しく遂行したのである。社会的成功を求めてアジアの隣人をないがしろにするこの姿勢は、その後、1928年の特別教案「紀元節学課」(『日曜学校』2月号)へと展開していった。紀元節を祝って作成されたこの教案は、皇国史観を聖書の言葉と結びつけ、天皇制を基盤とした「国体」の卓越性と、アジア諸国に対する日本の優越性を子どもたちに教えるもので、日曜学校教育を独善的な「愛国心教育」へと方向づけるものとなった。

 1931年に満州事変が勃発すると、日本日曜学校協会は平和を叫ぶ一方で「日本の正義」を主張し、1937年に日中戦争が始まると戦争支持を表明して、日曜学校における「国民精神総動員教育」を諸教会に呼びかけた。「宗教的信念による精神の強化」や「大宗教による国民の精神指導」の名目で同協会が行った戦意昂揚のための教案や教材の提供、「皇軍」のための慰問文募集などの戦争協力活動は、1941年の教会合同以降は、日本基督教団日曜学校局の戦時下の活動へと引き継がれていった。


 敗戦後の1947年、日本日曜学校協会は再発足し、翌年には日本基督教教育協議会に改組・改称した。その後、1953年に日本キリスト教協議会(以下、NCC)に合流してその教会学校事業部となり、さらに教会教育事業部を経て、今日の教育部へと至っている。

 敗戦後、活動を再開したわたしたちは、その後の60年の歩みの中で、次第に過去の戦争協力の罪に気づかされていった。特に、1956年以降は在日大韓基督教会総会のNCC加盟により、「在日」の兄弟姉妹と共働するようになり、その中で、かつての日本の朝鮮侵略と、戦後も続く差別の実態を、自ら責任のある問題として考えるようになった。わたしたちは、さまざまな人権教育の課題に取り組み始めると共に、70年代からは日韓在日キリスト教教育協議会、90年代からは日韓在日ティーンズ平和キャンプを開始して今日に至っている。また、1958年に日本で開催された第14回基督教教育世界大会では、かつて日本軍に家族や友人を殺されたアジアの兄弟姉妹たちとの出会いがあった。アジアキリスト教協議会や世界教会協議会のプログラムにおいては、日本のアジア侵略が戦後も別の形で続いていることを知るようになり、悔い改めの思いと新しい関係構築への願いをこめて、アジアの人々との交流と協働を積極的に進めるようになった。それらの中には、1970年代から1980年代にかけてのネパール修学旅行や、1953年から今日まで続くキリスト教教育週間の活動がある。

 子どもとの関係においては、敗戦前の教育への反省から、子どもの権利を尊重する教育の推進に取り組むようになった。戦後再開した教会学校教師研修会やその他の研究会では、子どもも大人も共に育っていく過程を大切にした教会教育の研究を続け、それが90年代の子どもと共に守る礼拝の研究へと繋がっていった。また、社会や政治の動きに無関心であることは、過去の過ちの繰り返しになると考えて、教育基本法改悪阻止や少年法改悪阻止の運動にも取り組むようになった。

 こうした経緯を踏まえて、NCC教育部は、敗戦前の戦争協力への悔い改めと謝罪を、ここに公の言葉として表明する。わたしたちが、敗戦前の日曜学校教育を通して行った戦争遂行のための「愛国心教育」や「国民精神総動員教育」は間違っていた。「お国のために死ぬこと」は聖書が教える「愛」の行為であると信じた日曜学校教師や子どもたちに、わたしたちは謝罪し、赦しを請う。また、そう信じて、戦いの中で命を奪い、あるいは、命を奪われていった人々、とりわけ夥しい数の犠牲者を出したアジアの人々に謝罪し、赦しを請う。さらに、どのような形であれ、日曜学校で受けた教育のために辛い思いをしたすべての人々に謝罪し、赦しを請う。そして、何よりもひとりひとりを、かけがえのない大切な存在として創造してくださった神に、自らの戦争協力の罪を告白し、謝罪し、赦しを請う。

 わたしたちは、教育基本法改悪に続く、憲法9条改悪への危機感を募らせながら、次の新しい百年へと歩み出すにあたって、ここに思いを新たにして表明する。わたしたちは、今も、そして、これから先も、「国家に都合の良い人材づくり」に与せず、戦争に繋がるいかなる教育にも協力せず、また、キリスト教教育・教会教育への国家の介入を許さず、むしろ、差別され、踏みにじられていく人々の側に立って、ひとりひとりの尊厳を大切にするキリスト教信仰に基づいた教育の推進にいっそう力を注いでいく。そして、互いに愛し、慈しみ合う関係性が世界の隅々にまで広がっていくよう、平和な社会の実現に力を尽くしていく。それが、わたしたちを愛して、ひとり子をこの世に送ってくださった神の恵みに応える道であり、また、子どもたちを排除しようとした大人たちに憤り、子どもたちを呼び寄せて祝福したイエス・キリストに従う者の道であると信じるからである。人間の弱さを知り、憐れんでくださる神が、困難な道を歩もうとしているわたしたちを、どうか守り導いてくださいますように。

 イエスに触れていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」。そして、子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された。(マルコによる福音書10章13-16節)


2007年2月1日

                   日本キリスト教協議会(NCC)教育部

                             理事長 石田 学


                              

(NCC教育部には、在日大韓基督教会からも理事が派遣されているが、本声明の悔い改めと謝罪は、日本のキリスト者の立場から述べることにしたものであり、在日大韓基督教会に対してもなされている。)




2006年12月17日

声明 教育基本法「改正」法案の可決、成立に抗議すると共に、

ひとりひとりを大切にする教育を進めていく決意を新たにする

                   日本キリスト教協議会(NCC)教育部  総主事 大嶋果織

                            プログラム委員長 寿(すへ

 

私たちは、全国各地で上げられた数多くの反対の声を顧みず、政府・与党が12月15日の参議院本会議において教育基本法「改正」法案を可決、成立させたことに対し、強い怒りを持って抗議します。この「改正」法案の可決、成立により、今後、関連法や制度の見直しが行われ、すでに多くの子どもや大人を苦しめている差別・選別教育ならびに心の管理教育・愛国心教育が、さらに進められていくことになりますが、政府・与党は、それが国の最高法規である「日本国憲法」と、日本が国際社会に遵守を約束した「子どもの権利条約」に違反することを知るべきです。「改正教育基本法」は直ちに廃止されるべきものでしょう。

私たちは、今後も「国家に都合の良い人材づくり」に与せず、戦争につながるいかなる教育にも協力せず、また、キリスト教教育・教会教育への国家の介入を許さず、むしろ、差別され、踏みにじられていく子どもたちの側に立って、ひとりひとりの子どもの尊厳を大切にする教育の推進にいっそう力を注いでいく決意を新たにします。それが、子どもたちを排除しようとした大人たちに憤り、子どもたちを呼び寄せて祝福したイエス・キリストに従う者の道と信じるからです。

韓国語版もあります。ご連絡下さい。お送りいたします。




1. 教育基本法「改正」反対声明
2. 「少年法改正法案」見直しを求める



教育基本法「改正」に反対する声明

 わたしたちは、ひとりひとりの子どもの尊厳を大切にするキリスト教教育を推進する立場から、去る4月28日に国会に提出された「教育基本法案」に反対します。

 わたしたちは、子どもたちを呼び寄せ、抱き上げて祝福したイエス・キリストの行動と教えに従って、ひとりひとりの子どもをありのままの姿で大切にし、存在そのものを尊び喜ぶ教育の推進に取り組んできました。その過程で、競争に追い立てられて疲れ切った子どもたち、差別や偏見に苦しむ子どもたち、虐待や暴力に恨みをつのらせる子どもたち、自由を脅かされて心を閉ざす子どもたち、安心できる居場所を見出せずにさまよう子どもたちなど、多くの苦しむ子どもたちに出会い、心を痛めてきました。

 今回、国会に提出された「教育基本法案」は、教育目標に関しても、教育の「場」やあり方に関しても事細かな規定を設けて、すでにのびのびとした育ちを許されていない子どもたちを、さらに狭い鋳型にはめこもうとするものとなっています。そればかりか、家庭や地域住民の連携をも求めて、わたしたち大人をも「国家の求める人材づくり」に巻き込もうとしています。特に、「君が代・日の丸」の教育現場での強制の実態を見るとき、法案の成立によって、間違った「愛国心」教育が合法化され、強化されるであろうことは容易に想像されます。このような「改正」は、反省して廃棄したはずの敗戦前の教育のあり方に逆戻りするものです。

 わたしたちは教育基本法を「改正」するのではなく、むしろ、平和を希求する「日本国憲法」と一体となっている教育基本法の精神を重んじて、ひとりひとりの尊厳を大切にする教育を推進していくことこそ急務と考え、今回の教育基本法「改正」に強く反対します。

2006年5月8日




宗教教育者の立場から、今回の「少年法改正法案」の見直しを求めます

去る4月22日、中学2年生の殺害容疑で高校1年生が逮捕されて以来、この事件に関する報道が続いています。子どもが被害者になるばかりでなく、加害者にもなるという悲しい現実にわたしたちは改めて衝撃を受けると共に、被害者の家族の悲嘆を考えると胸が痛みます。

しかし、わたしたちは同時に、この事件によって「少年法厳罰化」の方向がさらに推し進められ、現在、国会に上程されている「少年法等の一部を改正する法律案」に基づく少年法改正が早急に行われるのではないかと危惧も抱いています。

「厳罰」が犯罪を抑制することはないというのは、諸外国の例からもすでに明らかです。わたしたちは、やり場のない不安やいらだちを「厳罰化」や「子どもの監視・管理強化」で解消するのではなく、どうしたら子どもが非行や犯罪に走らなくてもすむ社会を作っていけるのか、また、どうしたら罪を犯した子どもの立ち直りを支えることができるのか、今こそ冷静に考えていくべきでしょう。

そのような視点から、今回の「改正案」について、以下にわたしたちの意見を4点にまとめて述べ、法案の「見直し」を求めます。

1.           警察官の調査権限の拡大強化に反対です

子どもに対する警察の不適切な取り調べが、嘘の自白やえん罪につながった事件をしばしば耳にします。このような状況を放置したまま、「14歳未満の子ども」や、「罪を犯すおそれのある子ども」が警察官の取り調べの対象となれば、今より以上に、人権侵害が起こるであろう事は想像に難くありません。むしろ、必要なのは、警察による人権侵害の予防策です。取り調べの際の保護者等の「立ち会い」の徹底や、録音・録画による取り調べの「可視化」などの対策が検討されるべきではないでしょうか。

2.           少年院送致年齢の下限撤廃に反対です

わたしたちは宗教教育者としてさまざまな場で子どもたちと関わっています。その中で実感するのは、愛され、受容され、信頼されて育つことの大切さです。重大事件を起こす子どもほど、こうした「育ち」を経験してきていないと思われます。わたしたちは、どんな重大事件を起こした子どもでも、その子が幼ければ幼いほど、拘禁を前提とした少年院での矯正教育ではなく、安定的で親密、開放的で家庭的な雰囲気のもとでの「育て直し」が必要と考えます。

3.保護観察中の遵守事項を守らない少年の少年院送致を可能にすることに反対です

子どもたちとの関わりの中で、わたしたちが学んできたことは、子どもの行動には子どもなりの理由があるということです。遵守事項を守らない/守れない子どもには、たとえ大人には理解できなくても、その子なりの理由があるのです。そうした子どもの事情を考慮することなく、少年院送致という「脅し」によって圧力をかけることは、かえって子どもたちの反発を招くでしょう。子どもたちが必要としているのは、「不信」ではなく「信頼」のまなざしです。その中で、子どもたちは試行錯誤しながら、立ち直りへの長い道のりを歩んでいくことができるのです。

4.福祉や教育の充実を求めます

わたしたちは、どの子もすべて神に愛されるかけがえのない存在であることを信じて、日々、子どもたちと向き合っています。非行や犯罪に走った子どもも、かけがえのない大切な仲間です。どうか、厳罰化や監視・管理体制の強化に力を注ぐのでなく、むしろ人手も財政も慢性的に不足していると言われる児童相談所や児童養護施設、児童自立支援施設の機能強化や、保護観察制度の拡充に知恵と力を使ってください。子どもたちの立ち直りを支援するために、福祉と教育の分野の充実を求めます。

以上



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