CONTENTS

0061 島田誠著「絵に生きる 絵を生きる」  画商と画家…遭遇、そして対峙と透過 (美術評論)
                  ◇感性の街  20016 萩原陽子さんの「冬の夕闇」
                  ◇感性の街  20015 藤田佳代さんの「今日のこの空 ほしいひと」
                  ◇感性の街  20014 安原梨乃さんのクララ
                  ◇cahier  10077 梅田恭子展
                  ◇感性の街  20013 坂東呂扇さんの「狐火」
0060 「ドン・キホーテ」のA・エルフィンストン  自由への記号、飛翔への塔 (舞踊)
0059 中山岩太展  異域への熱病 (美術)
                  ◇cahier  10076 三沢かずこ展
0058 山本六三展  なんと、高貴な、みだらさ (美術)
0057 貞松・浜田バレエ団「くるみ割り人形」'09  「カオス」と「秩序」のドラマ (舞踊)
0056 鎌田祥平展  流動化する仏像 (美術)
0055 藤田佳代のダンス作品「日は はや 暮れ」  終焉、そして創生 (舞踊)
                  ◇感性の街  20012 津田彩穂梨さんの絵画  創造の無限の旅路
0054 貞松・浜田バレエ団「6 DANCES」  モーツァルトの万華鏡 (舞踊)
                  ◇感性の街  20011 笹田敬子展  記憶の海図、記憶の気圧図…
                  ◇cahier  10075 コウノ真理展
0053 ギリヤーク尼ケ崎の舞踊   向こう側へ開く裂け目 (舞踊)
0052 ピカソとクレーの生きた時代展   精神のふるさと…その大きな光、大きな影 (美術)
0051 朴一南展   有限と無限の統合 (美術)
0050 藤田佳代の舞踊「運ぶ」   比喩ではない、肉体は宇宙である (舞踊)
                  ◇感性の街  徳永卓磨絵画展  風が吹いた
                  ◇感性の街  貞松・浜田バレエ団「眠れる森の美女」  ダンス、表現、バレエ
                  ◇感性の街  Miki Yumihari with ensemble  悪魔の微笑
0049 ますみとも のダンス   1.17を踊る……アトラス、磁場、共同体 (舞踊)
0048 山内雅夫展   宇宙を横切る手 (美術)
                  ◇感性の街  風呂本佳苗ピアノリサイタル  音の震動、眼球の震動
                  ◇感性の街  貞松・浜田バレエ団「くるみ割り人形」  端正なプリンス、武藤天華
                  ◇感性の街  ブラジル×日本 旅が結ぶアート  21世紀の対話
                  ◇感性の街  菊本千永モダンダンスステージV  切り立った三つの作品
0047 貞松・浜田バレエ団「創作リサイタル20」   4つの作品と、「BLACK MILK 」 (舞踊)
0046 貞松・浜田バレエ団「コッペリア」   秒針幻想…神の創造 そして人間の挑戦 (舞踊)
                  ◇感性の街  クーリヤッタム  宇宙化する身体
                  ◇cahier  千秋次郎  Jiro Censhu  遠い恋歌…浄土へつながる無限平面
                  ◇感性の街  大塚温子展  「カメ」と呼ばれた猫がいました
0045 劇団・豪玉万里紀行U「連結コイル」   悲劇の構造化から悲劇の水平化へ(演劇)
                  ◇感性の街  神戸二紀女流作家展(第18回)
                  ◇cahier  フランティシェック・ノボトニー&伊藤ルミ  F.Novotny & R.Itoh
0044 岸本吉弘個展(美術)
                  ◇cahier  武内ヒロクニ  Hirokuni Takeuchi
                  ◇cahier  高濱浩子  Hiroko Takahama
                  ◇cahier  中辻悦子  Etsuko Nakatsuji
                  ◇cahier  山中馨  Kaoru Yamanaka
                  ◇cahier  地力.U  Exibition“ChirikiU”
                  ◇cahier  コウノ真理  Mari Khono
                  ◇cahier  名流舞踊の会 '08  Japnese classical dance
0043 B・クイケンのバッハ「フルートと通奏低音のためのソナタ」(音楽)
                  ◇cahier  坪谷令子  Reiko Tsuboya
                  ◇cahier  桑畑佳主巳  Kazumi Kuwahata
                  ◇cahier  北村美和子  Miwako Kitamura
                  ◇cahier  小阪美鈴  Misuzu Kosaka
0042 三木次代の着物「はなつ」(衣装)
                  ◇cahier  豪玉万里紀行U
0041 岡井美穂展(美術)
                  ◇cahier  藤田佳代舞踊研究所発表会(第30回)
                  ◇cahier  古巻和芳・あさうみまゆみ・夜間工房
0040 森優貴振り付け「羽の鎖」(舞踊)
0039 中井博子作品展(美術)
0038 貞松・浜田バレエ団公演「白鳥の湖」(舞踊)
0037 千秋次郎作曲「良寛詩抄」(音楽)
                  ◇cahier  笹田敬子
                  ◇cahier  石井一男
                  ◇cahier  新家保夫
                  ◇cahier  湯川麻美子
                  ◇cahier  河東けいのリンダ
                  ◇cahier  田波克己個展
          ◆随想 風月花  下村俊子 「汽笛」
                  ◇cahier  金田弘詩集「青衣の女人」
                  ◇cahier  若柳壽延・吉由二
                  ◇cahier  道化座公演
                  ◇cahier  別役実とピッコロ劇団
                  ◇cahier  関西舞踊華扇会
                  ◇cahier  MIWA
                  ◇cahier  須永克彦
                  ◇cahier  鴨下葉子
                  ◇cahier  ロダン展
                  ◇cahier  太田正人
0036 小林陸一郎作品展(美術)
                  ◇cahier  金月炤子
                  ◇cahier  名流舞踊の会
0035 ビル・ヴィオラ展(美術)
                  ◇cahier  上村靖子
                  ◇cahier  神戸二紀8人展
                  ◇cahier  風呂本佳苗
                  ◇cahier  大和松蒔
                  ◇cahier  神戸洋画会展
0034 上前智祐の世界展(美術)
                  ◇cahier  竜虎の涙
                  ◇cahier  芸術祭大賞
0033 貞松・浜田バレエ団「ドン・キホーテ」(舞踊)
                  ◇cahier  初田寿
0032 貞松・浜田バレエ団「創作リサイタル17」のO.ナハリン振付「DANCE」(舞踊)
                  ◇cahier  上村亮太
0031 アルベルト・ジャコメッティ展(美術)
                  ◇cahier  樋上公実子
0030 栃原敏子展(美術)
0029 鉄人28号特別展(漫画)
                  ◇cahier  小林欣子
                  ◇cahier  Art Party
0028 東仲マヤの「ソレア・ポル・ブレリア」(舞踊)
                  ◇cahier  丹下幸男
0027 ARTイマジネーション in KOBE磯上・2006(美術)
                  ◇cahier  中井博子
0026 二つの鴨居玲展(美術)
                  ◇cahier  ラ・プリマヴェラ
                  ◇cahier  能勢伸子
                  ◇cahier  創作実験劇場
                  ◇cahier  アメリカの素顔
0025 金田弘詩集「旅人は待てよ」(詩)
                  ◇cahier  岡和美
0024 P・オヴセピアン作曲 名倉誠人&W・スミス演奏「そして、柱の影…」(音楽)
                  ◇cahier  北村美和子
0023 大和松蒔の舞い 「隅田川」&「名護屋帯」(舞踊)
                  ◇cahier  瀬島五月
0022 松本伸子展「STADT」(美術)
                  ◇cahier  佐藤泉
0021 兵庫芸術文化センター管弦楽団「モルダウ」(音楽)
                  ◇cahier  第15回ロドニー賞
0020 阪神タイガースの逆説―球団株の上場問題(スポーツ)
                  ◇cahier  浜田公子
0019 武内ヒロクニの部屋「ダホメイ・ダンス」(美術)
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KOBECAT 0061
風来舎刊
島田誠著「絵に生きる 絵を生きる」

――画商と画家…遭遇、そして対峙と透過――
■山本 忠勝


と人とが正面からぶつかってその拍子に相手の体を向こう側へ透け抜ける。今の物理学の見方(量子論)からすればそういう確率もゼロではないのだそうである。60兆個もの細胞でできているお互いの体が交錯し、透過し合う。だとすると透け抜けたあとのふたりというは、精神の上でも途方もない痕跡を印し合っているのではなかろうか。
 島田誠さんの近著「絵に生きる 絵を生きる―五人の作家の力」(風来舎刊)を読みながら、熱くなっていく心のなかでふと考えたのは、そのような奇跡の交錯のことだった。
 島田さんは神戸でギャラリーを開いている画廊社長で、だからこの本で語られるのも五人の画家との出会い、つまり五つの交錯のことなのだが、じっさいこの本から聴こえてくる主調音は、島田さんと美術家たちとのそのような深い透過のことなのだ。
 
 五人の画家は、これを書き始めているこのぼくも記者をしていたころに個展評を書かせてもらったことのあるひとたちで、特異な創造者との印象がひときわ強く残っている。
 
 島田さんの本に出てくる順序で登場人物をざっと紹介しておくと、まず松村光秀さん。
 天界と下界とを自在に往還することをもくろんでいる画家なのではなかろうか、その絵にはしばしば天上からくだってきた天女のような幽艶な女たちが現われる。むしろ日本画のような静かな絵肌と、それとはまったく対照的な、動きの強い洋画の構図がひとつになって、画面全体に不思議な浮遊感が醸される。その奇妙な雰囲気は、島田さんの言葉を借りて「異界」の空気と呼ぶのが多分いちばんいいだろう。世俗のものたちとは香りの異なる女たちがそこへ踊るように現われる。歌うように、そしてしばしば祈るように、そしてさらには狂うように現われる。
 
 次に山内雅夫さん。
 花や山や人や町や、そのようなぼくたちの目にくっきりと見えるもの、つまり具象的な対象には、逆説的だがこの画家は目もくれない。ではそこで表現されるものがいわゆる抽象画かというと、ふつうに抽象と呼ばれる絵とはまたずいぶんと違っている。絵の具は禁欲的なまでにただ一色、白(ジンクホワイト)だけが選ばれて、その白が毎日毎日はてしなく塗り重ねられていくのである。はた目には単調きわまりないその営みは苦行にも似て、描くというよりはむしろ生の営為そのもののようである。出来上がってくるものは、むしろ壁、あるいは地層、もしくは大地それ自体というほかない。ぼくたちがそこに見るのは、花や山や人や町やそれら目に見えるものの形を超えた、たぶん「存在」そのものの響きである。
 
 そして武内ヒロクニさん。
 破壊を繰り返す現代美術がそれでも公に発表されるものとして引きずっている最後のお行儀のようなもの、それをも木端微塵に砕いていく、つまりは悪魔的な画家といっていいだろう。だが一見乱暴なその創造が最終的に描き出すのは、破局(カタストロフィ)へあと一歩のところで踏みとどまって、そこで危うい均衡を保っている不思議な風景なのである。多くの場合、それは都市の鳥瞰図のような光景だが、緊張をはらんだその街はまるでオルガスムの沸騰のさなかにあるかのようにエロティックな象徴で満ちている。エロスの勃興…。イザナギとイザナミのさらに二代前の神の世界、この世が二つの異形の神、すなわち巨大な男性器そのもの(オオトノジ)と巨大な女性器そのもの(オオトノベ)の二体の神で営まれていた、あの怪異な原風景が現代の都市に甦ってきたような。
 
 それから高野卯港(うこう)さん。
 このひとはもう故人だが、むしろ現代に遅れてきたことを自分の存在根拠とするように、ノスタルジックな風景を描き続けた画家である。今の街を描いても、その街からはとりわけ昭和前期の湿った匂いが漂い出す。それはもはや画家の体臭といってもいい。あえて一口にいうならば、まだ遊郭ないし赤線があったころの、あのすこし危険で、隠微で、濃厚な空気の匂い…。
 
 そして五人目が石井一男さん。
 現代を代表するノンフィクション作家の一人・後藤正治さんが「奇蹟の画家」という本で広く世間に紹介して、いま現在進行形でその名が広がりつつある画家である。テレビのドキュメンタリーにも取り上げられ、まさしく一夜あけたら時の人になっていた、いわば現代にもまだこんな話があるのかと人を一様に驚かせる、遅れて来たシンデレラ。島田さんが個展への道を開くまで、つまり画家四十九の年になるまで、なんの発表のあてもなく、孤独な部屋で自分の女神(マドンナ)をひたすらに描き続けてきた、正真正銘の密室の作家である。


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 さて、この本で明かされるそれら五つの遭遇。ぼくがそこで最も喚起されたことをストレートに書かせていただくとすれば、それはなによりもひとつの幻視のことである。行間から不意に鋭いナイフが現われて、一度、二度、三度…、計五回、まぶしい光を放った、その閃きのことである。
 
 むろんそんな物騒な凶器のことが表立って本に書かれているわけではまったくない。剣戟もどきのそのような光景がこの本に見えましたと島田さんに報告したら、島田さんはきっと眼鏡越しの穏やかな目に微笑をたたえて、ふうん、そんなことがねえ、という顔をするだろう。けれど著者の率直な語り口をたどっていくと、著者と画家たちが交錯し、透け抜け合ったそのあとでは、双方が相手のナイフで鋭い切り傷を負っていること、それがおのずと見えてくる。そしてその切り傷がどれも花のように美しいこと、それもすぐにわかってくる。
 創造的傷痕とでもいえばいいか。
 魂の飛翔と生の躍動を刻んだ傷だ。
 
 著者のそのナイフが最も鋭く閃いたとき、言い換えればその刃に最も厳しい緊張が漲ったとき、それはおそらく山内雅夫さんとの遭遇のときである。白が積み上げられていくだけのそのデモーニッシュな制作に激しく打たれ、このひとの個展をギャラリー島田で開きたい、とそう決心したときのことである。一瞬にしてそう憑かれたときのことである。
 それにしても画商がまったく絵を売ることを度外視して、というより売れないことを百も承知で、なおひとりの作家の展覧会をじぶんの画廊で開くとしたら、ぼくたちはその画商のことを何と呼べばいいだろう。世間から画商と呼ばれるかれの日々に、名づけられない裂け目ができる。
 だがその裂け目にすかさず人間島田が浮かび出る。
 さながら神に立ち向かっていくかのようにこのひとは作家の世界へ分け入っていくのである。なるほどその作家はカントからフッサールあるいはハイデガーまで、西欧哲学の鍛えに鍛えられた理性的認識論、そしておそらくは空海をはじめとする仏教哲学の直観的認識論を創造の土台に置いて自己の世界を築いている手ごわい相手なのである。ニーチェふうにいうならば、まさしく超人的な創造者というべきか。そもそも自作を売ることなどこの画家にとっては論外のことなのだ。内的な衝動にのみ基づいた、どこまでも無償の創造。それはじっさい神の行為とほとんど並行のように見てとれる。
 すると、神に差し向けられた鋭いナイフがぎりぎりの緊張のなかでやがて光そのものになっていく、それはむしろ当然のことかもしれない。神へのナイフは同じ強さと鋭さで自分へも向けられる。おまえはどれほど誠実で純粋か、と。
 当然のこととして濁りが次々と浮かび出る。それはそのつど丁寧にぬぐわれていくのだが、そこで書き記されたひとつの文章、それはだからこの本の中で最も美しい告白の一つになる。この作家との出会いから個展開催までの五年間の葛藤を著者はこのように語るのだ。
 あれはまだじぶんの理想について「片目はつぶって歩いていた試行錯誤の時代」だった、と。
 心を吹く風の音が聴こえてくる。山内さんはむしろおのれのナイフを力いっぱい突き出すように島田さんに促した最初の作家だったかもしれない。精神の深いところで刺し違えること、それこそ創造的な出会いの門口だと。
 
 一転、まるで切り結ぶのを楽しんでいるかのようにお互いのナイフが踊り合うときがある。武内ヒロクニさんとの出遭いのときだ。
 実はこの画廊主とこの画家は、ぼくの知る限り水と油のように来歴の異なるふたりである。島田さんは大学で経営学を学んだ後、いったんは大手企業に幹部候補生として入社するが、やがて請われて神戸・元町の老舗書店の社長に迎えられることになる。さっそうとした青年社長がその書店の一角に小さな画廊を設けたのが、現在のギャラリー島田の源流になるのである。
 いっぽう武内さんはそのころのみずからの暮らしぶりをおおよそ次のように書いている。朝起きれば体からまず「自分の体臭」と「マリファナの臭い」が立ち昇ってくるのであった、と。アンダーグラウンドな芸術家の狂気の日々。島田さんが「「ヒロクニさんは、私の苦手な、ぎらぎらした眼で肩をそびやかす不良野郎」だったと追想するのはまさしくその通りだったろう。
 それが、これこそ人の出遭いの不思議を描き出すこの本の最もシンボリックな部分だが、互いに相手を「糞ったれ!」「あんたこそ糞ったれ!」と言い合いながら、とうとう個展を開催することになるのである。今に続くノーガードの打ち合いもそこから始まるというわけだが、やがてふたりの間に芽生えてくる阿吽(アウン)の呼吸には、まことに不可解でかつ味わい深い心のこまやかな襞がある。切り傷だらけになりながら、魂が相乗的に高揚していく、これはむしろ芸術的格闘技というべきだろう。
 
   あるいは、あそこまで水際立ったナイフの使い手であるのなら、突き刺され、倒されてもいい、と画家のほうから身を投げ出してくることもあるようだ。石井一男さんとの遭遇の場合がそんなふうに見てとれる。
 新聞配達で食べながら、あとはただ自室にこもってただただ絵筆に生きる意味を求めてきた孤独な画家が「このひとならわかってもらえるかもしれない」とすがるような思いである日一本の電話をかけた。今度は画家のほうが神に立ち向かうような張りつめた心でやってきた。「見ていただくだけでいいんです」。
 自称画家の売り込みにはもう慣れっこになっている画廊社長はむろんほとんど何の期待もなくこの突然の来訪者を迎えるが、これも出遭いという化学反応のダイナミズムなのだろう、瞬時にして事態は思いがけない方向へ展開する。島田さんの鋭敏なナイフは初対面にして画家がもっている二つの美質を突き止めた。一つは、絵が歴然と示している芸術的価値の確かさ。もう一つは、寡黙なこの作家が宿している稀有なほど純な魂。
 日曜画家の新聞配達人があっという間に立派なひとりのプロ作家に変身した、その決定的な瞬間はそのようにしてやってきた。
 タイトロープを渡るようなその出遭いがもしなかったら…。内気な新聞配達人は、膨大な数の無署名の絵を押し入れに残したまま、人知れず人生を終えたかもしれないのだ。奇蹟には、いつもぞっとさせるような裏面がある。
 
 面白いのはそんな怜悧なナイフにも、たまには行き惑うときがあることだ。高野卯港さんとの交錯のときである。「私より若い卯港さんが遊郭を描くのは空想あるいは憧れの絵空事と最初は思った」と島田さんは書いている。高野さんの仕事に対して、画廊社長が当初は懐疑的だったということが、率直にそこで明かされているのである(ちなみにぼくはこの本でそうだったのかと教えられるまで、高野さんにはずっと懐疑的なままだった)。
 画廊主のその懐疑は、これがまた出会いの奥深さのもうひとつに側面だが、ちょうど鏡が対称的な鏡像を生みだすように、画家の心に暗い不安をつくりだす。高野さんは島田さんへの屈折した思いをひそかに日記に残していた。
 「卯港画集、絵で食べること、世界の美術館での個展が、わが夢だ。そのどれも実現していないのだ。…けっして(島田社長は)私を上に上げないのだ。飼い殺しの関係なのだ」。
 画家は傷つき、煩悶する。だが実はそこから真の交錯が深まっていく、それもまた島田宇宙の運動法則なのである。やがて画家に曙光が差し始め、それとともに画家は画廊社長にどれほど寄り添われていたか、そこに気づくことになる。
 「…絵も売れた、社長も喜んだ、…ワッハッハ、ワッハッハ。長〜い苦しい待ちの日々だった」
 がんで亡くなる二か月前の日記であった。

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 さて、日本の刀剣伝説のなかに血の匂いに吸い寄せられる妖剣の話があるように、このようなナイフの場合、あるいはナイフのほうがいちはやく作家の血の芳香を嗅ぎ分けて、主人をぐいぐい引っ張っていく、そういうこともあるかもしれない。松村光秀さんとの出遭いには、どうもそんな奇譚めいたふしがある。
 これもまたふつうでは交わるはずのないふたりである。一方はKOBE GENTLEMAN(神戸紳士)の典型のような、都市のなかの都市に生きる、むしろ大地から離れたコスモポリタン。そしてもう一方は古都・京都の下町で在日二世として生まれ、疾風怒濤のような人生を積み重ねながら土地の匂いを刻んできた人。脱民族的で端正な世界人と、血と土俗の匂いを濃厚に発散する表現者。
 初めて画家のアトリエをたずねたときの衝撃を島田さんはこのように綴っている。
 「…作品から漂う妖気。あるいは、少しの狂気。…私の見てきた世界にはなかった異界であった」
 重要なのは、気もちはたじろぎながらも、しかし直感的な嗅覚(美のナイフ!)はもう相手の魂の何たるかを嗅ぎ分けて、奥へぐいと踏み込んでいることである。
 むしろそのとき水面下で起こっていた美の暗闘が、この対極的な両人を緊密に結びつけ、互いに反発を孕みながら、だからこそ却ってきずなを深めることになったらしい。やがて画家がへてきた大きな地獄、自宅(兼アトリエ)が夜中の火災に見舞われて妻と二児を失ってしまったという絶望的な悲劇もあかされてくるのだが、そこに触れるときの著者の筆使いにはむしろ悲劇への畏敬といったようなものが現われる。
 人生を打ち砕いた出来事がひとから尊厳をもったものとして迎えられる、それは人の出会いのなかでも最も深いレベルの出会いなのではなかろうか。
 
 スリリングな本なのだ。
 ナイフが幻視されるのは、画廊社長と作家とがお互いの芸術観と美意識の極致をかけてそこで出会うからである。
 とりわけ若いころの島田さんを少しばかり知っているぼくのような者にとって面白いのは、ここに登場する画家のほとんどが、昔のダンディSHIMADAからは限りなく遠い人たちのように見えることだ。
 いささか奇矯にさえ思えるほど我が道を突き進むこれら特異な作家たちと正円のようなバランス感覚に恵まれた島田さんとが一体どんな通路で結びつくのか?
 ぎょっとするような作品をギャラリーで見るたびにぼくが決まって感じた疑問であった。
 しかし今この本を読みながらその疑問が結局は了見の狭い傍観者の一時の戸惑いに過ぎなかったとわかるのだ。
 間違いなく人はじぶんとまったく異なる遠い他者とも自在に交錯する潜在力をもっている。
 深いところへ下っていけばいくらでも出会いの広場は見つかるのだ。
 そうしてそこでは、お互いがいっそう創造的に深まっていくのである。
 すばらしい人間世界。
 
 だがそうはいっても、と最後にはまたもとへ戻ってくるのだが、やっぱり美術という大きな媒介があってこその五つの交錯と透過であったということ、そのことをあらためて印象的に思い返すことになる。
 対極と対極とをいとも簡単に出遭わせる美の魔術。
 無限へ開かれた交差点。
2012.1.31
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20016 萩原陽子さんの「冬の夕闇」

生命のもがき、静と動
 

 「冬の夕闇」というのが萩原陽子さんの作品のタイトルでした。
 冷たく陰鬱な光景を思い浮かべます。
 
 音楽はエストニア出身の作曲家、アルヴォ・ペルトの「Pari Intervallo」。「等しい間隔で」といった意味のようです。
 オルガンのソロで、高音と低音が決してまじわることなく、遠い距離(間隔)で静かに呼応を繰り返します。天上的なものと地上的、人間的なものとの距離なのでしょう。
 
 藤田佳代舞踊研究所の公演「創作実験劇場」(2011年2月26日、芦屋ルナホール)の演目として、萩原さん自身によって踊られました。
 
 ダンサーは地上で、次第に立ちこめてくる闇の中でうごめき、もがいています。
 
 辺りの風景が闇に溶け込んでいくのを前にして、自分もまたそこへ没してしまうことをおそれているのでしょうか。
 
 ですが、そのもがきとは、苦悩や苦痛の表現とは、何かべつのもののようでした。
 
 死や絶望、そういうものを闇にみたてて苦しみもがく姿を踊るというなら、それはたいしておもしろみのない、ありふれたことです。そういう話なら、最後にはみんな、むしろあたたかな闇の中にかえる、それだけのことでしょうから。
 
 萩原さんが踊っていたのは、そうではなく、たぶんどんな小さな生命の中にでもある命のもがき、そういうものでした。
 
 そしてこのモチーフは、萩原さんが、先生である藤田佳代さんから受け継いだものといえるでしょう。
 
 藤田さんの作品にはしばしば、不意にそれまでの振りの脈絡や曲のリズムから逸れ、こらえきれなくなったというように、ばたつくような所作、過剰に踏まれるステップが現われます。
 
 それは卵や胚、あるいは蛹の中で起こっている誕生や羽化のためのほとんど暴力的な過程のようにもみえ、また、静かに眠る人の内でもつづいている筋肉の収縮や代謝といった生きることそのものの運動のようにもみえます。
 
 そういう生あるいは静を支える内なる激動というべきもの、このすぐれて本質的な舞踊モチーフを萩原さんは藤田さんから分かちもっています。
 
 つけ加えるならば、これは「生命讃歌」といった明るい物言いにおさまりきるものではありません。それは世界の底で蠕動する、もっと暗いものを表現しようとする試みです。
 
 闇はいま生まれ来たったのではなく、はじめからそれは闇の中の出来事です。
 
 うごめくよう、と言いました。モチーフは先生から引き継がれていても、振りの形には先生の作品とずいぶんちがったところがあります。二人のあいだにあるのは、むしろ内的な共振の関係です。
 
 さて、そのうごめきの振幅が次第に大きくなっていきます。
 そのときわたしたちは不思議な出来事を目にしました。
 
 静なるものの中の動が膨れあがり拡大されていくにしたがい、それがまたひとつの大きな静へと近づいていったのです。
 どこで反転が起こったというのでもありません。ダンサーのからだが速く激しく振れるその動の氾濫が、そのまま静の到来を示していたのです。
 
 あたかも大きくなっていったのは身振りの大きさではなく尺度、スケールの方で、たとえば途方もない速度で運動しているはずの銀河が、わたしたちとのあいだに横たわる途方もない空間と時間のスケールのちがいのため静止してみえる、そんなふうに。
 
 そうしてふたたび、大いなる静の回帰。
 
 萩原さんが現出させた驚くべき光景でした。
  2011.9.3 山本 貴士
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20015 藤田佳代さんの「今日のこの空 ほしいひと」

照らし合う喜び、ダンス
 

 ひとが生きていることの喜び、それは照らし合っていることの喜びなのかもしれません。
 ひとと花との照らし合い、ひととひととの照らし合い、ひとと星との照らし合い…。
 藤田佳代さんが振り付けた新しい作品を見せてもらいながら考えたことでした。
 「今日のこの空 ほしいひと―さいしょはグー」。
 そんなかわいい名前のついた、とても深い作品です。(2011年2月26日 芦屋・ルナホール)
 
 黒い衣装をつけた七人のダンサーがゆっくりと踊る群舞、それは闇と照らし合いながら深夜に舞う古代の巫女たちのようでした。
 白い衣装をつけた七人のダンサーがゆっくりと踊る群舞、それは光との照らし合いながら真昼に舞う同じように古代の巫女のようでした。
 そして青い衣装をつけた一人のダンサーの、群舞を横切っていくソロダンス、それは夕暮れの空と夜明けの空にまぶしいくらいに現われる金星(宵の明星、明けの明星)のようでした。
 
 藤田さんのモダンダンスを宗教的な言葉で語るのは、あまり適切なことではないでしょう。
 ぼくの聞いているかぎりでは彼女はなにかの宗教に従って人生を築いてきたようなそのようなひとではまったくありません。
 大学では社会学を専攻して、現代社会に対してむしろ合理的な批判精神をもつひとです。
 
 ですが、黒い衣装の群舞、そして白い衣装の群舞を見ているうちに最初にぼくの記憶にのぼってきたこと、それは空海が書き残した一文のことでした。
 仏教で語られる「加持祈祷」のなかんずく「加持」について、空海はじつに力強い解釈を残してくれているのです。
 おおよそ次のように語るのです。
 
 加(か)、それは、日の光のような仏の徳が、清水のように澄みきった人の心にまざまざと映ることをいうのです。
 持(じ)、それは、人の心にまざまざと映ったその仏の徳を、しっかりと全身に感じ取り、全身に受け止めることをいうのです。
 (佛日之影現衆生心水曰加。行者心水能感佛日名持。=空海著「即身成仏義」から)
 
 真理の前でひとは透明な器になるということでしょう。
 その透明な器に真理がなみなみと充たされるということでしょう。
 
 そうなんです、藤田さんの作品を踊る十五人のダンサーたち(ほかに七人の女児男児が出演)も、舞台で透明な器になっているように見えたのです。
 その器に充たされるのは、もちろん空海がイメージした宇宙の超越者(毘盧遮那仏)とダイレクトに結びつくものではないでしょう。
 一方は宗教家のビジョンです。
 もう一方は舞踊家なかんずくモダンダンサーの創造です。
 二人の間には一千年以上の時間の隔たりもあるのです。
 
 けれど、この地上ではもうほとんど忘れられて久しいもの、宇宙には生き生きと満ちているのにわたしたちの心ではすでに涸れかけているようにみえるもの、そういうものへのともに切実な呼びかけであること、その点ではこの宗教家と舞踊家の立場は重なります。
 そしてその呼びかけがすなわち、まったく同時に、現われになるということ、その点でも両者には共通項があるのです。
 
 ここで現われとは、ひとが超越的なものに呼びかけることによってその超越的なものと照らし合い、その超越的なものが目に見えるかたちになってひとの上に出現すること、そういうことをいうのです。
 端的にいえば、ひとがそっくり超越的なものになることです。
 
 平安時代の空海の場合は仏になること。
 それは、今ではちょっと古びた語感をおびますが、「即身成仏」と呼ばれます。
 現代の藤田さんの場合は空(そら)になること。
 それはタイトルがはっきりとあかしています。
 「今日のこの空 ほしいひと」。
 空とは宇宙のことでしょう。
 
 とすると、これはまあ蛇足のたぐいになるでしょうが、藤田さんの作品は「即身成空」あるいは「即身成宇」?
 
 それにしても美しい作品でした。
 舞踊で美しいというとき、そこにはほかのジャンルではあまりいわれない特別な意味があります。
 ダンサーがダンサー以上のものになること。
 人間が人間以上のものになることです。
 天上と照らし合い、天上の景観がひとの体に映ることだといってもいいでしょう。
 そして、ダンサーがひと以上のものになるということは、それを見る観客のぼくたちもそのときひと以上のものになっているということです。
 
 ほんのひとときのことですが。
 
 ひとときの、しかし心があからむ照らし合い。
 体があからむ照らし合い。
 
  2011.4.9 Tadakatsu Yamamoto
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20014 安原梨乃さんのクララ

時を翔ける少女
 

 貞松・浜田バレエ団のクリスマス公演「くるみ割り人形」は、お伽の国バージョンとお菓子の国バージョンの二通りの舞台が一日ずつ上演されるのが習わしです。
 今回は初日のお伽の国バージョンを見せてもらったのですが、安原梨乃さんの見事なクララに刺激されて、心躍る発見をしたのです。
 いままで疑問に思っていたシーンを、そうか、と一気に納得することになったのです。
 すばらしいダンサーというのはいつも観客のぼくたちに新しい発見をさせてくれるものなのだと、また改めて思いました。(2010年12月18日 神戸文化ホール)
 
 疑問に思っていたシーンというのは、第一幕のシュタールバウム家の広間の場をなかほどまで進んだところに出てきます。
 クララの家族や客人たちがダンスや会話を楽しんでいるそのさなかのこと、突然みなが動きを止めてまるで蝋人形みたいに固まってしまう、そういう場面があるのです。
 なにもかもが凍結してしまった世界のなかで、自由に動けるのはクララだけ。
 彼女も突然の変化に驚きます。
 驚きながら、けれど好奇心に誘われて不動の広間をおかしそうに歩き回るという筋立てです。
 
 チャイコフスキーのテンポのいい音楽が進むなかそれを中断してのしばらくの静止時間は、見方によっては取って付けたような演出だといえないこともありません。
 どんな必然性があってこのような奇異なエピソードが入れられたのか、永い間どうも合点がいかないままでいたのです。
 怪人ドロッセルマイヤーの魔法といってしまえばそれまでなのですが、別になくてもいい場面ではないか、と思ってもいたのです。
 それが今回は急になくてはならないものだと腑に落ちたという次第です。
 
 きっかけは、ほかでもありません、安原梨乃さんのきらめくような踊りに正真うたれたことでした。
 屹立、跳躍、旋回、飛翔…。
 この鋭いきらめきは何かに似てるな、とそう考えていたときです。
 そうだ、これは時計の秒針の輝きだ、と不意に思いついたのです。
 
 どこの家でも、壁の時計の秒針ほど鋭敏な感受性を感じさせるものはありません。
 ある位置に来ると決まってきらりと光ります。
 また別の位置へ移っていくと、今度は翳りをおびてほとんど消えそうになるのです。
 明るいところから暗いところへ、暗いところから明るいところへ、部屋のそのかぎられた空間にそんなに微妙な光の配分があるのかと、びっくりさせられるくらいです。
 むしろ部屋全体の光の加減がそこに集約的に映し込まれているように思えます。
 
 また秒針ほど瞬間瞬間を生き生きと感じさせるものもありません。
 時計でいちばん偉いのは王様のような短針で、つぎに偉いのは親衛隊長のような長針だと、そんなふうに感じてしまう癖のようなものがどうもぼくらにはあるようです。
 秒針はちょこまかと動く兵卒に過ぎないというわけです。
 けれど実際のところ、これはかなり古風な、あえていえば事大主義的な感覚なのではないでしょうか。
 生命感に満ちているのはどれかと考えたら、間違いなくそれは秒針のほうなのです。
 ぼくらの心臓と並行に、前へ前へと休みなく動き続けていくのです。
 長針や短針はむしろ秒針の過去、秒針が書き残した日記、秒針が刻々と脱いでいく影のようではありません?
 
 そして秒針ほど宇宙の運行を感じさせるものもありません。
 一周360度の円を正確に6度ずつ進んでいく秒針は、太陽のまわりを揺るぎない速度で周回する惑星の軌道を思わせます。
 地球も火星も水星もこんなふうに運行しているのだと考えて、なんの違和感もありません。
 秒針のこの超俗的な宇宙性に比べたら、短針や長針の鈍重な進行はずいぶん世俗的なのです。
 秒針はむしろ宇宙と相似形のふたごだの姉妹だといってもいいような気がします。
 
 ではその鋭敏な感受性の、生き生きとした生命感の、超俗的な宇宙と姉妹の、その秒針としての安原梨乃、その彼女はひとくちにつづめていえば一体どんな存在だと言うことができるでしょう。
 時を翔ける少女。
 映画のタイトル(タイトル通りに表記すれば、時をかける少女)を借用するのは少々気のひけることですが、やっぱりこれほどにぴったりと来る表現はちょっと思いつけません。
 大林宣彦監督と原作者の筒井康隆さんに敬意を表しながら、無断借用、乞お許し。
 まあ、もうすこしバレエに寄り添う格好で言い換えれば、
 時間を踊る少女、
 ということになるかもしれませんが、これでは、やっぱりやぼったい。
 
 まさしく、時を翔ける少女!
 それが「くるみ割り人形」の安原梨乃さんの印象です。
 
 おわかりでしょう、その日の彼女は、つまりクララは、俊敏な時間のトラベラー(旅人)だったというわけです。
 そしてあらためてそのような目で見直すと、いろんな局面が次つぎ納得されてくるのです。
 なかんずく重要なのは、クララのすばらしいその夜の旅が、クリスマス・イヴの「午後12時」から始まってクリスマス当日の「午前零時」に終わっているということです。
 始まりも終わりも同じ時間だったのです。
 雪の国からお伽の国へあんなに長くて深い旅だったのに、こちらの世界から眺めるかぎりそのあいだに時間はたったの一秒も進んでいなかったというわけです。
 
 時間がない世界?
 ではそれは一体どんな世界なのでしょう。
 答えは見かけ以上にシンプルです。
 無時間の世界、それはすなわち無限の世界だということです。
 クララの一夜の冒険は、ほかでもありません、無限の世界への旅だったわけなのです。
 シンプルですが、とても大きな仕掛けです。
 
 ひとりの少女の前に開かれたイヴとクリスマスの間の見えない裂け目。
 それはひろびろとした無限の世界(永遠の世界)への奇跡の扉だったのです。
 
 登場者たちもそこでは見かけからは測れないほど大きな存在に変わります。
 くるみ割り人形(お菓子の国の王子、弓場亮太)は、無限の世界からやってきた無限の国の王子です。
 雪の女王と雪の王(山口益加、武藤天華)は、無限の森に降る無限の雪の、いうなれば無限の雪を司る神なのです。
 お伽の国の女王とお伽の国の王(瀬島五月、アンドリュー・エルフィンストン)は、無限の花園に咲く無限の花の、いうなれば無限の花を司る神なのです。
 すると、ねずみの王(玉那覇雄介)は無限の世界に生きるものを有限の世界に閉じ込めようと画策する魔法使いということもできるでしょう。
 
 物語の底のほうが少し明るんで見えてきました。
 これは、そうです、振り返ればだれもがすでに直感的に感じ取ってきたことですが、無限の国の王子とクララの、無限の愛、永遠の愛の物語だったのです。
 クララがひと目でくるみ割り人形を愛することになったのも、彼女が愛の不思議、愛の永遠性を感受する少女だったからこそということになるでしょう。
 「くるみ割り人形」は、まさしく永遠の愛を形にしたその狙い通りに永遠のバレエになった作品だったわけなのです。
 
 ですから、シュタールバウム邸の静止した一瞬も、その大きなテーマを提示する最初の仕掛けだったのです。
 なくていい、どころか、不可欠の場面です。
 
 ということになると、さて、貞松正一郎さんが演じた怪人ドロッセルマイヤーはどのような意味をもつ存在になるのでしょう。
 時間の主宰者?
 全体を統御する大きな神?
 でも、まあ、それはこのすばらしい舞台の余韻をもっと先まで楽しむために、これからゆっくり考えることにいたしましょう。
  2011.3.13 Tadakatsu Yamamoto
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Cahier

 10077 梅田恭子展    一秒の無限
 言葉にして語られてしまうと、とたんにその言葉が刃になって、まるで返り討ちに遭ったみたいに自らがずたずたに裂かれてしまう、そういう繊細な心がある。
 沈黙のなかで辛うじてバランスを保っている、やわらかで、過敏な心。
 梅田恭子が描く不定形の、紙の裏から滲み出てくるような形象を見ていると、どうしてもそのような傷つきやすい心のことを思ってしまう。
 その形象はだから言葉と言葉の隙間から、言葉の目をかいくぐってそっとそこに表れてくるように見えるのだ。
 むしろ名づけられないように注意しながらひっそりと滲み出る。(2010年12月11日〜25日 神戸、ギャラリー島田)
 
 震えるような細い線、そしてこまやかなグラデーションで広がる面、この二つが梅田恭子の作品の要素である。
 なにか具体的な物象のイメージをそこから連想することはむずかしい。
 地でもないし気でもない。
 火でもないし水でもない。
 それどころかそこからなにかを連想することをそれはむしろ拒んでいる。
 これは、ここにあるこれがすべてで、これ以外の何ものでもない。
 控えめながらそのように宣言する。
 
 ギャラリーの島田社長が奥からルーペを持って近づいてきた。
 微妙な濃淡の面のところにそれを当てて、ごらんなさい、と例のバリトンで促した。
 覗いて驚く。
 面と見えていたところが、実は線の集積なのである。
 しかも一本一本が繊細に震えている。
 微細な震動。
 
 不意にマチスを撮った古い短編映画のことが浮かんできた。
 一気に描いたと見えた直線が、高速度撮影で撮ってみると、実に微妙に震えていた。
 たじろいで足踏みしているようなところもあった。
 いっそうびっくりさせられたのは、震えているのを見て、マチス自身がひどく驚いていたことだ。
 彼も直線を引いたつもりでいたのである。
 その映像の撮影者が(あるいは編集者だったか)、たしか無意識の震えというようなことを言っていた。
 
 無意識の震え。
 自身でさえ気づかない深層の震え。
 すなわち魂の震え。
 いのちはたぶんそのような震えに乗って表れてくるのである。
 
 じっさい、街に流れている表面の時間とは違う別の時間が梅田の線に流れているそのことに気づくのはそんなに難しいことではない。
 一秒ではまとまったことはなにもできないとついそう思ってしまう衝動がぼくらにはあるけれど、それは間違いなく外の時間に侵された荒っぽい心である。
 梅田の線の一秒には心のありあまるほどの動きがある。
 無限の複雑な震えがある。
 何層もの心の動きがそこに折り畳まれているのである。
 一秒がもう無限に深いのだ。
 
 カントは時間の実在を信じなかった。
 時間は、状況の変化を認識するための単に観念の形式に過ぎないと言い切った。
 現代の量子論もその方向に進んでいる。
 時間の革命…?
 そこであらたに見えてくるのは、ぼくらが一瞬としか感じない刹那の、その裂け目に漲り渡っている無限の豊饒さではなかろうか。
 むしろ時間がそこから誕生してくる、その時間の故郷が切り開かれる一瞬、刹那、…一瞬の無限。
 梅田恭子の創造もたぶんその方向に動いている。
 瞬間のなかに無限を見いだす方向へ。
 
 ということはつまりこうも言えるだろう。
 この作家は言葉に裂かれることに脅えつつ実は言葉の故郷へ向かっている、と。
 言葉が世界を切れ切れに分節してしまうその以前、最初の一音「あ」のなかに世界のすべてが映し込まれ、充溢し、その一音が世界の隅々へ響いていった、あの叫びの時代。
 すなわち、彼女の恐れと慄きの震えの裂け目にこそ全体が甦る。
 地と気と火と水のすべてが一体となった運動、その運動がそこにある。
 全宇宙の運動がその微細な震動に現われる。

photo-umeda.jpg
「音跡」
  2011.1.13 Tadakatsu Yamamoto


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20013 坂東呂扇さんの「狐火」

舞踊の錬金術
 

 坂東呂扇(ろせん)さんは立ち姿のとても美しい舞踊家です。
 姫路を拠点に活躍してきた坂東大蔵さんの娘さんです。
 ひょうご名流舞踊の会で「狐火」の八重垣姫を踊りました。(2010年10月2日 神戸国際会館)
 
 「狐火」は武田信玄と上杉謙信の合戦を描いた時代物浄瑠璃「本朝廿四孝」の一場面を舞踊にした作品です。
   八重垣姫は謙信の娘です。
 彼女は武田信玄の息子・勝頼と許嫁の仲だったのですが、ふたりの父親同士が敵対を深めたために、複雑な立場に追い込まれるという設定です。
 父・謙信が謀略をめぐらして、愛慕する勝頼が暗殺の危機にさらされるということになるのです。
 勝頼が討手にかかってしまう前になんとしても迫る危険を許嫁に伝えたい。
 その必死の思いが諏訪明神に伝わって、明神の使いの白狐が姫の助力に現われるという筋書きです。
 
 呂扇さんの立ち姿が美しいといったのは、もちろん舞踊家としてそれだけ洗練された身体表現を体得しているということです。
 けれど単にそれだけを言いたかったわけではありません。
 そこに立ったその姿に、八重垣姫が今どのような状況のなかにあるか、そしてその状況を姫がどんな心で受け止めているか、それら目に見えない要素のすべてが同時に現われていたということも、併せて言いたかったのです。
 現在に至る時間が一気に表現されていたということです。
 
 まず偉大な父・謙信への畏敬、これがあります。
 呂扇さんの八重垣姫は大きな品格と強い自己抑制を持って登場します。
 そこには謙信が娘をそのような高い品性へ導いたという、父のその威厳ある側面が垣間見えます。
 と同時に、そのように育てられた姫だからこそ父に対して抱かざるを得ない彼女の畏敬の側面が見えるのです。
 呂扇さんの体のなかでその二つが深く照射し合うのです。  
 つまり姫の勝頼への思いは父への畏怖と許嫁への愛という大きな葛藤の上にあるということです。
 その葛藤は自己抑制の力の下で内攻を深めます。
 内攻のなかで燃え立った情熱だからこそ、おどろおどろしいともいえる超自然的なものの救いがそこに到来するのです。
 心の深みで燃える炎が、自然の深いところで起こる神秘な変化(へんげ)と通じます。
 呂扇さんはその内面のドラマを実にみごとに舞いました。
 荒唐無稽な物語が、彼女の技術と心によって現実のものとなりました。
 舞踊の錬金術の完遂です。
 
 父の大蔵さんが以前に語っておられたことを思い出しました。
 「坂東の踊りは江戸歌舞伎から発展してきた舞踊です。江戸歌舞伎は男の芸です。ですから踊りの稽古に関するかぎり、私は娘を男として育てました」
 なるほど、と思いました。
 女(姫)を舞いながら女に流れないその抑制力に、大蔵さんの教えの深さを感じました。
 そこにははからずも「狐火」にあらわれる謙信と八重垣姫の関係がパラレルに見えました。
  2010.12.25 Tadakatsu Yamamoto
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KOBECAT 0060
2010.9.23 尼崎・アルカイックホール
「ドン・キホーテ」のA・エルフィンストン

――自由への記号、飛翔への塔――
■山本 忠勝


レエはひとつの記号である。
 美しい記号である。
 とりわけ自由への記号である。
 バレエはひとつの塔である。
 美しい塔である。
 とりわけ飛翔への塔である。
 床屋の若者バジルを踊ったアンドリュー・エルフィンストン(Andrew Elphinston)は、その夜、自由への記号となった。
 飛翔への塔となった。
 貞松・浜田バレエ団が尼崎のアルカイックホールで上演した「ドン・キホーテ」でのことである。(2010年9月23日)
 
 エルフィンストンはオーストラリア生まれのダンサーである。
 ニュージーランドで踊ったのち2003年に神戸の貞松・浜田バレエ団へ移ってきた。
 赤道を越えてきたのは恋のためだったようである。
 ロイヤル・ニュージーランド・バレエでプリンシパルを務めていた瀬島五月が貞松・浜田バレエ団へ帰るのを追いかけてとうとう神戸まで来たらしい。
 
 生き生きとした風貌はどこかサン=テグジュペリの星の王子様(プチ・プランス)を思わせる。
 立派な体躯をかんがえればむしろプチ・プランス(小さな王子様)のお兄さんというべきか?
 誠実そうなフィーリングは兄弟に共通する。
 
 記号はまず確かな場所を指し示す。
 アンドリューはバジルの場所をきわめて明快に提示した。
 第一幕。バルセロナの広場にて。
 陽気さに満ちた踊りは、心が絶え間なく明るい海を泳いでいることを示している。
 憂鬱な深海魚とは無縁である。
 色男ぶりをちょっとばかり鼻にかけた罪のない矜持。
 それは健全な現実感覚のあかしである。
 世俗のよろこびを謳歌している若者だということだ。
 この、ここに、いま生きているという信号。
 光の記号…。
 
 そういう明るい記号であることがこの作品でなぜそんなに重要か。
 いうまでもなく対極である闇の記号が目の前に現われるからである。
 ドン・キホーテ(岩本正治)。
 迷妄のなかを旅する騎士。
 ここではなく、どこか彼の地を、どこへともなく夢遊しているという信号。
 だが実は深い迷妄を歩む者ほど深い夢をみるのである。
 夢想のきわみのドルシネア姫、それは最も濃い闇の結晶にほかならない。
 
 そして観客は見た、闇の顔に出遭った刹那の、光の顔に浮かんだ絶妙の戸惑いを。
 それはこう語ってはいなかったか。
 かれはだれ?
 つまり、だれがかれ?
 それは同時にこう自問している顔だったのではなかったか。
 おれはだれ?
 つまり、だれがおれ?
 短いが分厚い表現。
 エルフィンストンはその一瞬に四重の表現を成し遂げていたわけだ。
 
 むろんそれでもまだそれはこれから始まる長い物語のほんの門口なのである。
 重要なのは、それを起点にひとつの飛翔とひとつの転落が観客の前にくっきりと現われたことである。
 
 ひとつは、世俗者バジルのいっそうの光への飛翔。
 愛への飛翔。
 自由への飛翔である。
 もうひとつは、夢想者キホーテのいっそうの闇への転落。
 情念への転落。
 囚われへの転落だ。
 ひとりの老人とひとりの若者の行きずりの邂逅が、闇と光が交錯する稀有な叙事詩へと高まっていくのである。
 
 刻々の変転。
 愛と自由への刻々の変転。
 エルフィンストンはそれを的確に踊ることになるだろう。
 わたしたち観客の想像力を刻々と掻き立てていくことになるだろう。
 そう、彼のダンスは刻々の変転だ。
 決して滞ることがない。
 
 そして、もうひとつの記号、塔。
 これはなにも観念から生まれるものの比喩ではない。
 広場の真ん中でバジルのエルフィンストンがキトリの廣岡奈美を頭上で反転させながらすばやく天空へ向かって掲げたときの、その正真正銘、物理的な高さのことだ。
 塔、すなわち宇宙へまで投げ上げるような大きなリフト。
 危険なばかりの、…しかし決して危険を感じさせない、完璧なバランスの。
 
 強く語るべきは、そのしゅんかん天空へ飛んだのは、恋人のキトリひとりだけではなかったということだ。
 その瞬間わたしたち観客が体におぼえた浮遊感。
 あのときわたしたちの体の奥で何かがうごめきはしなかったか。
 そしてそれは胸骨に沿って体を上へ抜けていき、天空へ翔け昇りはしなかったか。
 舞台と客席の間に生まれた深い空間的共感。
 わたしたちもそのときいっしょに飛んだのだ。
 
 塔になること。
 それは重力にあらがって宇宙へ飛び出すことである。
 エルフィンストンはみずからが頑丈な土台になり、廣岡奈美を頂にして、つかのまであれ、みごとに美しい塔を築いた。
 廣岡奈美を、そして観客すべてを、宇宙へと持ち上げた。
 
 無重力へ。
 自由へ。
 
 シャガールがあの幻想の絵画でしたことを、彼はダンスでしたのである。
 空を飛ぶベラ。
 空を飛ぶ奈美。
 空を飛ぶわたしたち。
 
 解放。
 
 さて、ふたたび光と闇の遭遇の局面に立ち返ろう。
 キホーテはひたすらに自分の闇へ転落する。
 迷妄のなかへ落ちていく。
 町のチャキチャキ娘キトリの前に大仰にひざまずいて、「ドルシネア姫よ」と騎士の礼を尽くすのだ。
 滑稽な錯誤。
 だが神はときどき間違ったふりをしながら本意を通す。
 夢遊者の錯誤に満ちた献身が結果としてキトリとバジルを結ばせることになる。
 バジルの狂言自殺。
 とりすがるドルシネア姫(キトリ)の悲嘆にほだされ、騎士はキトリの父親を説き伏せてしまうのだ。
 闇の記号が、その闇ゆえに、かえって光の記号の希望を全うさせることになる。
 
 そして、大詰め第三幕。公爵の城の前庭にて。
 晴れてふたりの恋人が白い婚礼の衣装で現われる。
 情熱的な赤と青の衣装で踊った広場のダンスとは対照的だ。
 原色から白への上昇。
 そしてふたたび天空へ飛ぶような高いリフト。
 すなわち、再度の塔。
 だが今度の塔はあの広場での塔とは微妙に違う。
 世俗の時間の真っただ中に立った塔と結婚の聖なる時間に立った塔。
 物質の塔が精神の塔へと変貌する。
 より高い飛翔へ…。
 その差異を巧みに表出したエルフィンストンの秀抜な技量。
 
 さあ、その感性とその身体に乾杯しよう。
 
 さて、言いたいことの本筋はひとまずこれで終わりだが、キホーテの闇の旅にもう少し触れておくのも無意味ではないだろう。
 第二幕第三場の、とってつけたようだがしかし無くてはならないエピソード「ドン・キホーテの夢」。
 ドルシネア姫(月)を天上へ追おうとしたのに、なんという逆説、悪魔(風車)に足をすくわれて瀕死、すなわち地獄の門口へ飛ばされる。
 だが死へあと一歩という危険な夢のまっただなかで、またしても逆説、彼はついにうるわしの目的地に到達する。
 姫との至福の邂逅を果たすのだ。
 永遠の夢のなかで結ばれたエンデュミオンとセレナのように。
 闇の極地での光との合一。
 
 結語。
 闇と光の邂逅がキトリとバジルを結ばせた。
 闇と光の統合がドルシネアとキホーテを出会わせる。
 二重に貫徹されるテーマ。
 「ドン・キホーテ」の深さ。
 豊かな記号に満ちたバレエ。

 貞松・浜田バレエ団の特別公演「ドン・キホーテ」は2010年9月23日に尼崎市のアルカイックホールで上演された。
 もちろんキトリの廣岡奈美を中心に論評を試みる材料も十分ある。
 とりわけ彼女のポワント・ワークの見事さは特筆に値する。
 さながら一本のユリが屹立したかと見えるほど、片脚の爪先だけで完璧に立つのである。
 秒数にしてどのくらい立っていたろう。
 常人をはるかに超えるその屹立は、臨界点を軽く抜けて、たしかに無限へ踏み出した。
 不動でありながら、それでいて無限への離陸!
 STAFF 芸術監督 貞松融/再演出・指導 ニコライ・フョードロフ/振付・指導 浜田蓉子、貞松正一郎/音楽監督・指揮 堤俊作/管弦楽 びわ湖の風オーケストラ/指導 山崎敬子、松良緑、堀部富子、長尾良子、小西康子、松良朋子、堤悠輔/衣装 エリザヴェータ・ドゥヴォールキナ、中江三従子、原田すみ子、石田コスチュ−ム、木下正子/照明 柳原常夫、加藤美奈子、ライティング・セブン/舞台装置 日本ステージ、湊謙一/舞台監督 坪崎和司/写真 テス・大阪/プログラム 殿井博、倉田印刷
 主催は同バレエ団と尼崎市総合文化センター。
2010.11.6
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KOBECAT 0059
2010.4.17〜5.30 兵庫県立美術館
中山岩太展

――異域への熱病――
■山本 忠勝


20世紀日本の写真文化、とりわけ大戦直前までの創造活動を彩ったモダニズム表現に大きな足跡を残している中山岩太の総括的な写真展が、神戸市の兵庫県立美術館で開かれています。
 展覧会は二部の構成で、中山の全体の仕事を概観する第一室と、特に神戸の街を写した作品を集中的に陳列する第二室とからなっています。
 活動の時期からいえばその二つは大半が重なっていて、都市神戸を撮った仕事(第二室)は生涯の無数の仕事(第一室)の一部に位置するわけですが、今回の企画でとても興味深いのは、作品がかもす雰囲気に第一室と第二室の間で微妙な違いが、むしろ見ようによってはきわだった違いがみられることです。
 全体の作品を概観する第一室の空気には、頂上でもあり絶壁でもある最終的な破局(カタストロフィー)へ向かって作家の精神が絶え間なく追い上げられていくような、そのようなキー(調、調子)の高さと緊張と不安があります。
 いっぽう作品を神戸に絞った第二室の空気には、作家の精神と都市の風景とが絶妙に釣り合っているような確かさと端正さと落ち着きがあるのです。
 魔がうごめく広大な陰画の森と、そして森の中の陽のあたる幸運な場所で美しく輝く陽画の果実を見るようです。
 モダニズムといわれる激動の時代を生きた写真家の複雑な精神の構造を垣間見る思いです。
 
 中山岩太は1895年(明治28年)に福岡県で生まれています。
 東京美術学校(現東京芸術大学)で写真を修めたあと、農商務省が派遣する研修生(海外実業練習生)としてアメリカに渡り、短期間ですがカリフォルニア大学で学んでいます。
 加大を終えたのちは1919年から足かけ6年をニューヨークで、その後の足かけ2年をパリで写真家として活動して、1927年(昭和2年)に帰国しました。
 帰国後はすぐに華族会館(東京)の写真師に迎えられ、いわば体制の中核部で仕事を保証されるわけですが、マン・レイらの前衛的な活動に親しく触れてきた写真家にとってそこはあまり居心地がよくなかったのかもしれません、翌々年(1929年、昭和4年)には早くも東京を脱出して芦屋にすまいを見つけています。
 仕事の中心も芦屋そして神戸へと移っていき、53歳の突然の死(1949年、昭和24年)までの20年間、この関西圏の新興都市から彼独得のモダンな感覚を全国へ発信することになるのです。


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《神戸風景(トンプソン商会)》1939年頃

 ところで、東京を体制の中枢都市ととらえるなら、当時その中枢から最も遠い大都市が神戸だったのではないでしょうか。
 大阪と京都の陰に隠れて体制の目配りの届きにくい非政治的な都市でしたし、なによりも海外との境界線に新興してきた辺境の非伝統的・非歴史的な、したがって(あくまでも相対的にいってのことではありますが)日本の諸都市のなかで最も自由な街でした。
 中山がその神戸と特段に関係を深めたのは1936年(昭和11年)、おりしも神戸大丸に写真室が新設されて、そこの責任者に招かれるという巡り合わせが重なったからでした。
 戦前の神戸は東京の100メートル先を走っていた―これは映画評論で一世を風靡した淀川長冶のことばですが、進取の気象に富んでいた神戸市の行政当局も中山の斬新な仕事に注目、観光課が彼にシリーズ「神戸風景」の撮影を委嘱します(1939年、昭和14年)。
 おそらく戦前神戸のコスモポリタンな感覚、よくいえばリベラルな感覚、悪くいえばアナーキーな感覚は、中山の感性にもフィットしたのでしょう、そうして神戸が最も神戸らしかったこの国際都市の典型期の光景が彼の目と彼のレンズで定着されることになったのでした。
 
 さて、第一室で中山の全体像を追いながら感じたこと、それは正直に心のなかをあかしますと、相反する二つの波動の微妙なもつれ合いでした。
 ひとつは、いくつかの作品に疑問の余地なく印されているめざましい成功への無条件の讃嘆です。
 そしてもうひとつは、かつては斬新に見えたに違いない手の込んだ試みが今は却って過剰な技巧に見えてしまう、その思いがけない喪失感、むしろ寂寥感でした。
 
 第一回国際広告写真展(1930年)で一等賞を獲得した「福助足袋」は、これはもう驚くべき作品です。
 日本の伝統的な衣装である足袋のどちらかというと古めかしいかたち、そして同じように日本の伝統的なシンボルである福助人形のどちらかというと紋切型のかたち、それらが逆に未来からの真新しいメッセージのかたちに脱皮してそこに現われているのです。
 時間と空間を一気に裏返してみせたような、つまり時間と空間を軽々と跳び越えたようなシュールな感覚の作品です。
 それも感動的なのは、単にヨーロッパのシュルレアリスムを持ち込んだという次元の作品ではないということです。
 日本の精神文化の根底にある「空(くう)」、すなわちぼくたちの世俗的な日常の言葉に翻訳すれば「間(ま)」、そのきわめて伝統的な「空白の感覚」を写真の隅々にまで押し広げて、遂に幻視のビジョンにまで突き進んでいるのです。
 「和」を極限にまで推し進めて「普遍」へ抜けるその感性には、デモーニッシュ(悪魔的)な力さえ想像させます。
 
 時空の超越、あるいは和から普遍へ、といえば、今展のポスターに採られている「長い髪の女」(1933年)もそうでしょう。
 ここでは、日本女性の象徴のような漆黒の髪の美人がモデルです。
 その彼女が、写真家・中山に凝視されているというその精神と肉体の緊張のまっただなかで、たぶんみずからはそうと意識しないまま稀有な輝きをハラリと見せた、その極限の一瞬をすかさずとらえているのです。
 重厚な陰翳のまっただなかで、女というものの存在の不思議、そして作家のみずみずしい感覚の、双方が際立ちます。
 
 このように極限の一瞬を鋭く切り取った作品、それは未来のどの時点で見直しても今ぼくたちが見ているのと全く同じみずみずしさで目に訴えてくるはずです。
 それこそ普遍の作品というものです。
 
 しかしそれとは反対に、「コンポジション(ヌードとガラス)」(1935年)や「冬眠」(1940年)や「創生」(1942年)など、ときには人体、ときには器物、ときには水生物、ときには昆虫を採り入れて構成された抽象色の強い一群の作品は、今の感覚でながめると、ある痛々しさが漂っているように感じられてなりません。
 そのときには冒険的な企てであったものが、軒並みに獰猛な時間の餌食になってしまった、今は激戦のあとのその廃墟がそこにあるように見えるのです。
 
 遺作となった「デモンの祭典」(1948年)は、異教的なダンスに没入しているような一組のヌードを軸に、海の巻貝などをそこに配した奇怪なコンポジションの作品です。
 たしかに鬼気迫るものがあるといえるでしょう。
 けれどその鬼気なるものは、残酷なことですが、枯渇した想像力をそれでもなお奮い立たせようと苦闘する、創造者の業(ごう)のような鬼気なのです。
 時間と空間を一気に超えるあのスリルと充足と幸福をもういちど得たいと渇望する写真家の焦燥が悲しいばかりに響くのです。
 
 とはいえ、ぼくたちはなにもそこでおじけづくことはありません。
 晴れやかな第二室で、お釣りがくるくらい、救いが待っていますから。

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《神戸風景(トアロード)》1939年頃

 都市神戸を見つめる中山の目、それは一転して婚礼の席で若妻の姿に見入る青年のまなざしを思わせます。
 いつもういういしいのです。
 大きな自信も漂います。
 この都市の神髄を取り出すのは、わたしのカメラをおいてない、とそう確信している自信です。
 そして神髄を取り出すとは、ほかの町では曖昧に散在して背景にまぎれてしまっているもの、しかしこの街では格別に凝縮して、だから前景におのずと立ち上がってくるもの、そのような際立った風景を渾身の力で握ることです。
 
 旧外国人居留地を撮った一連の「神戸風景(居留地)」(1939年頃)。
 そこでは、日本経済を牽引する有数の船会社が、先進建築家たちが設計した自信のビルを高密度で並べていた、まさしくそのような日本の近代化の中核ゾーンが鋭利に切り取られているのです。
 ビルの壁面を斜めに横切る光と影の精妙さ、そこに作家の繊細な感受性となみならない情熱があふれています。
 
 白亜の豪華客船を写した二枚の「神戸風景(エンプレス・オブ・ブリテン号)」(1937年頃)。
 巨大客船の圧倒的なボリュームが、ここではあえて船体のごく一部だけを大写しにするという大胆な構成で暗示されます。
 各国が国威をかけて建造した壮麗な汽船が次々と来航した国際港ならではの贅沢な撮り方です。
 そうしてこの日本文化の辺縁都市がその辺境性にもかかわらず海外の文明にほとんどじかに接しているまさしく先進都市にほかならなかった、その二重性と特異性をほとんど暴力的に示すのです。
 
 なかでも三宮駅のあの大きなガード下から、港のそれも空の方向へレンズを向けた「神戸風景」(年代不詳)は象徴的です。
 ここでの主人公はついに港都神戸の光です。
 税関のあたりはハレーションの炸裂のなかにあって、もう光のなかに埋もれています。
 いかにもこの都市では光は海からやってきて、それが街全体に満ちるのです。
 蛇足を許してもらえるなら、この作品の前でぼくが不意に思い出したのは、遠い昔に大阪で他界した祖母のことでした。
 夏が来ると国鉄の大阪駅から汽車に乗って須磨の海へ泳ぎにいくのが、祖母の一家のならわしでした。
 祖母のその思い出話をぼくは何度聞いたかしれませんが、そのたびに彼女はこんなふうに言ったのです。
   「神戸の街が近づいてきたら、もうワクワクしてたなあ。汽車が街へ入るやろ、そしたらあたりの空気が急にぱあっと明るうなる、違うとこへ来た、そう思う」
 
 むろん雨にうたれるわびしい街を、むしろいっそう深い情熱で撮っている(「神戸風景(雨)」 1939年頃)、それもこの写真家の心です。
 
 これは、じっさい、写真家の魂と都市の心の婚礼ではないでしょうか。
 
 ひとつの不幸とひとつの幸福が想定されます。
 
 ひとつの不幸というのは、絶えず新しいビジョンを求めないではいられない、その情熱の過剰さです。
 彼じしんも語っています。
 「私は美しいものが好きだ。運悪るく、美しいものに出逢わなかった時には、デッチあげてでも、美しいものを作りあげたい」
 写真の上で美しいものとは、むろん、それまでにだれも撮ったことのない新しいもの、あるいは新しい場所、あるいは新しい時間というのが必要条件になるでしょう。
 その美への彼の過剰な情熱は、いわばこの世界ならぬ、異域への熱病です。
 彼の心は鎮まることがありません。
 
 そしてひとつの幸福というのは、その異域への熱病が、この国の異域としてまさしく旬(しゅん)のきわみに向かっていた都市神戸と出遭ったことです。
 今日の神戸は、総体的に見て、もはや他の大都市と似たり寄ったりの一都市でしかありませんが、諸都市が確かな個性をもっていた戦前にあっては、なかでも群を抜いて独自性の強い都市でした。
 なにしろ幕末の外国人居留地を核に発展した都市なのです。
 日本のなかの異国、まごうかたなき異域でした。
 神戸を写すとき、中山にはなにもデッチあげる必要がなかったのです。
 
   行政当局から委嘱された仕事である以上、写真家にはとうぜん一定の自己抑制が求められていたでしょうが、今から振り返るとその制約も却って中山の作品に均衡と端正さを導き入れたように思われます。

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《長い髪の女》1933年

 ですが、締めくくりにあたっては、やはりこの異域神戸の底にあった不安定な都市精神にも触れておかねばならないでしょう。
   戦争へ向けて国家の権力が日に日に強化されていくなかにあって、神戸はもちまえのコスモポリタンな空気を内部に抱えて、そのはざまで内と外へ引き裂かれていくのです。
 その「引き裂かれ」は、日本人と外国人が混住する奇妙なホテルの戦時下の日々を活写した俳人・西東三鬼のドキュメントふう作品「神戸・続神戸」の悲喜劇に顕著です。
 
 そしてその「引き裂かれ」は、中山の心の葛藤ともパラレルです。
 彼は南満州鉄道の招待で1940年(昭和15年)に満州(現中国・東北)を訪問していますが、満州を写した作品は一枚も公にしていないといわれています。
 その年に残している作品は、なんと、今は鋭い痛みばかりが伝わってくるあの「冬眠」です。
 
 さて、異域神戸を中山が写した最後の写真は、すこぶる象徴的ですが、むしろ宿命的というべきものです。
 1945年(昭和20年)6月の空襲を背山のすその高台から撮ったものです。
 黒煙をあげてモダン神戸が燃えています。
 上空の逆光の中に機影があります。
 もうここには美しい被写体を選択する余裕も美しい構成を考える余裕もありません。
 ひたすら高台へ逃げ登って、まだ信じられない思いのまま、機械的に、炎上する神戸に向けてシャッターを切った、そのあわただしさが全体を覆っています。
 
 こうして「引き裂かれ」に苦闘した二つの精神にとつぜん終止符が打たれました。
 
 炎のなかへ異域神戸が消えました。
 中山も酒に体を蝕まれてその四年後に他界します。
 写真家・中山岩太(なかやま・いわた)の仕事を二つのフォーカスで展望する展覧会「写真家 中山岩太『私は美しいものが好きだ。』 レトロ・モダン 神戸」が2010年4月17日から5月30日まで神戸・脇浜の兵庫県立美術館で開かれた。
 第一部は「甦る中山岩太―モダニズムの光と影」と題して、ここでは2008年に東京都写真美術館で企画された中山岩太展を再現、初期から遺作までの作品と資料合わせて150点を紹介した。
 第二部「レトロ・モダン 神戸―中山岩太たちが遺した戦前の神戸」は、兵庫県立美術館のオリジナル企画で、中山の写真を中心に、洋画家・小磯良平、版画家・川西英ら他ジャンルの作家たちの作品も動員して、神戸が最も神戸らしかった戦前の都市風景を再構成した。
 神戸に住むものにとって刺激的だったのはやはり第二部で、そこでは空襲によってこの地上から永遠に蒸発してしまったモダン神戸が、現在の市民の想像をはるかに超えて日本の「異域」であったことが強烈に印象づけられた。
 日本の伝統風土からみればむしろ蜃気楼のような竹中郁の透明な詩作品や稲垣足穂の幻視的な短編小説を生んだ土壌が、少々逆説的な言い方になるのだが、強い「現実感・リアリティー」をもって迫ってきた。
 都市という場が、単に鉄とガラスとコンクリートと木の構造体にとどまらず、それ自体がひとつの深い精神でもあることを如実にあかす、そのような稀有な展覧会になったともいえるだろう。
 主催は兵庫県立美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会。
2010.5.13
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Cahier

 10076 三沢かずこ展    青の乱
 青。
 さまざまなイメージを喚起する色である。
 宇宙から見た地球の色。地球で見る海の色。空の色。あるいはイエスを抱いたマリアの色。東大寺二月堂に幻影となって現われた不可思議な女人の色…。
 とりわけ天体では月のシンボルになっている。
 気高さと明るさと、それから静けさ。
 なかんずく、深い静けさ。
 三沢かずこがひたすらに描く青もそのような青だった。
 …だった、八年前までは。
 だが、2010年3月。
 神戸で再会した彼女の青は、動乱のなかにあった。
 沸騰。躍動。炸裂。
 あの青がこんな動きを始めるとは。
 個展「NATURE」。
 
 カンヴァス全体に広がる青、どこまでも深い青、そしてそこに溶け込むように配されるいくつかの繊細で小さなモチーフ。
 それが三沢かずこのスタイルだった。
 そう、かつては。
 青も音楽なら、きわめてデリケートなそのモチーフも音楽だった。
 コンチェルト・オン・ブルー。
 大空と、そこでひらひらと閃く蝶のような。
 海洋と、そこを漂う色鮮やかなヨットのような。
 宇宙と、そこを渡るほの明るい星雲のような。
 
 八年前の神戸での個展のあと、むしろヨーロッパの都市での展覧会が多くなったが、そこで評価されたのもその深さと繊細さであった。
 東洋のブルー。
 東洋の神秘。
 東洋の静けさ。
 もちろん彼女にもその明快な評価は快かった。
 日本への憧憬にこたえようと努めてきた。
 
   だから神戸の美術ファンは、たぶん今回の展覧会(2010年3月6日〜17日、ギャラリー島田)でもそのような繊細で精緻な世界に出遭えるものと思っていた。
 完璧に完成を遂げた青の世界。
 洗練がさらに進められたことだろう。
 その進化と深化に第一の関心があったのだ。
 裏を返せば、あそこまで突き詰められたあの世界にあれを根底から揺るがすほどの激動はもうないだろうと、暗にそう信じられていたということでもあるのだが。
 
 だが、違った。
 驚いたことに、静謐な青は消えていた。
 青がたぎっていたのである。
 ぐいっと立ち上がってくる青があった。
 たとえば作品「光」がそうだった。
 とめどなく降り注ぐ青があった。
 たとえば作品「恵み」がそうだった。
 激しく揺れ動く青があった。
 たとえば作品「響き」がそうだった。
 強く弾き合う青があった。
 たとえば作品「遊ぶ」がそうだった。
 
 青が変動を始めていた。
 青の乱…。
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「空」
 「ちょうどヨーロッパでの展覧会がひと区切りするのに併せて、故郷の松本市(長野県)から個展のお誘いを受けたのです。思いがけないことでした。個展は去年の春に市立の信州新町美術館で開いてくださいましたが、実はそれが転機になったのです」
 思いがけなくも扉が外からこじあけられた、といえなくもない。
 ことはむしろ物理的に始まって、それが精神を大きく動かすことになる。
 
 美術館の大きな壁面を作品で埋めるとなると、やはり100号クラスの大作がそこそこ必要になってくる。
 量が質に転位する微妙な臨界点が美術には必ずある。
 ヨーロッパでの展示では、搬送の制約もあって、比較的小さな作品が主体であった。
 もちろん欧州諸都市のギャラリーも流通に乗りやすい小品を喜んだ。
 制作の呼吸もいつしかそれになじんでいた。
 
 だが。
 「物理的に大きなキャンバスに向かうということ、それは物理的に絵を拡大すればいいというようなことではないのですね。構成にしても形態にしても色彩にしても、いままでの方法では納得しきれないものが次々あらわれてくるのです。もう体全体で、心全体でぶつかっていかないと解決できない」
 端正さを貫いてきた画家が、なりふりかまっていられなくなったというべきか。
 待っていたのは青の戦場だったのだ、肉体の、そしてそれ以上に精神の。
 そうして仕上げられた100号の大作は十数点。
 展覧会場には青のエネルギーが渦巻いた。
 氾濫した。
 
 「気がつくと、じぶんをもっと出していいのではないか、とそんな気もちに変わっている私が私の絵の前にいたのです」
 
 1950年の生まれである。
 中学校を卒業する15歳までの多感な時期を長野で過ごした。
 「私の青は、信州の青なのです」
 そして再びいま、故郷が青の新しい方向を指し示したようである。
 いのち漲る青…。
 
 信州の青が、白の神戸でまたいちだんと映え始めた。
 
 ちなみに青は、月と同時に太陽系最大の惑星・木星を示す色でもある。
 木星は発展と豊饒と、そしてより大きな幸運のシンボルだといわれている。
 
  2010.3.23 Tadakatsu Yamamoto


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KOBECAT 0058
2009.12.12〜2010.3.14 兵庫県立美術館
山本六三展  幻想とエロス

――なんと、高貴な、みだらさ――
■山本 忠勝


へささげられてきた男の愛、それはあるいはひとつの深い断念をへて、その諦めの上で推し進められてきたのではなかったか、とそう思う。
 山本六三(むつみ)が描いた妖しい女たちの前に立つと、あらためてそのように、むしろ思い知らされる。
 描かれているのは、まさしくエロスの結晶のような女である。
 内から光を放っているような純粋なエロスの雫。
 このような、ほとんど透明に近い女たちはこの地球の大地の上ではまず見つかりようがない。
 現実の女たちは生きているかぎり、多かれ少なかれみな生活という濁りをまとっているからだ。
 その濁りを受け入れて、つまり純粋さを放棄して、はじめてこの地上の愛は起動する。
 遠い昔に滅びてしまったプラトンのイデア(形相)のように、いつの時代にも断念されざるをえなかった透明な愛。
 あるいは、断念されたがゆえに、いつまでも輝かしい美の結晶…。
 異端の画家の、公立美術館での初めての展覧会が兵庫県立美術館で開かれた。
 
 9年前(2001年)に61歳で他界した画家である。
 神戸に生まれ、20代の終わりのわずかな期間を東京で過ごしたほかは、ずっと神戸で制作して、神戸で死んだ。
 しかしその神戸でも、市民に広く知られたというような画家ではない。
 開放的である反面、凡庸なものと特異なものとを嗅ぎわける嗅覚がいささか脆弱なこの都市の性向とは微妙にずれるところもあったようだ。
 だが、何をしても他者を害さなければするにまかせるこの都市の自由な空気は、悪魔の仕事のようなその芸術には好ましい環境だったはずである。
 山本が孤高を貫いたのは、というよりむしろ孤高を貫くことができたのは、おそらく彼じしんの鋭敏な感性と都市神戸の凡俗な感性の、二重の要因のゆえである。
 彼は多くの市民にとって謎の画家として静かに生き、そして謎の画家のまま静かに消えた。
 
 だから多くの市民にとってこの展覧会の第一の意義は、10代の後半に始まるこの画家の制作の遍歴をはじめて作品に沿って見渡せたことである。
 山本は遅ればせながらようやく神戸に発見された。
 
 市立神港高校の美術部時代に描かれた17歳の「自画像」(1957年)はすでに予言的である。
 早熟な青年の坊主頭が、はやくも彼を押し潰そうとする大きな力とそれに対する彼の巧みな防御姿勢とをほのめかす。
 丸刈りを一律に強制していた教育界の力への、おそろしく静かな従順、むしろ過剰に物分かりのいい従順、つまり青年の完璧な演技を示している。
 それほどにうつくしく、それほどにかなしく熟した頭のかたちなのである。
 そして、その目。
 世界を突き放し、世界を相対化し、そのように世界の根幹を絶え間なく崩しながら、すでに終末を見据えているまなざしがそこにある。
 17歳にして、この末期の目。
 鎖骨が浮き出た裸の胸は、彼が鏡の前で全裸なのを想像させるが、そこには濃厚な自己愛の匂いもある。
 孤独な青年のアニマの谷からたちのぼってくる芳醇なエロスの香。


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「眼球」(G.バタイユ『眼球譚』飾画)1973年 個人蔵

 劇的な転換が30歳(1970年)を迎えるころに訪れる。
 たぶんそのころ、彼の目が、すなわち彼の眼球が、反転した。
 絵そのものに「眼球」が登場してくるのは、象徴的というよりも、むしろ皮肉なことである。
 内部の変化をあまりにもダイレクトに示す外部の変化は、根源的な内奥の屈折を却って伝えないおそれがある。
 俊敏な精神にこそ起こる出来事なのに、その深度を浅く見積もられてしまうのだ。
 解釈の手間が省けるぶん、暗示の深さも半減する。
 
 20代の山本はあきらかに、世間から「画家」と呼ばれる、そういうものになろうとしていた。
 イーゼルの前ですこし窮屈に身構えた。
 洗濯にいそしむ女を描いた「一日が始まる」、漁船とおぼしき難破船をテーマにした「壊れた船」、そして水遊びの群像をとらえたタイトルのない浜辺の絵、それら1960年ころの油彩には、ことさらにエキセントリックなモチーフが登場する。
 洗濯桶や砂浜など、それら主要な道具立ての思いがけないところから黒い腕が空に向かって突き出される。
 まぎれもなく鬱屈した精神の表出だ。
 画家として世界(世間)へひとつの物語を差し出そうと身構えていたのである。
 むろん彼の孤独を投影して、そこに差し出されようとしていたのは、あくまでもそこには無いものの物語、解体したものの物語、不在のものの物語、陰のものの物語だが…。
 
 だがとつぜん世間へ語りかけることを断念する。
 その理由はわからない。
 しかし方法の変化がきっちりとそれに並行して進行する。
 にわかに銅版画を始めることを決心して(1965年、25歳)、この新しいメソドへ移っていくことで、彼じしんも新しい何者かに移行した。
 物語は全面的に解体され、眼球、臓器、三角錐、球体、標的、解剖された肉体、骸骨…、そういった個物がランダムに現われる。
 油彩の饒舌な線に代わって、エッチングの寡黙な線が刻まれる。
 油彩の時代とは比較にならないくらい鋭敏で繊細で、しかも堅牢な線である。
 外へ閉じることで、内側が深く覗かれる。
 
 おそらくみずから目をつぶしたオイディプスのあの未曽有の転回。
 それが、眼球の反転に共通する意味である。
 
 だから、運命的といっていいくらい劇的にやがてバタイユの「眼球譚」と出遭うことになるというのは、あまりにも出来すぎた話にみえる。
 しかし、その出来すぎた話が現実に起こるのだから、世界は時にいぜんとして怪異である。
 バタイユの訳者であるフランス文学者・生田耕作の要請で「初稿 眼球譚」に挿画を制作(1977年)することになるのである。
 眼球と眼球の遭遇。
 まるで招き合ったかのように。
 そしてこの幾何学と解剖学が結合したような精緻で官能的な一連の作品が、山本の代表的な仕事となる。
 いらい、幻想、象徴、神秘、夜…、それら特異な美空間を愛するひとびとの間で彼の名が深く知られることになる。
 
 併せてひとつの洪水がこの時期に出来(しゅったい)する。
 いっそう公然たるエロティシズムの奔流。
 いや、一作一作に精魂を注入する寡作の作家に洪水や奔流といった言いかたは却って失礼かもしれない。
 …湧出。
 美の泉の湧出。
 むろんバタイユのエロティシズムとの衝撃的な交錯が契機となったはずである。
 だが同時にそれは山本の本性の開花である。
 本性というような曖昧な言い回しが気になるなら、彼がわれわれの深層から持ち出すように宿命づけられた採鉱物といってもいい。
 もっともこのばあい宿命とは、みずからの立つ場所をまっすぐに、能動的に、苦闘を覚悟で掘り下げることである。
 生まれるときに星から授けられた受動的な道程のことではない。
 彼が彼の泉を掘り当てた。
 
 断片に解体していたものたちが集結する。
 そこに女たちの姿がくっきりと現われる。
 しかしむろん古い物語が蒸し返されるわけではない。
 以前の彼の物語では、女たちはこの世界の家の中で、この世界の波打ち際で、つまりこの世界の世俗的な空間と時間のなかで描かれたが、この新しい女たちの地平には、あるいはこの女たちの閨房にはもはやそういう意味での現実の空間と時間がない。
 一日を洗濯で始める女は追い払われ、代わって、この世界の始原から終末までただ愛にひたりつづける女たちだけがここにいる。
 だからむろん年齢も定かでない。
 少女のようい若々しいが、しかしその透明な肌に透け見える精神は、宇宙をとうに知り尽くした何億歳かの魔女のように老獪だ。
 
 しばしば放恣な姿態で戯れ合う。
 みだらさこそが生きるあかしであるかのように戯れ合う。
 美術館は、気むずかしいひとびとから苦言が出るのを気づかって、わざわざ会場の入り口に、エロティックな作品が中にある旨、おかしいくらいまじめな断り書きを掲示した(神戸の市民は芸術上のエロティシズムには寛容だが、確かに来館者は他の都市からもやってくる)。
 だが、なんと清潔な、このみだらさ…。
 
 もともと誠実な修練なしでは描き出せないエッチングの線である。
 その技法の禁欲性がエロティシズムの品位を守っていることも確かである。
 だがその品位を強固にするのは、あくまでも創造(制作)にかける作家じしんの倫理性だ。
 
 自己が立つ場所への忠誠、そして創造(制作)の倫理への忠誠。
 それら二つの忠誠が、みだらさを清潔に、そして高貴に描き切る。

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「スフィンクス」1984年 個人蔵

 40代(1980年代)に大挙して戻ってきた油彩の世界は豊麗にして豪華である。
 「無軌道な娘達T」(1982年)、「スフィンクス」(1984年)、「竪琴 オルフェウスに捧げるレクイエム」(1987年)、「イカロスの夢」(1989年)、「猫と裸婦」(1991年)、「夜の帳を持つ天使」(1993年)…。
 ひとつの決意が読み取れる。
 神話を描くこと、歴史を描くこと、それが画家の最高の仕事であったヨーロッパの古典主義の時代(より厳密にいうならばおそらく18世紀に始まる新古典主義時代)、そこを死までのすみかとすることだ。
 画家は最初たぶん20世紀の表現主義に近い圏域から出発したが、そこから19世紀の象徴主義へ遡行し、さらには18世紀の古典主義の復活期にまでさかのぼって、とうとうそこに自己の創造の部屋を見いだすことになったのだ。
 現代美術の喧騒からの完全な離脱である。
 時間も空間も超越した世界への移住である。
 むしろ再びプラトン的イデアの招来。
 そしてイデアの世界とは、永遠に不動の、完璧な、もはや進歩も退歩もない、究極の世界のことである。
 山本はもう変わらない。
 変わる必要がないのである。
 
 女たちは永遠の姿で現われた。
 いまや作家を超えてさえ生き延びることになるだろう。
 無限へ。
 
 だが山本に生み出された女たちは、彼が亡い今も作家の魂にけなげに忠実なのである。
 ここにいる娘たちは、わたしたちにはヨーロッパ出自の女に見える。
 だが、ヨーロッパのひとびとには、東洋的な匂いが濃厚に感じられるはずである。
 無国籍の娘たち…(そういう意味では、この画家が無国籍都市・神戸に生い立ったそのことに、強い蓋然性があるかもしれない)。
 そして、現代において普遍とは、結局のところ無国籍であることだ。
 
 おそらくこの地上の男たちのなにがしかは(さしあたっては独身の男たちに限られるかもしれないが) ごく近い将来に、一個のガラスの棺桶を自室に置くことになるだろう。
 白雪姫が横たわっていたあれと同じような中の透けた柩である。
 ただ、その21世紀の柩にはコンピューターが付いていて、キーとマウスの随意の操作で、ガラスの中に立体(3D)の女が浮き上がる。
 男は夜ごとそこに少しずつ電子的な修正を加えていき、その深夜の儀式に惜しみなく時間を注いで、ついに彼の理想の女をつくるのだ。
 彼はそうしてほんとうに愛せる完璧な女をひとり、この地上に降ろすのだ。
 
 山本六三の晩年(50代にしてもう晩年!)の執拗な制作には、そんな未来の錬金術を先取りした秘儀的な匂いもある。
 
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山本六三展プログラム

 さて、男の愛が女への諦念の上にあるなら、その男への女の愛はどうだろう。
 それは間違いなく対称的な構造であるはずだ。
 女もまたひとつの深い断念をへて、男を愛してきたのである。
 山本の絵はそのことも明快に告知する。
 
 山本が描く娘たちには、こんりんざい世俗的な男の愛は似合わない。
 究極の官能に浸りながらも、その戯れには男との性愛の異臭がない。
 相手はほとんどの場合、同じように透明な娘であり、合わせ鏡のようなそのカプルの姿こそ、じっさい、彼女たちにはふさわしい。
 
 しかし、ときおり男が彼女たちにふさわしい姿で登場する例外的なシーンがある。
 その男は、たしかにこの世のものならず高貴で、深く、美しい。
 死神、もしくは、死すべき宿命の男である。
 イカロス、ペレアス、オルフェウス…。
 
 これら不吉なエピソードは、このみだらな女たちの隠されたもう一つの側面を暗示する。
 しかり、この永遠の女たちは、実は、いつも死の瀬戸際にいるのである。
 はなばなしく生きるものの、深刻で、デモーニッシュなアイロニー。
 「山本六三展―幻想とエロス」は2009年12月2日から2010年3月14日まで神戸市中央区脇浜海岸通1の兵庫県立美術館で開かれた。
 1940年から2001年至る山本の61年の生涯のうち、1957年から1996年までの仕事を4期に分けて構成、そこで油彩、銅版、デッサンなど92点の作品のほか、書籍なども展示された。
 山本は濃厚なエロスの香を放つ異端の画家と目されて、公立の美術館で展覧会が実現するなど恐らく山本じしんさえ夢にも思わなかったことである。
 それだけに美術に関心を持つひとびとには大きな驚きの企画となった。
 国公立美術館における性のタブーはすでに1991年の春に京都国立博物館で開かれた「うきよ絵名品展」によって象徴的に破られているが、山本の作品には倒錯の魅惑といった不穏な要素もあるだけに、兵庫県立美術館としては大きな踏み込みであったはずだ。
 芸術への勇気に喝采をおくりたい。
 神戸に生まれ、神戸で制作を続けた画家だったにもかかわらず、神戸のギャラリーで彼の本格的な個展が開かれたことはついになかった。
 異端の芸術家の再評価へ地元の公立美術館がみずからのイニシアティブで先鞭をつけた、その意味でもエポックを画する展覧会となった。
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スパンアートギャラリー刊「山本六三展−聖なるエロス」から
2010.2.28
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KOBECAT 0057
2009.12.19 神戸文化ホール
貞松・浜田バレエ団「くるみ割り人形」'09





――「カオス」と「秩序」のドラマ――
■山本 忠勝


松・浜田バレエ団のエトワールたちは素晴らしくくっきりとした輝きをそれぞれにそなえている。
 瀬島五月が万能の魔力を放射するスペードのエースなら、上村未香は端正で清楚なクローバのエースである。
 正木志保が輝くダイヤのエースなら、新しく抜擢された安原梨乃は豊麗なハートのエースといえるだろう。
 2009年のクリスマス・プログラム「くるみ割り人形」は、二日にわたるダブルキャストのステージで、ヒロイン(少女クララ)はダイヤ(第一日)とハート(第二日)に任された。
 そのダイヤのほうの舞台を見た(2009年12月19日 神戸文化ホール)。


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撮影:田中聡(テス大阪)

 演出が浜田蓉子、そして全体の振り付けが貞松正一郎と長尾良子のふたりである。
 クララ(正木志保)や王子(武藤天華)やドロッセルマイヤー(川村康二)ら舞台の顔を語る前に、まず裏の柱を紹介しておきたいと思ったのには理由がある。
 ダンサーひとりひとりのきらめきもさることながら、二幕八景の全場を通して舞台全体を貫く骨格、つまりバレエづくりの背後の思想、もっといえば裏に置かれた哲学が、物語の場面々々に強力に浮かび上がってきたからだ。
 裏に一貫した意志が読めた。
 その一貫した意志が表にあらわれる個々のシーンを洗練へ導いた。
 
 結論から先にいえば、対極的な二つの相が相俟って、緊張に満ちた構造を常につくっていたということだ。
 まず、ひとつの相は「カオス」(混沌)である。
 そして、もうひとつ相は「秩序」である。
 いっけん矛盾するかに見える二つの流れが、対峙し、均衡し、統合され、最後には調和のビジョン、さらには浄化のビジョンへと上昇した。
 
 たとえば第一幕第二景、客でにぎわうシュタールバウム家の広間の場。
 少年や少女たちのいきいきとした遊びがある。
 大人たちを少々手こずらせるワルサもある。
 その大人たちにも自由な気分の交わりがある。
 気の置けない会話があり笑いがある。
 広間を満たすのはクリスマス・イヴを祝う明るいカオスの相である。
 だがいつしか大人も子供もきれいな列を整えて、気がついたらユニゾンの踊りが繰り広げられているのである。
 きれいな同心円のダンスの輪が広間の隅々にまで広がっていくのである。
 カオスから華麗な輪舞の秩序が現われる。
 
 たとえば第一幕第三景、敵味方入り乱れて戦うねずみの王の襲撃の場。
 いうまでもなく戦場はカオスである。
 カオスそのものなのである。
 砲弾が飛ぶ。
 剣がきらめく。
 カオスをいっそうカオスたらしめるかのように闘いのさなかにお化粧なおしに没頭するねずみの貴婦人たちまで登場する。
 だが、そのドタバタのまっただなかで、むしろまっただなかであればこそ、つつましいはずのクララが思いがけない蛮勇を発揮して、ねずみの王を打ち負かし(まあ、わたしとしたことが、…スリッパで王様の頭をぶつなんて)、それで王子への魔法が解けるのだ。
 喧騒のなかからクララと王子の最初の美しいデュエットが生まれてくる。
 愛、調和(秩序)、そして合一、その三つを象徴するダンスである。

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撮影:田中聡(テス大阪)

 たとえば第一幕第五景、このバレエ団の珠玉の見せ場でもある雪片のワルツの場。
 まったく奇蹟的なシーンである。
 奇蹟的というのは、カオスと秩序(調和)が、この白一色の幻想世界で、ついに同時並行で進行していくからである。
 象徴的にも対立するものが緊密に組み合わされて進行する。
 舞台いっぱいに展開するのは猛烈な吹雪である。
 総勢二十四人、雪の精たちが恐ろしい速さで舞い踊る。
 プレスト!
 危険なほどのプレスト!
 まさに雪の乱舞のように、疾走するダンサーたちの隊列を、もうひとつの疾走するダンサーたちの隊列がすりぬける。
 それは、実際、一秒の何分の一かのきわどさで交差する。
 デス・クロス…。
 最大級の緊張を維持しなければ、ほんとうに大きなケガにつながるだろう。
 カオスの極限、それが極限の秩序によってささえられているのである。
 カオスと秩序が均衡する夢のようなエレガンス…。
 
 おわかりだろう。
 まず舞台全体に揺れ動くようなカオスの相があらわれる。
 そしてカオスのあとには決まって完璧な、澄んだ秩序があらわれる。
 しかもついにはカオスと秩序が同じ時間のなかで共鳴する。
 至高のソナタ形式で構成された大交響楽を「見る」ようだ。
 もっとひらたく言うならば、鋭角的な美しい“メリハリ”が貫徹されていたということだ。
 そのメリハリが個別の場面のあらゆる細部を洗練させた。

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撮影:岡村昌夫(テス大阪)

 では、この躍動的なカオスの相は結局のところ何をあらわしているのだろう。
 ハーモニーに満ちた秩序の相は何をあらわしているのだろう。
 その謎を問うことは、カオスと秩序の規則的な交替、場合によっては奇蹟的な統合に、わたしたちの心がなぜこんなにも震えるのか、それを振り返ることである。
 じっさい、わたしたちは場面のドラマティックな転換に酔いしれた。
 ドキドキした。
 たぶん、カオスの大きな躍動感がわたしたちの生命の沸騰と呼応し合ったからである。
 秩序の高い澄明度が、わたしたちの精神の屹立、すなわち魂の輝きと呼応し合ったからである。
 
 貞松・浜田バレエ団の「くるみ割り人形」は、いまや命と魂の物語になったのだ。
 
 正木志保のクララと武藤天華の王子とが称賛に値する最も大きな理由もまた、したがって、ふたりが命の躍動と精神の輝きを見事に体現したからにほかならない。
 正木志保の、あのよろこびのダンス。
 彼女は全身から命の光を放つのだ。
 武藤天華の、あのいつくしみのダンス。
 彼は端正な精神の花になる。
 光と花は大地の硬い秩序に裂け目を入れるひとときのカオスだが、それによって大地はまたさらに豊かな秩序へと更新されていくのである。
 永遠に上昇する。
 
 そして、ふたりの最後のグラン・パ・ド・ドゥ。
 ハープの絶妙な導入で始まるアダージョにゆったりと乗ったふたりのダンスは、やがてチェロののびやかな歓喜の主題で高揚へと向かっていく。
 特筆すべきは、その踊りがいまや高貴な浄化の気分に満ちているということだ。
 別れが刻々と迫っている、その寂しい予感が哀しくも大きく膨らんでいくなかで、混じりけのない愛の形がますます気高く現われる。
 純粋な愛が世界を浄化するのである。
 
 わたしたちの心と体に、濁りのない哀しみと濁りのない喜びが残される。
 
 わたしたちはそうしてその夜、大いなるものと遭遇した。
 どんなプレゼントをも凌駕する魂の贈り物。
 貞松・浜田バレエ団の「くるみ割り人形」2009年公演は12月19日と20日に神戸文化ホールで上演された。一日目はクララに正木志保、王子に武藤天華、ドロッセルマイヤーに川村康二。二日目は(同順に)、安原梨乃、弓場亮太、貞松正一郎。ねずみの王は両日とも玉那覇雄介。
 演奏は御法川雄矢指揮のロイヤルメトロポリタン管弦楽団。1980年生まれのまだ若い指揮者だが、細部にまで心を注入した緻密・繊細そして膨らみの豊かな演奏で、陰翳の深い音楽をつくった。音楽監督・堤俊介氏の薫陶もあってか、ダンサーたちへの思い遣りも厚い。観客たちからの称賛はいちだんと大きな拍手であかされた。
 その他のスタッフ:芸術監督 貞松融/合唱 ムジカ・ヴィーヴァ/振付 高瀬浩幸(ゼリー)、秋定信哉(クッキー)、川村康二(エスパーダ)、松良緑(円舞曲)/指導 松良緑、堀部富子、小西康子、上村未香、松良朋子、堤悠輔/照明 柳原常夫、加藤美奈子、ライティング・セブン/美術 湊謙一、三島由美子、日野早苗、日本ステージ、金井舞台/舞台監督 坪崎和司/同補佐 今田満和/衣装 工房いーち、鈴木恵以子、原田すみ子、中江三従子、木下正子、チャコット、石田コスチューム/アナウンス ローズマリー/手話 平井圭子/写真 岡村昌夫、古都栄二、李亜衣、大宝智子(以上テス大阪)/プログラム 殿井博/主催 同バレエ団と神戸市民文化振興財団ならびに神戸文化ホール。

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撮影:文元克香(テス大阪)

2010.1.17
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KOBECAT 0056
2009.11.17〜29 京都・GALLERY ARTISLONG
鎌田祥平展

――流動化する仏像――
■山本 忠勝


物屋や雑貨屋や大衆食堂や…、昭和の雰囲気を濃厚に残す京都は三条会商店街の長い長いアーケードを東から入ったところにGALLERY ARTISLONG(ギャラリーアーティスロング)はあります。
 買い物客の雑踏を離れてドアを開けると、いきなりそこは静謐な異空間。
 驚いたことに、しっとりとした小さな庭が奧に見える画廊です。
 足元の床にまぶしいばかりに白く輝く石膏のかたまりがありました。
 石膏のかたまりは奧の庭へ向かって点々と並べられていますから、すぐに飛び石のイメージだとわかります。
 もちろんもう作品が始まっているのです。
 新進彫刻家・鎌田祥平さんの個展です(2009年11月17日〜29日)。
 
 蛇行しながら奧へ進む飛び石の河。
 その河に寄り添う丘のように、これも石膏の大きな像が三体あります。
 まずビーナスの半身像。
 そしてアポロン、それからヘルメスの胸像です。
 
 どれもどこかで一度は見た記憶のある典型的な古代ギリシャの神像です。
 おそらくは美術商の店の中で、美術クラブの部室の中で、美術全集の写真の中で…、アポロンはひょっとしたら高校か中学で習った歴史の教科書に載っていたかもしれません。
 ですが、なにかが、どうも、違います。
 どうも全体の雰囲気がしっくりとしないのです。
 どこがどう違うか、はっきりとは判別できないでいるのですが、心のかなり下層のほうで、違うぞ、やばいぞ、警戒を怠るな、とわめくものがあるのです。
 
 あっ、と思わず声をあげたのは、そこにいた鎌田さんじしんからひとこと聞いたときのことでした。
 「ヘルメスの頭のこの髪の形、この前髪のところは仏像のらほつ (螺髪)の形にしています」
 見れば、なるほどひたいに近いその部分は、髪の毛をひとつまみずつカタツムリのようにくるくると巻いたあの如来の髪型なのでした。
   
 解けてきました。
 ビーナスの半身像も、ここではその明るい眉間に仏の象徴である白毫(びゃくごう=白い毛)がありました。
 アポロンの胸像も、顔の右の半分はかっと見開いた大きな目で、いかにも太陽の苛烈な輝きなのですが、反対側の半分は如来が瞑想に耽っているような半眼で、むしろ月の静けさです。
 地中海の堂々とした神々に、アジアの柔和な仏たちの相貌が持ち込まれているのです。

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撮影:編集部
 融合、あるいは、溶融、とそういえばいいでしょうか。
 ビーナスと、あるいは、諸仏のなかできわだって女性性を豊かに放つ観音菩薩との溶融…?
 アポロンと、あるいは、宇宙の中心で深い思考を続けている大日如来(毘盧遮那仏)との溶融…?
 ヘルメスと、あるいは、魂を浄土へ運ぶ阿弥陀如来との溶融…?(研究者の間ではヘルメスは毘沙門天との縁戚がおもに語られはしますけど)
 
 しかし考えれば、なんと長大な精神の遍歴がこの融合あるいは溶融に透けて見えることでしょう。
 いかにも古代ギリシャの彫刻こそが、われらが仏たちの彫像のはるかな故郷だったのです。
 地中海に生まれた神像がやがてガンダーラ地方(アフガニスタン東部〜パキスタン北西部)へ伝わると、そこに住む仏教徒たちのインスピレーションを掻き立てます。
 これまでは虚空に形なく立っていた仏の姿に、石の形あるいは粘土の形が与えられることになったのです。
 仏像の誕生です。
 ガンダーラのひとびとの目と手とそして心のなかに大きな革命が起こったと、そう言ってもいいでしょう。
 およそ二千年前のことでした。
 
 となれば、いささか荒っぽい言いかたにはなりますが、つまりは、今回のこの展覧会の全体の光景は、こんな具合いにつづめて言っても、大目に見ていただけるのではないでしょうか。
 古代の地中海から流れ出た神々の形象が、アジアの仏教のうねりのなかで仏像の形へと転化され、独自の姿を形成し、深化させ、成熟させ、そうして21世紀を迎えたいま、その地中海の神の形とアジアの仏の形とがここで再会している、と。
 まさしくシルクロードの東の果て、アジアの東端のこの京都で。
 
 京都。
 特別な意味をもっている都市なのです。
 ほかでもありません、仏像が洗練の度を究極にまで推し進めた最終の都市という意味です。
 
 ガンダーラから歩み出した仏像は中国へ、そして朝鮮半島へと東進して、そこから日本海を渡って、奈良(平城京)へ、それから京都(平安京)へとやってきたのはもう周知のことですが、その長大な旅の間に仏像はただ場所を変えただけではありません。
 その相貌に微妙な変化が現われます。
 微妙、というより、もっと強く劇的な変化というべきかもしれません。
 じっさい、ガンダーラの仏、中国の仏、朝鮮半島の仏、そして奈良、京都の仏を同じ平面で眺められる今となっては、むしろ劇的と言いたい衝動がまさります。
 最終地の京都において、仏像がとうとう究極の空(くう)の相に達したように、そのように感じられるからなのです。
 
 もちろんわたしたちがひとつの民族に属するという、その文化的なバイアスがかかった眼でのことですが、削ぎ落とすことができるものはぜんぶ落とされ、いまやそこに在りながら、そこに無い存在になったように見えるのです。
 純粋に超越的な形象になったように見えるのです。
 
 平安期の仏像が醸し出すあの静けさ、あの明るさ、あの穏やかさ。
 醍醐寺の薬師仏、三千院の阿弥陀仏…。
 
 菩提樹の木だけを描いて、その樹下に仏の姿を心で眺め、あるいは仏の足跡を岩に刻んで、その岩上に仏の姿を心で見上げた、すなわちあの透明な信仰の原初の形へ再び近づいたようにも見えるのです。
 原始のビジョンへの回帰。
 
 精神の、この不思議な永劫回帰。
 
 すなわちこのさき仏像の上に再び何かが起こるとすれば、この京都こそそれが起こるのに最もふさわしい場所でもあるというわけです。

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 さて、仏像をモチーフにした現代美術の作品は、これまでおよそ二つの方向で進められてきたように受け取れます。
 古くからの民族的な信仰にのっとって、仏像を神聖なもの、不可侵のものとして全肯定で受け止める、その道がひとつ。
 逆に仏像を科学の時代・理性の時代の時代遅れの偶像として、揶揄的ないしは否定的に描き出す、それがひとつ。
 肯定、そうでなければ揶揄もしくは否定です。
 
 ですが注意すべきは、仏像を外側から表現してきたという点で、このふたつの道が結局は共通の立場にあった、そのことです。
 そこにはたぶん、仏像がすでに完璧な形象に達していて、だからもう変化を与える余地なんか全くなくて、したがって芸術制作のモチーフに採り上げるにも外側から扱うしか手がないと、そういう思い込みが強く働いているように思えます。
 すでに閉じたものとしてまるごと描くしかないという、強い先入観があるのです。
 もう少し挑発的にいうならば、裏口からいつしか禁忌(タブー)が忍び込んでいたのです。
 芸術の表現はほんらい完全な自由の上にあるはずのものですが、こと仏像に関しては、形を変えることへの罪の意識がちょうど裏張りのように意識の裏に張り付いているというわけです。
 
 しかし、2009年のこの晩秋。
 その凝固していた仏像に流動の芽が出たのです。
 小さなギャラリーでの出来事ですが、しかし流れはどんな河でも最初のひとしずくから始まります。
 もちろん鎌田さんの展覧会のことを言っているつもりです。
 
 等価性の原理。
 菩薩の表情をもつビーナス像、それは実は美しいビーナスの体で立つ観音菩薩と等価です。
 半眼のアポロンは、輝かしいアポロンの体を借りた大日如来(毘盧遮那仏)と等価です。
 螺髪のあるヘルメスは、飛翔するヘルメスの体に入った阿弥陀仏と等価です。
 観音菩薩が、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)が、阿弥陀如来が、いまや厳格な儀軌の縛りから解き放たれ、若々しい肉体にささえられてここに現前していると、そう考えても全然さしつかえないのです。
 いうまでもなくまだ流れは始まったばかりです。
 じゅうぶんな説得力をもつにはもう少し先へ進まないといけないかもしれません。
 しかし、仏像が内部から流動化を始めたその動きはあきらかです。
 
 ところで、では。
 この流動化ということに一体どんな意味があるのでしょう。
 
 答えはむしろわたしたちの肉体そのもののなかにあるといっていいでしょう。
 作品が立ち並ぶそのなかに分け入ってわたしたちじしんが感じるこの起伏に富んだ心の動きに最も確実な回答があるのです。
 最初の何かしら落ち着きのない気分、そしてその次にだしぬけに来た大きな驚き、やがて、なるほどそうか、と腑に落ちたときの、風が横切っていくような爽快感。
 感情のいきいきとした波動。
 
 おそらくこれはただ感情の上だけの波動ではありません。
 深層ではきっと精神の大きな波動が動輪のように一回転したのです。
 禁忌の崩落。
 罪の意識からの解放。
 いかにも芸術的創造とは、たえまない精神の解放にほかなりません。
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 さて、石膏の飛び石はギャラリーの次の間にも続いていて、その最深部でわたしたちはちょっと意外なものに出遭います。
 これも石膏でつくられたものですが、実物大の立派な石燈籠と出遭うのです。
 それは、この展覧会のむしろ主人のようにそこに置かれているのです。
 意表を突かれてその前でしばしたたずみ、したがっていやおうなく思考することになりました。
 
 もとをさかのぼれば燈籠は仏に献灯するための祭礼の装置として宗教空間に取り入れられたものでした。
 寺院の伽藍の枢要な場所に配された大燈籠、それは火そのもののシンボルだというわけです。
 そして火とはまさしくひとときとして鎮まることのないものです。
 流動し、変転しつづけるものなのです。
 しかもいきいきと、なによりもいきいきと。
 
 ところで、そのようにかつては仏の手前に置かれて、仏にささげられた火のシンボルが、ここでは並び立つ仏たちのその奧へ、むしろ展覧会の核の場所に置き直されているのです。
 この逆転は、すこし大仰な言いかたで強調すれば、親鸞の悪人正機論のように、イエスの神への最後の呼びかけ(マタイ伝)のように、きわどい思考へ誘います。
 逆説は世界の全重量を逆三角形の頂点の危うい一点にかけるのです。
 これは作家の計算でしょうか。
 それとも、作家たちがしばしば無意識で従うように、計算なき直感、すなわち心の深層からの指令でしょうか。
 
 しかし、そのめざましい逆転によって、この彫刻の空間は、そう、まぎれもなく全体的な流動へ投げ出されることになったのです。
 空間の最深部に火があるのです。
 観音菩薩も毘盧遮那仏も阿弥陀如来も、ここでは燃えているのです。
 真っ白な石膏によって真っ赤な火の空間ができたのです。
 流動の完成です。
 
 火、…光、…曙光、そんな連想のなかで帰りがけに不意にニーチェの言葉を思い出しました。
 「脱皮のできない蛇は死ぬ」
 たしか中期の著作「曙光」のなかにそんな一節があったはずです。
 
 そういえば、「スッタニパータ」(ブッダのことば)も、いきなりこんな言葉の繰り返しで始まっていたのです。
 「(それは)蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである」(中村元訳)
 悟りから新しい生へと向かう覚者の精神をこんな比喩で言ったのです。
 
 流動する仏。
 それは脱皮ではないでしょうか。
 凝固から甦ることなのではないでしょうか。
 いきいきとした新たないのちへ向かうことではないのでしょうか。
 鎌田祥平展は2009年11月17日から29日まで、京都市中京区堀川三条西入ルのギャラリーアーティスロングで開かれた。
 展覧会の案内には作家じしんの言葉で、あえて「物質を意識させる作品」を作った、とある。その文脈でこのインスタレーションを読めば、ここにある神像あるいは仏像は、石膏という堅い素材(白い色をしたモノそのもの)と、そしてその素材の上を漂う軟らかな精神的ヴィジョン(幻影、錯誤、心象、解釈、深読み)との絶え間ない緊張、相克、結合、乖離としてとらえられよう。その微妙な構造の現代的意味については、またの機会に触れたい。
 1979年京都市生まれ。京都精華大学大学院芸術研究科を修了。大学では、神戸市でもモニュメンタルな彫刻作品を多く制作している小林陸一郎氏に師事した。2007年に京都府美術工芸新鋭選抜展で最優秀賞を受賞。京都市を中心に個展、グループ展の活動を繰り広げているほか、海外ではおもにドイツで制作を行なっている。京都市在住。
   
2009.12.24
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KOBECAT 0055
2009.11.3 神戸文化ホール
藤田佳代のダンス作品「日は はや 暮れ」

――終焉、そして創生――
■山本 忠勝


のダンスのタイトルには少し寂しい響きがあった。
 「日は はや 暮れ」。
 とりわけ藤田佳代が振り付けた舞台であれば…(2009.11.3 神戸文化ホール)。
 
 藤田佳代の最後のリサイタルで上演された新作である。
 彼女は舞踊人生の半生をかけて十回のリサイタルを成し遂げようと心に誓った。
 三年の熟成期間を設けて、その間にかなり規模の作品を二つ、三つとまとめあげ、つまり三年ごとに新しい作品を数作ずつ発表しながら、それを三十年間にわたって続けるという大きな計画だったのだ。
 そして今年がとうとうその十回目の年になった。
 寂しい心が動くのは、タイトルの言葉がリサイタルの全計画の完遂、すなわち終焉と強く響き合うからだ。
 
 だが、夕暮れはなにも寂寥感だけでは終わらない。
 神々の黄昏(ワーグナー)はむしろ最も動的な音楽としてわたしたちの耳に響き渡っているではないか。
 世界の巨大な炎上と創生への予感…。
 藤田佳代の暮れゆく時間もそのように壮大な景色であった。
 重厚なダンスがひとときの感傷を圧倒的に破砕して、力強い希望を生んだ。
 

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撮影:中野良彦

 滔々(とうとう)たる流れがあった。
 舞台の左端から右端へ向かって果てしない群舞が続く。
 右(上手)に消えたダンサーたちは、舞台裏を全速力で駆け抜けて、ふたたび左(下手)から出てくることになるのだが、わたしたちの目には、永遠に続くかと思う群舞の連鎖が現われた。
 ゆっくりと傾き、ゆっくりと屈み、ゆっくりと伸び、まるで彫像のように鋭いシルエットを築きながら悠然と進んでいくダンサーたち…。
 
 思えば、河もこういうふうに流れていく。
 海流もこういうふうに流れていく。
 大気もこういうふうに流れていく。
 星々もこういうふうに流れていく。
 時もこういうふうに流れていく。
 人も…。
 
 そして、その無限の流れに全身のあらゆる感覚を浸しながら、なにものかがこれもまたゆっくりと進んでくる。
 そのなにものかは、流れとは逆の方向へ歩むのだが、それはどうやら流れに抗って遡上するとか、流れに敢然と対決するとか、流れを強引に押し分けるとか、そのような闘いの身構えとはいささか異なるようである。
 むしろ流れがそのものの体のなかを通過する。
 そのものは流れを受け止め、流れに加わり、やがて別れ、そうして流れが去っていくのにまかせるのだ。
 
 むろんわたしたちは、そのなにものかがソロを踊る藤田佳代であることを知っている。
 いっぽう流れのなかに現われたそのものが、すでに藤田佳代ではないこともわたしたちにはとうにわかっているのである。
 そのものは名前を超えて現われた。
 超越して、なにものかになって、その場所に立ったのだ。
 真のダンサーとは、そう、このように超越するもののことである。
 
 そのものは、河と出遭うものである。
 海と出遭うものである。
 大気と出遭うものである。
 星と出遭うものである。
 時と出遭うものである。
 人と出遭うものである。
 
 永遠の流れと交錯する。
 

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 おっ、流れが揺らいだ。
 揺らいで、渦になっていく。
 激しい渦になっていく。
 すると第二のなにものかがまた忽然と現われた。
 だが、それが渦から生まれたものなのか、外からそこへ来たものなのか、その出現の瞬間は見のがした。
 気づくと、そこにもう第二のそのものが立っていた。
 
 むろんわたしたちはそれがフラメンキストの東仲一矩であることを知っている。
 だが彼もまたそこへ名前を超越して現われた。
 なにものかになって現われた。
 
 あらためて言おう。
 名前を超越するとは、もはや閉じられたものではないということだ。
 あらゆる方位へ開かれたものになるということだ。
 もはや直線上を一方向へ通過していくものではないのである。
 おびただしいものたちが逆にその体を通過していくということだ。
 
 渦が二手に分かれて、二体のそのものが、それぞれの渦の中で屹立する。
 なんと壮大なイメージ…。
 猛火の中から目覚めてくる女神ブリュンヒルデのようである。
 超獣の血で朱に染まって神に近いものとなるジークフリートのようである。
 あるいは、混沌のなかに生まれ出るイザナミとイザナギ。
 
 大いなるものの誕生。
 時空そのものの新しい創生に直接にかかわるもの。
 

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 だが真に結ばれ合うためには、厳粛な試練に耐えねばならない。
 流れはいまや引き離すものとなる。
 二体のそのものは、無限の流れの向こうとこちらに引き裂かれる。
 そうして近くにいたときよりもっと深く互いの存在を確かめる。
 むしろ内部から見つめ合う。
 
 あるいは、これこそ死かもしれない。
 死とは見えないものを見ることだ。
 対象を宇宙と一体に見ることだ。
 宇宙を一気に果てまで見ることだ。
 
 じっさい、最後の大きな渦巻きは葬送の炎ではなかったか。
 そして静けさ。
 あれはまさしく終末のあとの完璧な虚空のようではなかったか。
 
 神々の死…?
 
 だが思い到ろう。
 神々の死とは、実はよりいっそう大きな創造への契機であるということに。
 不死の神の宿命。
 それは新たな世界を築くためにまた甦ることである。
 
 そして二体のそのものが、ついにいま、ゆっくりと互いに向かって歩みはじめた。
 幕がこれもゆっくりと降りはじめる。
 そう、新しい世界が生まれはじめた。
 舞踊作品「日は はや 暮れ」は2009年11月3日に神戸・大倉山の神戸文化ホールで開かれた第10回藤田佳代作品展で初演された。藤田佳代の振り付けで、出演は藤田、東仲のほかに、寺井美津子、金沢景子、菊本千永、かじのり子、向井華奈子、灰谷留理子、石井麻子、板垣祐三子。音楽はPeteris Vasksの「Musica Adventus」。舞台美術は南和好。
 なおこの作品展(リサイタル)では、同じく藤田の作舞による「運ぶ」と「響く」が上演された。「響く」はオリジナルのピアノ曲が丹生ナオミに委嘱された。
 STAFF 照明 新田三郎/舞台監督 長島充伸/音響 藤田登/美術 アトリエTETSU/衣装 藤田啓子 工房かさご/アナウンス 有村莉佐子。
2009.11.24
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20012 津田彩穂梨さんの絵画

創造の無限の旅路


 化石とは過去の時間の証しでしょうか。
 むしろ未来の時間の証しではないでしょうか。
 それは創造の終焉を印すものでは決してなく、創造の始まりを告知しているのではないでしょうか。
 津田彩穂梨さんの暗喩の絵はそんなふうに読み取れました。
 ECOLE DE KOBE(エコール・ド・コウベ)の第9回展でのことでした(2009年10月21日〜25日、神戸・兵庫県民アートギャラリー)。
 
 ある種の画家は、魔術師の末裔なのかもしれません。
 すくなくとも錬金術の継承者ではあるようです。
 終わったものを、始まるものに変えるのです。
 津田彩穂梨さんはそういう画家のひとりです。
 
 作品「地の記憶」に描き込まれた数々のモチーフは、本来からいえば閉じた時間の痕跡です。
 魚族とおぼしき異形の形をした形象は、原始の魚の化石でしょう。
 だから、むろん、もう死んで硬化しているはずなのです。
 そんな魚の形象が何層にも堆積した地層のなかに、古代文明の破片のような何か円形の金属も埋まっています。
 むろん、これももう用途を失い、錆びてしまっているはずです。
 
 終わったものの集積です。
 
 ところが津田さんが絵にするとそれがどうも終わったものではなくなってしまうのです。
 魚は硬化することで、むしろ永遠の生命を得て、今に生きているようです。
 金属の円盤はそこで凝固することで、却って永遠にメッセージを発信しはじめたようなのです。
 いっそうみずみずしく、いっそう強固に存在しはじめたようなのです。
 時間の秩序が壊れます。
 
 終わる時間と始まる時間が同じ空間に現われます。
 
 「時の積木」という作品では、その時間の溶解がもっとくっきりと描かれます。
 そこは宇宙空間です。
 遠方できらめいているのは、きっと銀河の流れです。
 そこでいろいろなものが出遭います。
 鳥になろうとしているようなまだ曖昧な形のもの。
 いままさに盛りのさなかにある植物のようなもの。
 もう解読のむずかしい太古の銘文のようなもの。
 遠い過去と現在と遥かな未来がこの同じ空間で出遭うのです。
 
 むしろもうここには時間が存在しないとそういったほうが正確なのかもしれません。
 
 混沌と秩序、それが一体となっているのです。
 残骸と創生、それが結び合っているのです。
 
 つまり、無限の空間で無限に繰り広げられる無限の創造。
 豊饒の宇宙。

photo-tsuda.jpg
「地の記憶」
 
  2009.11.7 Tadakatsu Yamamoto
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KOBECAT 0054
2009.10.10 神戸文化ホール
貞松・浜田バレエ団「6 DANCES」

――モーツァルトの万華鏡――
■山本 忠勝


ーツァルトは誰だったのか…。
 Wer war Mozart ?
 20世紀に生まれた問いのなかでもこれほど普遍的な問いはない。
 問いのこだまが未来に向かってますます大きくなっているのだから。
 無数の答えが連綿といまも続きつつあるのだから。
 
 あの問いはあるいはむしろ最初にモーツァルトがモーツァルト自身に投げていた密かな問いではなかったか。
 実は1756年にすでに始まっていた問いだった?
 世紀を超えてこだまがこだまを呼んできた?
 モーツァルト、おまえはいったい何者だ…。
 問いの散乱。
 答えの散乱。
 自問自答の永劫回帰。
 いささかブラックなユーモアをふんだんに散りばめながら、イリ・キリアンの「6 DNCES」(六つのダンス、モーツァルト曲)は、クスクス笑いを間断なく観客席に引き起こした。
 にもかかわらず、そのブラックな笑いのなかで、ときにはブラックな哄笑のさなかでさえ、世紀を渡ってきたその自問自答がかっと目を見開くのであった。
 おまえはだれだ、ねえ、だれなの、だれだってばあ、だれだっちゅうの、なあ。
 ひょっとして、いかさま? 悪党? とんま? ろば? くそったれ? 
 貞松・浜田バレエ団の刺激的な公演だった(2009年10月10日 神戸文化ホール)。
 
 18世紀ふうの白いカツラをつけた半裸のダンサーが登場する。
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが現代のダンサーみたいにシャープな筋肉をつけていたか、そこのところはちょっと怪しい。
 だが、このカツラ、この化粧、この茶目っけは、どうやら神童と呼ばれたあの男に違いない。
 そいつがこっちを見つめている。
 あそこにいるあいつらはいったい誰だ。
 猜疑心に満ちた目だ。
 観客が彼を見はじめる前に、彼のほうがすでにこっちを見つめていた。
 そりゃあ、あっちのほうが目は早い。
 緞帳が上がる前から向こうはもう見る構えでいたのである。
 だしぬかれた。
 まなざしの反転。
 観客席と舞台の逆転。
 つまりその夜そこで踊ったのは、なんたること、客席のぼくらだったというわけだ。
 違うじゃないか、話が。
 いきなりの、錯乱。

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撮影:古都栄二(テス大阪)

 錯乱。
 そう、たしかにモーツァルトの音楽はいつも意表を突いて始まって、最初から絢爛たる錯乱で満ちている。
 狂気ではない。
 正気すぎる正気。
 正気の絶頂。
 狂気の接線がそこから虹のように彼岸へ向かう理性の辺縁。
 彼の音楽はその危うい絶頂へまっしぐらに翔けのぼる。
 光のめくるめく乱反射。
 明るすぎる視界。
 とりわけキリアンがこのダンスに選んだ「6つのドイツ舞曲」(1791年)のまさしくあふれんばかりの明度と彩度と祝祭感。
 閃光、炸裂。
 踊れ! 踊りながら一目散に翔けのぼれ!
 狂気の手前まで突っ走れ。
 錯乱せよ。
 
 さて錯乱の第一の定義、それは焦点が分散することにほかならない。
 ひとつが二つに見えること。
 やっ、舞台にふたりのモーツァルトが現われた。
 同じカツラ、同じ半裸、まるで鏡を横に置いたようにきっちりと同じ動き。
 ふたごのダンスははっきりとめまいをかもしながら世界に二つの焦点を差し入れる。
 二重のダンス。
 二重の宇宙。
 いや、まて、また出てきたぞ。
 いやはや、三人目のモーツァルトが現われた。
 どころじゃない。
 四人目も現われた。
 アマデウス・クヮルテット。
 ところで、舞台に同じ人物が四人も並べば、これはもう無限の群れのことである。
 モーツァルトの無限の群れがいっせいに跳びはねる。
 モーツァルト万華鏡。
 だが、モーツァルトがどんどん登場してくれば、その集積でモーツァルトがはっきり見えてくるかというと、どうもそういうわけではない。
 逆に彼はいまや、いかさま、悪党、とんま、ろば、チンポコ野郎、それらありとあらゆるものに分散する。
 モーツァルトの無限の群れが少しずつ別人となって並ぶのだ。
 神童が、ああ、万華鏡のなかに消えていく。
 見えなくなる。
 無限という矛盾。
 
 すると錯乱の第二の定義、それは超越ということになる。
 まさしくモーツァルトの音楽が音楽を超え出るように、モーツァルトがモーツァルトを超えていく。
 女になる。
 あさめしまえで、女になる。
 伯爵夫人? 侯爵夫人? なんにでもなる。
 胴をコルセットでぎゅうぎゅう締めに締めあげて、スカートをなんとも物理的即物的な腰わく(ファージンゲール)で大鐘みたいに膨らませて、まるで鋳型のように頑丈で豪華な衣装が、もう舞台にあつらえられている。
 いまかいまかとモーツァルトに着られるのを待っている。
 いや、逆か。
 むしろ鎧のように強固な衣装が、やわらかなモーツァルトをあつらえる。
 彼がそこへ飛び込むのだ。
 そう、変身とは体をやわらげてまるごとそこへ飛び込むこと。
 それに、衣装をモーツァルトに合わせるより、モーツァルトが衣装に合わせるほうが早いのだ。
 彼はいつも早いのが大好きだ(疾走するシンフォニー!)。
 
 そのうえこのマダム・アマデウスは驚いたことに背丈も伸縮自在ときているから、その超越性はもう申し分なく完璧だ。
 ほんとうに、見た目にありありと、すなわち物理的にデカくなる(なんたる仕掛け)。
 アリス。
 そう、ウサギの穴で小さくなったと思ったらたちまち大きくなるアリス。
 ああ、ぼくらはもうすっかり超越少女にイカれてしまった数学教授ドジソンだ。
 ドジソンの錯乱だ。
 
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撮影:金原優美(テス大阪)

 だとすれば、舞台の陰陽の陰を担った四人の女性ダンサーは(これまた、同じ髪型、同じ衣装、同じ茶目っけ)、このさい、超越モーツァルトにじゅうぶん超越的に対峙した従妹のベーズレと納得される。
 モーツァルトが、あなたのお尻に接吻する、とラヴレターをしたためた、あのベーズレ。
 ベーズレもだからもちろん無限のベーズレに分かれながら踊るのだ。
 いい勝負。
 あなたはあなたで、ぼくはぼくで、あなたはぼくで、ぼくはあなたで、おやまあ、あなたを抱きかかえたと思ったら、抱きかかえていたのはぼくだった、なら、ぼくを抱いているこのぼくっていうのは一体だれ? どうも、もう、…こんがらがっちまったなあ。
 
 超越とは、すると、こんがらがってしまうこと?
 こんがらがって、ウロボロスみたいにじぶんを呑んで、ついに消えてしまうこと?
 超越の矛盾。
 
 さてっと、ずいぶんと激しく踊った。
 このまままだまだ無限のダンス、超越のダンスを続けるか。
 それともまたいったん1756年から出直すか。
 それはご随意。
 いずれ永劫回帰の問いなのだし。
 
 で、けっきょく、モーツァルトは誰だった?
 つまり、観客席で踊ったこの私は誰だった?
 
 シーッ、舞台が終わる。
 拍手しなきゃあ。
 (割れんばかりの拍手でした、カーテンコール10回以上)
 
 ねえ、ところでさあ、もういちど訊きたいんだけど、ぼくって、だれ?
 イリ・キリアン(Jiri Kylian 1947年プラハ生まれ)の振り付けによる「6 DANCES」(1986年初演)は、貞松・浜田バレエ団によって2009年10月10日に神戸文化ホールで開かれた「創作リサイタル21」の四番目の作品として上演された。曲はモーツァルト作曲の「6つのドイツ舞曲」(1791年)。
 出演は、瀬島五月、安原梨乃、大江陽子、廣岡奈美、アンドリュー・エルフィンストン、武藤天華、堤悠輔、水城卓哉、そして正木志保、小田綾香、金子俊介、塚本士朗、大門智、本田翔悟。
 STAFF 振り付け指導 パトリック・デルクロワ/舞台装置と衣装デザイン イリ・キリアン/照明 ヨープ・カボート/空間演出 エリック・ヴァン・ホーテン/指導補佐 堤悠輔/協力 キリアンプロダクションとネザーランド・ダンス・シアター。
 なお「創作リサイタル21」ではほかに長尾良子振り付けの「セ・シ・ボン」、オハッド・ナハリン振り付けの「BLACK MILK」、ジョージ・バランシン振り付けの「セレナーデ」が上演された。
2009.10.15
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20011 笹田敬子展

記憶の海図、記憶の気圧図…


 「記憶」がテーマの絵画です。
 青の使い方がとりわけ深くて美しい抽象の作品です。
 笹田敬子さんの個展です。
 神戸のギャラリー島田で開かれました(2009年6月27日〜7月8日)。
 
 抽象の絵ですからむろんあの時のあの場所の、あの風景やあの人物やあの静物を具体的に描くというものではありません。
 あの時のあの場所にあのことが起こったそのときの、あたりの空気、心の波動、時間の密度、空間の濃度…、そういったものが流動的な形や色そして線になって現われます。
 あるいは、その記憶が今に戻ってきたこの今という時の、つまり現在の心の波紋、体の波動、空間の震動がそこに重なって現われます。
 記憶の海図、記憶の気流図、記憶の高度図、記憶の測深図、そしてその海図の記憶の今このときにおける美しさ、その気流の記憶の今このときにおける勢い、その高度の記憶の今このときにおける高さ、その深度の記憶の今このときにおける深さが、縦横に交錯しながら現われます。
 
 面白いのは、変幻とどまるところのないその記憶の時空に、かなり明瞭な方向性があることです。
 ひとつは、底のほうからこの地表へ昇ってくる、いわば地底から表層へ浮かんでくる上昇の方向です。
 そこでは成層圏から雲間を通して海洋と大地を覗くように、記憶が下方に見るものとして現われます。
 そしてもうひとつは、遠方からこの現在の地点へやってくる、いわば地平線から眼前へ向かってくる水平の方向です。
 そこでは地平のかなたから雲が近づいてくるのを眺めるように、記憶が遠方に見るものとして現われます。
 垂直に積み上げられていく記憶と、水平に広がっている記憶とがあるのです。
 
 「描きながら記憶の不思議と出遭います。ひとつのビジョンを追っていくと、思ってもいなかった扉が開いて、ふいに新しい場所に出るのです」
 
 思ってもいなかた記憶の浮上。
 それを最も重んじたのは「失われた時を求めて」を書いたマルセル・プルースト(1871〜1922)でした。
 小説の主人公が、紅茶にマドレーヌを浸して食べたその一瞬に、思いがけなくも記憶の幸福に遭遇した、その輝くような冒頭の一節を引用しましょう。
 …そのひと口のお茶が口の裏にふれたとたんに、私は自分の内部で異常なことが進行しつつあるのに気づいて、びくっとした。素晴らしい快感、孤立した、原因不明の快感が、私のうちにはいりこんでいたのだ。おかげでたちまち私には人生で起こるさまざまな苦難などどうでもよく、その災厄は無害なもので、人生の短さも錯覚だと思われるようになった…
 
 記憶こそは人間の根幹なのかもしれません。
 そしてその記憶は、たぶん、人間ひとりの意識を超えて、宇宙の底へ、宇宙のかなたへ広がっている記憶です。

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  2009.8.4 Tadakatsu Yamamoto
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Cahier

 10075 コウノ真理展    「無限」と「日常」の緊張の上に
 スパッと切りつけたその傷痕のようにまっ黒な裂け目が絵の中央に立っている。
 裂け目の周りは微熱をはらんでいるようにすこし赤みを帯びている。
 だがその微熱は急速に鎮まって、穏やかな灰白色の平面へ消えていく。
 無限の宇宙へと切り開かれたような真ん中の黒い亀裂…。
 そしてその周囲に広がる揺るぎない日常の空間…。
 コウノ真理の芸術は「無限」へと向かうビジョンと穏やかな「日常」の拘束のこの二つの要素の緊張の上に現われる。
 神戸のギャラリー島田で個展を開いた(2009年6月27日〜7月2日)。
 
 このわたしたちの世界では、ほんとういうと隠されているものは何もない。
 わたしたちにもし完璧な視力があれば、人も獣も草木も岩もすべてが同じ微粒子の集積として見えるだろう。
 もし完璧な聴力があれば、旅立った人がたとえ地球の反対側のサンチアゴで喋っていても目の前にいるのと同じ明晰さで話の中身を聴き取れよう。
 完璧な嗅覚があれば、ここにいながら地中海のオレンジの甘美な香りを嗅ぐことができるだろう。
 神のように完全な感覚を備えればあらゆるものがあらわに表相に現れる。
 隠されたもの、それはわたしたち人間が創るのだ。
 深さ、遠さ、高さ、無限、それらは精神が生み出すイリュージョンにほかならない。
 だが、それなしでは生きられないすばらしいイリュージョン!
 かくしてコウノ真理は無限をつくる。
 「日常の暮らしのなかで、ふと無限への通路のようなものを感じることがあるんです。そこにつながりたいと思うんです」  

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 もちろん仕掛けが必要だ。
 下地に黒を塗り込める。
 単調にならないようグレーもなかに差し入れるが、基調はやはり黒である。
 画面いっぱいにまず広大な夜をつくるというわけだ。
 宇宙をつくるというわけだ。
 そしてその上に灰白色の明るい昼をかぶせていく。
 明るい皮膚をかぶせていく。
 するとまもなく95パーセントが昼(皮膚)で覆い尽くされる。
 5パーセントがもとのまま残される。
 まるであとから切りつけられた傷のように5パーセントが鋭い形で残るのだ。
 つまり漆黒の宇宙が開かれる。
 つまり無限で充たされる。
 
 非在、すなわち塗り残すこと。
 すなわち非在によって現われる無限。
 
 あたかも素粒子の一瞬の軌跡のように絵の表面には無数の、しかし控え目な、つまり微小な線の破片がある。
 存在の幼虫たちだといってもいい。
 幼虫たちは億年単位で集積していずれ星になるだろう。
 これもまた無限の幼虫たちなのだ。
 だが絵の仕掛けという点では、この虫たちも絵の上にあとから加えられたものではない。
 鋭利な切っ先でひっかかれて、下地の黒がここにこういうふうに現われているのである。
 またしても、非在から創造される無限。
 
 無限。
 それは精神の大いなる企みだ。
 至高の創造だといってもいい。
 大数学者ヒルベルトのことばを引こう。
 「無限! 人間の精神をこれほど深く動かした問題はかつてなく、人間の知性をこれほど豊かに刺激した概念もかつてない」(青木薫訳)
 精神の至福の場所。
  2009.7.7 Tadakatsu Yamamoto



KOBECAT 0053
2009.5.5 神戸・湊川神社の境内
ギリヤーク尼ケ崎の舞踊

――向こう側へ開く裂け目――
■山本 忠勝


リヤーク尼ケ崎さんが5月5日(2009年)に神戸駅前の湊川神社で踊るという予告記事を神戸新聞で読みました。
 あ、よかった、元気なんだ、という喜びが胸に突き上げてくるのでした。
 ギリヤークさんにはとても不本意なことでしょうが、他界されたという風評が去年の暮れに神戸で流れていたのです。
 世田谷のお宅へ出した年賀状も戻ってきて、ああ、やっぱりそうか、と落ち込んでいたのでした。
 だから、よかった、っと、ぼくも生き返ったというわけです。
 
 ぼくのところからは湊川神社へ地下鉄で行くのです。
 途中の三宮駅で華やいだ少女たちの一団が乗ってきました。
 みんな髪をアップにして、すらっと脚の長い痩身で、ひと目でバレリーナをめざす少女たちだとわかります。
 ゴールデンウィークのこの時期、神戸では毎年クラシックバレエとモダンダンスと創作洋舞のコンクールが開かれて、プリンシパルやソリストやコレオグラファーを夢見る少年少女が全国から集まってくるのです。
 そうそう、ギリヤークさんも若いころにはこんなふうに洋舞(モダンダンス)をめざしていたんだよなあ、とそんなことをふと思い出しました。
 ギリヤークさんもいっときは新進としてけっこう評価を得ていたのに、ほんとうにやりたいのはこういう踊りではないと悩みはじめて、とうとう街頭へ飛び出すことになったのです。
 今は誇り高い大道芸人を自称しながら、路上や広場や公園で、ほこりまみれ、砂まみれ、土まみれ、そしてときには泥まみれになりながら踊るのです。
 
 そうして踊りに踊って40年。
 もう78歳の年なのです。

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撮影:編集部
 
 地下鉄を出ると、あらら、雨がポツポツと来ていました。
 ギリヤークさんはどんな場合も雨天決行を貫いていますから、中止の心配はこれっぽっちもないのですが、ことしの神戸は気の毒な踊りになるなあ、とそのことが気になります。
 でも、こういうのがむしろあのひとにふさわしいというべきか…?
 むしろ本領発揮、ということか。
 これも舞踊の神様の采配か。
 と、考えたりもするのです。
 沿道で満開の赤いサツキが見る見る濡れて光ってきます。
 
 湊川神社は横手の能楽堂のところから境内に入ります。
 北寄りの森のなかにある本殿からお神楽が響いてきました。
 たしか、これは越天楽です。
 どうやら赤ちゃんのお宮参りの気配です。
 拝殿の暗がりに赤い祝い着が見えました。
 
 一方、小雨のクスノキ林にはすでに分厚い人の群れがありました。
 津軽三味線の太い音が群れのまんなかではじけています。
 使いこんだ古いテープがガラガラ声さながらにサビの強い響きを立てているのです。
 
 新聞には午後二時開演とありましたが、この雨で早めに始まったのでしょう。
 一時間も前にやってきて待つ客がきょうもあったのかもしれません。
 あの、滑稽と言っていいのか、哀しいと言っていいのか、騒がしいと言っていいのか、寂しいと言っていいのか、はたまた泥くさいと言っていいのか、シュルレアリスムだと言っていいのか、いつも心が困って右往左往してしまう「白鳥の湖」は、すでに終わっている気配です。
 
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 人垣は四重くらいだったでしょうか。
 最後列で水色のハカマの神官さんが何人か、食い入るように見ています。
 ひどくまじめな顔なのが、とても印象的でした。
 ほとんど傘をさすひとはありません。
 ギリヤークさんが踊り終わるまではわたしも一緒に濡れましょう、とみんなそういう表情です。
 
 もう終わりかけていた曲はたぶん「じょんがら一代」ではなかったかと思います。
 函館育ちのギリヤークさんは、海峡の向こうからやってくる門付けの芸人たちを幼いころから見ていました。
 その思い出が今も舞踊の原点にあるのです。
 感受性の強い少年は、それら旅芸人たちのなにか切羽つまった演奏と踊りのなかに、表の快活さと裏の暗さ、顔の笑いと心の不安、テクニカルなバチの動きと迷宮のような心の動き、それら光の相と影の相とを鋭敏に読み取っていたのではないでしょうか。
 彼の舞踊はまさにその光と影の間で繰り返される往還です。
 光と影の振動です。
 振動のうちにますます振幅が大きく深くなっていく、その劇的なプロセスです。
 
 舞踊という魔物と戦い、迷いに迷って、ついに街頭で踊ろうと決意したのはけっこう遅くて、三十代も半ばを越えてからでした。
 数寄屋橋の雑踏に立ったときには、恥ずかしくて恥ずかしくて、ただもう早くやり終えて逃げ帰りたい、その一心だったということです。
 何をしたのかさえ思い返せないくらい混乱して、ただうつむいて帰り仕度を急いでいると、ツツッと中学生くらいの少女が近づいてきたのです。
 少女も恥ずかしそうに手を差し出し、そうして必死の目で舞踊家になにかを握らせたのでした。
 彼女は真っ赤になりながらきびすを返して人ごみのなかへ走り去り、ぼうぜんと立っている舞踊家のてのひらに、すると、二枚の硬貨が残っていたということです。
 舞踊家が号泣を始めたのは部屋に帰ってからでした。
 彼がじぶんの表現で三十七年目にして獲得したそれが初めての熱い反応だったのです。
 涙のなかで決心が固まりました。
 
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 「念仏じょんがら」はたぶんギリヤークさんの最も重要な作品です。
 黒衣の旅の僧、それが長い行脚で肉体はもうくたくたに疲弊して、しかし精神はいよいよ高揚と恍惚のときに近づいている、そのような雰囲気でこの曲は始まります。
 圧倒的なのはその足の運びだといっていいでしょう。
 一歩がまるで千里の距離を渡るように、足が土をがしっがしっと噛みながら、踏み出されていくのです。
 ときおりナムアミダアと大声で唱えられるその念仏は唐突で、全身を四方へ開けきったような音声(おんじょう)です。
 飛び上がるほどびっくりしたことがありました。
 それは舞踊の空間に差し込まれる鋭い裂け目のようでした。
 
 むしろこの作品そのものが裂け目だと、そういっていいのかもしれません。
 この世界とあの世界とが一気に通じ合う裂け目です。
 
 ギリヤークさんが内外の各地で犠牲者の鎮魂に捧げてきたのもこの曲です。
 最初は神戸の大震災のときでした。
 菅原市場の焼け跡で苦行僧のようにガラスの破片で傷つきながら、死者たちに懸命に呼びかけました。
 いつしか周りの人びとの姿が消えて、ありありと死者たちの喜ぶ姿が見えました。
 生涯でただ一度、振りを忘れて立ち往生しかけたのもこのときです。
 一秒の何分の一かのほんのわずかなカタストローフの一瞬でしたが、しかし舞踊家には一生に一度の深刻な体験でした。
 「鬼の踊り」と言われ続けてきたパフォーマンスが、このときから「祈りの踊り」へと向かいます。
 
 ニューヨークのテロのあとでもグラウンド・ゼロまで訪ねていって踊りました。
 パトカーがやってきて東京と同じように追い立てられるんだと覚悟しました。
 しかしニューヨークの警官は途中まで近づいて、そこでふいに立ち止まると、静かに終わるまで見ていました。
 
 ことしはとりわけこの曲に三つの思いを込めました。
 大震災の犠牲者へ、そしてJR福知山線の犠牲者へ、そして朝日新聞の阪神支局でテロの凶弾に倒れた小尻知博記者の魂へ。
 
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 雨はいよいよ本降りの気配です。
 とつぜん舞踊家が駆け出しました。
 人垣をかき分けて、石畳の参道を本殿の方向へ走ります。
 たちまち小さくなりました。
 そしてふたたび人垣の中に戻ったとき、さげていたのは水の入ったバケツです。
 それをばさっと頭からかぶるのです。
 クライマックスに来たのです。
 
 かぶった水と本降りの雨とでもうズブ濡れになりながら泥のなかを転げ回って踊ります。
 人垣のなかから小さな嗚咽(おえつ)がとうとう抑えきれなくなって洩れだします。
 鼻をすする音が相次いで起こります。
 舞踊家は土に還っていくようです。
 
 終わりました。
 解き放たれたようにバケツにおサツが入れられます。
 真剣に入れられます。
 晴れやかに入れられます。
 これは恵みではありません。
 ギリヤークさんがお金の額を、じぶんの踊りへの掛け値なしの、裸形の評価だと信じている、そのことをほとんどの人がもうしっかり知っているのです。
 
 ひとりの夫人が掛け声をかけました。
 神戸の下町のなまりでした。
 どこそこのおばちゃん、という感じです。
 いま思うと、大向こうから飛ばす声というよりも、むしろ半ばひとりごとのような声だったかもしれません。
 
 その掛け声はこうでした。
 「もっと、生きてや、なっ」
 そんな切実な呼びかけをぼくはこれまで聞いたことがありません。
 ギリヤーク尼ケ崎さんとひさしぶりに握手をしました。あ、そうだ、このやわらかな手だ、と思い出しました。精神の高貴さをじかに感じさせるやわらかな手なのです。
 去年、肺気腫の疑いで診察を受けたのですが、肺気腫より心臓のほうが深刻だといわれて、暮れにペースメーカーを入れたそうです。
 土の上を転げまわるときに、ペースメーカーを下に打ちつけてしまったら器械が壊れてしまうので、そこだけは気をつけていますと、笑いながら語っていました。
 「でも、ぼくはまだまだ踊ります。来年もまた神戸に来ますから」
 
2009.5.30
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KOBECAT 0052
2009.4.10〜5.31 兵庫県立美術館
20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代展

――精神のふるさと…その大きな光、大きな影――
■山本 忠勝


ティスあるいはピカソあるいはカンディンスキーあるいはクレー。
 20世紀の美術を華々しく炸裂させたあれら巨匠たちは、さて、わたしたちにとって何だったのか、いやむしろ今のわたしたちにとって何なのか。
 そう問うてみることが今けっこう面白いことなのだと、たまたまの思いつきでそう問いを立ててみて、それから遅ればせに気がついた。
 兵庫県立美術館(神戸市)の展覧会「ピカソとクレーの生きた時代」に並べられた豪勢な作品群をめぐりながらのことである。
 21世紀のわたしたちの精神が、思っていた以上に彼らと緊密な場所にあることを、それもたぶん歴史上かつてなかった微妙で新しい場所にあることを、その自問自答が不意に照らし出してくれたのだ。
 
 かれらの絵の前に立つまでは、じっさい、そういうところまでは考えもしなかった。
 だが、いささか驚くべきことに、今のわたしたちにとって、かれらはもはやエトランジェ(異邦人)ではない。
 生まれでいえば確かにひとりはフランス人であり、ひとりはスペイン人であり、ひとりはロシア人であり、ひとりはスイス人である。
 日本人ではまったくない。
 だが、わたしたちはかれらの絵と今やこのように一メートルにもならない距離で親密に対面し、これまでにももういろんな場所でたびたびそのように親しく出会ってきているのだ。
 かれらの絵は、思えばすでにじゅうぶんわたしたちの一部である。
 それだけではない。
 わたしたちの時代の画家たちの作品にも、例外を捜すのが却って難しいくらい歴然とかれらのやりかたが生きている。
 ありありとかれらの心が生きている。

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 わたしたちのこの時代が生み出しつつある数々の現代美術、それも淵源をさかのぼればおしなべてあれら巨匠たちの作法と精神に行きつくのだ。
 
 どうやら源氏物語絵巻を描いた平安末期の画家のほうが、今のわたしたちには遠いらしい。
 
 今日の美術をやすむことなく揺さぶり続けている四つの熱狂。
 色彩への熱狂、形体への熱狂、精神(とりわけ意識下)への熱狂、そして抽象への熱狂。
 むろん、行動への熱狂(パフォーマンス)や環境への熱狂(インスタレーション)を、比較的今日に近いところで始まった新しい動きとして、そこに付け加えることはできるだろう。
 だが、現代美術の基軸の部分がいぜん上の四つの熱狂の上にあることに変わりはない。
   ここで強調したいのはそのことだ。
 現代美術を根底で動かしている衝動の圧倒的部分が、まさしく「ピカソとクレーの生きた時代」に始まっているということを。
 
 マティスが1905年に「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」を展覧会に出したとき、その鮮やかな色彩は20世紀の初頭のひとびとにはまだあまりにも強すぎて、いかにもその驚愕を示すように「フォーブ」(野獣)という皮肉な、掻きむしるようなあだなをつけられた。
 だが、それこそ今日の色の氾濫への幕開けだった。
 ピカソが1907年に奇妙に角ばった裸婦像を「アビニヨンの娘たち」という作品に描いたとき、それは画家仲間に鮮烈な刺激をもたらしたが、その後さかんに彼が世に問い始めた変に歪んだ形体は、有名な画家の変身だっただけ一層ひとびとを困らせた。
 だが、それこそ今日の形体の氾濫への幕開けだった。
 マックス・エルンストやイヴ・タンギーやルネ・マグリットが描きだした夢幻的な形象には、絵の喜びというよりむしろ熱病の悪夢のような、それどころか人間の理想像を壊してしまうような不安があった。
 だが、それこそ意識下(無意識)の新しいエネルギーの解放だったし、そのエネルギーは今日の表現ではむしろ創造に不可欠の要素として美術のほぼ全分野をひたしている。
 そしてカンディンスキーは、同時代の少なからぬ画家と同様、転々と変貌を重ねたが、今日から見ればきわめてスジの通った変貌であったとはいえ、その急激な形体の崩壊に同時代のひとびとがじゅうぶんについていけたか、これもまたはなはだ疑わしいことである。
 だがそれこそ今日の抽象の氾濫への幕開けだった。
 
 まさしく現代美術の活断層がそこで最初の大きな変動をなしたのだ。
 19世紀末の憂愁がまだ深い余韻を残していたヨーロッパで、絵画の世界にいきなりまぶしいばかりの正午が来た。
 そしてわたしたちもまた今なおそのビッグバンの光芒のなかにある。
 つまり、あの異様なほど明るい場所、あそこは、ほかでもない、わたしたちの故郷のひとつなのである。
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 だが、かえすがえすも出会うたびに心が躍るそれら巨匠の奇跡の作品!
 
 展覧会場は、だから、わたしたちの心になつかしさをかきたてながら、同時に人間の精神がときにどんな高い跳躍を敢行するか、その証明の場ともなっている。
 マティスの「午後の休息(サン=トロペ湾)」(1904年)は、ちょうどあの劇的なフォーブの登場の前年の作品だ。
 色彩の豊かさは、オーロラ(暁の女神)の目覚めのように初々しい。
 いかにも美の幸福が満ちている。
 ピカソの「フェルナンドの肖像」(1909年)は、キュービスムの記念碑「アビニヨンの娘たち」からまだわずか2年目の労作だ。
 労作だとあえて言うのは、天才ピカソにしてはむしろ鈍重なそのタッチに、かえって彼の誠実な試行錯誤と懸命な創造の精神と並はずれた集中力が見て取れるからである。
 彼の軽やかさの背後にはこんなにも深い苦闘が隠れている。
 マグリットの「とてつもない日々」(1928年)も、彼がシュルレアリスムの表現を世に問い出してからまだ2年目の、しかもきわめて衝撃的な作品だ。
 判じ絵のように奇妙な具合いに組み合ったスーツの紳士と全裸の女との間には、明らかに襲うものと襲われるものの緊迫した空気がある。
 実生活では平凡な小市民を演じ通した画家のその穏やかな表の顔とは正反対に、ここには日常の空間にきわどく開いた不穏な鋭い裂け目がある。
 人間の深奥が覗ける裂け目。
 そして、カンディンスキーの「無題 即興T」(1914年)に見られる色彩の大洪水と大乱舞。
 絵画がいよいよ形体の制約から解き放たれて広大な抽象の宇宙へ踏み出した、その革命のエネルギーが溢れている。
 
 精神の跳躍!
 そして精神の跳躍とは、なにより精神の自由の証明にほかならない。
 そのことをクレーほど多面的に語ってくれる画家はない。
 彼においては深刻な美術上の実験も、ついに人間的なユーモアと結合する。
   「リズミカルな森のラクダ」(1920年)の大胆さと堅固さと軽快さとそして愉快さ…。
 1909年から40年にかけての27点の作品群は、絵画革命のひとつの総合のようである。
 自由な精神の生気と豊饒と気高さをわたしたちに指し示す。
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 だがそれが決して楽園の無条件の自由ではなかったこと、むしろ時代の重圧と緊張が深まるなかで、強靭な主体性と忍耐力とで貫かれた自由であったこと、それら歴史的背景と人間的条件もまたわたしたちを深くうつ。
 まず悲劇を象徴する二人の画家。
 「3匹の猫」(1913年)のフランツ・マルクと「フリブール大聖堂、スイス」(1914年)のアウグスト・マッケ。
 ドイツの新しい芸術運動「ブラウエ・ライター」(青騎士)の中心的な画家だったが、第一次世界大戦の、それも初期に戦死した。
 生前にはフランスの抽象の草分けドローネーと親交を結んでいるが、戦争はそうした芸術家のきずなも引き裂き、こころざしも断つことになったのだ。
 そしてピカソの苦悩。
 右派フランコ将軍の反乱で故国スペインは内戦へ突き進み、1937年にはフランコを支援するナチス・ドイツがゲルニカを爆撃して多くの市民が殺されることになる。
 今回が日本初公開の大きな作品「鏡の前の女」(1937年)は、くしくもピカソの断腸の名作「ゲルニカ」と同じ年の制作だ。
 その同じ年、ヒトラーがベルリンで開いた頽廃美術展も、自由な精神に屈辱を強いる歴史的な事件となった。
 ナチスはこの奇怪な展覧会で新しい芸術の破壊に乗り出し、あまつさえ国民的な嘲笑を煽ろうとしたのだが、そこには今回紹介されている作家たちの名も並ぶ。
 「恋わずらい」(1916年)のグロス、「夜」(1918―19年)や「無題(構成)」(1920年)のベックマン、「手すりのそばの人々T」(1931年)のシュレンマー、そして特にむきだしの憎悪と大々的な罵倒とでクレーが餌食にされたのだった。
 
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 芸術の覚醒の時代、それは受難の時代でもあったのだ。
 大いなる逆説の展覧会。
 まれに見る豊麗な花々が、まれに見る危機の上で開花した。
 
 だからあえてここで付言するなら、近代日本のとりわけ洋画の世界に数々の足跡を印してきた神戸の美術家と美術ファンが、20世紀をあざやかに映し出すこの展覧会を前にして今あらためて深い感懐のなかにあるとしても、それはごく自然なことである。
 精神の故郷の、こんなにも大きな光と、そしてこんなにも大きな影…。
 
 それにしても不思議な発見と感覚ではあった。
 時代が進むにしたがって、さかのぼるべき精神の故郷がこんなふうに広がってくるものとは。
 兵庫県立美術館の「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代展」は2009年4月10日に開幕。5月31日まで開かれている。美術館と神戸新聞社、産経新聞社の主催。デュッセルドルフ(ドイツ)のノルトランド=ヴェストファーレン州立美術館の改修に伴い、そのコレクションで構成されている。同美術館は1960年に州政府がパウル・クレーの作品88点を購入したのをきっかけに設立された。クレーは1931年にデュッセルドルフの芸術アカデミーから教授に招かれたが、しかし1933年にヒトラーが政権をとるとともに追放され、亡命へと追いやられた。美術館の設立には、現代美術の復興への意志表示、そして亡きクレーへの贖罪の意味が込められた。コレクションの規模はそれほど大きくはないが、上質な作品で構成されていることには定評がある。昨今の経済的苦境のなかでも、文化への強い使命感で運営されている。
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2009.5.3
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KOBECAT 0051
2009.3.26〜31 神戸・ギャラリーほりかわ
朴一南展

――有限と無限の統合――
■山本 忠勝


流へさかのぼろうとしているのだろうか、それとも未知の前方へもっと突き進もうとしているのだろうか。
 朴一南の絵の前では一瞬であれ誰しも考えることになるだろう。
 そこには定型詩のような秩序への傾倒が強くある。
 だが同時に、未来への予測しがたい衝動もある。
 個展が2009年3月26日から31日まで神戸・三宮のギャラリーほりかわで開かれた。
 
 絵を形作っているその構成要素はシンプルだ。
 渋く染められたキャンバスの裏地。
 そしてその上をうねうねと這い回る線また線。
 その二つだけである。
 
 だが絵の空気には画家じしんでさえなかなか言語には換え切れない微妙なニュアンスと奥行きがある。
 唯一言葉にできるのは、その骨格に古代の中国で誕生した陰陽五行と風水の思想があるということだ。
 
 陰陽五行と風水の思想の流れは、中国から朴一南の魂の故郷である朝鮮半島を経て、日本列島にも伝わった。
 古代のピョンヤンもソウルも奈良(平城京)も京都(平安京)も基本的な都市計画と都市経営はこの古代の哲学に拠っている。
 近代以降の猛烈な科学主義はこれら古代の知恵を理性にもとる迷信として思考の中心から追い出したが、しかし21世紀の今日、大衆文化の一角に再び顕著に浮上してきた。
 背景には西欧的な進歩への信仰の挫折と、それとともに強まってきた自然への回帰そして精神の復権への願望がある。
 真面目な探究がある一方で、かなりマユツバな俗流解釈が横行していることも否めないが…。
 
 さて、形象と色彩の表現者である画家・朴一南にとってとりわけ重要なのは、風水思想がはらんでいる色彩の意味である。
 東西南北の四つの方位に四つの神(神獣)を配置する風水の世界観は、同時にその四つの方位を四つの色彩で区分する。
 東は青龍によって守られ、それを象徴する色は青である。
 同じように西は白虎で白、南は朱雀(鳳凰)で赤、北は玄武で黒となる。
 そしてもうひとつ、四つの方位に囲まれた中央には、古来中国で最も高貴な色とされてきた黄色が置かれる。
 朴一南は、気宇の大きなこの色彩座標を現代の創造のなかに導入する。
 その絵はしばしば屏風のように五作品で一セットを構成し、それら五つの作品に五つの色が配されることになる。
 
 この五つの色によって画家がほんとうに何を主張したいのか、彼が彼じしんの言葉でそれを平易に語ってくれるような、そのような機会にはまだ立ち会ったことがない。
 彼の説明はいつも複雑かつ微妙なニュアンスに満ちていて、簡潔に要約するのは難しい。
 ただ、五つの色を絵のなかに配することで、そこに広大な宇宙空間を表現しようとしていること、その無限宇宙と人間精神とのかかわりを深いところでとらえようとしていること、そのことはよくわかる。
 
 古代以来の知の永い体系のなかで熟成されたこの特異な色彩の制度。
 画家はその制度を今に生かして、宇宙と人間の複雑微妙な構造を表現しようというのである。
 彼の絵に定型詩的な秩序への傾倒があると冒頭でいったのは、この色の制度を念頭に置いてのことだった。
 
 だがいうまでもなく、無限の宇宙を有限な色の面(絵画面)に封じ込めようとすることは、そのことじたいが矛盾である。
 この表現上の矛盾をどう解くか、実際の絵のなかでどう具体的に乗り越えるか、そこにこの稀有な創造の成否もかかる。
 画面をうねうねと這い回る線を発見したのは、だからたぶん、画家の劇的なインスピレーションだったのだ。
 線の魔術!

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 もともと線とは無限の空間から有限な空間を切り出す技術なのだった。
 大地と空の茫漠とした大空間からファラオのピラミッドをくっきりと切り取るために、古代エジプトの建築家は四角錘の四本の線を練り上げた。
 よるべない都市空間から安定した住空間や労働空間を切り取るために、現代の建築家も垂直線と水平線とで高層ビルを設計する。
 株価の手に負えない変動にひとまずの形を与えて展望の糸口とするために、証券会社は店頭のディスプレイに折れ線グラフを掲示する。
 
 理性の線が、混沌(カオス)の大空間から秩序ある小空間を抜き出すのだ。
 流動的・夢幻的なものの一角を、線は静的・固定的なものに転化する。
 
 だが、その同じ線が逆に事態を流動化させることがある。
 曲線となってそこらじゅうを走り回るときである。
 それが朴一南の重要な発見だ。
 どこで始まったのか、どこで終わるのか、端緒の定かでない繊細な曲線が五つの色に描き分けられ、五つの画面を高密度で這い回る。
 その曲線は大空間から小空間を切り取ってそれを固定するのとは逆に、小空間を掻き乱し、揺すぶって、それを大空間の限りなさへ、底知れない自由さへ、果てしない奥行きへと押し広げる。
 
 非定形の曲線がわたしたちの視界を理性の制約から解き放つ。
 
 かくして朴一南の作品では、矛盾する二つの要素が統合された。
 定型(色彩)と非定形(曲線)の統合。
 有限(色彩)と無限(曲線)の統合。
 伝統的な知の制度とその制度を突き破って突進しようとする新しいエネルギーの沸騰が、そうして一つの画面で結合した。
 
 わたしたちはいまや、無限へと開かれた青、無限へと開かれた白、無限へと開かれた赤、無限へと開かれた黒に向かって立つのである。
 そしてそれはたぶん古代の知恵が到達した無限のビジョンを現代に蘇生させることでもある。
 すなわちそれは都市空間の向こうへ斥けられてしまった無限の宇宙をわたしたちの眼前へ取り戻すことなのだ。
 
 いかにも宇宙のまっただなかで宇宙に開かれて立ってこそ、人間は人間としての全体性を取り戻せる。
 
 朴一南は伝統への傾倒者であり、かつ未来への野心家だ。
 朴一南展は2009年3月26日から31日まで神戸・三宮のギャラリーほりかわで開かれた。
 風水思想の四神は現代の日本人の心の中にもわずかながら痕跡をとどめているが、それを色に結びつけて考える人はもうほとんどいない。
 ましてや中央部(中心部)に黄色をイメージできるような人は、一般にはほぼ皆無といっていいだろう。
 むしろ平均的な日本人にとって、中心というのはほとんどのばあい空(無)である。
 だが、朴一南は言う。
 「わたしは作品の中心に黄色を置かないと、どうしても落ち着かない」
 じぶんが在日コリアンであることを積極的に主張する朴一南は、朝鮮半島の文化に対して、場合によってはおそらく半島の人々以上に強い意識を持っている。
 彼はそうして半島の伝統文化・精神を現代に活性化させる作家として顕著な存在感を放っている。
 同時に、日本で真摯な制作を続ける作家として、日本の現代文化の幅を広げる役割も果たしている。
 神戸市在住。
2009.4.18
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KOBECAT 0050
2009.3.21 神戸・兵庫県民小劇場
藤田佳代の舞踊「運ぶ」

――比喩ではない、肉体は宇宙である――
■山本 忠勝


代において最も挑戦的な舞踊。
 それは肉体を用いて何かを表現する、そのような舞踊では多分ない。
 そういう作品ならもうすでに無数にある。
 むしろ何かを表現することによってそこで肉体を発見する、そのような舞踊である。
 今まで隠されていたみずみずしい肉体がそこにありありと現れる。
 藤田佳代の新しい作品に遭遇して、そのことに気がついた。
 兵庫県民小劇場で上演された「運ぶ」である(2009年3月21日)。
 
 これこそ藤田佳代の作品だ、とそう思った。
 正真正銘の感動だった。
 ひさびさのことである。
 彼女がこのようにじぶんの世界に立ち戻れば、その境界にはおそらく現代の舞踊家のだれひとりとして追いつけない。
 
 「運ぶ」はまずゆっくりとしたソロで始まる。
 そのソロを踊るダンサーは、藤田佳代じしんである。
 踊る、というよりも、これはむしろ運行だ。
 ちょうど銀河の中心を横切り始めた星のように。
 
 一歩、いや半歩、いやむしろ四分の一歩、あるいはむしろ八分の一歩、…その運行は微分的で、しかし、もはやわたしたちの日常の尺度で測ることのできる距離ではない。
 ごくわずかな前進にもかかわらず、そこで無限の空間と無限の時間が渡られる。
 脚の運びだけではない。
 水平に、あるいは斜め下方に、あるいはまた斜め上方に、こころもち開かれる腕もまた、そのわずかな水平角あるいは俯角、仰角によって、無限へ広がっていくのである。
 無限へとつながる脚。
 無限へとつながる腕。
 
 「運ぶ」は間断ない宇宙との連動だ。
 間断ない宇宙への広がりだ。
 間断ない宇宙からの収斂だ。
 
 そうなのだ。
 肉体とは、宇宙である。
 比喩でいわれる小宇宙なのでは決してない。
 宇宙そのものなのである。
 
 第一主題の提示ともいえるその厳かなソロダンスで、藤田はいきなりそのことをわたしたちに気づかせた。
 
 そして群舞へ。
 
 ひとりずつ舞台上のダンサーがふえていく。
 藤田が提示した第一主題を丁寧に引き継ぎながら、二人が、三人が、四人が、少しずつ、すなわちここでもまた微分的に、主題のヴァリエーションへと移っていく。
 やがてビジョンが飛躍的に広がったのが、四人にまで増したダンサーたちが藤田の周囲に端正に並んだときだ。
 ごく自然に曼荼羅の構図と重なった。
 中心に大日如来毘盧遮那仏。
 そして四方に、阿シュク如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来。
 密教では宇宙全体の構成をこの五つの聖性の配置によって一気に観る。
 
 ダンサーの肉体が聖性の法体に見えるとき、それがこんなふうに確かにある。
 ダンサーの肉体が宇宙そのものに転じるとき、それがこんなふうに確かにある。
 ダンサーがそこに立つこと、それが宇宙の原型になるのである。
 精神の原型になるのである。
 
 そして精神の原型と出遭うとき、わたしたちの心は例外なく根底から揺すられる。
 感動する。
 生命がこの体で沸騰する。
 
 舞踊。
 すくなくとも藤田の舞踊は、わたしたちにとってもはや逸楽の糧ではない。
 祈りである。
 わたしたちは彼女の舞踊に近づくことで、荘厳な宇宙への祈りに参加する。
 
 祈る肉体。
 肉体の最も高貴な形。
 
 わたしたちは今なんと確かに信じられることだろう。
 この肉体そのものが、この高貴な姿そのものが宇宙だと。
 肉体の外も宇宙だし、内も宇宙なのである。
 美しい祈りの形は、宇宙が宇宙へと祈りを捧げる極限の姿にほかならない。
 
 ああ、わたしはこんなにも美しい…。

 藤田佳代氏の振り付けによる舞踊作品「運ぶ」は2009年3月21日に神戸市の兵庫県民小劇場で開かれた藤田佳代舞踊研究所の公演「創作実験劇場」で上演された。
 彼女じしんの創作メモは次のように書かれている。
 「すべての生きものは、目に見えない命を運んでいる。わたしはわたしの命を、踊りの道を通ってここまで運んできた。振り向けば、若い人たちも、同じ道を歩いているではないか」。
 しかし、藤田氏の秀抜な作品はしばしば作家じしんのノートよりはるかに巨大な世界を含む。
 「運ぶ」は命のビジョンをさらに超えて、わたしたちを宇宙の無限時空へ誘い出した。
 おそらく彼女の巨大な深層(無意識層)が、作家の意識すら超えて、作品に全面的に具現されるからである。
 それこそ万人にひとりの天賦の才だ。
 ただ以下は評者のほとんど個人的な好みの問題によるものだから、それによって作品「運ぶ」の価値が些かも損なわれるものではないが、作品の完成度を貫徹する上では、キャスティングを藤田氏のほか四人のところまででとどめた方がよかったのではないかと思う。
 藤田氏とその四人の舞踊家の緊密なパフォーマンスで、無限の宇宙がすでにそこで十全に、完璧に現われていたからだ。
 「振り向けば、若い人たちも…」のメモに従えば、大勢の若手の登場に確かに意味がないではないのだが、やはり作品の内面を理解しているベテランのダンサーと振り付けられた形だけで踊っている若手のダンサーとの輝きの差は歴然として、舞台の密度はそれでかえって薄められることになったのでは、と思うのだ。
 蛇足と承知しながら、書いておきたい。
 STAFF 照明 新田三郎/舞台監督 長島充伸/音響 藤田登/アナウンス 有村茉佐子/衣装 藤田啓子、工房かさご/装置 アトリエTETSU。
2009.3.22
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徳永卓磨絵画展

風が吹いた

 風は顔に向かって正面から吹き付けてくるものと、そう思っていました、と画家の徳永卓磨さんは言います。
 少なくとも六甲おろしで有名な画家のふるさとの神戸では、そのように吹くのです。
 ところがラ・マンチャ(スペイン)の夏の風は違っていました。
 40度の熱風が猛烈な勢いで大地を這ってくるのです。
 それが足から体へとよじのぼり、鼻腔へまともに突き上げてくるのです。
 脳を焼き、むろん喉も気管も肺も焼きます。
 くらっとします。
 「暑いなあ、と思っているうちはいいんです。暑いのか、暑くないのか、どうもはっきりしないなあ、とそんなふうに思ったら、もう、ずいぶん危険な状態です」
 そんな過酷なところへ毎年のように通って、徳永さんは赤い大地を描いてきました。
 初めてスペインに渡ったのが29歳の年。今年はとうとう70歳を数えます。
 神戸のギャラリー島田で個展「ラ・マンチャの白い町U」を開きました(2009年2月7日〜18日)。
 
 画家の体でずっと響き続けているものがあります。
 ゴッホです。
 ゴッホは南仏アルルの麦畑にじぶんのいのちを映しました。
 徳永さんはスペインの大地にじぶんの麦畑を発見しました。
 ですが、描き方は対照的です。
 ゴッホは実りのさなかの黄金色の麦畑を描きました。
 徳永さんは、収穫が終わって、赤土がむきだしになっている、むしろ荒涼たる麦畑を描きます。
 
 ゴッホは、麦の穂や糸杉やカラスや雲や星や風や、おびただしい生と死の形象を絵にぎっしりと描き込みました。
 濃厚な闘争です。
 徳永さんは、むきだしの青空とむきだしの大地のほかは描きません。
 むしろむきだしの無が地平線まで広がります。
 しかもその無は、どんな細部も気の遠くなりそうな緻密なタッチで埋め尽くされているのです。
 苛烈な太陽と熱風に身をさらして、ぜんぶ現場で描くのです。
 重厚な空無です。
 
 画家の精神の形でしょうか。
 民族の感性の違いでしょうか。
 
 「ゴッホに追いつくなんてできることではありませんが、ゴッホのあと(実りの後)を描いているのかもしれませんね」と笑います。
 
 徳永さんは、バレエ映画「赤い靴」(1948年)のひとつのシーンが好きなのです。
 ダンサーが踊り始めると、そのダンスの風であたりに散らかっていた新聞紙がひとしきり舞い立ちます。
 「ぼくはあの新聞紙になりたいと思うんです」
 じぶんには創造力というような大それた力はないけれど、対象を一生懸命に描いているうちに、そこにかすかにでもあのような美しい風が吹いてくれるかもしれない、とそういう意味のようなんです。
 
 スペインの暴力的な熱風のなかで描かれる作品。
 空無の大地の果てに広がる、なんとも広大な地平線…。
 そこには、しかし、清冽に澄んだもうひとつの風が確かに流れているように思えます。
 
  2009.2.17 Tadakatsu Yamamoto
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貞松・浜田バレエ団「眠れる森の美女」

ダンス、表現、バレエ、…そして希望



 貞松・浜田バレエ団が「眠れる森の美女」を明石市立市民会館の大ホールで上演しました(2009年2月8日)。
 本拠地・神戸を離れての公演ですが、見どころの多い豊かなステージになりました。
 
 注目の第一は、やはりここにきてぐんぐん頭角を現わしている武藤天華さんのデジレ王子です。
 いよいよ本格的なダンスール・ノーブルの登場だと、そんなふうに思ったひともあったでしょう。
 
 武藤天華さんの秀抜さを紹介するには、あるいはパフォーマンスの構造そのものに注目して、構造的に少しこまかく読み解いて語るのがいいかもしれません。
 専門家には、今さら何をゴチャゴチャ言い出すの? と笑われるかもしれませんが、もういちど基本に戻って「バレエ」と「ダンス」と「表現」という三つの基軸ターム(用語)で考えてみるのがいいような気がします。

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撮影:貞松正一郎

 まず「ダンス」ですが、ここではどんなにいいジャンプが跳べるか、どんなにきれいなピルエットを回れるか、どんなに軽やかなバランスがとれるか、そういう肉体の技術的な面に重点を置いて、それを「ダンス」と呼びたいと思います。
 端的にいえば、体の運動のことです。
 次に「表現」ですが、これはどんなに豊かに喜びを表わせるか、どんなに深く悲しみをかたれるか、とりわけどんなに気高く人間のすばらしさをうたえるか、そういう精神的な表出に重点を置いて、それを「表現」と呼びたいと思うのです。
 端的にいえば、心の活動のことです。
 そして「バレエ」とは、この「ダンス」と「表現」の二つをきっちり備えた舞台のことだと、そう定義したいのです。
 体の運動と心の活動がきっちりと結合して、目に見える形でそこにはっきりと現れる、そういう舞台ということです。
 
 武藤さんはそういうバレエを踊れるのです。
 このひとが踊り始めると、ダンスと表現とが体の上で申し分なく溶け合って、動きが美しい物語になるのです。
 
 昨年暮れに神戸でくるみ割りの王子の大役を見事に果たして、きっと自信もついたのだと思います。
 なかでも跳躍の変化にそれが象徴的に出ていました。
 暮れにはさぐりさぐり跳んでいたように見えましたが、今回はみずからが理想とする形へ思い切って自分を飛ばし、確かに天空の圏域できれいなポーズをつくりました。
 飛行が鷹になりました。
 天空の星になりました。
 
 竹中優花さんのオーロラ姫は、豪華な蝶のようでした。
 ダンスが大きくて、だから時間がゆったりと進むように見えるのです。
 ひとつひとつの動きに心がこもるということです。
 呪いの錘(つむ)で指を刺して、眠り(仮死)へと落ちていくそのさなか、えっ、わたしってどうしたの? まだ踊れるはずなのに、えっ、どうしてこの体が踊れない? えっ、どうして、と二重の心を往き来しながら倒れていく、その姿がとても印象的でした。
 表現がじつに深いということです。

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撮影:堤悠輔

 さて、キャスティングをどう割り振るかによって、演出者の思想や哲学まで読めることがままあります。
 このたびの舞台は浜田蓉子さんと貞松正一郎さんの演出と振り付けでしたが、このおふたりは母上とご子息でもいらっしゃいます。
 悪役の老妖精カラボスを正一郎さん自身が担い、カラボスの企みに立ちふさがるリラの精には、バレエ団を代表するダンサーのひとり、山口益加さんが配されました。
 正一郎さんはいうまでもなく日本のバレエ文化を支える現役舞踊家の代表格ですし、山口さんはダンスに風格を付与することのできる実力豊かなソリストです。
 この強力なキャスティングによって、「眠れる森の美女」という作品を大きく支える二つのファクターがくっきりと舞台に現われることになりました。
 希望をさえぎる存在としてのカラボス、そして希望をつなぐ存在としてのリラの精、この二つの力の交錯です。
 
 「死」の運命を宣告するカラボスと、そしてその宣告を「眠り」に変えるリラの精。
 その変換の深い意味を掘り下げるのはまたの機会に譲りますが、ここでは20世紀を代表する哲学者ジル・ドゥルーズの言葉に重ねながら、そのさわりだけを書いておきたいと思います(カッコ内が宇野邦一ら訳「千のプラトー」からの引用)。
 
 人間は死を免れることはできない。しかし「死を消滅させるのではなく、死を減少させ、死それ自体を一つの変化とする」ことはできる。
 死すべき運命を、間断なく希望へ変えることができる、というのです。
 
 そうです。
 ひとは最後まで希望に向かって漕ぐのです。
 死への流れを、希望の舟で渡るのです。
 貞松・浜田バレエ団の「眠れる森の美女」で踊られたのは、そのことです。
 
  2009.2.15 Tadakatsu Yamamoto
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Miki Yumihari with ensemble

悪魔の微笑

 ホールの高い天井から悪魔がふわあっと降りてきました。
 弓張美季さんがショパンのバラードを弾いているそのさなかのことでした。
 第一番ト短調のあの哀しみをはらんだ精妙な第二主題が、いまや巨大な激情の響きへと拡張されて、力強い分散和音の伴奏で強力に燃え立ち始めたまさにそのときのことでした。
 動乱の音のなかに悪魔がすっくと立ち上がり、そして微笑したのです。
 兵庫県立芸術文化センターでのコンサート、Miki Yumihari with ensembleでのことでした(2009年1月27日)。
 
 弓張さんの演奏はピアノとの激しい抱擁のようです。
 シンデレラの靴のようなデリケートなハイヒールをさっとステージに脱ぎ棄てて、素足で弾奏に構えたところは、イデーへ向かってまっすぐに身構えるイサドラ・ダンカンの舞踊をほうふつとさせました。
 交歓が始まるようでもあれば、戦いが始まるようでもあったのです。
 やがて奇跡のような譜面の求めに従って、指や手や腕はむろんのこと、肩甲骨までが鋭く、俊敏に動くことになるのです。
 肉体が音楽になるのです。
 
 実は曲が荘重なラルゴでいよいよ助走(序奏)を始めたとき、何かが起こりそうな予感がそこですでにありました。
 その予感は、気宇の大きな第一主題の提示からあの絢爛たる移行部へ進むあいだに早くも熟してきたのです。
 そしてこの曲の最初の炸裂、すなわち右手がきらびやかなアルペッジョへと突進を始めたとき、それはまず客席の高揚となって表へ現われてきたのです。
 聴衆の体のなかに抑えようにも抑えきれない別の大きな人格が目覚め始めた、とそういってもいいでしょう。
 
 だから第二主題が螺旋のような上昇を繰り返しながら今まさに再現部のピークへ昇り詰めようとしたそのときには、観客にもまた大いなるものの降臨を迎えるにふさわしい心の準備ができていたというわけです。
 悪魔の降臨!
 そうなのです。
 衝撃的な芸術というのは、その衝撃の振幅が大きければ大きいほど、それはしばしば宇宙に恒久の秩序をもたらす神の営為というよりは、むしろその永遠の秩序に鋭い裂け目を刻み込む悪魔の仕業のように見えるのです。
 弓張さんの演奏はまさしく裂け目を持ち込みました。
 
 だが特筆しておかなければなりません。
 この夜わたしたちが見たその大いなるものの微笑のことを。
 驚いたことに、それはあの、半月のような、下心に満ちた、企(たくら)みの微笑ではなかったということです。
 確かにそれは、たぶん、むしろ、習慣に従って、憂鬱な顔の上に現われました。
 しかし、なんということ、最初に暗いほほえみと見えたものは劇的な転調そのままにたちまち明るく澄んだ笑いへと浮上を開始したのです。
 途中でためらうこともなく、つまり屈折で濁るようなことは一度としてないままに、光へと転身を遂げたのです。
 いまやそれはまごうかたなき神の笑顔だったのです。
 最後の、両手のオクターブのなんというこうごうしさ…。
 
 ショパンはしばしば定式化された、つまり予定調和的な作曲法に従うよりは、鍵盤の上で彼の手がじかに見つけた強い響きに惹かれました。
 神の設計図から逸脱して、音の素顔に触れたのです。
 むしろ物質としての音…。
 存在としての音。
 悪魔の爪。
 
 神の摂理と、そして悪魔の跳躍。
 ショパンはひとつの戦場でした。
 
 弓張さんは戦場を弾くのです。
 
 しかし、悪魔が満面に浮かべたあの神の微笑。
 あれは間違いなく同一の存在から放たれる二つの顔です。
 
  2009.2.3 Tadakatsu Yamamoto
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KOBECAT 0049
2009.1.17 神戸・元町高架通商店街 プラネットEartH
ますみとも のダンス





――1.17を踊る……アトラス、磁場、共同体――
■山本 貴士


じ神戸に住んでいたとしても、14年前の震災の体験には、人々のあいだで、とてもそれが同じ災害であったといえないようなちがいがある。
 僕自身のことでいえば、神戸市中央区の自宅で地震に遭った。しかし自宅のある町内の被害は比較的軽く、火災も起こらなかった。家族も家も失わなかった。そのあとの時期、もちろん傍観者となれるはずはないが、被害の渦中の人間というよりも、できるだけこの地震を見て、記憶に刻みつけようと過ごしたように思う。これは決して「被害の大きさ」に応じた資格や権利の問題ではないけれど、いまも震災の記憶に苦しんでいる人を前に、「僕も被災者の一人です」とはとても言えない、そういう思いがある。むしろ、いまだあの震災を見つづけ、そして証言を聞きつづける立場の人間であると思う。
 にもかかわらず、思い出させるというよりは、自分も何がしかの震災の体験者ではあったのだと気づかされる、そういう瞬間がある。自分ではない誰かが感じるのだろうと思っていた思いを、自分が感じるのに直面するのである。
 元町の高架下で舞踊家ますみともが踊った踊りもそうだった。「だいちノりきてん―1995・1・17・5・46・52―」展でのこと。
 カフェと隣り合わせの展示スペースで、たぶん20人ほどの観客。開け放した扉のすぐ外では高架下の商店街を人々が行き来している。小池照男の笛の演奏をバックに、ますみともが床に神戸の街の航空写真を並べはじめる。一枚一枚が大きい。海岸線と海岸線を、国道と国道を、山並みを……舞踊家はひとつひとつつなぎ合わせていく。

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 それは何ら舞踊的な仕草ではなかった。かがみこみ、ズレがないよう細心の注意を払い、作業に集中するようだった。この舞踊家は、漱石の『こころ』の「K」というのはこういう人だったろうという、そんな風貌の人である。ひたむきな求道者が、何かひとつの苦行に打ち込むように神戸の街並みを再現していった。それを見守る僕たちの胸に、言うに言われぬ思いが込みあげる。それは再生の儀式だった。神戸を出ては何ら一般性をもたない思いかもしれない。その写真は震災前の街並みだった。
 並べ終えるとその写真の周りで踊るのだろう、もしかしたら写真の上で踊るのかもしれない、そう考えながらみていたとしても、実際に写真の上に舞踊家が立ったときの衝撃は想像を超えて強かった。
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 写真の上で不安定に体を揺らしはじめた彼は、地に立つ人の震えを再現しているのだろう、というのはあとから来た解釈で、写真の街に立った瞬間、彼はむしろ地震そのものとして街に立ったと、そう僕たちの目に映った。地震におののく人というよりは、街を襲うひとつの脅威としてそこに来たったと。これは地震の擬人化、アニミズムとはちがう。なぜならこれは認識、解釈の問題だから。ただし、およそ非人間的な認識、あるいは非意図的な解釈の問題である。誰の意図でもなく、そのようにみえてしまうという、それはそういう出来事だった。地震にさえなれる、舞踊というもの。
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 街の上を行き来する彼は、さまようアトラスだった。肩と腕で空を支える巨人。むしろか細い、四肢の自由を奪われたアトラスだった。彼が街を行き来し、否が応でも写真の配置は乱れていく。断層がずれ、道路は寸断される。そしてまだ足りない、というようにその腕を天に伸ばすとき、僕たちは大地の天への志向を知った。地震が地中のエネルギーの解放なら、それは天に放たれるのだろう。地中から天へ―地表はその通り道にあった、ただそうであったということ。これは意味を受けつけない冷厳な事実だった。僕らは憎むことも納得することもできない。そうして彼のダンスの意味がいっそう明瞭になってくる。あきらめるのでも忘れるのでもなく、あの14年前の地震と関係を取り結ぶために、地震になるということ。地震そのものを踊るということ。これは子供が自分の怖れるものを演じて、その対象とある種の和解をはかるのとどこか共通点があるとしても、誰にでもできるというものでは、まったくない。舞踊家ますみともの修練を経た身体と集中力とがなし得たわざだった。
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 高架を走る列車が近づいて来る音が、まるであの朝遠くから鳴り響いてきた地鳴りのように聞こえた。彼の踊りを見守る僕たちの胸に呼び起こされるのは、しかし個人の体験をめぐる思いというよりも、ある共同性をおびた思いだったろう。一人の踊り手を中心にしたその特異な磁場の中で、僕たちは僕たちを襲った震災のことを思った。それぞれの体験や思いはさまざまでも、そのダンサーを囲む僕とあなたの出来事として、震災を思った。たぶん、これがセレモニーというものの意味なのだろう。そして、僕だけではなかったろう。震災に臨んで生まれた、あの隣人愛の共同体。それは以前にあった「古きよき」共同体が震災をきっかけによみがえったというのとはちがう。ひとつの危機にさらされた人々のあいだで瞬時に目ざめ、しかしまた瞬時に消えていく、そのような結びつき。あの奇跡のような市民共同体のことを思った。
2009.1.18
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KOBECAT 0048
2008.12.13〜2009.1.14 神戸・ギャラリー島田
山内雅夫展





――宇宙を横切る手――
■山本 忠勝


極大陸を一望におさめるにはどのくらいの高度が必要なのだろう。白一色の雪の原野のところどころに黒い地肌をむきだしにして山塊が見えるだろうか。山内雅夫の白の作品を眺めながら最初に思ったのは、その広大な眺望ことである。それどころか南極の上空のたぶん一万メートルくらいから現実の雪の大陸を見下ろしているような、ほとんどそんな気もちになっていた。むしろこの眼そのものが雪原の真上に浮かんでいた。いつしか作家の絵の具の表現と地球の雪の表現とが等価になっていたということだ。言い換えれば、ともに宇宙を源にする創造が画家の絵と地球の上に等価に現れていたということだ(山内雅夫展 2008年12月13日〜2009年1月14日 神戸・ギャラリー島田)。
 ジンクホワイト。山内雅夫が憑かれたように使い続けている絵の具である。酸化亜鉛を主成分とする白で、シルバーホワイト(鉛白)やチタニウムホワイト(チタン白)など数ある白系顔料のなかでもとりわけ透明度が高い。亜鉛華という美しい呼び名もある。だが亀裂や剥離を起こしやすいという短所もあって、キャンバスの下塗りのように何重にも塗るときにはあまり使わないほうがいい、とこれはメーカー自身が注意書きを付けている。それを山内は重ね塗る。敢えてそれだけを重ね塗る。それも二重や三重ではおさまらない。毎日毎日重ね塗って、しばしばそれは数年、十数年と継続して、作品がついにはジンクホワイトの塊と化すのである。重さ何十キロにも及ぶジンクホワイトの量塊! 尋常ではない。
 では、その執拗な重ね塗りで何が現われてくるのだろう。

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POSITION B-no.3
写真はいずれもギャラリー島田発行「POSITION」(撮影:岡田良司)から

 絵の具の途方もない量塊がどんな質的変化を作品にもたらすのか、それを計量的に語ることは難しい。結局のところその先は直観で言うしかないのだが、おそらく彼の作品は絵の具の量塊というよりも今やむしろ光の堆積なのである。
 山内はほかの画家たちのようにキャンバスは用いない。描くというよりは築き上げる作業だから、その“構築物”を支えるために頑丈な木を支持体として使うのだ。最初の一刷毛はたぶん木肌の上にじかに塗られることになる。だから絵の具のその第一層を透過してくる光というのは、木肌からのほとんど直接的な反射である。そこではまだ木のなまの感触が表面に浮かび上がってくるはずだ。だが何重にもジンクホワイトを重ねていくそのうちにやがて木肌の反射が消える瞬間が来るだろう。そこからはジンクホワイトに射し入った光線が、木の表面に行きつく手前で下層のジンクホワイトに反射して、その反射光が再びジンクホワイトの層を逆にたどって表面に湧出してくることになる。
 つまりジンクホワイトの分厚い層が、ついには光の貯水槽、つまり光のダム(いうなれば蓄光層)の役割を担うことになるのである。水なら光を通過させてしまうからそこに光の痕跡は残らない。だが山内が構築する絵の具のダムには、光が大量に滞留する。むしろ光が物質となって溜まるのだ。
 そこでは光が質量の塊に転化する。
 しかし無論これだけだと、議論はまだ制作上の手続きの上を撫でているだけのことである。塗り重ねることだけがすべてなら、ほかの作家でもできないことではないだろう。山内がそれをすると彼でなければならない或る抜きん出た表現が現れる、そこが重要なところである。そこに創造の核心が潜んでいる。そしてそれはたぶん、こういうことではなかろうか。この光のダムが絶えまなく波立っているということ、間断なく流動しているということ、この作家の手が光のダムに連続的な震動を起こすということ…。彼は恩寵のような手を得たのである。たぐいまれな創造の手を獲得した。
 もう少し、作品に寄り添って語ろうか。
 彼の完成作品、というよりむしろ現時点における暫定的な完成作というほうがいいのだろう、個展が終わると彼はアトリエに帰ってきた作品の荷を急いでほどいて再びそこにジンクホワイトを塗り重ね始めるかもしれない、そういう作家なのだから…、が、ともかく、今の時点での作品の最も確かな局面は、いちばん最後に塗られたジンクホワイトのその最終層の上にある。つまり最も新しい面にあらわれた白の波立ちのなかにある。そこには作品の基本の構造、言い換えればこの作品をこのような形へ駆り立ててきた根源的な動因もリアルに浮き出ているはずなのだ。芸術では最初に目指されたものが、最後になって現れる。
 最後の光景、しかしそれは一口に言って、いぜんとして終わることのない矛盾の光景なのである。新たなジンクホワイトは、その都度、その前に塗られたジンクホワイトの余計な波立ちを抑えるためにそこに丁寧に塗られるのだ。夾雑な要素がそうして潰されていくのである。だがそこには、その最後の絵の具のさらに微妙な波立ちがまたしても余計なものとして現れる。作家は再び塗るだろう。今度こそ最後の一刷毛になるはずだ。ところがそこにはまたしても、もっと微妙で、もっととらえどころのない、もっと微分的な夾雑物があらわれる。ならば、さらにもう一刷毛。しかし、まだ、またしてもこれではない…。すなわち、果てのない自己否定が積み上げられていくのである。自己の無化(否定)への膨大な情熱。膨大な無の蓄積。永遠の引き算、減算。永遠の(n−1)。
 いうまでもなくこの永遠の減算は、同時に永遠の加算である。それは完璧な創造面を得るためにジンクホワイトを際限なく足していく、その果てのない足し算と並行して進行する。しかも最終的なものとして目指されるその完璧な創造面は、今や目の仕事というよりはもっとデリケートな手の仕事に移っていく。手(触覚)に伝わってくる極微の感触が、完成と未完成のわずかな誤差を嗅ぎ分ける。目では見えない微細な差異を手が見るのだ。かぎりなく濃密なものになっていく。またしても果てのない、情熱的な、しかしこのたびは膨大な自己増殖の局面だ。そしてまた、完成(n)と未完成(n−1)の永劫回帰。まだ過剰だ、ということと、まだ足りないということは、この作家の場合はまったく同義なのである。
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虚空へ

 そしてこの尽きない過剰と尽きない不足のはざま、無限の引き算と無限の足し算のまっただなかで、これこそこの作家の表現の最大の奇跡である、えもいえぬ微妙な構造が実現されていくのである。
 ここは細心の注意を払って見るべきところなのである。山内のその微妙な構造の眼目は、作品の最も新しい一刷毛が、それまでに塗り重ねられたすべての層を根底から揺するかたちで、すなわち全体を一から揺すり直すかたちで、施されるという点だ。加えられた一刷毛は、物理的には絵の具の量がそのぶん増量したというただそれだけのことなのだが、表現の魔術というのは常に物理的変化のその先で出来(しゅったい)する。彼にあっては、今のその一刷毛が、作品の重さをふやすだけでなく、その瞬間に作品全体に根源的な震動をもたらしたということ、むしろ、刹那にして作品をそっくり根底から更新したということ、わたしたちはそのことをしっかり見るべきなのである。
 彼が五万回の重ね塗りを施したということは、五万個の作品をつくったということに実は等しい。大胆にも五万個目の最後の一点だけを生かしながら、四万九千九百九十九個の作品を廃棄したことに等しいのだ。表層の変化がそのつど根底を揺すっては、全体をダイナミックに変えていく。絶え間ない死があり、そして絶え間ない生がある。ほんとうに生きているとは、いかにも生と死の間で間断ない振動を激しく繰り返していることだ。表現者としての山内のほんとうの凄さというのは、作品の表層にその根源的な震動を力強く湧出させることである。作品のそのそこに生があると、明瞭に指し示せることである。それができる手を創造したということだ。
 永劫の震動…。生命の実在…。
 この作家は昨年(2008年)、西宮市の仁川学園のキャンパスに一つの印象的なモニュメントを制作した。多くのイマジネーションを収斂させたその作品をあえて単純なひとことで言うならば、それは天空へ向かってそそり立つ白い十八メートルの柱である。その名も「宇宙軸」と呼ばれている。清冽にして深淵。寡黙にして豊饒。輝きにして深い闇…。だが、さらに胸をうたれるのは、その柱が地下へ十五メートルも伸ばされて岩盤に達しているということだ。深さに驚くだけではない。岩盤が地球の宇宙的な運動で間断なく微細な震動のなかにあることを思い出そう。このモニュメントは、無限宇宙の空間的象徴であると同時にその宇宙の極微の震動、すなわち生命の磁場を体現している磁針である。
 宇宙の震動…。生命を生み出す震え…。それもまた彼の背景に満ちている通奏低音なのである。
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コスモス no.2

   さて、少し寄り道をした格好だが、ふたたび個展の作品に戻りたい。
 生命の震動と宇宙の震動のことに加えてもうひとつ今度の展覧会でぜひ語っておかないといけないことがある。そのジンクホワイトのまっただなかに真っ黒な岩の破片がなまで置かれて、強力なビジョンを放っているということだ。安山岩(火成岩)の一種で、建築の装飾や楽器に利用される稀石サヌカイトが、まるで刃物のような鋭利な割れ目を見せながら、ジンクホワイトのそこここから頭を出しているのである。雪原から鋭い山塊が黒々と露出しているようである。
 いや「山塊のようだ」という比喩的な言い回しを用いるのは正しくない。そう言うのなら明快に、山塊そのものだ、と言うべきだ。
 ジンクホワイトを無限に塗り重ねていくことは、無限に光へ近づいていくことだが、それは同時に、無限に比喩から遠ざかることである。山内は風景画家ではない。風景画家は、山や森や川を実際そこにある「ように」キャンバスの上に描くのだ。肖像画家でもない。肖像画家も、人が実際そこにいる「ように」キャンバスの上に描くのだ。それに抽象画家ですらないのである。抽象画家にしてもやはりそこになにかの形象がある「ように」キャンバスの上に描くのだ。比喩が中心的な役割を果たしている。だが山内は決して「ように」は描かない。サヌカイトは何かの「ように」そこに置かれたわけではない。サヌカイトは正真正銘のサヌカイトとしてそこに散りばめられたのだ。いやむしろこのような言い方でさえ実は正しくないのである。より正確には、サヌカイトがサヌカイトと名づけられる以前の「物」としてそこに配置されたのだ。なにかしら真っ黒な物。黒々とした或るものが作品の素材としてジンクホワイトに埋められた。
 赤裸な白のまっただなかに嵌められた赤裸な黒。
 むしろ裸形の存在…。
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観から律へ

 さてそこで、この小さな評論も一気に結びの段階に近づいた。
 ここまで慣用的に「ジンクホワイト」と書いてきたもの、そこにもういちど立ち返って、それも今やサヌカイトと同じように厳密にはもはやジンクホワイトではないということ、そのことを語る最終局面へ来たのである。
 ジンクホワイトは、本来の用途としては平面(絵画)に用いる絵の具であった。たとえば街を描く風景画の白壁の部分に施されたりするのである。メーカーも画材店もそしてむろん多くの美術家も評論家も鑑賞者も、だから、この絵の具がまるで高速道路のアスファルトのように“構築”されることになるなどとは想像すらできなかったはずである。つまり、ジンクホワイトがここではジンクホワイトから果敢な逃走を遂げたのだ。サヌカイトが山内の体を通過することでサヌカイトではなくなって、ある赤裸な「物」へと還ったように、ジンクホワイトもまた山内を通過するうちにジンクホワイトとは別のある赤裸な「物」へ逃亡してしまったということだ。端的に言えば、名づけることのできない「素材」に還元されたというわけだ。ここにあるこのものを、正しくはどう呼ぶべきなのか、もうわたしたちにはわからない。それはわたしたちの手元から流出した。素材が言葉をすり抜けた。手に負えないところへ超越した。
 換言すれば「物自体」に帰ってしまったということだ。
 「物自体」が異形の相で厳かに現れた、とそう逆から言ってもいいだろう。
 それにしても、この「物自体」という言葉で指し示される深淵!
 この、深い響き…。
 物自体は人間の認識を超えるとそう宣言して知の歴史に一大センセーションを巻き起こしたのは、まさしく山内が半生をかけて愛してきた哲学の巨人カントである。山内はカントの三つの大部な著作(純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判)をことごとく大学ノートに、それも強い筆圧で刻み込むように筆写して、この革命の書をむしろ手で一語一語をむさぼった(ここでもまた、手!)。美術の創造は、そこに哲学的精神の発現がある、といってそれで語り尽くせるほど単純なものではない。だが哲学者が、そこは認識を超えるところだと言った、いわばその彼岸の時空で山内の仕事が進行している、そのことは確かである。知性と美術の時を超えた神秘な共振がそこにある。
 ここでは輝くばかりの白を放つ或るものとどこまでも深い黒の或るものとが、今や物自体として出遭いを遂げているのである。裸形の存在と裸形の存在の邂逅。それは言葉を超えた彼岸での、沈黙に満たされた厳粛な出来事だ。
 裸形の存在の沈黙の響き合い…。
 そして、物自体としての雪が物自体としての地球の上に降るときにも、これと同じ沈黙と厳粛さが現れるそのことは、もう説明も不要だろう。冒頭で作家の絵の具の表現と地球の雪の表現が等価だと述べたのは、こうした意味からなのだった。
 彼の創造は、大陸の移動で地殻が刻々と動いているその変動にも等しい。草花が大地を割って芽吹いてくるその伸長にも等しい。海洋の蒸散が天空で雲をつくるその変転にも等しい。生き物が胚胎されて生まれてくるその誕生にも等しい…。それらがまだそうと名づけられる前であれば。
 山内を駆り立てているもの。それが認識の限界を超えてさらに向こうへ進みたいという衝動であることは、これでもう明確になったのではなかろうか。
 では、認識を超えて広がるその大きな時空とは、いったいどういう場所なのか。
 山内が日々の創造を遂行しているその時空とは、いったいどんな場所なのか。
 それは宇宙という言葉で呼ばれている無限の時空のことである。
 だがそれは決して人工衛星の軌道の向こうに広がる遠い時空のことではない。
 ここ、このわたしたちの手元が、すでにその宇宙なのである。
 なによりも山内の作品はそのことを証(あか)すのだ。
 彼の手が何万回目かのジンクホワイトを運ぶとき、またしてもその手が宇宙空間を横切っていくのを、わたしたちはまざまざと見るのである。
 山内雅夫展は2008年12月13日から2009年1月14日まで神戸・ハンター坂のギャラリー島田で開かれた。山内氏は1935年生まれ。武蔵野美術大学で山口長男に師事した。ひたすらに思索と創造に打ち込んでいる孤高の姿に深く心を動かされたギャラリー島田社長・島田誠氏(当時・海文堂社長)の誘いで1995年に神戸では初めての本格的な個展を海文堂ギャラリーで開く。以後、ギャラリー島田での数年おきの個展を中心に発表を続けているが、重厚な作風もあってきわめて寡作。
 インタビューで非常に印象的だったことばがある。おおよそ次のような内容だった。
 「私の作品がどこで終わるかは、むしろ手持ちのお金でどれだけの量のジンクホワイトを買うことができるか、その経済的な制約にかかっています」
 無限への精神的営為と、有限な世俗的表象との、これ以上ない象徴的な交錯。まさしく永遠へ向かう心と、それを中断させる肉体の相克に並行する。
 むしろ有限なるものによって証(あか)される無限。
2009.1.13
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風呂本佳苗ピアノリサイタル

音の震動、眼球の震動

 不思議なピアノ演奏でした。
 音からなにかを感じたというよりも、むしろありありと見えたのです。
 月の光が、夜の湖に漂う波が、闇に満ちる得体の知れないさまざまな形象が…。
 風呂本佳苗さんのリサイタルです(2009年1月3日、兵庫県立芸術文化センター)。
 
 リサイタルの柱は「夜を聴く」。
 ベートーヴェンの「月光」(1801年)を皮切りにドビュッシーの「月の光が降り注ぐテラス」(1912年)やラヴェルの「夜のガスパール」(1908年)など、夜に因んで九人の作曲家のピアノ曲が弾かれました。
 
 確かな技術を持ったピアニストですから、どのようなプログラムにも決して破綻はないのですが、聴けば聴くほど強く驚嘆させられるのは、とりわけ二十世紀以降の音楽を弾くときの並はずれた力です。
 むしろ多くのピアニストが不得手とする近・現代の分野で、このひとは優れた輝きを放つのです。
 
 絵画における印象派の登場、キュービズムやシュルレアリスムなどに見られる目の実験、そして映画の発明、テレビの普及、インターネットの進出など、十九世紀後半から二十世紀に至る文明の基軸には視覚経験の飛躍的な拡大がありました。
 その基軸は二十一世紀の今日になっても変わりません。
 現代はまさしく“目の時代”といっていいでしょう。
 風呂本さんはその古典的な静けさと控えめな雰囲気にもかかわらず、実はこの視覚文明の骨格に優れて深い根を持った野心的なピアニストなのではないでしょうか。
 先鋭的な眼球のピアニスト…。
 
 そうなのです。
 彼女がドビュッシーの微妙な音の散乱を繰り出します。
 するとじかにわたしたちの眼球が震えます。
 音が白い月の光に変わるのです。
 スクリャービンの神秘な和音を打ち出します。
 するとまた新たな振幅で眼球が振動を始めます。
 夢の断片が飛び交うように不可思議な夜の形象が満ち溢れてくるのです。
 
 音響がそのつど眼球を鋭い震動へ誘うのです。
 
 もちろんベートーヴェンの「月光」でも新しい発見がありました。
 一音一音が響きをさらに深めているとそれは如実に感じました。
 物理的な強さを言うのではありません。
 心の強さ。
 むしろ人生の強さです。
 風呂本さんがこの間に蓄えた人生の質量、それがまっすぐに音を熟させてきたということです。
 古典派の音楽には内面の運動が表現に現れる、そのような独特の構造がもとから備わっているということもあるでしょうが。
 
 現代の音楽の超線形的・離散型・視覚性の表現に対して、あくまでも相対的という条件をつけた上でのことですが、古典派やロマン派の音楽には線形的・収斂型・精神性の表現が強く出るのかもしれません。
 
 風呂本さんの本性としての鮮やかな視覚表現そして履歴としての厚い精神表現。
 新しい年の初めに聴くのには格好の、清冽で深いコンサートになりました。
 
  2009.1.4 Tadakatsu Yamamoto
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貞松・浜田バレエ団 「くるみ割り人形」

端正なプリンス、武藤天華

 貞松・浜田バレエ団の年末公演「くるみ割り人形」は、バレエ団の一年の集大成であるとともに、いまや年の瀬の神戸の風物詩です。
 この2008年は20日と21日の二日間、「お菓子の国ヴァージョン」と「お伽の国ヴァージョン」の二つに分けて、神戸文化ホールで行われました。
 正木志保さんのクララと武藤天華さんのくるみ割りの王子で上演された初日の舞台を見てきました。
 
 神戸の街にこのように「くるみ割り人形」が定着したのは、やはりバレエ団をリードする貞松正一郎さんと上村未香さんが長い年月にわたってとてもエレガントな王子とクララを作り上げてきたからだという事実、この金字塔は永遠に揺らぎません。
 市民の間には、ですからふたりへの愛着が強くあります。
 それだけに後に抜擢されるダンサーは大変です。
 正一郎さんや未香さんを真似ようったってあそこまでエレガントな踊りというのはそうそうできるものではありません。
 といっても、ニューフェースの主役はニューフェースの主役なりにはっきりと見どころを示すことができないと市民は納得しないでしょう。
 
 クララ役の正木さんはすでに実績を持つ幅の広いダンサーですから、みな安心しています。
 いきおい若い武藤さんに注目が集まりました。
 
 武藤さんの経歴をながめると、くるみ割りの王子の役柄はこれが最初ではありません。
 しかし、都市神戸の風物詩とまでいわれるこの師走の大舞台で務めるのはこの夜が初めてです。
 この夜こそプリンシパルとして本格デビューだったといってもいいでしょう。
 幕が揚がる前の客席に期待半ば不安半ばの二重の空気があったのは当然のことでした。
 
 でも結果はなかなかのものでした。
 均整のとれた美しい肉体と整った容貌を持っていること。
 これが、不格好な人形がとつぜん凛とした王子に変身する、あの劇的な闇の一瞬にきらめきました(第一幕)。
 動的で鋭い動きを持っていること。
 それがネズミ軍団とのクリスマスイブの戦いをお菓子の国の精たちに報告する、あの愛と誇らしさに満ちたマイムのなかで生きました(第二幕)。
 そして、これはおそらく正一郎さん譲りと考えていいでしょう、無駄をそぎ落とした端正で説得力のあるフォルム(形、表現力)を持っていること。
 それが最後の見せ場、正木さんとの終幕のグラン・パ・ド・ドゥに大きな花となって咲きました。
 
   エレガントな正一郎王子から、端正な表現を吸収しながら、ちょっとストロングな天華王子が誕生しました。
 とりわけ重責への謙虚さと誠実さが輝きました。
 バレエ団がまたひとつ表現の幅と豊かさを広げたわけです。
 
 それにしても神戸のバレエファンの反応はシャープです。
 技量を発揮したダンサーにはその努力を称賛していちだんと強い拍手が贈られます。
 むろんバレエ団のたゆみない研鑽あってのことですが、バレエ団を育てている市民の心、その内なる力もまた団の発展の大きな要素になっている、とそんなふうにも思いました。
 家路につく観客たちの、あの幸福そうな顔といったら…。
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撮影:岡村昌夫(テス大阪)
  2008.12.21 Tadakatsu Yamamoto
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ブラジル×日本 旅が結ぶアート

21世紀の対話

 兵庫県立美術館で「ブラジル×日本 旅が結ぶアート」展を見ました(2008年11月1日〜12月7日)。
 いまブラジルで活躍している3人の美術家のホットな作品を紹介する企画です。
 マゼ・メンデスさん、ジョゼ・アントニオさん、フランシスコ・ファリアさんの作品です。
 ひとつの力とそれに対抗する力、そのふたつの力のせめぎ合いがぐいぐいと作品にあらわれる、そのようなひとたちです。
 
 マゼ・メンデス(Maze Mendes)さんは都市空間への関心を強く持っている抽象画家です。
 鮮やかな色彩で満たされた画面には、垂直方向に伸びやかに広がる色の縞、そしてときに橋梁のような構造体のシルエットが水平方向に出てきます。
 とりわけ舗道の水溜りをデジタル写真に撮った一連の作品がこの画家の体質を象徴的に示します。
 水溜りには独特の不思議な構造があらわれます。
 そこには逆さまの街が映りますが、ただ正確に映るだけではない、なにかそれ以上のものがひそかに潜入しています。
 見えているのに、見えないもの。
 もっと深くて、もっと高くて、もっと明るく輝くもの。
 都市はひとつの機能的な構造体ではありますが、物理的な構造を築くことで、構造以上の何かを生み出しているのでしょう。
 その剰余の部分を作家の感性が鋭く捕捉するのです。
 
 ジョゼ・アントニオ(Jose Antonio)さんは、ナイロンや布や鉄を使ったインスタレーションと抽象的な絵画作品を出しました。
 天井から吊るされた立体にせよ、平面に描かれた絵画にせよ、そこに鋭いリズムと豊かなメロディーがあらわれる、それがこの作家の特性です。
 「トラマス(横糸、筋)」という作品は、蝶の羽ともヨットの帆ともあるいは女性の下着の一部ともみえるたくさんの小さな布片(ビニール)を、何本もの紐にかけた大きなインスタレーションです。
 緊張した紐のラインがリズムを空間に刻みます。
 布片は空間いっぱいにメロディーを奏でます。
 音楽の世界で骨格と構造をつくるのはリズムです。
 メロディーがその骨格と構造を壊しながら外へ向かってはばたきます。
 音楽のその根源的な両義性を思い出さないではいられません。
 アントニオさんの制作にはその相反する力学が同時にそしてビジュアルにあらわれます。
 
 フランシスコ・ファリア(Francisco Faria)さんは、さて、奇才のわざといってもいいその精密な鉛筆画をどんなジャンルに分けたらいいか、少しばかり迷います。
 ブラジルの自然を描き続けていますから、ひとまず風景画といっておいていいでしょう。
 川面のさざなみのそれこそひと波ひと波が、岸を埋め尽くす木々の葉のそれこそ一枚一枚が克明に描かれます。
 ですが、いわゆる写実とは微妙におもむきが異なります。
 写実で重要なのはまず形態、そして色です。
 木は木の形をして、木の色をしていなければなりません。
 しかしファリアさんが第一に求めるのは、どうやらもっと別のもののようなのです。
 それはたぶん、自然にみなぎる強度です。
 樹木の強度、森林の強度、水の強度、河の強度、海の強度、空の強度…。
 それが黒鉛筆だけで描かれます。
 そこには単に自然と画家の交流とか共感とか均衡といったものでは言い尽くせないもっと厳しいスリルがあります。
 むしろ自然の力を洗い出す闘いです。
 画家はブラジルの大きな自然を愛しながら、その自然と決闘を重ねているのです。
 
 これら三人の作家をいまさら「ブラジルの作家」と呼ぶのは、あるいは用語法がずれているかもしれません。
 ぼくらがこれらの作品の前で感じるリアリティー。
 それは、彼らがブラジル人でありぼくらが日本人であるというそれぞれの立場にはもはや何の関係もありません。
 同じ二十一世紀に、同じ地球で生きている人間の、これはじかに体で響き合う対話です。
 
  2008.12.4 Tadakatsu Yamamoto
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菊本千永モダンダンスステージV

切り立った三つの作品

 藤田佳代舞踊研究所のソリスト菊本千永(ちえ)さんのリサイタルが神戸の兵庫県民小劇場で開かれました(2008年11月22日)。
 藤田研究所では主だったダンサーたちが「モダンダンスステージ」と銘打って、数年ごとの回り持ちで、それぞれの創作の成果を観客に問うことになっています。
 菊本さんの出番はこれが三回目になります。
 
 三部に分けて六つの作品が上演されました。
 ここ何年かのうちに作り貯められた作品を並べた第二部のプログラムの中でとりわけ「GIFT」と「memories」と「doppelgänger」の三作品が切り立った印象を残しました。
 
 「GIFT」は黒い衣装と白い衣装の二人のダンサー(金沢景子、向井華奈子)が、小さな箱を小道具にして踊る舞台です。
 小箱は、地球の運命を決めたパンドラの箱のように、人の運命を潜めている秘密の容器というわけです。
 蓋(ふた)を開けてしまったときのおののきがくっきりと描かれました。
 
 「memories」は、目すなわち眼球をテーマにしたようなダンスでした。
 すっきりとしたシャツとパンツの四人のダンサー(寺井美津子、かじのりこ、鎌倉亜矢子、灰谷留理子)が、簡潔な動きで絶えず対称的なフォーメーションを舞台に繰り広げていきますが、そこで最も強い存在感を発揮するのはそれぞれの眼球です。
 人がそこに在るということは、目がそこにあるということなのかもしれないな、とそんな思いにさえさせられました。
 創作メモには「直視したくないことほど、人は少しずつ異なったたくさんの記憶をつくりあげる」とありました。
 
 「doppelganger」は、ごくかいつまんでいえば“キゼンとした私”と“ショボクレた私”の踊りと言っていいでしょう。
 二人のダンサー(金沢景子、菊本千永)が、同じ衣装で二人の私を表現します。
 正面を向いてカツカツと進む私と、うつむいてトボトボと進む私がいます。
 決然たろうとする私と迷い続ける私…。
 身につまされるところもありました。
 
 上演作品はほかに、第一部で新しい大作「ゴーストバスターズ」、第二部で「cuddle me」、そして第三部で研究所主宰・藤田佳代さん振付の「歩く」(再演)。
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「memories」 撮影:中野良彦
  2008.11.22 Tadakatsu Yamamoto
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KOBECAT 0047
2008.10.10 神戸文化ホール(中ホール)
貞松・浜田バレエ団「創作リサイタル20」

――4つの作品と、「BLACK MILK」――
■山本 貴士


から射す光は以前あったかなかったか。森優貴の作品「羽の鎖」の再演。昨年の初演で森は文化庁芸術祭新人賞を受賞した。音楽はグレツキの交響曲第3番から。旋律というよりは響き―地響きのような管弦楽、その上を高く舞うソプラノの独唱。歌われているのは民衆蜂起で殺された子への母親の悲痛な叫び。8人の女性によるダンス。
 初演の新神戸オリエンタル劇場は何より客席の天上の低さのためと思うが舞台に高さを感じない。今回、舞台の高さと広さが作品の輪郭をいっそう明確にした。あるいは初演と同じ踊り手たちの、より深まった解釈が舞台世界を天と地の方向に押し広げたのか。おそらく究極的には野外で演じられるのがふさわしい作品なのだろう。すでに、この作品の深い大地への志向が指摘されている(山本忠勝「森優貴振り付け『羽の鎖』―こちらと向こうが出遭う場所―」参照)。生命を産み出す母なる大地、もしくは、大地なるものとしての母親。
 ところで森自身は歌詞を意識していないと書いている。女性の強さを表現したいのだと強調している。これは、女性=母という「古典的な」枠組みに女性を押し込まないようにという意図だろうか。いったい人間は、そのさまざまな「性」を取り払って自由を得ることができるのか、どうか。重厚なグレツキの音楽の中で、彼女たちはそうは高く飛翔できないようにみえる。確かにこれは問題提起である。

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「羽の鎖」撮影:古都英二(テス大阪)
 これまでの森の作品がいつも「最新の」振付であり、はたして森自身のイメージに真の形が与えられているのか吟味されるべき問題であるのに対し、貞松正一郎はいつも一貫してクラシカルである。貞松の「黒と白のタンゴ」は98年の作品の再演。ピアソラの曲を中心に6つの情景が踊られる。
 タンゴというのは言うまでもなく男と女の踊りである。だがこの作品では、女たちはむしろ「あしらわれる」といった感じ。完全に男たちが主役のダンス。カッコいい男がカッコいいんだぜと、いまひとりの男前、川村康二に二枚目を踊らせても貞松は彼の古典的美学を踊りつくす。粋なプレーボーイのイデア(原像)をそこに現出せしめたようで、男も女も思わず見惚れる。
 しかし、フィナーレ「フラカナバ」。とにかく貞松と川村が同時に舞台に立つと、凄いのだ。貞松の比類なき優雅さと、川村の完璧にコントロールされた豪快さ、二つが相俟って、もうこの二人にできないことは何もないような気にさせられる。優れた男性ダンサーが多く在籍する貞松・浜田バレエ団だが、1と1が2ではなく、10にも100にもなる劇的な化学反応。そんな無敵の相乗効果を、実際にまのあたりにしないでは信じられまい。
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「黒と白のタンゴ」撮影:古都英二(テス大阪)
 バレエ団団長 貞松融による「ボレロ」。81年の初演以来、最多上演演目になっているという。もちろんモーリス・ラヴェルの「ボレロ」。ジョルジュ・ドンにしてもギエムにしても一人で踊る。いや、大勢で踊るのだけれど、主役は一人、それが終始一段高いステージに立っており、あれは酒場で踊りだした一人の踊り手とギャラリーということらしい。貞松融の「ボレロ」もはじめは一人(瀬島五月)で踊っているが、すぐに群衆の中に溶け込む。これはむしろ群集のダンスとして作られている。有名なベジャールの振付では、15分の曲の最後に、人々は彼らの王ないし女王、あるいは生け贄(生け贄はその生のクライマックスで人々の王として君臨する)にひれ伏して終幕となる。貞松版では「くるみ割り人形」の「雪の国」のクライマックス(同バレエ団のこの場面のコール・ド・バレエは毎年息をのむ美しさである)よりもはるかに大規模な人間の塔を形づくる大団円。団長 貞松融の社会性への関心がうかがわれるようで興味深い。
 バレエ団のシステムにしてからがそうなのだ。上村未香がバレエ団のプリマであるのは間違いない。ただ、松山バレエ団に森下洋子あり、といった形とは違う。上村とは対照的とも言っていい特質をもった瀬島、そして正木志保(上村の休養中には堂々とプリマの役割を果たした)、大江陽子(春先に彼女が踊ったシルフィードは素晴らしかった)、安原梨乃(この冬にはとうとう彼女のクララが見られる)ら、個性と実力をもったダンサーが並び立っているという水平的な構成である。貞松融のバレエ団のあり方の理想と、浜田蓉子の美への情熱、これが現実に実を結び、これだけ層の厚いバレエ団を作っているというのは驚くべきことである。理念と現実の組織というのはいつもズレるものであるのに。「ボレロ」はこの集団にとって象徴的な作品なのだろう。
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「ボレロ」撮影:古都英二(テス大阪)
 最後のプログラム。後藤早知子の振付作品「光ほのかに―アンネの日記」。初演は91年。私たちが日本人として、あるいは日本にいながら世界に向けて表現する世界人として、ユダヤの人々が、しかしユダヤの、というよりは数えきれないあまたの生活者が無惨に殺された、その出来事をどう語るべきなのか。
 凄惨なその虐殺の以前に芸術が何もなし得なかったこと、大虐殺は喰い止められなかったこと、あとになって、安全な場所で虐殺を扱おうとする無数の作品が作られつづけていること。「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」というアドルノの言葉はそういう意味だったはずだ。詩は書かれつづけなくてはならない。アウシュヴィッツは語られつづけなくてはならない。だが、どれだけ深刻ぶってもだめだ。気安く語れるのは、私たちが遠い安全な場所に身をおいているからである。だからこそ、ハリウッド女優のオードリー・ヘプバーンは戦後、彼女が戦時中ナチスへの抵抗運動に加わり、レジスタンスの資金集めのためにバレリーナとして踊っていたその同じとき、その同じオランダで隠れ家での生活を送っていた自分と同年生まれのアンネ・フランクを演じることを拒んだのだ。語ることのそうした困難さを分かち持とうと努めないなら、私たちには資格がない。
 ナチスの旗を舞台に掲げ、制服のゲシュタポを登場させることの危うさがある。ヴィム・ヴェンダースの映画「ベルリン 天使の詩」の中で、あれはネオ・ナチの男などではなかった、単に出番を待っているエキストラの若者が、衣装のナチの制服を着て「いかしてる、昔のやつはわかっていた」などと心中でつぶやくシーン、思えば何という重層的な思考に支えられた表現だったろう。鉤十字の旗はいまでこそ死の象徴にほかならないが、当時のドイツ人にとってはハイパー・インフレの苦境から彼らを救済してくれた救いの旗だった。ナチスは悪である。だが、その悪が多数の善き人々の支持によって遺憾なく力を奮ったというのはどういうことなのか。そのことを問わないでナチスを死と恐怖の「象徴」として描くなら、それは童話のオニ退治と変わりはしない。フランク家の出来事ですら、悲運に見舞われた一家庭のホームドラマと映ってしまうだろう。それは作家の倫理に著しく反することである。
 2006年に貞松・浜田バレエ団は、イスラエルのバットシェバ・ダンス・カンパニーのオハッド・ナハリンの作品「BLACK MILK」を上演している。その「黒いミルク」というタイトルが、両親を収容所で殺され、彼自身も収容所を体験し、自殺でその生を閉じるまで終生ナチスの復活を恐れつづけた詩人、パウル・ツェランの作品「死のフーガ」からの引用であることは、おそらく間違いない。


    TODESFUGE


    Schwarze Milch der Frühe wir trinken sie abends
    wir trinken sie mittags und morgens wir trinken sie nachts
    wir trinken und trinken ……



    明け方の黒いミルクぼくたちはそれを晩に飲む
    ぼくたちはそれを昼にそして朝に飲むぼくたちはそれを夜に飲む
    ぼくたちは飲むそして飲む
    (……)
    かれはかれのユダヤ人たちを口笛で呼び出し地面にひとつの墓を掘らせる
    かれはぼくたちに命ずるさあダンスの曲を奏でよ
    (……)
    かれは叫ぶもっと甘く死を奏でよ死はドイツからきたひとりのマイスターだ
    かれは叫ぶもっと暗くヴァイオリンを弾けそしてお前たちは煙となって空中に昇る
    そしてお前たちは雲の中にひとつの墓を持つそこは横たわるのに狭くない ……
                                          (中村朝子 訳)


 バケツの中のタールのような「黒いミルク」を顔に、体に塗りつけることによって狂気に襲われる男たち。掌で相手の額をつかみ、一種の暴力的バプテスマ(浸礼)を施そうとする仕種の反復が印象的だった。キリスト教とユダヤ教の関係について何か言おうというのではない。ここにあるのは、「救済=殲滅」という図式である。救済の論理と殲滅の論理があまりにも似てしまうということ。死は「マイスター」の技術でもたらされる。もはや神話の時代のように苦痛を与えている時間などないのだ。できるだけ速やかに、できるだけ多く─。
 ナハリンの作品の「筋」は極めて簡素なものだった。黒い液体を塗る−男たちを恐慌が襲う−黒い液体を洗い落として平穏に戻る。そして作品全体には奇妙にユーモラスな雰囲気が漂っていた。だが、そこには語り得ぬものを前にして、何重にも折り畳まれた思考がある。これは、よく練られている、といったことではない。それはむしろ延々たる躊躇の軌跡なき軌跡、重篤な失語症の症候といったものに近いかもしれない。
 後藤の作品「光ほのかに」でもっとも印象深かったのは、その最後の光景、アンネを踊り、家族を踊っていたダンサーたちが、舞台のすべての幕を上げた剥き出しのコンクリートの壁の前で並びたたずんでいたその光景である。沈黙と静止が強く私たちの心に訴える。その沈黙は真だった。そしてそこが出発点である。
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「光ほのかに−アンネの日記」撮影:岡村昌夫(テス大阪)
 厳粛な作品を作らねばならないのだろうか。希望よりも、より絶望について多く語らねばならないのだろうか。この点で勘違いをしている作家は少なくない。彼らは自分の恐怖と絶望を他者に押し広げようとするようにみえる。この点で、後藤の表現は正当な認識に支えられていた。「光ほのかに」の美しい場面。アンネの心から希望が失われることはない。ときに強くそれが湧きあがり、彼女の背後で「光」たちのダンスがはじまる。彼女たち、希望の列がアンネのうしろにつづく。つまり希望を抱く個の中には、希望を育む複数があるということ。すでに絶滅収容所の人々以前に、絶望の中で繰り返し育まれた無数の希望があるということ。つまり希望とは、ひらめきや思いつきなどではなく、圧し殺され途切れながらも、決して完全に絶えてしまうことなくつづいてきた歴史なのだということ。
 アンネは上村未香によって踊られた。地団駄を踏んで怒る、腰に手を当てて威張る、それら永遠なる少女性の仕種。貞松正一郎の体現する優男のイデアというものがあるのなら、また少女のイデアというものがあるのだろう。上村を通じて観客はそれをかいまみる。哲学者ジル・ドゥルーズがキャロルの「アリス」をめぐって「少女とは何か」と問うた、上村の踊りは、そのときそうした問いとして立ち現われる。生半可なダンサーではだめなのだ。上村のような並はずれた踊り手において、はじめてダンスは謎、問題となり得る。
 いつか上村が有名なバルコニーのシーンのジュリエットを踊ったとき、為された所作よりはるかに多い為されなかった所作、つまり仕種の無数の微小な萌芽を繊細に表現することで、恋にふるえる少女を途方もない可憐さで演じた。しかし恋とはすでに少女の自足性を剥ぎ取るものである。少女たる少女とは、為して為されなかった行為などあとに残しはしない。相手に構える態勢を取る間も与えず、電光石火の早業で為して為す存在である。傍若無人というよりは、少女のスピードに誰もついていけない。思考と所作の一致、あるいは所作のスピードでなされる思考。不意打ちと疾駆。上村の踊る少女にいったい誰が追いつけようか。
 STAFF 芸術監督 貞松融、浜田蓉子/照明 柳原常夫、加藤美奈子、ライティング・セブン/衣装 堀部富子、中江三従子/舞台監督 坪崎和司
2008.11.6
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KOBECAT 0046
2008.9.23 尼崎・アルカイックホ−ル
貞松・浜田バレエ団「コッペリア」

――秒針幻想…神の創造 そして人間の挑戦――
■山本 忠勝


時計にまだ特別な価値があったころ、クロームの裏蓋(うらぶた)を開いて初めて中を覗かせてもらったときのときめきは、五十年以上たった今も忘れられない。精巧なガンギ車、精緻な髭ゼンマイが渦を巻いているテンプ、不思議な形をしたアンクル…、それらが緊密に組み合わさった機械室は、秩序と均衡と調和に満たされた底深い宇宙であった。機械仕掛けの美しい乙女を陰の主人公にする貞松・浜田バレエ団の「コッペリア」。怪博士の実験室でいろんな機械(人形)が踊るその舞台を見つめながら同時に思い出したのは、その幼い日の記憶、すなわちめまいさえ感じながら腕時計の奥に発見したあの歯車宇宙の光景だった。まぎれもなく「時間」の神秘な光景だった(2008年9月23日 尼崎・アルカイックホール)。

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撮影はいずれも岡村昌夫(テス大阪)
 完璧な舞台というのは、それまで気づくことのできなかった作品の核心部をときに透け見させてくれる。貞松・浜田バレエ団の「コッペリア」はまさしくそのような舞台であった。ポーランドの田舎町に設定された若いカプルのコミカルなラブ・ストーリーが、なぜ「鐘祭り」の日の出来事なのか。町の若者たちが総出で踊る絢爛たるマズルカにもチャルダッシュにも、なぜあんなにきわだった円陣(円舞、輪舞、サークル)が出てくるのか。そして最終幕の中核部分に、なぜあんなに壮麗な「時の踊り」が置かれているのか。
 どれもきわめて深い印象を目に残すシーンだが、実をいうとこれまではそれらのパーツをパーツのまま並列的に、つまり内側で動いているものまでは気づけないまま、表層だけを眺めてきた。「時の踊り」の波状的な美しさと分厚い構成にうたれながらも、しかし「時」という抽象的なモチーフがなぜ第三幕のクライマックスにあんなふうにだしぬけに登場するのか、もうひとつピンと来なかったのである。だが。
 ああ、と小さな声を洩らしそうになったのは、スワニルダに扮した上村未香が怪博士コッペリウス(井勝)の実験室でみずから機械人形のコッペリア(石濱佑依)と入れ替わったときである。機械人形(実はスワニルダ)がまるで今いのちを得たみずみずしい乙女のように、ゼンマイ仕掛けのぎこちない動きから徐々に人間のなめらかな動きへ移っていく、そのダイナミックな変化(へんげ)のさなかのことだった。
 上村未香のスワニルダは巧みに二重に踊られる。なかば、怪博士に眠り薬を盛られてしまった恋人フランツ(貞松正一郎)の容態を気遣いながら、なかば、我が“夢の乙女”コッペリアが命を得たと真面目に信じているその怪博士コッペリウスをからかいながら、二重に、コミカルに踊られる。人間とモノとの混血児のような奇怪な人形たちがずらりと並ぶおどろおどろしい実験室で、だからいっそう際立って、むしろ二倍に明るく、二倍に軽快に、二倍に茶目っ気たっぷりに踊られる。シリアスな振り付けでは毛頭ない。
 だが、プリマ・バレリーナとして自己を休みなく鍛えてきた上村未香の身体は、そのコミカルなダンスのなかでどこまでも鋭く、輝かしく、揺るぎなく、従ってダンス表現のその中心部に、決して緊張を解くことのない針のようにシリアスに、いささかのブレもなくまっすぐに突き立った。重力から解き放たれ、一筋の光芒となって踊るバレリーナ上村未香…。機械がつくる奇妙な風景のまっただなかを蝶のように舞う光…。そのシャープでエレガントな身体と空気の精のような透明な踊りがなければ、たぶんこのヴィジョンは生まれなかったことだろう。
 この美しさはまるで針の輝きだ、その一瞬、そう思ったのがきっかけとなったのだった。
 しかも機械のなかを変転していくこの針はほかのどんな針でもない、時計のなかを進んでいく秒針だ、とそう確信したのがきっかけになったのだ。
 おそらく機械仕掛けで動くものをこの地球上に見渡して、12個の数字からなる正確な円陣(サークル)を揺るぎない規則で巡っていくあの秒針ほど、たくさんの象徴に満たされたものはほかにない。
 そのひと刻みで世界が更新されるのだ。
 世界どころか宇宙が更新されるのだ。
 いまあるすべてのいのちがそのどこかのひと刻みに誕生した。
 いまあるすべてのいのちがそのどこかのひと刻みに終焉する。
 あらゆる悲劇がそのどこかのひと刻みで現われてどこかのひと刻みで消えるのだ。
 あらゆる喜劇もまた同じ道をたどっていく。
 そしてその綺麗なリズムはなんといのちの鼓動に似ていることか。
 そしてその完璧このうえない円軌道は、なんと滑らかに、なんとスリリングに、現実と幻想の接点を移行していくことだろう。
 秒針幻想…。
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 そうなのだ、上村未香の繊細な身体はその瞬間、最も大きなものの象徴としてそこに屹立したのである。
 さまざまな機械たちでぎっしりと詰まったコッペリウスの実験室は、いまや各種の歯車や伝動装置を連結した大時計の精巧な内部であった。そこをダイヤの針さながらの上村未香の秒針が、ブライトに、エレガントに、そしてピュアに、舞い渡っていくのである。もっとはっきりいうならば、時間そのものの化身となって彼女がそこで踊るのだ。きらめくようなリルケの詩句が記憶の奥から現れた。
 
 いま時間が身を傾けて 私にふれる
 明るい 金属的な響(ひびき)をたてて。
 私の感覚はふるえる 私は感じる 私にはできると―
 そして造形的な日をとらえる      (富士川英郎訳)
 
 時間。それは、造形すなわち、創造の言い換えにほかならない。創世記は神の最初の七日間の創造を克明に、時系列的に記録する。古事記の国生みの叙述にも、背後には時間の揺るぎない流れがある。バレエ「コッペリア」は、若者たちのドタバタを前面に押し立てながら、しかし実は幾重もの意味を内部に潜めた、まさしく時間の踊りだったのだ。ほかならぬ創造のダンスであった。
 だからこそ、次々と舞台に登場するあれら豊かな象徴の群れ。鐘は時を告げ、だとするとその田舎町に新しい鐘が吊るされるその日は、新たな創造へと踏み出す記念の日にほかならない。おりしもその祝祭の日にフランツとスワニルダの婚礼も重なって、恋人たちもまた新しい創造の季節へと歩を進める。機械時計は象徴的にも中心の一点と美しい円(サークル)からなるが、それはとりもなおさず広大な宇宙の縮図で、したがってそのような目で見つめると、第一幕の群舞にきれいな円陣(時計、宇宙)が示されるのは、この作品の深い射程を暗示する重要な仕掛けだと読めてくる。ならば第三幕の「時の踊り」は第一幕に呼応して作品のクライマックスに現れる時間のヴィジョンの集大成で、すると、それに続く「あけぼの」の踊りは天地の開闢(かいびゃく)に、「祈り」は神の顕現に、そして「仕事の踊り」は神による創成の労働に、自然に重なることになる。
 わたしたちは目でラブ・コメディーを楽しみながら、心で宇宙の創成神話にひたるのだ。
 無限の深淵に築かれた広大な舞台である。
 だとすれば、締めくくりにあたって、この作品に秘められた強い毒にも少しは触れておかないといけないだろう。
 コッペリウスの実験室は、もはや単に化学と物理学の部屋ではないということだ。そこは錬金術の部屋である。錬金術とは、なにも銅を金に変えて大儲けをすることが目的の魔法などではないのである。マクロコズム(大宇宙)とミクロコズム(小宇宙)が出遭うその場所はあらゆる創造の源泉が潜む秘所で、だからそこでの最終的な欲望は、いずれ、より純粋な生命を生み出すこと、むしろいっそう卓抜な人間を創出すること、完璧に霊的な人間を創造することに向かっていく。コッペリウスは、ほかでもない、神がつくりたもうた女よりもっと美しく、もっと完全な女をわが手で生み出そうとした冒険者だったのだ。神のしわざへの挑戦者だったのだ。
 スワニルダにからかわれているとはつゆ知らず、“我が理想”コッペリアがいのちを持ったと信じ込んだ井勝の怪博士コッペリウス。その異端の喜びは、エクスタシーの奔流となって博士の肉体を貫いた。歓喜はつかの間の幻想でしかなかったが、確かに神を超えた歓喜の一瞬だったのだ。
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 さて、二十世紀を象徴する舞踊団のひとつ、フランスのローラン・プティ・マルセイユ・バレエ団は、怪博士コッペリウスの人形愛にある種の倒錯的な情動をにじませる新演出で「コッペリア」を上演した(1976年)。発表当時は世界のバレエ界に大きな衝撃を放ったが、しかし今あらためて振り返ると、創造原理(神)との対決という大きな原作のスケールが、この新しい振り付けで個の心理的なもだえという相対的に小さなレベルに縮小されたという観も否めない。二十世紀はそのようにあらゆる芸術を人間の条件で読み替える世紀であった。だが個に閉じ籠められた絶望と悲しみは、孤独な袋小路から出られない。出口もないし、他者との和解もないのである。
 一方、怪博士をからかってその夢を打ち砕いた上村未香のスワニルダと貞松正一郎のフランツは、最後には許しを乞うて婚礼の持参金を差し出すが、井勝のコッペリウスはシンボリックにもこれを拒み、拒んだうえで和解する。最終幕のごく短いシーンだが、井勝の一瞬の表情とともにそこで意味されるものは大きくて深い(原演出では、コッペリウスが仲介の村長から金貨をせしめて立ち去っていくのである)。確かにコッペリウスの企ては挫折して、彼は絶望のなかへ滑り落ちてしまったが、しかしどっこい、この21世紀の怪博士は内なる夢への希望まではまだ「売り渡さない」のである。金で取引はしないのだ。彼はなお秘かに宇宙的視界のなかで自己の錬金術を推し進め、彼の機械たちに囲まれながら、彼の時間を強力に生きるだろう。
 ローラン・プティの怪博士は孤独のなかに悲しく立ち尽くすほかなかったが、貞松・浜田のコッペリウスは最後に若者の輪に入ってダンスに浮かれ、体と心をほてらせながらまた自分の実験室へ帰っていく。
 そしてわたしたちのこの現代にあって神なるものとは、それら異端の企ても悠然と抱き込みながら、なお巨大な創造を推し進める強靭な全体者のことである。
 貞松・浜田バレエ団の「コッペリア」(ホフマン原作、サン=レオン原振付、ドリーブ音楽、全3幕)は同バレエ団と尼崎市総合文化センターの主催で2008年9月23日、尼崎市のアルカイックホールで上演された。貞松正一郎の演出および改訂振付で、オーケストラは堤俊作(音楽監督)指揮の大阪シンフォニカー交響楽団。演奏も完璧で、ダンスと音楽の呼応も、この日の観客の大きな喜びとなった。
 STAFF 総監督 貞松融/芸術監督 浜田蓉子/指導 松良緑、堀部富子、長尾良子、小西康子、松良朋子/衣装 林なつ子、工房いーち、鈴木恵以子、中江三従子、原田すみ子、チャコット/衣装デザイン画 小島ゆり/照明 柳原常夫、加藤美奈子、ライティング・セブン/装置 日本ステージ、アステム、NBA、遊カンパニー/舞台監督 坪崎和司/舞台監督補佐 兵庫寛/アナウンス 中江美穂/手話 平井圭子/写真 高田真、大宝智子/プログラム 殿井博/制作補佐 小西直美、吉田朱里、植木千枝子/総務 柏木正巳、宮武正彦、堤貴美子、柏木里恵。
2008.10.12
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クーリヤッタム

宇宙化する身体

 南インドに伝わる古代の舞踊劇クーリヤッタムが神戸ハーバーランドの神戸新聞松方ホールで上演されました(2008年8月3日)。
 現代に残る最古の舞踊劇ともいわれています。
 
 プログラムは、サンスクリットの大叙事詩「ラーマーヤナ」(紀元3世紀)の数ある物語の中の一つ「塔門の戦い」です。
 重々しい魔王ラーヴァナと小ズルそうな猿の神ハマヌーンの対決を軸に、そこに神々の世界のエピソードが奔放にからめられます。
 複雑絢爛な衣装の3人の演者が繰り広げるダンスと語りとマイム、そして素朴な打楽器をベースにした5人の伴奏者の演奏と詠唱、この二つによってそれは演じられていくのです。
 
 爽快なのは、空間と時間のとほうもないスケールです。
 自在に天を翔け、地を走る、これこそ神話的世界です。
 そしてそれは魔王ラーヴァナが聖なる山カイラーサを持ち上げるという段になって、最高潮に達します。
 そのときカイラーサの山頂には神妃パールヴァティーがいて、突然の大地震に驚きます。
 驚き、おびえて、思わず夫シヴァ神にすがりつき、おかげで冷えた夫婦仲にヨリが戻ったというのです。
 
 わずかな目の動き、微妙な指の動き、そのささやかな信号がたちまちにして天と地を動乱に導くさまは、表現の驚異としか言いようがありません。
 真言宗の空海は、頭部から脚部への身体各部に、風、火、水、地、すなわち宇宙の構成原理を配することによって人体を考えよ、と著書「即身成仏義」で述べています。
 そのように配することで身体と宇宙とを同時にとらえよというのです。
 なるほど、あれは単なる比喩ではなかったのだ、と思いました。
 いかにも舞踊において、人体は宇宙そのものになるのです。
 
 あるいは、太古において舞踊というのは、人間の身体を宇宙化する秘術だったのかもしれません。
 
 だとしたら、現代の舞踊は故郷を忘れているといえるでしょう。
 ダンスが宇宙的出来事であることを少し思い出してみることも無駄のことではないのでは、とそんな思いになりました。
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  2008.9.19 Tadakatsu Yamamoto
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Cahier

 千秋次郎    遠い恋歌…浄土へつながる無限平面
 垂直に上昇していく音楽と水平に広がっていく音楽とがある。日本の古い歌謡をもとに千秋次郎が作曲する野心的な合唱曲は水平に広がっていく音楽だ。どこまでも、むしろ無限に広がっていく曲である。あるいは、現代のまっただなかで西方浄土を密かにめざしているように…。西宮混声合唱団(中桐宏二郎団長、73人)の第53回定期演奏会で新曲「遠い恋歌」が発表された(2008年8月24日 兵庫県立芸術文化センター)。
 垂直の方向と水平の方向がくっきりと見えたのは、これはたぶん聴衆の耳への効果と演奏のバランスを考えてのことだろうが、幸運にも合唱団がプログラムの一番目にモーツァルトの「ミサ曲 ハ短調」を持ってきて、そのすぐ後ろに千秋の混声合唱組曲「遠い恋歌」(合唱団委嘱曲)を置いてくれたからである。いうまでもなくモーツァルトは果敢に、間断なく上昇する。これはもう一目瞭然で、俗世から天上の超越者(神)に向かって情熱的に駆け上がる。一方、千秋の新曲は、こちらは少し注意をもって耳を傾けることが必要だが、むしろ俗世に沿いながら地平をひろびろと広がっていくのである。地平線の向こうにまで広がっていくのである。だが考えればすぐにわかることなのだが、わたしたちにはそれが自然なのである。この列島の民族が何世紀にもわたって希求してきた超越者(阿弥陀仏)は、頭上の天空にではなく太陽が沈む方角、すなわち西の地平線の向こうにいた。
 「遠い恋歌」は、日本に伝わる二つの歌謡集からその時代に流行した五つのラブソングを抜き出して(一部の曲は歌詞を作曲家が編集)、そこに現代のメロディーと生命を吹き込んだ歌である。戦国時代の「閑吟集」(1518年)と江戸時代の「松の葉」(1703年)が、選ばれたそのテクストなのである。忍び逢いの胸の高鳴り、夜明けの鶏鳴の口惜しさ、物狂おしい夜の残り香、はかない世をはかないと知りながらだからこそ心を焦がす男と女…。
 モーツァルトの音楽が天上の中心者に収斂するなら、わたしたちの愛の歌は無限に広がる平面をどこまでも漂泊する。それは感覚的な印象だけのことではない。記譜によって明快に数理化された構造上でも、いうなれば数学的にもそうなのだ。千秋の譜面に密度濃く登場する半音階。フラットの周辺に何と多くの音が群がっていることか。それは全音階的な調和と統御の世界(神の世界!)から間断なく外延へ向かって流れ出す。中心から流出する。
 千秋の曲には西欧的な旋法と日本的な旋法との深い結合と葛藤がある。緊密な競合と対立がある。そして最終的には日本旋法の、美しい、微妙な勝利が現れる。
 半音階の巧みな活用。これは不思議な音階だ。平均律のなかにあって、平均律を内部から切り崩す。秩序のなかに組み込まれた一瞬の無秩序。論理のなかの刹那の超論理。だが千秋がこれを扱うと、その不安定な踊り場が単なる通過点に終わらない。独特の強度を得て、無限へと広がる普遍的な水平面になるのである。
 地平線への憧れ。落日への信仰。だがとりわけ重要なのはその無限平面が隅々まで無常観で満たされているということだ。激情に満ちた骨太な呼びかけの代わりに、むしろ微分的に繊細な情感のさざなみがそこにある。遠い明日より今を深く濃やかに生きること…。
 
  2008.9.7 Tadakatsu Yamamoto



大塚温子展

「カメ」と呼ばれた猫がいました

 大塚温子さんの個展の案内状には少し風変わりなことが書いてありました。
 家族の一員だった老猫を介護していたこと、その猫がとうとう最期を迎えたこと、そして将来どこかにその猫と再会できる場があるだろうということ…。
 そういうことを考えながらこのたびの作品を描き上げたというのです。
 
 正直いうと猫のことはすぐ忘れました。
 一匹の猫の死が絵の上に何か影響を及ぼすような、そんなことがあろうとは考えなかったからでした。
 美術はそんなものじゃない、という思いがどこかにあったのだと思います。
 
 でも神戸・トア・ロードのTOR GALLERYできょう個展を見てきて、いま頭のなかを占めているのは大塚さんと19年を一緒に生きたその「カメ」と呼ばれる雄猫のことです。
 「カメ」の死が大塚さんの絵をどんなに深め、高めたか、それは、まったく、一目瞭然のことだったからなのです。
 
 ブルーの世界をまるで大河が横切っていくように、微細な赤や緑や紫を点描ふうに散りばめた作品は、タイトルに「無題」とありますが、これは間違いなく宇宙のかなたへ想像を誘っていくビジョンです。
 可視領域を紫外線の方向かあるいは赤外線の方向に少しずらせば、天の川はこんな絢爛たる流れになって、頭上を渡るのではないでしょうか。
 銀河鉄道の路線図をたどっていけば、「猫の駅」がきっと見つかりそうな気がします。
 
 「青き時間」は今度の個展の最高の作品といっていいでしょう。
 これも深いブルーの空間ですが、そこにハイライトとなって三本の光の塔が立ちました。
 ブルーとハイライトに見え隠れしながら、なにかの記号が天から地へと連なります。
 くさび形の文字のようにも見えますし、宇宙音楽の楽譜のようにも見えますし、星から星への通信信号にも見えるのです。
 不思議なのは、頭では理解できないにもかかわらず、心の底ではとうに親しい記号だということです。
 これは猫たちとわたしたちと、それから宇宙のあらゆる存在との共通言語なのでしょう。
 
   猫の恩返しというモチーフが童話にも出てきます。
 「カメ」は大塚さんにインスピレーションという大きな贈り物をしたのです。
 むしろ一匹の雄猫が大仕事をやりとげて天界へ去っていったというべきでしょうか。
 
 (なおTOR GALLERYで大塚温子展と並行して開かれたPenPen展については本サイトの姉妹ブログ「しゅぷりったあえこお nano」8月7日付けに記事があります)
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「青き時間」
  2008.8.7 Tadakatsu Yamamoto
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KOBECAT 0045
2008.7.13 神戸・イカロスの森
劇団・豪玉万里紀行U「連結コイル」

――悲劇の構造化から悲劇の水平化へ――
■山本 忠勝


村一平というひとりの役者が巧みにふたりの対照的な男を演じた。ひとつの役は戦中から戦後そして激動の昭和30年代から高度成長のピーク期までを教壇に立って生きた大学の教官だ。もうひとつの役はバブル崩壊後の現在をまさしくリアルタイムで生きているIT企業の一サラリーマン(ITコンサルタント)である。教授は温厚な人物だが、思想的にはスジの通った左翼系学者だったようである。サラリーマンのほうも同じように温厚な人柄だが、こちらにはとくに核になる思想といったものはなさそうだ。ただ新しいタイプの知識集約型産業の担い手として、事態を冷静に分析する知的トレーニングはまず過不足なく経てきている。そのふたりがときには舞台上の空間でときにはスクリ−ン(映像)の中の空間で、相前後しながらそれぞれの時間を生きていく。つまりはそれぞれの悲劇を、温厚に、穏やかに、ということは、外には目立つこともなく生きていくということだ。武谷嘉之の脚色・脚本・演出による劇団・豪玉万里紀行Uの新作「連結コイル」はそのように二重の構成で、二重の悲劇を、それも静かに、ゆっくりと編み上げた(2008年7月13日、神戸・イカロスの森)。
 原作は札幌市に住むフリーライターの海東セラが大阪女性文芸賞(第24回、大阪女性文芸協会主催)を受賞した同じ題名の中編の小説だ。海東のオリジナル作品には、大学教授は出てこない。主人公は40代を迎えたサラリーマン(原作では環境コンサルタント)とその妻で、物語の中心に置かれているモチーフは、無用の長物になってしまったベッドの解体作業である。夢だった南欧風のマイホ−ムを7年前に完成させ、ベッドもわざわざクレーン車で3階の寝室へ入れたのだが、今は妻が腰痛を発症して床の上で寝る始末。場をとるだけになってしまったそのベッドを荒ゴミの日に出すために、妻の頼みで夫が壊しにかかったというわけだ。題の「連結コイル」も、解体作業の難敵として現れる無数のコイル型スプリングのことである。
 さて、数えれば290個にもなるこの厄介な鋼鉄コイルをどんなふうに外していくか…。
 段取りが綿密に組み立てられ、その段取りを着実に、むしろ偏執的に遂行していく男の姿が主旋律として小説の中心を進むのだが、それ以上に特異なのはハイカラな3階建て住宅に満ちている奇妙な貧しさの空気である。男のIT会社は経営難に直面して給料の支払いも滞ったままである。妻は出版社の記者だったが、これも倒産して、今はパートの仕事でその日暮らしを支えている。ベッドを自分たちで壊すのも、専門の業者に頼む金がないからだ。このままでは間違いなくローンの返済もできなくなる。家を手放すのも時間の問題なのである。だが、あえて奇妙な貧しさと言ったのは、事態の切迫感が一向に表へ出てこないからである。貧しいという意識が稀薄な貧しさ…。しかもそれが不気味なのは、その稀薄さが実はわたしたち読者(観客)に却ってリアルだからである。同じ事態に置かれたら、わたしたちも多分それをそんなふうに、他人事のように感じることになるだろう。そして実感のないままに破局に向かっていくだろう。
 つまり状況はずいぶんと悲劇的でありながら、ことは平板に進んでいくということだ。コイルの精緻な輝きを一個ずつ浮き彫りにしていくような細部の描写を重ねながら(主人公の偏執性ときれいに重なる作家自身の偏執性!)、しかし小説は平板に、言い換えれば始まりも終わりもさしてレベルの変わらない水平面を進んでいくということだ。そして海東のこの小説が武谷の戯曲に置き換えられるとき、これがすなわちこのエッセーでいちばん強調したい論点だが、その水平面にちょっと意表を突く形で立体的な構造が挿し入れられることになる。
 小説の存在を知った武谷がどの時点で教授の挿入を思い立ったのか、そこにこの戯曲の狙いを解く大きなカギもあるはずだが、ここではその詮索には立ち入らない。まず心を打ったのが、戯曲が順序を追って繰り広げていく筋立てより、この戯曲がわたしたちに一気に示す特異な構成だったからである。わたしたちはいきなりある種の複眼的な視点へと誘い出されることになる。片方の目で小説にも書かれているポスト・バブルの奇妙に実感から遠い、稀薄な貧しさを眺めながら、もう片方の目で、こちらは小説には出てこない濃厚な古典的貧しさを目撃することになるからだ。
 教授がわたしたちの前へ最初に現れるのは敗戦後まもない統制経済の時代である。そこではたった一個の鶏卵が自己の生きざまを問うようなのっぴきならない存在にまでなるのである。衣川佳子の演じる妻が闇市でようやく一個の卵を手に入れて夫の食膳に乗せるのだが、教授は妻の思い遣りに頭を下げながらもしかし穏やかに謝絶する。
 「どんなに理不尽な法であっても、それが法としてあるかぎり、私は守らねばならない」
 彼には深い悔悟がある。
 左翼思想を信奉する友人たちが戦争のさなかに次々と拘束された。殺されてしまったものもいる。だが彼は信念を内部に隠して生き延びた。共同体(国、社会)の法は守らねばならないという、いわばソクラテス的大義によって自己を正当化したのである。だが明晰な精神の持ち主であるだけに、日和見と批判されてもしかたがないという悲しみが胸の奥を離れない。いま闇の卵を食べるのは、その日和見的な弱い自分をいよいよ決定づけることになる。法が強大なときには法に隠れ、法が脆弱になったときには法を破る。二重の欺瞞を犯すことになるのである。そこまでは自分をおとしめたくはない。
 重要なのは一教授のこの悔悟を通して、ひとつの時代がわたしたちの前に構造的に甦ってくることだ。たった一個の食材がひとりの人間の全思想を照らし出し、そればかりか社会の全構造を照らし出す、そういう時代がかつてあったということを思い出すことになるのである。闇市の卵を前に、それを食べた人間と食べなかった人間、その双方の立場の違いがくっきりと見えた時代があったのだ。さらには最初から食べることのできない階級とそんなひどい時代でもじゅうぶんに食べることができた階級、その二つの階級が鮮明に見えた時代があったのだ。ひとりの個人から共同体(国、社会)の全構成員にいたるまで、あれか、これか、あちらか、こちらか、すべてが二つのうちのどちらかに振り分けられた時代である。貧しさから永久に抜けられそうにない階級、そしてその貧しい人びとの労働の上で却って豊かさを増す階級…。教授はもちろん社会を批判的に見る知識人のひとりとして大学の講義でもその非人間的な局面を構造的に定式化する。
 「資本主義社会では、労働者は自分たちの労働からいつも疎外されることになる」
 なにもここで唯物論的弁証法のおさらいをしたいわけではない。教授は戦後最大の労使対決となった三池炭鉱の大争議(昭和34年―35年)にもオルガナイザーとして加わった学者のように設定され(三池闘争は実際にマルクス経済学者で九州大学の教授だった向坂逸郎が現地に入って全面的に指導した)、「三池は勝つと思ったが…」と述懐するシーンなども点景のように挟まれているのだが、この戯曲がわたしたちに深い印象を刻んだのは、戦後の前衛運動の消長をかいつまんで描き出したからではない。貧しさをどう感じ、どうとらえるか、その意識の差異をくっきりと彫り出したからである。
 意識のあり方が大きく変化したのである。すると見える風景が違ってきた。ひとりの個人の貧しさの原因が単にそのひと個人の能力や努力や運・不運に収まらず、そこに社会の全体的な構造が圧倒的な力をもって重なった、そういう時代がかつて確かにあったのだ。あのころは貧しさがだれの目にも構造的に見えていた。だが気がつくと、ひとりの個人の貧しさが、いくらかは社会に原因があるにせよ、大半はその個人の個別的な状況としてしか見られなくなっていた、そういう時代にいつしかなっていたのである。社会にもまだまだ不完全な面はある、しかしより大きな問題は能力と努力そして運がおまえに欠けていたそのことだ、というわけだ。貧しさはいまや構造を失って、茫漠とした水平面で眺められているのである。
 むろん、認識論にまで降っていくと、ことはいささか微妙な論争に行き当たる。社会が劇的に変化して、それに伴ってわたしたちの意識も劇的な変化を遂げたのか。逆に、わたしたちの意識が劇的に変化して、それに伴って社会も変化を遂げたのか。それとも、社会の根幹は変わらないまま、わたしたちの意識の変化に伴って、視界が変わることになったのか。あるいはむしろ、社会も劇的な変化を遂げ、わたしたちの意識も劇的な変化を遂げ、しかし必ずしも双方に原因―結果のストレートな関係はなく、むしろ社会と意識の絶え間ない混乱とズレこそが恒常的なものなのか。
 だが今その争点に関わっては論点を拡散させることになる。なによりもここで見据えておきたいのは、かつては構造的に、従って恒常的なものとしてきわめてリアルにとらえられていた貧しさが、今はその構造が解体して、むしろ水平的に、従ってなにか夢の中の一時的な出来事のように稀薄にとらえられているということだ。
 記者の仕事を失ってしまった妻も、いま失職の瀬戸際に立たされている夫も、自分たちのその苦境を資本と労働の対立(階級対立)といった明快な構図によって、構造的に把握する意識からすでにほど遠いところにいる。出版社にしてもIT企業にしても、失敗は経営者個人の手腕あるいは見通しの甘さによる特殊個別的な破綻である、自分が社長の立場なら、同じような失敗をしたかもしれない、そういう不思議な共感さえ言葉のはしばしに現れる。貧しさと豊かさはいまや同じ水平面のモザイク模様なのである。濃度の違いに過ぎないのだ。
 とりもなおさずそれは、悲劇の形が大きく変わったということだ。教授は構造を見据え、その構造を覆すことに全力を傾けながら、しかしそれを達成できなかった無力感にひっそりと沈んでいく。構造の悲劇である。巨大な一つの階級の歴史的な敗退だ。一方、彼の孫の世代にあたるサラリーマンは、モザイク状あるいは襞状の濃淡が果てしなく広がる水平面で、寡黙に、穏やかに、無力感を漂流する。水平の悲劇である。ささやかな個人のまさしく個人史的むしろ自分史的敗退だ。
 290個のコイルを解体し終えた夫が、見守る妻を横にして、まるで独り言のように言うのである。
 「一個一個になったら、全然ちゃうなあ。こんなにバラバラや。全然ちゃうもんになるねんなあ」
 それにしても、この水平化の時代をすでにひたひたと浸食している新たな疎外の深刻さと不気味さにわたしたちはまだじゅうぶん気づいていない。戯曲「連結コイル」が最終的な射程に置いているのも、たぶんそこのところである。構造の時代には、疎外は連帯への入り口だった。万国の労働者よ、団結せよ! 階級的アイデンティティへの共通の土壌であった。だがこの水平化の時代には、疎外は域外への個別的な追放だ。ひとりひとりが荒野へ追われるリアとなる。叫んでもそれに答えるものも和するものもないのである。今度こそ本物の孤独がやってくる。
 さて、どうする。
 いや、どうしよう。
 「全然ちゃうなあ」と語る中村一平のその最後の台詞の声色には、孤独の場所での居直りとでも形容しようか、なにかしら新しい形の自立と連帯と再生を予感させるかすかな明るさもあったのだが…。

 武谷嘉之が主宰する劇団・豪玉万里紀行Uの第6回公演「連結コイル」は2008年7月11日から13日まで神戸・三宮の小劇場イカロスの森で行われた。坦々と運んでいく二組の夫婦の物語を中村一平と衣川佳子がそれぞれ二役で好演したが、ほかに渡辺由美、赤松由美、平松京子が電話の声、アナウンサーの声として出演した。
 STAFF 照明プラン 鬼無桃犬郎/照明オペレーター 河西沙織/音響 山本慎也/制作 江間敦子/映像制作 奈良産業大学山田ゼミ/制作協力 コドモドア局
2008.8.2
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神戸二紀女流作家展

精緻な時間、巨大鉄橋、奇妙な遊園地…

 神戸二紀女流作家展が神戸・三宮のギャラリーほりかわで開かれました(2008年7月10日〜15日)。
 神戸二紀(二紀会兵庫県支部)でめざましい活動を続けている女性作家の18回目の合同展です。
 22人が力作を並べました。
 
 合同展となるとやはり強い個性を発揮する作家のほうに目が行きます。
 群を抜いているのは「刻」のシリーズを描いている津田仁子さんです。
 機械仕掛けの人形が中心的な役割を果たすのはこれまでと変わりませんが、今回はそこに旧い機関車や双葉機などの精巧なミニチュアが加わりました。
 スーパーリアルな砂時計やランプとともにまさしく精緻な時間がそこに出現しています。
 
 がしっとした構造体の表現に惹かれている向田友美さんの今回の作品は「鉄橋」です。
 余部鉄橋がモチーフでしょうか、橋脚の下からまるで天空を走るような単線鉄道が描かれました。
 高さを表出するというのはそれじたいが空間のドラマです。
 
 八木茉莉子さんの不思議なビジョンはいつも不安な夢のようですが、今回の「ある日」には、遊園地がもつ二重性のようなものが漂います。
 遊園地はもちろん喜びのために造られる場所ですが、どうかすると設計されたもの以外の何かが忍び込んできて、喜びの裏側を奇怪に侵食するのです。
 闇のようなもの。狂気のようなもの。喪失のようなもの…。
 
 岡和美さんは街のショーウィンドーを見つめ続けているひとです。
 ひと昔前だったら、虚飾の空間の典型として芸術的には格下の題材と見られたでしょう。
 けれど岡さんはこのガラス世界への愛を貫き、いまや確かに独自のビジョンを切り開こうとしています。
 あと少しでいよいよ最も強く言いたいことがビシッと現われてきそうです。
 
 中畑佳子さんの「夢もよう」は、3メートルを超えるでしょうか、細い帯のような奇妙な絵です。
 ブルーとグリーンを基調にして、惑星のような、星座のような、あるいは星間に満ちる波動のような、定めがたい形象が連なります。
 宇宙の音楽を「見る」ようです。
 宇宙創生の絵巻物のようなのです。
  2008.7.14 Tadakatsu Yamamoto
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Cahier

 F.ノボトニー & 伊藤ルミ    天空への情熱、大地への憧憬
 天空へ上昇したいと熱望する根強い憧れの系譜がある。イカロス、ファエトン、そしてたぶんアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ…。フランティシェック・ノボトニー(チェコ)が奏でるヴァイオリンの澄んだ音色はその系譜が今も力強く生き続けていることを証明する。大地の母に支えられていたいと熱望する原始からの憧れの系譜がある。ガイア、イシュタル、あるいはイザナミ…。伊藤ルミが弾くピアノの深い音響はその大いなる女性性への憧憬が完璧に満たされるそういう瞬間が現実にあることを保証する。神戸新聞松方ホールで開かれた「フランティシェック・ノボトニー&伊藤ルミ デュオ2008」は、天上を目指す精神の精緻な響きと大地が織り出す豊麗な感情の響きとの豊かで深い共振だった(2008年6月28日)。
 グリーグの「ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調 作品45」(1886年)とリヒャルト・シュトラウスの同じく「変ホ長調 作品18」(1888年)。対照的な曲想である。43歳のグリーグはきわめて大胆な飛翔によって、混沌とした激情の奔流から輝くばかりの清明な精神を紡ぎ出す。24歳のシュトラウスはきわめて知的な推論によって破局の前兆を嗅ぎ取りながら、しかし強い楽観的な意志によって運命の好転を目指していく。だが、その曲に仕込まれた両義性の構造において、ふたつの作品は通底する。まず、激情の闇と精神の光から成る二重の構造。そして、運命の不安と生の喜びから成る二重の構造。ノボトニーのヴァイオリンと伊藤のピアノは、とりわけこの両義性の構造に鋭敏に感応した。
 終楽章(第3楽章)の舞曲ふうパセージで光と闇が響き合うグリーグのヴァイオリン・ソナタは、同じ時代に同じモチーフを絵で表現することになる同国人(ノルウエー)エドヴァルト・ムンク(1863―1944)のまさしく「生命のダンス」を思わせる。やがて精神は天上へ帰り、肉体は大地へ戻るだろう。ここで生きるということは、天と地の間(中間部!)でしばし引き裂かれているということだ。だが、だからこそわたしたちには天空の高さがわかり、地の深さに思いが至る。そしてダンスは天と地の往還を鋭くなどる旅である。ヴァイオリンはイカロスとなってどこまでもどこまでも昇っていった、ピアノはガイアとなって優しくその帰還を待ち受けた。望むだけ飛びなさい。墜落すれば優しく抱き止めてあげるから。
 他方、下降を繰り返し重ねたのちに、終楽章でついに劇的な上昇へ転じていくシュトラウスの変ホ長調。生きることのこの大きな歓喜。だが地平のかなたに今浮かんだあの雲は暗い運命の予兆ではないか。ここでは上方への力と下方への力がさらに明確に現れる。ピアノが重力を象徴するようにいっそう力強く、いっそう荘重に進行していくからである。するとヴァイオリンはそれを振りほどくように急速に上昇する。だが重力があってこそ上昇が方向づけられ、上昇にリアリティーが現れるという、この逆説。ガイアの力があればこそ、イカロスは飛び立つのだ。
 なんと大きな音楽空間。無限に高い天空と無限に深い地底の間に精神が満ちるのだ。デュオを組んで19年。ノボトニーと伊藤とはそういう音楽をつくるのだ。
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  2008.7.12 Tadakatsu Yamamoto


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KOBECAT 0044
2008.6.19〜29 神戸・トアロード画廊
岸本吉弘個展

――永劫回帰の振動…豊饒なる挫折――
■山本 忠勝


ンカレッジへ向けて初めて北極圏の上空を飛んだときに経験した目の混乱は忘れられない。はるか成層圏から見下ろす地球の表面はありあまる陽光でハレーションのように輝いて、一面に真っ白な雲海が広がっているのか、それとも光の満ち溢れる海面に白い流氷がびっしりと浮かんでいるのか、判然としなかった。ただ海面と雲との距離が思っていたほどに大きくないのには驚いた。まるで海にはりついたように低く漂っていくちぎれ雲がところどころで確かめられたからである。地表で見れば空と海に截然と分かれる二つの流れが、そこではほとんど同じ水平面を移っていた。岸本吉弘の個展を訪ねて最初に思い出したのは、この北極の空の記憶であった(2008年6月19日〜29日 神戸・トアロード画廊)。

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「龍の梯子」
 色づかいの面から言えば、岸本の作品は北極圏の白銀の風景とはむしろ対極の世界である。濁りを含んだ青、濁りを含んだ緑、濁りを含んだ黒ないし灰色が、微妙なグラデーションでさまざまな諧調を見せながら、大きな画面を覆っている。あえて比喩を用いれば、巨大に広がる森林とそして同じように巨大に広がる台地との複雑な交錯がそこで織り出されているとでも言えようか。ただ、それらが水平面に同じレベルで展開しているという点で、もっと厳密に言うならば、同じ水平面で展開したいと強く望んでいる点で、まさしく極北の成層圏で遭遇したまなざしの混乱と重なってくるのである。
 画家の多くがいまだ絵の奥行きやボリュームやときには空気の厚さの表現に腐心しているなかにあって、あらゆる色彩、あらゆる形象、すなわち絵画のあらゆる表現要素を厳格に平面の出来事として扱おうとする岸本の制作態度はいぜんとして際立ったものである。
 岸本はときにそれを「水平狂」とまで言い放つ。
 ではなぜ、そんなにまで平面か。
 ここからはまだ推測にしか過ぎないが、その裏にはおそらく創造へ踏み出すにあたって画家が彼の全創造の前提として選択したひとつの知的態度がある。それはたぶん認識論にまでくだっていく原理的な身構えだ。
 わたしたちは実をいうと平面すなわち二次元空間を駆使できるようになることで、無限への表現を確保した。彫刻(立体)は、これが三次元的な作品の持つ宿命だが、塑彫、鋳造、あるいは彫木によって空間をその素材(粘土、銅、木、あるいは鉄やコンクリートや合成樹脂、その他)のなかに固く閉じ込めることになる。つまり全体をひとつの切片へ凝集し、凍結する。いっぽう絵(平面)は、むろんタブローの中に対象全体を閉じ込めてしまうそういう描写の方向もあるけれど、原理的には空間の一角をキャンバス(あるいは紙、板、その他)の上にごく控え目にかすめ取るそのことで、却って空間を無限に向かって解き放つ。つまりひとつの切片を全体へ押し開き、離散させていくのである。建築(立体)は封じ込め、庭園(平面)は解き放つ。
 ついでに言えば、平面の表現がもっぱらの今のテレビも技術的にはすでに立体化が可能だが、商品化のもくろみはどこにもない。小さなガラスの箱の中で指ほどの大きさの朝青龍と白鵬がどれほど激しい取り組みを見せたとしても、ほとんどそれはノミの相撲で、今のスリルには及ぶべくもないのである。技術者たちは、立体の画像より平面の画像のほうが含むものの大きいことにすでに直観で気づいている。力士の闘争心、履歴、性格、位階、言い換えれば相撲世界の全体が、平面にこそいっそうありありと現れる。しかも自在に流動し、刻々と更新されながら現れる。
 水平狂の画家岸本は、まさしく平面がもつこの無限性、全体性を徹底しようとするのである。
 そしてたぶん画家のこの特異な身構えは、意識するかしないかにかかわらず、21世紀を生きるわたしたちの全般的な認識の構造と底で鋭く交差する。すでにジル・ドゥルーズ(1925―95、フランス)は、ありとあらゆるものの生成の場として宇宙に広がる「存立平面」というビジョンを提示しているが、今日のコンピューターの膨大な記憶装置はいかにも無限の水平面に構築されたネットワークにほかならない。クリックごとに奥へ進むように感じるのは、ひとつのカテゴリーから次のカテゴリーへの横滑りを、わたしたちが習慣的に奥行きと感じてしまうからなのだ。波動関数で展望する今日の新しい宇宙像では、ついに時間的な奥行きすらも消滅する。時間が空間的な座標の遷移にすっかり還元されるからである。
 だが。
 芸術はいつも内部に深刻な矛盾をはらみながら成立する。とりわけ大きな問題を提起する芸術ほどそうである。岸本の絵の前でわたしたちはぶしつけにも、ということは素朴に、そして根源的にということだが、こう問い返したい衝動に誘惑されることになる。ここにあるのはほんとうに水平の絵だろうか…?
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「S.T」
 この青い色とこの黒い色はほんとうに同じレベルにあるのだろうか。
 もちろんそこに使われている絵具、すなわちその物理的な素材に関して言うかぎり、どの色も同じ水平面に置かれている。蜜蝋を溶かしこむ独特の手法(エンコースティック技法)も、むしろのっぺりとした光のなかに絵具のさざなみを巧みに抑え、いわば絵画の突出した発言を封じている。高低や深浅や陰影などマチエールが引き起こすイリュージョン(幻視)は慎重に排されて、感情的な動きを徹底的にそぎ落としたこの頑なまでの静謐は、抽象画の常識をすら超えている。いかに抽象画であっても、どこかに呼びかけへの意志を潜り込ませているからだ。むしろ「超抽象」と定義したいほどである。
 だが、それにもかかわらず、わたしたちは青と黒の間になにかしら相対的な重さの違いを、厚さの違いを、熱の違いを、そしてこのわたしたちの立つ位置からの距離の違いを、いうなれば極めて微妙な単位での比重、比熱、スペクトル、位階、距離の差異をいぜん感じてしまいはしないだろうか。青が前面に浮かび出て、それを修正しようとまなざしを新たにすると、今度は黒が前面に浮かび出る、そのような往還運動に巻き込まれはしないだろうか。振動の永劫回帰が始まりはしないだろうか。
 そして、そこに却って見るものの喜びがないだろうか。
 画家が画面を静謐にコントロールしようとすればするほど、わたしたしはそこにいっそう強力で豊かな歌を聴き取りはしないか、ということだ。
 じっさい、画家が鎮まれと強く命じれば命じるほど、ダンスはいっそう激しくなって、わたしたちはさらなる高揚へいざなわれていくのである。
 ならば、これはひとりの果敢な創造的冒険者の挫折だろうか…?
 永劫に続く挫折?
 さて、絵画はわたしたちの前にただ単に提示されるだけのものではない。
 それは踏み込んでくるものだ。鋭利に切れ込んでくるのである。ひとまず均衡を保っているわたしたちの遺伝子の配列に強い変数を突き付けるものなのだ。
 わたしたちは好むと好まざるとにかかわらず実は緊密に位階づけられた価値体系の網のなかでそれぞれの色の位置(比重、比熱、色価)を定めている。黒は重い夜であり、しばしば死の色なのである。白は軽やかな光であり、しばしば無垢のあかしである。青は広大な空であり、海であり、東大寺に現れた幻想の女人と聖母マリアの衣装であり、しばしば横断歩道の安全の記号である。ある作家のある作品のある色づかいに遭遇するその前に、わたしたちの意識のなかにはすでにひとつの色の体系が、ひとまずの定数として、堅牢に築かれているのである。岸本の作品はそこにトロイの木馬となって潜入する。毒が仕掛けられるわけである。
 だが、それにしてもこの毒、わたしたちの眼球で始まるこの永劫回帰の振動の、このうえない豊饒さ!
 北極圏の上空での驚きのあとにすぐさまあらためて感じたこと。それはいまやほとんど同じ平面上の出来事にしか見えない雲の流れと海の流れのわずかな隙間に、じつに全世界があるという、その底知れなさへの驚愕だった。際限のない生命の広がり、自然の多様さ、昆虫と獣と鳥そして魚、花々、森、文明の分厚さ、都市の跋扈、間断ない生と間断ない死、旅、希望の光、嘆き、心の奥の無限の闇…。
 岸本の作品は、それが作家の当面の企図ではないかもしれないが、わたしたちの目に、それも一気に、全世界を持ち込んでくるのである。このトロイの木馬はふたつの座標軸に沿ってわたしたちのなかで戦いを進めるのだ。横軸に沿っては、平面Xが宇宙の果てに向かって流出、拡大、離散していくその破壊的な速度によって。縦軸に沿っては、高度Yの極微の閾値で、すなわち一ミリの数百分の一、あるいは数千分の一のわずかな隙間で全世界が、それどころか全宇宙が振動するその膨大な密度によって。
 で、はたして画家は究極的に自己のビジョンの完遂に至るだろうか。
 もちろんわたしたちもわくわくしながらその達成を熱望する。
 だが、おそらく完遂に至るまでにはこの先もまだ厳しい挫折を繰り返すことになるだろう。
 そしてわたしたちは、なんという創造のアイロニー! むしろ作家の挫折のたびにそれだけ豊饒に熟した果実を楽しむことになるだろう。
 振動の幅はなおも死にもの狂いで縮められ、そうして、振動の強度はさらにいっそう強くなる。
 人身御供のような創造。永劫回帰の…。
 岸本吉弘個展は2008年6月19日から29日まで神戸市中央区元町通3のトアロード画廊で開かれた。200号の大作が中心の展観だったが、なかには白い画面に墨でシンプルな表現を施した小品も並べられ、画家の別の側面を発見する機会にもなった。 岸本吉弘個展は2008年6月19日から29日まで神戸市中央区元町通3のトアロード画廊で開かれた。200号の大作が中心の展観だったが、なかには白い画面に墨でシンプルな表現を施した小品も並べられ、画家の別の側面を発見する機会にもなった。
 
2008.6.28
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 武内ヒロクニ    裏への感受性
 絵画の理想を現実の正確な描写のように主張するのは、古典的な嘘である。人間の心の直接的な表現のように主張するのも、古典的な嘘である。写真の出現によって絵画の未来がなくなると真剣に恐れた十九世紀の画家たちは、けっきょく空騒ぎをしただけだ。絵画はむしろ現実に切れ目を入れて、そこにみずからを差し挟む。人間の心の一部をめくって、そこにみずからを張り付ける。絵は受動的な「投影」ではなく、闘争的な「介入」だ。武内ヒロクニの鉛筆画は、まさしくそういう挑発的な絵なのである。神戸・ハンター坂のギャラリー島田で個展を開いた(2008年6月14日〜25日)。
 しばしば都市がモチーフに採り上げられる。都市はもちろん取引が主機能だ。だが武内が都市に描き込む取引は、単に物品や労働や貨幣の交換だけではない。そこで最も強調されるのはふつうは隠されている二つの取引、すなわち死の取引とセックスの取引だ。死はバーゲンセールの看板に掲げられるほどおおっぴらに。そしてセックスは淫靡なホテルでほのめかされるだけの慎ましさで。
 「中学を出たころでした。神戸から梅田に出て、地下鉄に乗ったときの思いがけないあのにおい、あれは鮮烈な経験でした。歯磨き粉のにおい、そう、ライオン歯磨のにおいです。それが車内に満ちていた。梅田にまだ戦後のバラック街があったころです」
 歯磨きのにおい。それは唇の奥から、人間の体の裏から漏れ出てくるにおいである。都市の裏側を渡っていくにおいである。裏への感受性。裏からの視界。死、セックス…。
 裏からの視界がとりわけ特異なのは、表の風景がいつも結果で出来ているのに対して、裏からのまなざしが根源から結果に向かって上昇していくからである。根源においては死もセックスも生も労働も物質も同じレベルで混濁しているはずである。人間も都市もそこではアマルガムのように混合し、流動し、絶え間ない変形を重ねている。
 さて、武内の最近の作品は女と花をモチーフにした異様な草花のシリーズだ。庭の草花と違うのは、ここでは花の部分に女の顔が、葉の部分にブラジャーのパットのような奇妙な形象が生え出ていることである。然り。裏の視線で眺めれば女は花のメタモルフォーゼにほかならない。もっと根源的にトポロジック(位相幾何学的)な関係にあるといってもいい。
 「パットのような…? でも、これはぼくの着想の前に、すでにワコールの発明ですね」
 女と花と下着会社のトポロジー!
 武内が幼年期を過ごした奄美ではある伝承が語られていた。深夜に甲冑姿の神が首のない馬に乗って山を駆け下り、海に向かう。イワトシガミと呼ばれるその神に出会った者は、みずからのフンドシで頭を覆って道にひれ伏し、決して神を見てはならない。さもなければ、その者は槍で両目をえぐられよう。その神の駆け下る細い道に画家の家が建っていた。
 「ぼくは幸か不幸か、神に遭遇しませんでした。しかし、響きが耳の底に残っている。馬の蹄(ひずめ)と甲冑とが一体になった暗い轟き」
 深夜の神。時間の裏の疾走。反―世界への感受性。反―世界から正―世界への「介入」。
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「TALK IS CHEAP」
  2008.6.18 Tadakatsu Yamamoto


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 高濱浩子    無限流動
 郵便切手というこの小さな生き物はたくさんの気流を越えながら世界を旅する精緻な蝶のようである。画家・高濱浩子はその蝶の飛翔に魅せられた。その飛翔に魅せられるとは、それが飛んできた空間と時間に寄り添ってもう一度そこで舞い戯れるということだ。彼女の作品はそれら蝶との乱舞である。おびただしい空間との舞い、おびただしい時間との舞い…。個展が神戸・海岸通のギャラリーヴィーで開かれた(2008年6月2日〜14日)。
 ジャマイカ、キプロス、トリニダードトバゴ、ギアナ、モーリシャス…。詩人なら詩句のなかに第一に歌い込みたいような国の名が、まるで水平線の向こうからの豊かな漂流物のようにそこにある。高濱浩子の切手コレクションは、冒険と郷愁と憧憬のイコンである。その一枚一枚が彼女を創造へ突き動かす。異国の花、異国の英雄、異国の神話、異国の聖人、そしてそれらイコンが母国を旅立ったその日の日付をまるで運命の日のようにしっかりととどめている円い消印…。彼女は炸裂するイメージを、切手に最もふさわしい小宇宙、すなわち葉書大の紙の上に描き出し、それを配達されたばかりの郵便みたいに、むしろ無造作に展覧会場に積み上げた。
 それらの切手はもとをたどればエアメールの束とともに旧神戸中央郵便局のまさしく実在の私書箱1284から取り出されたものである。高濱の父は貿易商を営んでいた。商用の通信が世界各地からやってきた。私書箱が並ぶ郵便局の特別な一室はどこか秘密めいていて、少女は異国の報告が暗い箱からあふれ出てくるのを見上げながら、なぜか心がおののいた。
 切手と蝶の接点、それはともに精緻であるということ、そしてなによりも流動するということだ。画家が描き出すイメージも絶え間ない流動のなかを突き進む。天空を運行する星座系のような幾何学図形、風に波打つ草原のような緑の展開、波紋に揺れる光のような微妙な振動、どれも地平の彼方へと広がっていく無限音楽のその途上の一角をスパッと切って、そこにとどめたようである。どれもが明るい波動の旋律の一部である。
 「もしだれかが作品を買ってくだされば、ふたたびそこから旅立ちが始まります。どこまで広がっていくか、それを思うとたかぶってくるんです。私だけのひそかな約束ごとですが、作品の裏にぜんぶ割印を押しました。そうしておけば、それぞれの旅が広がれば広がるほど、それだけ大きな輪でつながることになるでしょう、旅を裏から眺めれば」
 ランボーというのは詩人から砂漠の貿易商に転身した稀有な精神の呼び名だが、ならば貿易商から詩人へと転身する精神があってもおかしくない。高濱の父は異国のイコンを詩の素材として無数に準備し、おそらく潜在的な詩精神がそこでは繭まで進んで終わったが、それは娘の中で蝶に羽化して新たな飛翔が始まった、としきりにそう言いたい心が動く。
 娘は今度の個展に「私書箱1284」のタイトルを添えている。
 そうそう、洪水のような父への封書から丁寧に切手をはがして、それを大切に保管するのが彼女の母の喜びだったと、そのことも書いておかないといけないだろう。
 人から人へ。そして人から人へ流れることで一層深く高く大きくなるもの。
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撮影:編集部
  2008.6.12 Tadakatsu Yamamoto


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 中辻悦子    棘の上の開花
 静かに語る人である。穏やかな物腰の人である。だが中辻悦子が描く作品には鋭い棘が潜んでいる。おそらくは「心」という言葉や「命」という言葉を添えておけばそれでもう作品のアリバイができたとみなしてしまう、そのような安易な風潮に対する棘である。彼女は感情過多、説明過多、表現過多の時代から逃走する。だから彼女の作品はほとんど記号といってもいいような幾何学的な構成と明晰な色彩に純化されていくのである。だがそのストイックな創造の道程に驚くべき展開が待っていた。むしろ豊麗な開花と呼ぶべきか? 棘の上の開花。バラのような…。神戸・ハンター坂のギャラリー島田で開かれた個展での印象だ(2008年5月31日〜6月11日)。
 「顔絵」―。それが今回の展覧会のタイトルだ。実際おびただしい人の顔が並ぶことになったのだ。それだけでもこの構成的な画家にとってはエポックメイキングなことである。
 むろん、いわゆる内面の掘り下げに傾注してきた昔からの肖像画の顔ではない。モチーフを為し得る限り幾何学的に処理しようと試みてきたこれまでの絵画作法を最大限にここでも生かしている点で、これは紛うかたなき中辻悦子の世界である。簡潔な線と明快な色面に還元された顔である。立体感や距離感や陰影を徹底的に排斥して、文字通り二次元の完全な平面に、ぺったりとはりつけられたように描かれた顔である。
 平面にはりつけられた顔。
 厳密に言うとそれは顔としてそこに実在することを禁じられた顔である。言葉を口から発することを封じられた顔である。自己を説明する手立てを奪われた顔。完璧な沈黙のなかの顔…。だがそこで奇跡が起こる。顔がいかに並はずれた存在であるかがあらわになる。顔は禁じられたこと、封じられたこと、それをむしろデモーニッシュ(悪魔的)に超えてくる。
 顔はそこに実在しないのに、しかし実在以上の幻となって現前する。言葉以上の記号となって現前する。端的に言って、顔は顔である以上すでに表現なのである。もう決してゼロには戻らない。たぶんこのことが今回の制作で中辻が発見した最大の芸術的力学だ。
 そしてそれが微妙に震動することも書いておかないといけないだろう。たとえば笑っているように見えるこの顔は、実はそう見えるだけかもしれないわけで、だからそうかもしれないという直感とそうでないかもしれないという反省の間で永遠の振動を繰り返すことになる。しかもそうでないかもしれないという領野は、あらゆる可能性へ開かれている無限時空なのである。笑っているように見えるこの顔は、すでにあらゆる表情を含んでいる。
 これはすなわち、切り詰められた線と色によるこの顔が、ここで正味に生きているということではなかろうか。つまり作家は自己の作品を紋切り型の「心」や「命」から慎重に遠ざけながら、むしろそれらと忍耐強く闘いながら、その迂回の果てにいつしかほんとうの心と命のこのうえなく純粋な表現へ踏み出していたということではなかろうか。
 「こういう表現もあるかなあと思って」と、作家自身はごく自然ななりゆきの過程のようにその展開を、持ち前のあの静けさと穏やかさで語るのだが。
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  2008.6.5 Tadakatsu Yamamoto


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 山中馨    愛。…言葉で濁る前の
 古い水を汲み出す。そこに新しい水を入れる。すると水が変わるだけではない。覗き込む目が変わる。それを飲む心が変わる。水ばかりではない。絵にも不思議な働きをする絵がある。作品の前に立った者の目を変える。心を変える。山中馨の絵はそういう絵だ。神戸のギャラリーほりかわで七年ぶりの個展を開いた(2008年5月23日〜31日)。
 一貫して愛がテーマだ。難しいテーマである。むろん稀有な主題だからではない。反対に、あまりにしばしば描かれてきたからだ。「愛」とタイトルを読むだけで、人びとはもうすべてを見てとった気もちになる。それどころかタイトルが前に出て、絵の方がその注釈になっているようなときすらある。言葉が作品を隠蔽してしまうのだ。
 むろん山中はその危険を痛いほど知っている。だから、彼は奇妙な作法を生み出した。むしろ「愛」を否定するような手続きで描くのだ。
 あらゆる物質にスペクトルがあるようにおそらく愛には愛の色がある。だが、画家はその愛の色彩の現れを警戒する。彼にとってそれはたぶんあまりに喋り過ぎるのだ。修辞の過剰な詩のように、神髄が華やかな表現の海に埋没する。饒舌過ぎる愛は、愛の死だ。
 だから、削る。
 喋り出そうとする色を徹底的に削るのだ。なにもこれは比喩ではない。ほんとうに削り取る。色を金属のブラシでそぎ落とす。水で画面から洗い出す。
 母と子がしっかりと抱き合っている「流砂(愛)」という大きな作品(150号)の前で、少々ぶしつけだとは思いながらも、この絵は何回くらいそぎ落としていますかと、じっさいに訊ねてみた。
 画家は遡って回数を数えなおす目になったが、「うっ」とうなって、ついに黙った。
 彼にもわからないのである。
 それは、経てきた七十九年の歳月をむしろもっと先まで遡るような目に見えた。
 奇跡が起こるのは、そういうなかでのことである。
 あるところからまるで絵自身が意志を持ち始めるかのように、絵が自分で残したい色を残していく。洗い出しても落ちないものが残っていく。絵面はたえず平面に戻りながら、しかし絵の奥は限りなく深くなる。洗いざらしのようになりながら、限りなく豊かになる。真に必要な、鋭い線だけが残っていく。より強く、よりくっきりと現れる。
 最後に何が起こったか。
 饒舌の破壊である。言葉の滅びだ。言葉を超えた愛がそこに忽然と現れた。むしろ言葉に置き換えられる前の愛そのものがそこに堅固に現れた。
 「余震」と題される作品では、色彩が全面的に後退して、とうとう墨の微妙なグラデーションが全体の基調となった。墨の寡黙…。愛の実相がいっそう際立ったのもそのためだ。震災の不安のなかで母は子を抱いて、子のいのちを支えている。だがこの子はただ守られているだけではない。母に抱かれながら、母を支え、母を大きく包んでいる。
 
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「愛」
  2008.5.27 Tadakatsu Yamamoto


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 地力.U    地底路地の奇怪なビジョン
 六甲連山の南斜面に広がる“向日的”な都市神戸。隅々にまで陽光が行き渡るこの街で陰影に満ちた路地裏を捜すのは難しい。だが無くはない。むしろ都市のど真ん中を横切っていく長大な路地裏があるといってもいい。JRの高架下を刳り抜くようにして延びていくいわゆる元町高架通商店街だ。天井までコンクリートで固められたこのウナギの“寝床”状商店街は、実感としては地底路地といった方がいいかもしれない。都市の底…。その一角で現代美術の展覧会が開かれた。宮崎みよしが企画する「地力」(ちりき)シリーズの第二弾「ARTイマジネーションin KOBE モトコー2008」である(2008年5月10日〜25日)。
 都市の地底に穿たれた路地! そこでは街を構成するさまざまな要素が解体し、分解し、連結し、重合し、溶融し、新しいアマルガム(合金)にさえ転化していくようである。
 國府理は車のボディと飛行機のプロペラとそれにアバラ骨みたいな鉄の構造体を合体させて、巨大な怪獣を制作した。都市に生まれた21世紀のキマイラだ。名づけて「ROBO Whale」(ロボット・クジラ)。「線路の下でおやすみ」とユーモラスな注書きがある。
 ソン・ジュンナンは女と花を結びつけて、“人面魚”ならぬ“人面草”を発表した。おびただしい数の紙の造花のそのひとつひとつの花の部分に女の顔をプリントして、それらを展覧会の期間中、高架下の暗がりで栽培した。いかにも都市では、女はあらゆるものと強力に合体する。女とモード、女と車、女と酒、そしてしばしば女と密室、女と金、etc
 ワァ・ダダ・コウドーは、案内書の説明にある海の中のイメージというよりは、むしろ廃棄物たちの舞踏会のような混沌とした空間を演出した。使い古された椅子と破壊された自転車とそれから三角形をしたなにかの部品とさらにはこれまた金属製のなにかの機材を結合して、脈絡なき脈絡、すなわちカオスの奇妙な均衡を創造した。都市とはまさしく混沌が生み出す奇跡のような危うい刻々の調和である。
 人や物の解体・再生だけではない。それを時間にまで押し広げた作家もいる。小池照男は映画を専門としてきたが、映像作品の一コマ一コマをすべて静止した写真に焼いて、それでひとつの部屋の壁、床、天井を埋め尽くした。フジツボの群生が織り成す微妙な変化、鉄錆が見せる精緻な襞、それらが時系列的な秩序を破って、わっと目の前に溢れ出た。「時間とはすべてのことが一挙に生じるのを妨げる、神様のやり方である」(ジョン・D・バロー)としたら、これは神への反逆だ。なるほど現代の都市にもはや時間の摂理はない。
 そして今日の都市のさらなる不気味は、これらおびただしいキマイラの出現を、ただじっと見つめている、異様に静かな目があるということだ。あまりにも多くのことが起こるので、もう恐れさえしていない。かといって心から面白がるほど、もうそれほどには幼くない。むしろ無感動に、しかし目をそらさずにただ凝視を続けている。おそらくこれは終末の眼球だ。壁面に球体をいくつも並べた宮崎みよしのドローイング「不可視」は、そのような目に見える。
 地底露地に繰り広げられた数々の奇怪なビジョン。都市への予言か。
 
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ソン・ジュンナン「無題」と國府理「ROBO Whale」(撮影:編集部)
  2008.5.24 Tadakatsu Yamamoto


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 コウノ真理    美しい廃墟
 画家の劇的な変化に遭遇してびっくりさせられることがある。蝶の羽化を見るような喜びだ。コウノ真理の場合がそうだった(2008年2月9日〜14日、神戸・TOR GALLERY)。
 説明したいという欲求が控えめながらもまだ画面に残っていた、と彼女のかつての作品についてはそのような記憶があった。ある意味をある言葉に託すように、一つの意味を一つの形に描き込む、そのような形象が、ときにはむしろ入念に、繊細に、絵の一角に置かれていた、そんな記憶があったのだ。
 だが新しい絵を前にして、記憶は間違いだったかもしれない、とそう思った。だれか他の画家の印象が紛れ込んだか、と不安になった。それほどに作品が変わっていたということだ。つまり説明の要素が完全に消えていたということだ。
 圧倒的に白が支配する画面である。厚い霧が全体を覆い尽くしているようだ。そこに影のようなもの、あるいは大理石の柱の名残りか、あるいは崩落した塔の名残りか、そのようなほの暗いいくつかの垂直のものが浮かんでいる。
 すばらしいのは、何の強制もここにはないということだ。この絵はじぶんをどのように見てもらいたいか、それをいっさい語らない。むしろみずからを無に近づけ、そのぶんわたしたちを解き放つ。自由へと解き放つ。
 廃墟…。これは、そう、このうえなく美しい廃墟である。
 滅びた都市は、塔の残骸や壁の一部や砕けた柱を残すばかりで、もはや何も語らない。書記が記録した王国の歴史も、語り継がれたあまたの物語も、個人の日々の覚書も、すべて風と砂に消えてしまった。だが、これほど多くを語るものもないのである。それは文明の強靭な骨格を語る。宇宙との壮大な対話を語る。人間の精神の巨大さを語る。なぜなら、そこで消えたものが、いまこのように全世界に広がっているのだから。いうまでもなく、いつか来る最終的な滅亡への予感も含めて。
 廃墟。それは、消えることによって過去から未来へのすべてが現れる場所なのだ。
 コウノの絵が現在のような独自の形へと展開を始めたのは十五年ほど前からのことだという。それ以前はジャコメッティに傾倒していた。
 だが、ジャコメッティこそは、立像を無へと際限なく削りながら、そうして全宇宙をそこにとらえた稀有な彫刻家ではなかったか。
 彫刻家を貫いて画家へと流れる探究の系譜。
 もちろん時系列的な影響関係を語るのはあまり意味のないことだ。創造の上で起こるのは伝授ではなく常に共振だからである。それどころか、無の探究をさかのぼれば、あっというまに空海(9世紀)にまで達してしまう、それほどのスケールの世界である。
 画風が変わりましたねえ、と語りかけると、「わたしは、こんなに変わらないものなのか、と驚いています」と画家がこたえた。
 なるほど、考えれば、彼女が正しい。
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撮影:編集部
  2008.4.17 Tadakatsu Yamamoto


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 名流舞踊の会 '08    美しい3人の男たち
 クラシックバレエの人気、社交ダンスの隆盛、そして一時ほどではないにせよフラメンコダンスの熱気…。それら洋舞の攻勢で日本の伝統舞踊はいまひとつ影が薄い感じだが、なかなかどうして、日本舞踊の正統なわざとこころを際立って堅持・発展させている地域がある。兵庫県だ。各流派が横の連携を強めながら互いに切磋琢磨を怠らないのが、おそらく勢いの理由だが、その核となる兵庫県舞踊文化協会の春の恒例プログラム「名流舞踊の会」(第57回)が神戸国際会館のこくさいホールで開かれた(2008年3月2日)。
 勢いがあるところには名手が輩出するということ。これはおそらくどんな文化にもあてはまる象徴的な法則だが、いかにもことしの舞台が晴れ晴れとしたものになったのも、ここぞというところを的確におさえてみせるそれら名手が期待通りの舞台をつくったからである。なかでも3人の男たちが特に美しく輝いた。番組の順序に沿って紹介すれば、まず「文屋」をみずみずしいばかりにすっきりと踊った花柳小三郎、次に「保名」を狂おしくも濃艶に表現した若柳吉金吾、そして「三保の松」の舞台の上にまるで光のように澄明に立った花柳五三朗の面々だ。
 小三郎の「文屋」(清元)は、六歌仙の文屋康秀が小野小町に言い寄ってふられたという故事を、江戸・吉原の恋のかけひきに置き換えて洒脱に踊るという趣向。烏帽子と狩衣という公家ふうの装いをあえて避けて、すっきりと薄紫のきもの、そして浅黄色のはかま姿。素踊りの風情だがこれが申し分なく美しい。だが、江戸で浅葱(浅黄)といえば田舎武士の記号だったことを思い起こせば、小三郎がこの舞台にかけた二重の意味も味わい深く読めるだろう。いかにも軽妙にして奥深く、ユーモラスにして辛辣(しんらつ)、端正にして華麗…。とりわけ踊りが一瞬の「静」に至ったときの香りには絶妙な花がある。空間も大きくなる。
 吉金吾の「保名」(清元)は、自害した榊のことを忘れられない安部保名が、形見の小袖を肩にして春の野で狂い舞うという筋立て。吉金吾の舞踊は、いわゆるプラトンが言うイデアの世界、すなわち恋なら恋の、失意なら失意の、狂気なら狂気の、その最も純粋な形へ果敢な接近を企てる。この日の舞台もまさしく、悲恋の大きな哀しみがあたかも一羽の蝶の形をとって、きらきらと菜の花の上を舞うようだった。この人が踊ると、世俗の悲しみが天上の悲しみへと昇っていく。そして天上的なものこそは、わたしたちのこの苦しみに満ちた世界を生きるに値する世界に変えるのだ。
 そして、五三朗が芳圭次と踊った「三保の松」(常磐津)。この日の会を締めくくる祝儀の曲でもあったのだが、風格といい品位といい香りといい、五三朗はいまや舞踊一筋に生き抜いてきた人だけが到達する美の頂点に位置している。空気のように軽やかに立ちながら、不動である。光のように重力から放たれながら、そこに明快に存在する。美しいということは、そのことだけで人の心をあらゆる桎梏(しっこく)から解き放つ。舞台を命永らえるわざだといった世阿弥は、おそらく芸能と人間の間で交わされる生の根源的な交流を喝破していたに違いない。五三朗は、まぎれもない、舞踊の最も上質な精神を担う創造者だ。
 
  2008.2.1 Tadakatsu Yamamoto


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KOBECAT 0043
2008.2.3  カトリック加古川教会
バルトルド・クイケンのバッハ「フルートと通奏低音のためのソナタ」

――カオスと摂理――
■山本 忠勝


ッハがフルートの曲を書いたとき、彼の頭のなかで鳴っていたのは今では古楽器に分類されるトラヴェルソの響きであった。文字通り木に彫ったバロック時代のこの質実な木管楽器は、むろん現代の金属製フルートほど精緻な仕掛けは備えていないが、それだけに生命のなまの息吹に近いともいえるだろう。そのトラヴェルソで現在の最高の奏者と評されるバルトルド・クイケンがバッハを吹いた。たった一本の木管が切り開いていく音の深さと音の崇(たか)さ。そこにあらためて、というよりむしろ呆然と、バッハ宇宙の巨大さをみた(2008年2月3日、カトリック加古川教会)。
 無限の深さ、そして無限の崇さである。その途方もない音楽のカテドラルに驚くには、五つのプログラムのうち前半に置かれた二つの対照的(且つ対称的)な作品を聴くだけで、もうじゅうぶん過ぎるほどだったといっていい。「フルートと通奏低音のためのソナタ」シリーズの「ホ短調」(BWV1034)と「ホ長調」(BWV1035)の二つである。これら双生児のような二作品は一見それぞれに固有の音楽像を提示するようにみえるのだが、クイケンのその夜の演奏でわたしたちがまざまざと思い知ることになったのは、実はむしろ一つの大宇宙から放たれる対照(対称)的な、そして強力な二つの波動だったということだ。
 大宇宙が放つ二つの波動、すなわち大宇宙が繰り広げる二つの顔。ひとつは、未知の現象がそこから次々と生まれてくるカオスの顔、つまり底知れない豊かさの相貌だ。そしてもうひとつは、完璧な均衡と調和がそこにゆるぎなく行きわたる秩序の顔、つまり気高い摂理(法則)の相貌だ。いささか味気ない言い換えにはなるのだが、その対照的な性格をもっと際立たせるために現代物理学ふうに翻訳すれば、「非線形原理」の相とそして「線形原理」の相、とそう置き換えてもいいだろう。法則・秩序を超えて果てしなく広がっていく複雑・多様な非線形の構造と、法則・秩序を寸分の狂いもなく目に見える形に具現していく明快・確実な線形の構造。確率でしか語れない動乱の世界と、予測がそのままきっちりと実現する透徹の世界。論理的にはむしろ対極にある二相である。大きく矛盾する顔なのだ。しかもその双方がいずれも完全な美となってひとりの作曲家の精神から溢れ出してくるのである。その美の氾濫に呼応してひとりの現代の演奏家がトラヴェルソの豊麗な響きのなかにその意味深い精神を完璧に描き出してみせるのだ。
 いかにも「ホ短調」はカオスのまっただなかを切り開いていく危険に満ちた旅のように、緊張をはらんだアダージョで曲が始まる。ゆっくりと進みながら、しかし高度に張り詰めた精神…。わたしたちを未知の風へと差し向ける思いがけない音形が悠然と、絶え間なく立ち現れてくるのである。おそらく次の音はあの位置だろうとわたしたちの直感は予測する。だがバッハは大胆に別の方位を選ぶのだ。するととっさにわたしたちは気づかされることになる。ああ、バッハこそ正しい、と。わたしたちが真に求めていたのはこれだった、と。この深さ、この崇さだ、と。彼はわたしたち自身よりわたしたちを知っている。
 バッハが踏み出すと、見通しのきかなかった暗い道がたちまちみずみずしい必然の、明るい道に変わるのだ。わたしたちは刻々とカタストロフィー(破局)に立たされて、しかしそれは一気に美しく解決され、大きな喜びのなかで、しかしもう、もっと大きな冒険を隠している次のカタストロフィーに対峙させられているのである。危機の連続と、その危機のこれまた連続的な克服。無限の自由へと絶え間なく開かれながら、同時にこのうえない明晰さでそこにくっきりと刻まれていく必然の航跡。
 ここでは整然たる必然が、なんとありあまる自由のなかから紡ぎ出されてくるのである。
 そして「ホ長調」もまた同じようにアダージョで始まるのだが、しかしこちらはもうはじめから明るい光に満たされて進行する。ゆったりと、伸びやかに広がる精神…。「短調」が、堅牢な和声を軸に正面突破の厳しい構えを終始保ち続けたのに比べると、「長調」はいたるところに繊細な装飾をちりばめながら、ありあまる微笑でパッセージを満たしていく。「短調」のあの強風と、「長調」のこの微風。ここでのわたしたちの幸福は、なによりも視界の輝かしさと広さである。バッハは地平の果てを指し示す。わたしたちはあそこへこれから向かうのだ。なんと高い空。豊かな大地。美しい風。確かな道。しかも行くべき地点は決して見失われることがない。遠方へ着実に近づくとは、こんなに喜ばしいことなのか。
 これは大いなる予定調和に身を預けることの安らぎだ。最後には間違いなく救いに至るという必然と、その確固たる運命と一体になることで得られる自由。
 ここでは悠々たる自由が、なんと堅固な必然のなかから紡ぎだされてくるのである。
 こんにち音楽の概論書や教科書をめくってみると、「短調」の音楽的特性を解説するのにそれは暗く沈んだ曲想を生む調性だと書かれている。これに対して「長調」は、明るく開放的な調性だと対比的に説かれている。問題は、このあまりにも短絡的な二分法の説明でしばしば事足れりとされてしまっていることだ。バッハに関していうなれば、これではほとんどなにも説明したことにならないだろう。バッハにあってこの対照的な調性は、単に音楽の明度や彩度や対比の問題ではないのである。それは宇宙の根源と感応する二つの共鳴法なのだ。音色の問題というよりはむしろ宇宙観の問題だ。
 だから最も注意を払うべきは、この対照的な調性がバッハのなかでまさしく対称的に統合されているその強固で柔軟な構造だ。「ホ短調」は先の見えないカオスのなかから劇的に生まれてくる。「ホ長調」は予定調和の秩序のなかから悠々と生まれてくる。しかもその双方がバッハの精神のともに等価で十全な自己実現に至っているということだ。重ね重ね驚嘆せずにおれないのは、その矛盾する二つのビジョンをそれぞれ究極にまで推し進めながら、彼の精神がそこで均衡を保ち続けているその大きさと強さである。地動説と天動説とがともに同じ力と存在感で彼のなかに生きている。無限に拡大を続けるビッグバン宇宙の動乱と、神の摂理を貫徹する神学的宇宙の静謐。その二つの歯車が彼のなかで奇跡のように噛み合っているということだ。
 だがその奇跡的な統合こそ、実は人間精神の原型なのではなかろうか。だからこそわたしたちはバッハの地動説的音楽にも、彼の天動説的音楽にも、ともにこんなに深く共感し、精神的にも生理的にも至福の時に浸れるのではなかろうか。地が動くのも、天が動くのも、わたしたちの精神と生理にとっては、実は矛盾などでは全然なく、むしろ一つの全体に統合される対称的な二面なのではなかろうか。
 バッハは全宇宙を表現する。バッハは全人間を表現する。宇宙と人間が相似形であることを表現する。そしてクイケンはわたしたちにそのことを気づかせる。トラヴェルソが全宇宙と共鳴する。

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 バルトルド・クイケン氏(Barthold Kuijiken)のトラヴェルソによるバッハ作品「フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調」と「同 ホ長調」の演奏は、エヴァルト・デメイエル氏(Evald Demeyere)のチェンバロを伴って2008年2月3日夜、加古川市加古川町のカソリック加古川教会でおこなわれた。これはバロックヴァイオリンの奏者・佐藤泉氏が10年計画で進めている「バッハからのメッセージ」連続コンサート(2000年〜2010年)の特別プログラムで、当夜の会場ではその佐藤氏の労に対してクイケン氏から厚い謝辞が述べられた。
 クイケン氏はこのほか「フルートのための無伴奏パルティータ イ短調」(BWW1013)の演奏で、むしろ四次元時空を超えてさらに大きな多元空間(現代の宇宙認識でいえば10次元空間ともいえるだろうか?)へ浸透していくようなこれまた壮大なバッハ宇宙を披露。デメイエル氏も「フランス組曲第5番 ト短調」(BWV816)の独奏で、デリケートの極みであるがゆえに却って強力に実在する美の世界を、“圧倒的な繊細さ”でわたしたちに示してみせた。
2008.2.22
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Cahier

 坪谷令子    トウガンに宇宙が見える
 注連縄(しめなわ)を張り巡らした大きな木を村で見かけることがある。神様の木だという。ところでそれはその鬱蒼とした木そのものが神のたたずみとして村人の心を打つのだろうか、それともその木が影を落としているその涼しげな場所こそが神のたたずむ地点として人びとに訴えてくるのだろうか。坪谷令子の野菜や果実の絵を見ていると、タマネギやザクロの輝きもさることながら、それらが描き込まれているその場所がとりわけ神聖な一角なのだとわかってくる。その一点に目を凝らすと、そこから宇宙が見えてくる(坪谷令子個展 2008年1月26日〜2月6日 神戸・ギャラリー島田)。
 「いのちは まるい」。それが、今回の個展の直接のテーマである。ジャガイモやらダイコンやらキウイやらカキやらイチゴやらリンゴやら…。もう少しで百種にも届く野菜や果物や草花の数々が精緻に、克明に描かれる。まっすぐな形態把握とクリアな彩色が、みずみずしい輝きを放射する。確かにそこには生き生きとしたいのちがある。
 だがそれだけのことなら、いのちはこんなにも光あふれるものである、とひとこと言えば、もう骨格を語り尽くしたことになる。むろんいくらでも喋れるが、あとは言葉の変奏だ。これをもっと熱っぽく語りたいと掻き立てるのは、じつは野菜や果実が描き込まれているその場所の、大胆で、いささか凶暴な配列、むしろ熱狂的な“陣取り”のゆえである。
 「踊る」と題されたブドウの絵。そこでは紫色に熟した房が、画面の上方に異様なほど偏って現れる。中心部の空間はただ圧倒的な虚無の広がりなのである。「包む」と題されたホオズキと風船カズラ。ここでも二つのモチーフが上と下にきっぱりと二分され、真ん中は真っ白なままである。そして「呼ぶ」というイネやムギの作品では、今度は全部が下の方に配されて、画面にはもっと大きな空(くう)の領域が開くのだ。なんでそんな配列が?
 「真っ白な画面を前に最初は心が定まりません。私はわずかに現れる最初の感覚に従って、薄い墨でどこかそのあたりをまずさっと刷くんです。そこに風をさまよませます。ええ、ドライヤーで。すると墨の表面にさざ波が立ち、強弱が生まれ、広がり、飛び、思いがけない形が生まれて、そこで私の心も定まってくるんです。この始めのプロセスにエネルギーの大半を費やしてしまうと言ってもいいでしょう。へとへとです。そしてその墨の上に野菜や果物を描き込んでいきますが、ここはもう歌うような、とても楽しい時間です」
 あるいはまだ描かれないうちから白い画面が潜在的に持っていた位置ごとの多様な密度のせいかもしれない、あるいはそのときの作家自身の心の地図の等高線のせいかもしれない、あるいは星々の運行のせいかもしれない、何かがこうして場所の強度を決めるのだ。
 「決まると、それは、もう、ありがとう…。なにものかに感謝しないではいられません」
 このトウガンは美しい。だが緑の果皮と白い果肉が美しいだけではない。トウガンが描き込まれているその場所がそれにもまして美しい。わたしたちはトウガンに打たれながらその場所に揺すられる。たぶん神のたたずむ地点である。つまり宇宙の見える場所なのだ。
 なるほど、村は神の木を持つことで宇宙に開かれた村になる。
   
  2008.2.2 Tadakatsu Yamamoto
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「いのちは まるい 開く」


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 桑畑佳主巳    光に浮かぶ都市
 金閣寺を描けばすぐにそこが京都だとわかるばかりかそこに都市京都の深層さえ見えてくる。通天閣を描けばそこが大阪だとわかるばかりかそこに都市大阪の深層さえ見えてくる。では何を描けば神戸だとわかり、神戸の深層が現れてくるだろう。ポートタワー? いやポートタワーでは軽すぎる。それが神戸港の風景だとわかっても、そこに都市神戸の内奥までは出てこない。この街を集約できるほどの点景はたぶんまだ熟しきっていないのだ。ならばどう表現すれば神戸が出るか。おそらく桑畑佳主巳のアプローチはそれへの有力な回答のひとつである。彼は点景としてではなく、構造体として神戸を把握するのである(桑畑佳主巳近作展 2007年12月8日〜19日 神戸・ギャラリー島田)。
 構造体としての都市。それは物語を消し去った街だともいえるだろう。そこに描き出されるのは、圧倒的なボリュームのコンクリートの壁である。むしろ無機的な穴となって外に開かれた窓である。飾り気のない屋上の四角な平面。そしてまっすぐに伸びていく広い通り…。幾何学的に配された建築は、全体の風景のなかでひとつの調和をつくっているが、といってもこの建築がここに建っていなければならない切実な理由はない。金閣寺は京都の北山になければならないし、通天閣は大阪の新世界になくてはならないが、場所とのそのような親密な結びつきは、神戸の街のどの建物にもないのである。どれもが入れ替えが可能である。それをそこに引きとどめておくほどの濃厚な歴史的物語がないわけだ。
 しかし、それなら、異人館は? そういう問いがあるかもしれない。それにはこう答えるべきである。異人館は現代の神戸にとってはむしろひとつの錯誤だと。異人館は罠である。それは待ち伏せし、誘導し、わたしたちを蜃気楼へ誘うのだ。路地の一角にかろうじて残っている小風景、すでに仮死している小風景を、都市の全空間に匹敵するような大風景と混同させる、そのような幻覚をもたらすのだ。近代ヨーロッパからのこの一時的な漂流体は、歴史の実に美しい遺産だが、都市神戸を甘く小さな感傷へ閉じ込める危険がある。
 では直線の構造体として表現される都市神戸のその深層とは…? それは果てしない空虚である。都市京都の構造には平安以来の王城の骨格が埋もれている。都市大阪の構造にはさらに古い難波の都以来の骨格が潜んでいる。そこには無数の物語が絡んでいる。だが神戸はたかだか140年前の開港で忽然と現れた都市である。古代からの大輪田の泊(兵庫津)を含むといっても、それが都市の核になったことは一度もない。わたしたちは整然と格子状に並んだ現代都市神戸の道路が、古代条里制のあぜ道からいきなり発展したものだと知ってその長大な歴史的空虚にめまいする。街の底にすぐ古代の大地が透けるのだ。
 だが空虚も美しい在り方の一つである。それは明るい空間だ。神戸には京都や大阪が蓄えているような闇はない。むしろ街全体が光のなかに浮かんでいる。それにしてもこのように空虚・光を明快に構造化できるのは、逆説的だが画家が神戸の精神の核心によほど深く触れていてのことだろう。神戸への愛があってこそである。神戸は故郷喪失者たちが作った街だが、空虚を故郷とする者たちの新しい精神史が深まっているのである。
 
  2008.1.31 Tadakatsu Yamamoto
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「シャドウ」


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  北村美和子    ゆらぎ 屈折 なること
 ゆらぎに魅了されてきた画家である。風のゆらぎ、光のゆらぎ、水のゆらぎ…。しかも現代の化学工業はその刹那の美を画布の上にとどめるのに、格好の絵具を提供した。アクリルの絵具である。従来の油彩に比べて、格段に透明感が出てくれる。加えて、乾きが速いから、疾走する感覚を遅れることなくつかまえることができるのだ。色が濁ることもない。北村美和子も合成樹脂(プラスチック)から生まれたこの絵具をわが分身のように愛してきたひとりである。
 それが、いつのころからだったか、微妙な違和感が漂い始めた。最初は取るに足りない路傍の小石のように思ったが、気がついてみると、いつのまにかそれが行く手を阻む大きな岩になっていた。ゆらぎを素早く把捉できるアクリル絵具の持ち味が、そのシャープな持ち味ゆえに却ってなにかもっと大事なものを取り逃がしていないだろうか、そんな不安が大きくなってきたのである。
 立ち上がってきたイメージを効率よく、ほとんど近似的に表現できる、それが画家にとってはたして望ましいことなのか?
 贅沢にさえみえる奇妙な問い。だが芸術とは実は奇妙な問いの連続の上に成り立ってきたのである。二次元の空間(平面)に三次元の空間(立体)を作れないか。色彩を厳密に光として扱えないか。心の運動をそのまま色の運動に移せないか、頭の中の観念を中空に建てられないか。新しい表現は例外なく常軌を逸した欲求から出発した。まっすぐに行けばいいものを、わざわざ入り組んだ道へ。あえて、深い屈折へ。
 屈折! 水に差し込んだ光は、水の密度に遭遇して微妙に曲がる。だがそうして水は光を表現し、光は水を表現するのではなかろうか。そればかりか、水はそうして水じしんを、光は光じしんを表現するのではなかろうか。表現とは屈折のことを言うのではなかろうか。
 「苦しみました」
 北村美和子はひさびさの個展の会場で率直にそう言った(2007年12月8日〜13日 神戸・ギャラリー島田)。夕暮れの空でつかのま、はなばなしくも美しいゆらぎを見せる宵の明星…。葉裏にまで光を透かせて、どこもかしこも緑の光が跳躍する森の陽光…。まるで地球の奥から放たれてくる光のように、闇の中に幻視を生み出す深海の微光…。イメージの洪水のようなそれら一連の作品が、すべて今回は油彩で並べられていたのである。透明度を損なわないために格段の配慮が必要だったはずである。忍耐が必要だったはずである。タッチにもおそらくは微分単位の修正が必要だったはずである。で、何が変わった?
 見たところ、深い生命感の表現は変わらない。この画家のゆらぎは、いわが宇宙エネルギーの流動だ。その波動との共鳴は一貫している。だが確かに表現に深い変化が起こっていた。アクリルを用いていたときの彼女はそのエネルギーを絵で指し示していたようだ。だが油彩と格闘するなかで、いまや彼女は絵の中でエネルギーそのものになっている。
 花の中に入った蜜蜂が花そのものになるように。
  2008.1.16 Tadakatsu Yamamoto
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Vesper -Abyss
撮影:編集部


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  小阪美鈴    Engli-sho(イングリッ書)
 アルファベット。…いうまでもなく、ABCのことである。今からここで語るのはこの英語圏の文字列のことなのだが、しかしきょうだけは何か別の適切な呼び方はないものだろうかと思うのだ。できればABCに精神性の味付けをして例えば「聖アルファベット」だとか、ついでに神秘性も少しは加えて「聖フェニキア文字」だとか。書家・小阪美鈴が英語を墨書した軸作品「BELIEVE」をここでこのように論じるにあたっては(小阪美鈴書展 2007年1月5日〜10日 神戸・TOR GALLERY)。
 冒険である。間違いなく評価が分かれる作品である。小阪にしても、依頼者からの切実な要請がなかったなら、おそらくおいそれと踏み入ることのできなかった領域である。BERIEVE(信じる)。七つのアルファベットを縦に墨書して、軸装にした。二重の格闘があった。まず字形そのものが墨になじまないということ。そして横書きが習わしの書き方を無理やりに縦書きにするということ。だが仕上げられた書は、あたかも塔のようにそこに立った。むしろ漢字やかなよりも凛と立った。信じる、という魂の意志表示がまぶしいくらい現れた。ブッダの聖なる心を体したストゥーパのように。
 伏線はあった。小阪はかなり前に「LET IT BE」(レット・イット・ビー)という作品を発表している。ザ・ビートルズの名盤から採ったモチーフだが、それは一瞬の噴火のように紙の上に現れた。ポール・マッカートニーの宗教的な内なるビジョンに根ざしたこの歌は、不思議なくらい東洋の知恵とも共振する。なるがままにまかせなさい…。ビートルズ解体の危機の中で、しかし危機ゆえに激しく、深く絶唱されたこの曲は、小阪を勇気づけ、解放し、共感が書の中で炸裂した。「LET IT BE」は、魂が疾走するような書になった。疾風のような作品になっていた。
 今度の依頼者も初めは「LET IT BE」を所望した。それをやがて「BELIEVE」へと変更する。
 「やっぱり、これ、これしかない、信じるしかない、って、そう彼女(依頼者)は言ったんです。しばらく熟考したあとで」
 人はときにその一言にそれまでの全人生が響き渡るような、そのような深い一言をなすものだ。「LET IT BE」から「BERIEVE」へ…。生の曲折を経てきた女性にとって、二つの言葉の間には無限ともいうべき深い淵が横たわっていたはずだ。そこを越える大きな飛翔があったはずだ。小阪はそれを聞いたのだ。だから、書けた。高い、高い塔が立った。
 さて、限られた字数の中でもう一点だけ作品を紹介しておきたい。こちらはオーソドックスに漢字とかなの文である。作品に採られた部分を、全文ここに書き出そう。こうである。「われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
 日本国憲法の前文である。
 明るい、心のこもった書なのである。
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  撮影:編集部
  2008.1.10 Tadakatsu Yamamoto


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KOBECAT 0042
2007.2.6―11 神戸・GALLERY北野坂
三木次代の着物「はなつ」

――よくよくめでたく舞うものは――
■山本 忠勝


めから織り、そして最後の仕立てまで、何役もの手仕事をたったひとりで運びながら、伝統の継承、霊感の感受、そして表現の変革の三重奏を追求する、まさに「和」の創造者である三木次代。彼女がたった一点の個展のために縫い上げたシンプルな、しかし謎めいた着物(和服)を見たのは、今年(2007年)の2月のことだった。その着物は神戸のGALLERY北野坂の展示室の中央に天井からユラリと吊るされていたのだが、それをほとんど目と同じ高さで眺めながら、まず頭の中に浮かんできたのは「天の羽衣」という遠い記憶の言葉であった。決して実用的ではない、なにか超俗的な雰囲気が着物にあったからである。だがむろん、これだけではこの着物の核心に至ることはできないと、そういう直観も響いていた。それで、作品のまわりをなおぐるりぐるりと歩きながら、次に心にのぼってきたのは「梁塵秘抄」という古い歌謡集の名であった。踊りと歌のイメージを着物に感じたからだろう。よし、これでいい、とそう思った。ともかく「天の羽衣」と「梁塵秘抄」の二つの言葉が摘めたので、そこでもうある程度のことは書けるだろうとそういう気もちになったのだ。じっさい書きかけたのである。それも、春から夏、夏から秋へ、なんと六回も書きかけた。書きかけ、書きかけ、しかしそのつど書きかけるばかりで、つまりは、三つの季節を通して頓挫を繰り返し続けたというわけだ。言葉を足せば足すほどに、いっそうまさぐるばかりである。着物の喉首がどうしてもつかめない。とうとう師走がやってきた。もうあきらめかけていた。

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撮影:編集部
 あっ、と思ったのは、ルミナリエが近づく三宮の街なかで編集の仲間とコーヒーを飲んでいて、話の風向きで竹取物語が話題にのぼったときである。この最古の説話には荒唐無稽なスジに似合わずおそろしく理知的かつ合理的な思考法が流れている、とそういう話がその場の雑談の軸だったが、若い編集長がその象徴的なケースとしてかぐや姫の別れのシーンを挙げたのだ。月から迎えにきた一行が、いよいよかぐや姫に天の羽衣を着せようとするのである。だが彼女は「しばし待て」とそれをとどめて、悠然とこの世界への別れの文をしたためる。天の羽衣をまとってしまうと、もう地上のことはぜんぶ忘れて、天人へ還ってしまうからである。そうだった。天の羽衣といえば、三保の松原のすばらしい景色とともにまずは衣装の天上的な美しさのことばかりが頭に浮かんでいたのだが、もっと重要なことがその奥に隠れていた。ほかでもない、羽衣がこの世界から向こうの世界へ移るその境界にあるということ、俗域と聖域とを切断するまさしく結界に位置しているということだ。天女の体を飾るものである前に、それは時空を超えるもの、心の形を変えるもの、命の姿を変えるもの、世界を変えるものだった。「それ、もらった」。思わず口走ったことである。
 れっきとした陳列室で一作家の作品を一週間にわたって一点だけ展示するGALLERY北野坂の贅沢な企画である。その三木次代編で彼女が出品した着物には「はなつ」というタイトルがついていた。形の上から見ると少し逆説的なネーミングだな、とそう感じたのがまずさしあたっての印象だった。「放つ」「解き放つ」「解放する」「開放する」…、それら「はなつ」につながる一連の類縁語彙は、どれも外へ向かって開かれるある種の「広がり」、それも裾を床に向かって晴れやかに開いていくウェディングドレスのようなデコラティフ(装飾的)な「広がり」を暗示するように思えるのに、そこに吊るされた実際の作品は、素材も最小単位に突き詰められ、装飾もぎりぎりに抑制され、どちらかというと内部に向かって求心的な力を充溢させている、とそのように受け取れたからである。
 とにかくオクミ(衽)すら省いてしまっているのである。だから左右のマエミゴロ(前身頃)をちょうど両開きの扉みたいにいきなり胸で合わせて着る、これ以上ない単純な構造になっている。色合いも朝の霧に薄日が溶け込んでいるような、ごくシンプルな乳白色。そこに、草木染めでいろんな色に染め上げた四角な裂(きれ)を、ちょうど占いのカードを秩序正しく並べるように、幾何学的にはりつけた。媚態のようなものはことごとく排斥して、むしろつっけんどんな装飾といっていい。ただ襟だけはたっぷりと白をとって、花の蕾が大きく膨らんでくるように、さすがに三木好みの豊麗な風情だが、それとて全体の抑制された印象を決して壊さない程度に配慮の届いた豊麗さなのである。つまり、振り袖であれ、訪問着であれ、留袖であれ、それら豪奢なイリュージョン(幻視)を命とする現代の和装の流れのまっただなかで、これは過剰な要素をいっさい除去して、ミニマルな(最小の)要素で構成した、いわば反―時代的な着物の印象だったのだ。
 多彩な装飾で隅々まで彩られて、華々しいイリュージョンで輝く装い、そのような外向的な衣装というのは、いっけん複雑に見えはしても実はつかまえやすいものである。装飾とは、どれだけ込み入っていようとも、比較的明快な意図に還元できる記号のかたまりだからである。階級を明示する装飾。共同体の一員であることを証す装飾。価値を共有する装飾。共有の価値に反抗する装飾。全体に同化する装飾。孤立を強調する装飾。そしてせいぜいそのおのおのについてこれ見よがしの擬態を演じる、モドキの装飾、などなど。果てしない多様化を繰り広げているように見えはしても、要はどれもこの世俗の場に収まってしまう出来事で、それも同化と異化の座標の上にきれいに並んで、相互にすっきりとしたポジションをとるのである。とりわけ和装の世界では、その記号性がきわめて顕著で、したがって読み取りもそんなに難しいことではない。幼女や少女や婚前の娘を晴れやかに飾る振り袖。婚礼の日の凛と輝く白無垢とそして豪華な色打ち掛け。既婚の婦人が儀礼に着用する黒留袖…。
 ということは、反対に記号性をまったく欠いた衣装の前に立ったとき、わたしたちはそれと馴染み合うためにどんな身構えをとればいいのか、そこに次の問題が現れるということだ。三木次代の「はなつ」がまさにそのような反―記号的な作品だからである。
 もちろんいかにミニマルな仕立てといっても、ひとまず三木の作品にも装飾があるではないか、とそのような反論がすぐに出てくるはずである。確かに色無地の上に整然とコラージュされた草木染めの四角な裂は、どれも彼女が長い年月をかけて織り上げてきた、思い入れ深い布地である。むしろ彼女の美の履歴をその時期その時期にたどっていくアンソロジー(詩華集)の趣で、そこに込められた心の密度も鮮やかに伝わってくるのである。だが同時に、装飾を否定する装飾があるということ、その逆説的な構造にわたしたちはここで気づかされることになる。整然と、といえば、あまりにも整然と、幾何学的に、といえば、あまりにも幾何学的に、脱主題的に、といえば、あまりにも脱主題的に配列された二十八枚の四角な裂は(その裂じたいも何の作為もない真四角だ)、数学における機械的、非情緒的、没価値的な順列組み合わせのようである。もう少し気の利いた配列がありそうなものなのに、という微妙な不満が見る者の心のうちに驚きの剰余のように生まれ出る。だがそこにこそ作家の強力な意志があると、そのことに気づくのにもそれほどの時間はかからない。このうえなく入念に仕上げたものを、あえてぞんざいに扱って見せる卓抜さ。この装飾を破壊する装飾は、いかにも自己を否定するメッセージを満々と漲らせて、そこに置かれているのである。
 否定の着物なわけなのだ。座標から脱け出していく着物である。言い換えれば、言葉を追い抜いていく着物である。かぐや姫が地上の暮らしを完全に忘却するということは、とりもなおさず地上の言語をすっかり忘れて、月の言葉(むしろ宇宙の沈黙)に還ってしまうということだったはずである。天上の着物に着替えるということ、それはそこで心の形を変え、命の姿を変え、言語の世界から脱―言語の世界へ脱け出していくということと等価である。時空の結界を越えて、宇宙的沈黙へ開かれていくということだ。
 すなわち人間から宇宙へのその境い目に立つ着物。
 いったん内に包んだものを包むやたちまち無限の沈黙へ開いていく着物である。
 寒さや乾燥や外傷などから身を守るために人間が着物を作り出したということ、そのことは総論としてはおそらく正しいに違いない。だが、原始の人びとが最初にまとった毛皮や樹皮がそのまま現代の着物のルーツだと言い切ってしまっては、たぶん粗雑に過ぎるだろう。現代の家は古代の竪穴住居がそのまま発展したものではないのである。わたしたちの今の家は、神のために建てられた床の高い神殿の世俗化であり、進化(むしろ退化?)である。住居の歴史に起こったのとまったく同じ屈折が衣類のうえにも出来(しゅったい)した。神と交信する神官(シャーマン)が、宇宙の沈黙に聞き耳を立てるために特別に羽織った儀礼的衣装こそ、今の着物の直接の祖先になったのだ。
 強調したいのは、着物とは実は宇宙的出来事だったということだ。「はなつ」と名づけられたこの着物は、少なからぬ驚愕で打ちすえながらわたしたちをその最初の地点へ連れ戻していくのである。着物が原始の宇宙服にほかならなかったその原点へ。
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 さて、すると「梁塵秘抄」は? 少し思いがけないことなのだが、この平安後期(12世紀)の歌謡集は、初めに直感していたより今となってはもっと深い推理へとわたしたちを誘い込む。単に歌や踊りの問題にとどまらないということだ。三木の作品「はなつ」はこれまで述べてきたとおり着物に原初のコスモロジー(宇宙とのつながり)を生き生きと回復させることになったのだが、そのことは裏を返せばつまり、わたしたち現代人の「宇宙喪失」を鋭く浮き彫りにすることになるのである。ここで宇宙喪失とは、宇宙がどれほど巨大な空間だろうと結局はそっけないチリの粗密に還元されてしまう、そのいささか侘しい最近の物理的な認識と、そこから来るロマンの喪失のことだけをいうのでは決してない。それよりもっと深刻なのは、宇宙の中心を占めていた超越的な精神(一つの神あるいは多数の神々、もしくは如来)が滅びていくことなのである。人間精神の存立を保証してきた最も大きな枠組みが崩壊のさなかにあるということだ。そしてここでまさしく思いがけなくも示唆深いのは、後白河法皇が「梁塵秘抄」を編んだのもいかにも宇宙喪失の時代だったということだ。
 仏の教えが無に帰する「末法」の時代であった。歴史的現実としては貴族を主体とした旧仏教が権威を失墜して、代わって武士・庶民層を主体とする新仏教が台頭してくる、そのような宗教的混沌の時代であった。難解な教理の中に解体してしまった仏のビジョンを、武士・民衆の率直な表現で再構成を試みようと企てる、鎌倉期宗教改革の前夜であった。「梁塵秘抄」は、その隠れ去ろうとする仏への、直接的かつ切実な呼びかけで満ちている。


 仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁にほのかに夢に見え給う


 率直さ! 危機の時代には、物事はシンで率直に語られる。沈黙のぎりぎり手前で端的に語られる。修辞に満ちた饒舌な和歌よりも、ミニマルに切り詰めた今様に、権力のトップにあるものすらが心の拠り所を求めざるを得なかった、それはきわめて象徴的なことなのだ。そして現代のこの精神的な混乱と闇の中で多くの人びとに共感を広げた、この「はなつ」のミニマリズム。宇宙精神とのまっすぐなコンタクトを回復したいと切望する、その真剣な気構えの点で今様(現代)の羽衣は古代末期の歌謡の心に通底する。
 さてこうなると端正な宇宙服であるこの「はなつ」が実際に着用されるところをどこかで見たいものである。だがむろん普段着には向かないし、儀礼の場からははみ出るし、お洒落というにしてはあまりに挑発的である。環境が難しい。しかし、ここのところだけは、そう、最初の直感通り、むしろ喜んで受け入れられる、とっておきの場所がひとつ見つかるはずである。踊りの場だ。舞踊は今でもなお人間を宇宙へと解放する数少ない場のひとつだし、今日「梁塵秘抄」が広くもてはやされるのも、舞いはもちろん音曲や遊びなど主として舞踊のジャンルにことよせて歌われる快い解放の諧調があってこそのことなのだ。


 よくよくめでたく舞うものは 巫(かんなぎ) 小楢の葉 車の筒とかや
 やちくま 侏儒(ひき)舞 手傀儡 花の園には蝶 小鳥


 さあ、「はなつ」をまとって、ここでひとつ、今様を舞って進ぜましょう。さすれば、この着物の秘密が一気にはじけて、ひろびろと無限へほどけていきましょう。
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 「1点で個展―三木次代“はなつ”」は2007年2月6日から11日まで、神戸市中央区山本通1丁目7番17号のGALLERY北野坂で開かれた。この個展について三木じしんは次のように言っている。「これまで染め織った着物の片らを、一点の着物に集めて、大好きなこの空間へ、そして、そこから拡がる空へ、放ちました」。作家は染め、織り、縫いのすべてをみずからの手仕事で進める和装のクリエーター。神戸市須磨区在住。
2007.12.30
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Cahier

  豪玉万里紀行U    To be also not to be
 世紀が移って、それを単に時間の経過に過ぎないと、そんなふうに物理的に納得して落ち着いていられたら、これはかなり幸福な心だと言っていい。暗澹たる終末の渦へ運命的に吸い寄せられているなどと、そんな妄想に苦しめられることもないからだ。だが別役実の以前の演劇作品に今あらためて遭遇すると、二つの世紀を経るうちにわたしたちの心の構造がどれほど大きく変わったか、その不穏な変容を目のあたりにすることになるだろう。作品は同じだが、それを見る目と心が変化した。劇団豪玉万里紀行Uの公演「いかけしごむ」(演出・武谷嘉之。11月11日、イカロスの森)を見ながら考えさせられたことである。
 「いかけしごむ」は別役の1989年の作品である。海を泳ぐあのイカで消しゴムを量産する技術を開発したという奇妙な男(山本慎也)が、イカを大量に詰め込んだポリ袋を胸に抱えて登場する。新製品に脅威を覚えた消しゴムの業界が殺し屋を雇い入れ、それで彼は必死で逃げてきたのである。だがそこで出遭ったこれもまた風変わりな“千里眼”女(衣川佳子)が、荒唐無稽な男のイカ談義を問い詰めて、とうとうポリ袋の正体が実は赤ん坊の死体であることを暴き出す。妻に逃げられた男が、邪魔になった赤ん坊を殺してしまい、捨て場を捜していたのである。と、ここまでは推理劇ふうの趣だが、結末にはむろん別役的仕掛けが待っていて、男は女に説き伏せられて警察へ自首に向かうのだが、するとあっけなくくだんの殺し屋に撃ち殺され、袋からはイカがどっとこぼれ出してくるのである…。
 別役の作品はよく不条理劇といわれてきた。劇が進行するにつれ、わたしたちはいつしか始めの線路から別の線路へ導かれ、二つの線路はどちらかが間違っているはずなのだが、奇妙にも条理(合理的な推論)は双方とも通っていて、そこでわたしたちはむしろ“条理の迷宮”で立ち惑う。二つの相容れない真実の間で想像力が決着のつかない往還運動に囚われる。そうでなければ二つの真実が相殺し合ってどちらも頼りなく消えていく。…そうなのだ。ポリ袋の中は、実は赤ちゃんの遺体であった。そして、実は大量のイカだった。
 さてシュレーディンガーの猫というのは、現代の物理学が生んだ知の象徴的な迷宮だ。かわいい一匹の猫が小さな箱に入れられる。箱の中には核分裂が起きる装置と、核分裂が起きるとそれに連動して毒ガスを発生する装置とがセットでしつらえられている。では、猫の命はどうなるか? 答えは別役ワールドそのものだ。量子論の立場では、箱の中に生きている猫と死んでいる猫とが「ともに」いる。生きている「か」死んでいる、ではない。生きている「し」死んでいる。その両義性を物理学者は「重ね合い」と呼ぶのである。
 むろん、20世紀に別役作品に遭遇したときのあの衝撃は、この21世紀にはもはやない。若い別役のデビューによってその衝撃はすでに経験されているからでもあるのだが、むしろ時代全体が別役化を深めているというべきだ。いまやだれもが心の中に一匹の猫を飼っている。生きるべきか死すべきかと二者択一に苦悩したハムレット的絶対の時代から、生死がハナから不分明なリア的相対の時代に入ったともいえるだろう。
 だれでもいい、オレを知っている者はいないのか?(リア)
生き且つ死して  2007.12.6 Tadakatsu Yamamoto
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写真提供:豪玉万里紀行U


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KOBECAT 0041
2007.11.23―12.5 神戸・ギャラリー島田
岡井美穂展

――脱出ウサギ――
■山本 忠勝


を焼いてつくったこの白いウサギは、見たとおりのウサギだろうか。タイトルにも「イタリア生まれのうさぎ」云々とあるくらいだから、ウサギと了解してむろん間違いではないだろう。だがむしろこうとも受け取れる。このウサギは地上に流通している「ウサギ」という言葉をスポンジみたいにことごとく吸い取って、もはやだれの語彙集にも「ウサギ」という言葉を残さない、つまり「ウサギ」という言葉を使わせない、そういう沈黙のウサギではなかろうか、と。むしろ禁忌(タヴー)のウサギではなかろうか、と。禁忌というのがきつすぎるなら、スルリと言語の網をすりぬける、超越ウサギ(スーパーウサギ)ではなかろうか、と。岡井美穂の陶と絵の展覧会で考えさせられたことである(2007年11月23日―12月5日 神戸・ギャラリー島田)。

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イタリア生まれのうさぎメリーゴーランド1(撮影:編集部)
 いうまでもないことだが、この陶の小動物をながめながら、分類学上これは哺乳類のウサギ科に属する生き物で…、などとそんな教科書みたいな言語を並べてこれを理解しようと考えるものなどまずいない。とてもそのような静かな作品ではないのである。むしろアリスを不思議の穴へ誘い込んだ、せわしない時計ウサギが跳び出してくるだろう。「遅れちまった!」というあの独白が聞こえさえするかもしれない。月の都で今なお杵を打ち続ける餅つきウサギが思い出されることだろう。ペッタン、ペッタンと繰り返されるにぎやかな擬態語がいっしょに立ち上がりさえするかもしれない。ひょっとしたら裸にむかれた因幡の白兎も出てくるのではなかろうか。サメたちをだました巧みな話術を連想するひともいるだろう。とにかく周りに説話や童話のヒーローたちがいろんな言語や音声を引き連れてわっと集まってくるのである。
 しかし、ではこれはアリスのウサギかというと、それは全然そうではない。月のウサギかというと、それも全然そうではないない。むろん因幡の白兎でも全然ない。問い詰めていけば結局はそうでない形ということになるのだが、しかし依然としてそのような形でそこにありありと在り続けるもの、そのような二重の形で在るものをしっかりと言い当てるのは少々骨の折れる仕事だが、いうなれば、否―アリスのウサギ、否―月のウサギ、否―因幡の白兎でありながら、そのすべてであるような白いウサギが目の前に出現しているというわけだ。無数の言葉で語られながら、しかしそのすべての言葉を超えるもの。ウサギとほとんど一体でありながら、むしろウサギから最も遠くへ走るもの。
 脱出するウサギである。ウサギと定義づけられるその言語の監獄から果敢に逃走をくわだてる「否―ウサギ」なのである。どこへ…? 言語に捕縛される前の広々とした場所へ。なぜ? 自由と威厳のためである。
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鏡の中
 もちろん脱獄にはいつもテクニック(技術)の裏づけと、それに加えて多かれ少なかれ奇跡が必要なものである。空間と時間のわずかな裂け目を間髪いれずにすり抜ける瞬時の幸運に恵まれなければ、間違いなくまた鉄格子のお決まりの生活へ引き戻されることになる。陶の作家である岡井の奇跡は当然のこと、土と熱と釉薬の上で跳躍する。
 「イタリア生まれのうさぎメリーゴーランド」といういささか奇妙な作品のタイトルが示すように、彼女は地中海圏の陶芸の町ファエンツァで制作を続けている。幸運にも「彼女の土」を地球上でただ一か所そこで見いだしたからである。この遭遇こそ、最も大きな第一の奇跡である。
 陶土として十分に熟成を深めている日本の土は1200度を超える高熱で焼かれても平気である。しかしそんなに硬く焼けてしまうと、彼女の感覚では作品が彼女の心からあまりにも遠くへ進んで、かえって達成感がなくなるのだ。自己と作品との間に乖離が生じて、その寂しさが埋め切れない。一方、イタリアの土は日本の土ほどの高い熱にさらされると、もう耐えることができなくなって崩壊が始まってしまうのだ。それで現地の陶芸家はふつう900度から1000度くらいで焼くことになるのだが、岡井はそこをあえてぎりぎり上限の1100度で焼成することを考えた。するとなんという喜び、彼女にぴったりのフィーリングが生まれてきたというのである。自己の感性と均衡する土、それと彼女はようやく地中海圏の一点で邂逅した。
 そして、第二の奇跡はむろん釉薬。岡井の白ウサギは、少し重めの、なんとも微妙な白である。それが手ひねりの形態とあいまって(その形態もまた鋭さとおおらかさとが交錯する、微妙な両義的ビジョンだが)、見るもののイマジネーションを強力に広げていく。すぐに出せた色ではない。あるときのこと、たまたま白い釉薬の作品と素焼きの作品を同じ窯の中に並べて置いた。するとそこで計算以上のことが出来(しゅったい)する。そのときの釉薬の組成が大きく作用したようなのだが、薬の一部が素焼きに飛んで、かつてない独自の白が現れることになったのだ。彼女はいうまでもなくその白に夢中になった。ところが一定の至福の時が過ぎてしまうと、まるで星の運行が変わったようにその白はふいとどこかへかき消えた。それほどデリケートな出遭いだったわけである。「また来てくれるか、それはもう、ただ待つしかないんです」。奇跡の中の奇跡だったというほかない。
 そしておそらくもうひとつ、第三の奇跡として彼女の魂を挙げておいてもいいだろう。願うこと。信じること。向かうこと。そして、待つこと…。危ういバランスの中にかろうじて現れてくるものを彼女は敏捷にキャッチして、それを恒常的な形にする。奇跡はこの世界に出現するつかのまの裂け目だが、彼女の魂はそれを無限に広げるもうひとつの奇跡である。
 白ウサギは幾重もの奇跡の塊なのである。
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イタリア生まれのうさぎメリーゴーランド2
 さて、このように「否―ウサギ」として陶のウサギがわたしたちの前に現れること、それがなおさら重要なのは、その否定のウサギの出現で、わたしたちが現に生きているこの場所にも否定が持ち込まれるからである。否―ウサギは、巣を編むように、そこに否定の場所を作り出す(イナバ=否場=の白兎!)。では、否定の場所とは何なのか。もちろん言語の牢獄から解放された場所である。
 いまやここはもうギャラリーという一つの単語で言い切られるような一律の空間ではないのである。日常の街のそのまっただなかで、深々と開かれた裂け目である。すなわち宇宙へ開かれた鋭い裂け目。どんな言葉でももはや名づけようのない場所だ。大きな沈黙への裂け目である。
 ミシェル・フーコーが書いている。
 「見えるものを口(言葉)で言ってみてもむだである。見えるものは言われることのうちには決して宿りはしないのだ」
 真に存在するものは沈黙のなかにこそ存在する。
 そこでこそ存在は自由と威厳に満たされる。
 つまり、そこでこそわたしたちの魂が自由と威厳を回復するということだ。
 もはやそれをそうと呼ぶことができなくなって、そこでわたしたちもわたしたちに還るのだ。
   禁忌(タヴー)のウサギこそ真実のウサギであり、その前でこそわたしたちも自由と威厳を取り戻す。
 それにしても、なぜウサギ? 最後にあらためてそう岡井にたずねてみた。
 「この世界でいちばん黙っている生き物のように、そう私には見えるんです。そう感じられる、と言ったほうがいいのかな。…ほんとうは、けっこう高い声で鳴くんですけど、ウサギって」
 「岡井美穂イタリアのうさぎ&うつわ絵 展―絵とやきもの造形、絵本出版を記念して」は2007年11月23日から12月5日まで神戸市中央区山本通2のギャラリー島田で開かれた。会場にはタブローや絵本原画も並べられ、岡井の最近の仕事を総合的に見せる企画となったが、絵画表現に現れる「超越性」も陶の造形と同じように複雑で深い。いつか論評を試みたい。岡井美穂は神戸市生まれ。京都市立芸術大学卒。1990年にイタリア政府官費留学生としてイタリアに渡り、古くからの陶芸の町ファエンツァで自己の創造の核心を見いだす。エッセイにも豊かな感性を発揮する。
2007.12.2
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Cahier

  藤田舞踊発表会    Utopia
 なんだかんだで遅くなってしまった。ホールの扉を開けるとプログラムは第1部「カッパのポッチは山のてっぺんで」のもう終わりごろだった。席に落ち着いたところで最後のパート「滝の淵のぼくのすみかに帰ろう 天から降ってくる藤の花を見に」がはじまった。
 ストレートで力強いヴィジョンだった。垂れ下がったたくさんの藤の花。あたたかな照明とおだやかな音楽。そのなかで障害をもったダンサーとそうでないダンサーが一緒に踊っている。こうしたユートピアのイメージというのは、モダンダンスがいちばんうまく表現できるのかもしれない。絵や言葉では及ばないリアリティをもつのじゃないだろうか。ストレートに理想を語れば小馬鹿にされるものだし、またストレートに理想を語る人が必ずしも思慮深いとは限らず、そういう人は警戒しなくちゃいけない。だけど直情的なプロパガンダやインチキくさい宗教ではなく、こんなふうに舞踊の作品の現場でそうしたユートピアの理想が保持されているのを目の当たりにして、何だか素朴に共感の思いが胸に広がっていく。
 「障害者なのにあんなに頑張って…」と感動しちゃう、そういう見方は根強くあるだろうが、それは藤田佳代さんの意図するところとは正反対で、といって、障害をもった人とそうでない人が「分け隔てなく」という話でもない。この数年、藤田さんの教室のダウン症のダンサー、安田蓮美さんが大活躍、大人気だが、どうして安田さんの踊りはあんなに人を感動させるんでしょう? と藤田さんに訊くと「ダウン症だからでしょう」と答えが返ってくる。藤田佳代舞踊研究所のホームページを開いてみるといいが、安田さんの紹介のところにはダウン症ダウン症と、くどいぐらいに書いてある。つまり観念の上でだって障害がなくなるわけではないし、なかったことにする必要もない。障害が彼・彼女の「個性」です、と言葉を代える必要もなく、「ダウン症はダウン症です」と、経験の浅いこちらがちょっとたじろいでしまうような力強い、しかしきわめて自然な肯定が、藤田さんの態度と言える。
 だからこそ、安田さんたちが出演していたあの藤の花の場面の踊りは変にさわやかで、変に甘酸っぱい感じで、ユートピアの夢にしばしうっとりとさせられてしまったのだ。藤田さんの肯定の力が作品にしみわたっていて、猜疑や穿鑿の思いもわきへ追いやられてしまう、というのか。
 美的か否か、芸術的か否か、この問題は、難しい。芸術という概念はもうずいぶん拡散してしまったろうけど、それは普遍的な側面と、ローカルな制度の側面をもっている。制度というのは、特に舞踊の場合、これ以上のことができますか、できませんか、という基準の問題であり、テクニック主義というのか、クラシックバレエはそれがもっとも厳しいけれど、モダンダンスだって、自由を求めたのがその出自だからとて、何をやってもいいという話では、まったくない。「美」も「芸術」も言葉に過ぎないと、不問に付してしまうのは許しがたい怠慢だけど、簡単に答えは出ず、検討されつづけなくてはならない問題である。
 「発表会」という場は、その点で、気楽と言ってはいけないが、是が非でも完璧に美的な作品をという場でもなく、作品というよりは、踊り手が主役であり、障害をもったダンサーとそうでないダンサーが同じ必然性をもって舞台に立っている。客席は客席でわが子わが孫の登場のみ待ち遠しく、ヨソの子の登場する場面ではすっかり肩の力を抜いて、始終がやがやしている。コリオグラファー・藤田佳代は時と場所を心得た、さすがショーマンシップに長けた人だといつも思わせるが、その一方で、客席ががやがやしてようと、世界ががやがやしてようと、もう何十年ひとり静かに変わらぬ夢を紡ぎつづけていて、いまではその夢を自分の夢とする頼もしい弟子たち同志たちも周囲に集め、「カッパのポッチ」なんてちょっとかわいすぎるタイトルの作品でも、やっぱりその命がけの夢のヴィジョンが不意に現われて、迫ってくる。


(なお第30回藤田佳代舞踊研究所発表会は2007年10月7日に神戸文化ホールで開かれた)
ユートピア  2007.11.19  山本 貴士
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撮影:中野良彦


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Cahier

  古巻・あさうみ他    Bottom in heart
 たぶん人はそれぞれに自分の内部へ降りていく暗い階段を備えている。下で何に出遭うだろう。むろん花に出遭いたい。だが出遭うのはむしろ瓦礫ではなかろうか。人骨の山かもしれない。古巻和芳とあさうみまゆみと夜間工房の共同制作によるインスタレーション「掃き清められた余白から」が放つ“幻視”はわたしたちをそんな不安へ誘い込む。
 大きな海運用のコンテナを七十基近くも港に並べて催されている美術イベント「神戸ビエンナーレ2007」(10月6日―11月25日)への出品作の一つである。コンテナの中をファンタスティックな映像で満たしたり、鮮烈な光線で照らしたり、エッシャー好みの不思議空間にしつらえたり、あるいは電磁的な構造体の場にしたり、だいたいが動的な演出に努力が払われているなかで、「掃き清められた余白から」はおそろしく静的な時空である。時間がそこで止まったような、いささかカビ臭い空間だといってもいい。
 あるいはニューヨークへも航海したかもしれないその金属製の暗い箱。その中で出遭うのは、まず茶色い畳が敷き詰められた四畳半の小部屋である。小さな古い鏡台がある。黒ずんだ書き物机と座布団がある。ススけた御殿まりが飾ってある…。一昔前のしもた屋ではどこでも見られた、庶民の、肌の延長のような、しかしちょっぴりわびしい茶の間(あるいは玄関?)である。古巻が妻の祖父母の家を思い出してそこに再現したという。王子公園の近くにあったその家はあの大地震(1995年)で倒壊して、もう場所さえ定かでない。
 そして引き戸を開けて奥に入ると、今度は真正の闇である。闇の中に何か白いものが浮かんでいる。人骨の山かと思う。少したじろぎながら近づくと、それは瓦礫の堆積だ。カワラ、タイル、茶碗、鶏卵のパック、キューピーの人形、リモコン、携帯電話…。地震の後、街のいたるところで厭というほど見た光景。それら生活の残骸を忠実に写し取って、あさうみが真っ白な焼き物の小山にした。
 大震災を忘れまい、というのはほとんど神戸の市民的合言葉になっている。だが街の姿は刻々と変わり、傷は塞がり、忘却は確実に進んでいる。芸術家はアジテーターではないから、忘れるな! と叫びはしない。代わりに、わたしたちはもうこんなに忘れている、とその現実を突きつける。じっさい、わたしたちは、こんなにも忘れていた。
 だが忘却とは、消えて無くなることではない。精神分析の見方によれば、それはむしろ「内攻」だ。記憶の表面に漂っていたものが、ゆっくりと底へ沈んで、身体の一部になっていく。都市の修復はほぼ終わった。掃き清められたわけである。だが、いまやわたしたち自身が震災だ。地震が肉になっている。
 逃げられない。わたしたちがわたしたちの肉から逃げられない以上、もう震災から逃げられない。だがそれは決して悪いことではない。人間の内部がどんなに深いか、はっきりとそこで教えられるのだ。コンテナの中のたった数メートルを歩くうち、わたしたちは自分の底へ向かう暗いハシゴをほとんど無限の深さにまで降りていく。そして気づかされるのだ。この底で花々と出会うには、その前に地上を花々で満たさなければならない、と。
心の底  2007.11.13  Tadakatsu Yamamoto
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KOBECAT 0040
2007.10.20 新神戸オリエンタル劇場
森優貴振り付け「羽の鎖」

――こちらと向こうが出遭う場所――
■山本 忠勝


れは悲嘆だろうか。
 いや、悲嘆ではないかもしれない。
 悔恨だろうか。
 いや、悔恨ではないかもしれない。
 絶望だろうか。
 いや、絶望ではないかもしれない。
 そうではなくて、渇望だろうか。
 いや、渇望でもないかもしれない。
 それともこれは祈りだろうか。
 いや、祈りでさえないかもしれない。
 八人の女性ダンサーが暗いシンフォニーの響きとともに刻々と繰り広げていく密度の高い体の動き、どちらかといえばゆったりと進む体の動き、その動きが休むことなく観客の方へ放ってくる微妙な印象のことである。
 森優貴が貞松・浜田バレエ団のために振り付けたこれが五つ目となるダンス作品の初演であった(2007年10月20日 新神戸オリエンタル劇場)。

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撮影:いずれも古都栄二(テス大阪)
 作品のタイトルは「羽の鎖」。音楽はポーランドの作曲家ヘンリク・ミコワイ・グレッキの交響曲第三番から第三楽章。人の命が木の葉のように行き当たりばったりに弄ばれる現代に、なお深い運命をそこに読もうとくわだてる強靭な管弦楽とソプラノだ。戦いで殺された息子への母親の哀歌である。
 現代舞踊の世界において、ダンスは音楽の主題がもたらす拘束からしばしば遠く離れてつくられる。ときにはあえてミス・マッチの組み合わせさえ選ばれる。そこに新たな表現への契機があり、自由もある。とはいえ森優貴の「羽の鎖」が、グレッキの音楽に現れる母親の悲しい叫び声をなにがしか底で引きずらないでは踏み出せなかった、そのことも確かである。厳粛な曲の動機は、渇きを癒す最初の一杯の清水のように振付家のインスピレーションに浸透する。重い詩句のテクストは、彼の心の重心をときには身動きも困難な地の底へ誘い込む。そしてなによりも声楽家のソプラノと一体化して曲の中心に君臨する母という存在の重合性。それはむしろ若いコレオグラファー(振付家)には第一の試練となったに違いない。
 重合性? 母の存在の?
 すなわち愛の高貴と愛の狂気のことである。強い光と深い闇。救済への上昇と復讐への下降。生への衝動と死への頽落。矛盾する対極のことである。意識の根底に横たわるこの大きな破綻に目をつぶって、これまでの作舞家がしてきたように今回もまた「美しく豊かな」母の愛を快適なフーガで語り継ごうとしただけなら、舞踊家の身体表現はその時点でもう古色蒼然たるものになっていたに違いない。これはこれでまた別に考えなければならない難しい課題だが、母の名を冠した素材に対してこんにちの創造者はかつてなく強い警戒心を携えて臨むことが必要だ。
 じつに多くのこどもたちが母親の過剰な心で精神的にそして肉体的に殺されているのである。幼い命がまるで悪魔の仕業のようにむごたらしく母の手で殺される。そればかりか母親の条件に耐えられない女たちが次々と母からの逃走をくわだてて、死を選ぶ。この二十一世紀、母とは最も不安に満ちた秘境であり、最も深い謎である。
 だがもちろんコレオグラファーとしての森優貴は、この作品に関するかぎりそれら重い制約と深い危険を鋭い直観と高度な作法で巧妙に乗り越えた。いや正確にはむしろ危険に満ちた激流を奇跡のようにさかのぼっていったのだ。
 先導の役割を果たしたのは間違いなく持ち前の芸術的嗅覚だ。動機を超え、テクストを超え、母のデモーニッシュな渦をも超えて、彼はまさしく作曲家グレッキが最初に立ったその地点に到達した。巨神アトラスさながらに音楽家が世界の重圧に耐えているその孤独の場所をすみやかに嗅ぎ分けた。舞踊家はそこでしっかりと彼の担うべき重量を分担した。
 なによりも重要なことである。母の叫びから最も気高い音域を受け止めて、しかもただ受け止めただけではなくそこからさらにもとをたぐって地球の奥の声にまで至ったこと。宇宙の声へ抜け出たこと。ワルシャワの作曲家がそこから第三交響曲へと旅立ったその最初の地点に立ち返って、神戸の舞踊家もそこから彼の「羽の鎖」へ独自の旅を始めたということだ。まぎれもなく新しい作品が誕生した。卓越した芸術というものがすべからくそのように最初の地点を決して老いないみずみずしさで指し示すものであるにせよ。
 まことに心を打つ創造は接木からは生まれない。
 地底の根から立ち上がる。
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 さて、森優貴が八人のダンサーたちに求めた動き。それは入念な構成ではあるけれど、比較的穏やかなエレメントの組み合わせで進行する。驚愕するような劇的な局面に観客が遭遇するわけでは決してない。同じ貞松・浜田バレエ団で上演された「眠れぬ森の美女」(ユーリ・ン振り付け 2001年)あるいは「DANCE」(オハッド・ナハリン振り付け 2005年)の度肝を抜くような革新性・革命性に比べたら、むしろ既視性の強い安定したフォルムが絶えず基底を流れていく。どの動きも確かに現代の舞踊家たちが開拓した斬新な財産目録ではあるけれど、もう危うさを伴うようなものではない。ほとんどスタンダードに落ち着き始めている端正なリストである。
 だがそれにもかかわらず「羽の鎖」にはなお他の多くのダンス作品とは決定的にニュアンスを異にする要素がある。八人のダンサーが順を追って地にかがむ。ダンサーたちは当然みずからの屈み込みを大地によって阻まれる。だが彼女たちの肉体はそこでそのように阻まれながらしかし一つの強いメッセージを発信することになるのである。私の体はここでこんなふうにとどまりはしたけれど、私の心(魂)はすでに、ほら、地の下二十センチのところまで潜っている、とそのように。今度は聖像のようにエレガントに水平方向へ手を伸ばす。すると手は腕の長さに制限されて中空の一点で停止することになるのだが、しかしここでもまた一つの強烈なメッセージが腕から発信されてくる。目に見える手はここで止まっているけれど、ほんとうの私の手はすでに、ほら、五十センチばかり向こうまで届いている、とそのように。舞台を前へ歩んでいた隊列が思いがけないところで鋭く止まって、美しく静止する。身体はそこで意表をついて止まったが、そのしゅんかん彼女たちの肉体で炸裂するメッセージはこうである。ほら、見ててごらん、もうすぐ地球が自転するのをやめるから。
 宿命的にそこは超えられないと定められている者が、その超えられない絶対の境界線に踏み込んで、しかもわずかながら向こう側へ超出する。森優貴がダンサーたちを立たせたいと熱望するそのそこは、おそらくそういうぎりぎりの場所である。息子を戦いで失った母親は悲しみを胸の底から汲み出し汲み出し、全力で語るだろう。だがどんなに言葉を費やしても、彼女がほんとうに語りたかったのは、もうすこし向こうのことである。彼女の言葉では届くことのかなわない、もうすこし、ほんのもうすこし向こうの何者かの「言葉」である。森優貴はそこに迫ろうと闘うのだ、…たぶん。
 だから、手が手を追い抜いてすこしだけ向こうへ伸びていく。体が体を追い抜いてすこしだけ向こう側で立つのである。心が心を追い抜いてすこしだけ向こうで叫びを上げるのだ。
 わずかだがしかし確実な一瞬の追い抜き。だがそここそがダンサーたちにとって最高の場所なのではなかろうか。間違いなく観客にめまいを起こさせる場所である。ふつうのわたしたちの言葉ではついに到ることのない第三の場所である。
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 いささか憚られることではあるけれど、その稀有な「言葉」、かろうじて第三の場所で響くその稀有な「言葉」をわずかでも記憶に反芻しておけば、あるいはその場所の深遠さがもうすこし表に現れようか。
 一つは、ほかでもない、マタイ伝。
 「わが神、わが神」で始まるあの呼びかけ。「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
 説明するまでもなく十字架上のイエスが最後に叫んだ不可解な言葉である。今も悲痛に、そして不気味に響き続ける叫びである。聞きようによっては、生涯にわたって神の救いを熱烈に説き続けてきた超人(ないしは神そのひと)が、死の瀬戸際で救いへの疑問を投げかけたようにさえ受け取れる。
 そしてもう一つは阿含経にある一行。
 「諸行は壊法なり」
 涅槃に入ろうとする仏陀が最後に語ったこれも不思議な言葉である。穏やかな言葉で穏やかな説法を重ねてきた悟りの人が、しかし臨終のときに表白した棘をはらむ言葉である。読みようによっては、生涯をかけて法を説いてきたものが、死の瀬戸際に法の無力を明かしたようにさえ受け取れる。
 だが、たぶん、最も火急なのは、これをどう解釈するのが正しいのか、その当否を詮索することではないだろう。詮索は避けられないし、わたしたちを深い示唆へ誘い入れることでもある。だがもっと重いのは、この衝撃的な表白に遭遇してわたしたちの心が一瞬にして見知らぬ場所へ突き出される、その特異な時空を体と心ではっきり見知ることではなかろうか。
 めくるめくばかりに澄み切った時空である。
 この世界の全貌が一気に見える位置である。
 神がまさしく「実在」し、仏がまさしく「実在」する場所である。
 信仰の場所と舞踊の場所、その二様の場所をむろん安易に混同することは許されない。しかし明らかにこの二つの場所は通底する。あらゆるものがそこには二重の意味で現れる。
 二重の言葉で現れる。言葉と「言葉」…。
 二重の動きで現れる。動きと「動き」…。
 悲嘆の表現(あるいは言葉)が、ここでは悲嘆そのものと悲嘆以上の大きななにものかを示すのだ。渇望の表現(あるいは言葉)が、ここでは渇望そのものと渇望以上の大きななにものかを指し示す。祈りの表現(あるいは言葉)が、ここでは祈りそのものと祈り以上の大きななにものかを指し示す。こちらから向かうものと向こうから来るものとがそこで出遭うからである。こちらから向かうものも切実だが、向こうから来るものがそれよりももっと大きいからである。
 氷面のような舞台の床に八人のダンサーたちがゆるやかに腰を下ろして、それぞれにみずからの体をやさしく撫でた。
 つかのま立ち現れてすぐ消えた、かろうじて目にとまっただけのごくごく小さな身振りであった。
 時間の色がそこで変わったわけではない。
 だが機は十分に熟していた。
 観客のだれもが、たとえ自分の推測に100パーセントの自信まではなかったにせよ、その刹那、ありありと一つの明るいビジョンを見た。
 同じ一つのビジョンであった。
 ああ、いま、新しい生命が誕生する!
 きれいな羽を、見えない透明な羽をもって赤ちゃんが生まれてくる。
 向こうからやってくる。
 なにものをも超えるその場所に、なにものをも超えるものが誕生する。
 祈りさえ超えるその場所に…。
 決して犯してはならないもの、殺してはならないものが今そこに現れる。
 そしてそれはこちらに移ってくるだろう。
 輝きながら。
 いっしょにここでわたしたちと生きるため。
 森優貴は生と死のはざまに立つ。
 やさしく生を抱き起こす。
 はばたこう、さあ、ともに。
 そればかりでない。
 死もやさしく抱き起こす。
 すると死もそこに立ち上がる。
 飛び立とうとするのである。
 自由へ。
 現代にそれは不可能だと知りながら、しかし彼はそれに傾注する。
 舞踊は彼にとっていぜんとして再生への呪術である。
 自由への呪術である。


 鎖…? 鎖についてはもうここでは語るまい。
 むしろすでに語ったと、僭越ながらそう述べさせていただこう。
 ただひとこと、ひとは羽から鎖になるのではないし鎖から羽になるのでもない、鎖であり羽なのだと、そう追記するだけにして。
 森優貴振り付けによる創作ダンス「羽の鎖」は2007年10月19日と20日にわたって新神戸オリエンタル劇場で開かれた貞松・浜田バレエ団の特別公演「創作リサイタル19」で初演された。出演は上村未香、正木志保、竹中優花、吉田朱里、佐々木優希、武田宜子、大江陽子、小松原千佳。
 森優貴は1978年生まれ。96年に貞松・浜田バレエ団に入り、97年に渡独。ニュルンベルグバレエ団、ハノーヴァーバレエ・トス・タンツ・カンパニー、スウェーデン王立ヨーテボリ・バレエ団を経て、現在はヴィースバーデンバレエ・トス・タンツ・カンパニーのソリスト兼コレオグラファー。2005年にはハノーヴァー振付国際コンクールに「Missing Link」を発表して、批評家賞・観客賞を受賞している。
 なお「創作リサイタル19」では、ほかに山崎敬子振り付けの「Do You Like The Piano?」(初演)そして石井潤振り付けの「泥棒詩人ヴィヨン」(1988年、芸術選奨文部大臣新人賞)が上演された。
 STAFF 芸術監督:貞松融、浜田蓉子/指導補佐:植木千枝子、小西康子、長尾良子、松良緑、松良朋子/照明:柳原常夫、ライティング・セブン/音響:神戸国際ステージサービス/美術:日本ステージ、湊謙一/衣装:木下正子、中江三従子、八重田喜美子/舞台監督:坪崎和司/舞台写真:岡村昌夫、古都栄二(=テス大阪)/プログラム:殿井博。
2007.11.2
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KOBECAT 0039
2007.9.27―10.2 神戸・元町カルチャー倶楽部
中井博子作品展

――バラのふるえ――
■山本 貴士


い、いく本かのバラがそこで、ささやかなバラの園をなしている。中井博子が描いた花々の野の一隅で、それは、エロティックなバラたちだった。
 かたわらに、画家が以前に描いたバラが一輪、黒いバックにおのれの赤をきわだたせ、これはむしろ志操堅固な花にみえる。ある評者は、中井のバラの魅力を、満開のその時にあって微かな衰微の予兆を漂わせている、そのことから来ると論じたが、このバラはそんな凋落の運命をも張りつめた意識で引き受け、沈思のうちに、無限の闇をゆっくりと降下している。
 中井の新しいバラはエロティックだ。これは、そこで性的なイメージが展開されている、ということではない。情欲をかきたてる淫らさも、また情欲をかきたてる清楚さもここにはみあたらず、描写という点では、これはどちらかというと、即物的ですらある。アンニュイは、少々。斜め正面から差す光は所在のない午後の物憂さを思わせ、それを受けて横たわる花の姿は、どこか、しどけない。といってコケティッシュというほどでもなく、淡い色彩は、むしろ透明感を印象づける。花のバックは、やわらかく光が充ちたような無地の白。つまりこれは、みずみずしく、たいそうきれいな小品である。隠微な雰囲気、性的な暗示というものは、どこにもない。
 だからこれは、つぼみを開き、咲いたバラが、そもそも女陰に似た形をもっているから、という話でもない。たとえバラが、助平心から繰り返しそう言ってはずかしめられるとしても、性器的なエロティシズムは、エロティシズムの小さな一角を占めているにすぎない。端的に言って、わたしたちは性器がなくとも生きていける。だけど、どうか。このバラのエロティシズムなしでも?
 以前のバラが、満開であっても固く閉ざしていたもの、それを新しいバラたちは、ゆるやかに押し開いている。身を投げ出し、というよりやはりそこに投げ出されて、それは何かを待っているよう。何を? 愛をか。死をか。

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 しかし、このバラは知らないのだろう、自分が待っているものを。そうして、いまだ訪れぬ未知のものに向けて、ゆるやかに花弁を開いている。
 歓待し、受け入れるため、身を開いてある、ということ。
 これは、自然体でいる、ということとはちがう。花を描きつづける画家というと、あるいは、自然を愛するナチュラリストの心性を想像するだろうか。だが、ナチュラリスト的な自然体というのは、自然に絶対の信頼をおき、自然との一体化を目指すものだろう。
 中井は最近、植物園にバラの剪定に行くのだという。剪定とはもちろん、見栄えのために花を切ること。作品に描かれたバラ自体、あるがままの姿にはほど遠く、枝の切り口も無残に、無頓着にそこに横たえられ、また、瓶に挿されている。それが横長、縦長の画面に閉じ込められ、画面に収まりきらない不要な部分は、さらにフレームにたち切られる。
 また、バラという花。日常目にするバラのほとんどは、19世紀以降の爆発的な品種改良の中で、人工的に作られたものだということ。
 つまり、何重にも人工の花。あるがままの自然などということは、ここでは問題になっていない。この点で、中井は一貫している。これまでも野の花が描かれることはまれで、たとえ描かれたとしても、細密な水芭蕉や女郎花(おみなえし)が、実は記憶の像をもとに再構成されたものであったり、色とりどりの花畑の風景が、よくながめられるなら、移ろう季節のそのときどきの花々を、四季のパノラマ画として、一枚の画布に収めようとする試みであったりした。画家自身、生け花のエキスパートだが、彼女の絵画作品も画中の生け花というべきもので、そこで追求されているのは、花という素材をどう組み合わせ、どう配置するかという、構成の美である。事実としての花を扱うのとはちがい、空間的、時間的制約のない、むしろ人を途方に暮れさせる自由の中で、中井の強靭な美の意志が、構成するのである。
 もちろん、画家に、人工/自然の二分法をつきつけてもとまどわせるだけだろう。はじめに画家は、そのバラを美しいと思った。画家の言い分というのは、いつもこれに尽きるものだ。としても、バラは画家の絵の中でいっそう美しくなった。エロティックになった。その絵筆の先で、いったい何が起こったのか。何も遠くまで神秘を探しにいくことはない。それはいつも、そこにある。
 この神秘に、例の粗雑な二分法は、何の役にも立ちそうにない。が、いまあえてそれにこだわり、もし、最高度にナチュラリスト的な精神をもった画家がいて、花を描くなら、と想定してみる。おそらく、その人は、花を描くのみだろう。自然への愛と情熱で、たいそう美しく花を描き、そして結局、花だけを描くことだろう。
 中井はちがう。並はずれた精度をもった目で捉え、この上なく正確な手で画布に花を再現する、それはそれで驚くべきことだが、それは中井の優秀さの証明とはなっても、彼女の花に潜む何か、わたしたち自身にも手が届きがたい、わたしたちのどこか心の部位にパルスを送りつづける何かを説明し尽くすことはない。
 中井の花に潜むもの。たとえばこれを、精神とか、内奥というと取り逃がしてしまいそうで、それを、あらかじめ奥の院に隠された宝物のようなものとして考えるべきではない。価値があるから隠されている、というよりは、隠されていることがそれに価値を与えるのであり、覆われていない性器は、視線の前で次第にひとつの器官へと色あせていくが、下着に隠されてあることで、それははかり知れない特権的な地位を手にしている。中井のみずみずしく透明なバラたちは、しかし、何も隠していないのだ。ただしそこには、潜むものがある。
 中井の花に、隠れることなく潜むもの。いわく言いがたいそれは、花びらの奥に隠された花芯ではなく、花びらそのもののふるえ、決してゆれも開きもしない花びらの上に顫動する、ふるえである。しかし、ふるえとは、ふるえという名前をもったものなのではない。何々である、と、意味に充填された述語では、どうしても名指し尽くすことのできないもの。中井は花を前にして、そのふるえを感受する。それを感受できるのは、たぶんそれが彼女のふるえでもあるからだろう。中井とその花が対峙した、ただそのときにだけ、それはふるえるともいえない仕方でふるえ、それでもひとたび出会ったなら、中井もバラもこの瞬間を待っていたことに気づき、もうためらうことはない、一気に身を開き、抱擁する。画家はバラとともにふるえ、バラの開きを自己の開きとして経験しつつ、描く。あるいは描くというそのことにおいて、ふるえ、押し開かれる。何という、これはエロティックな経験。
 これは、自然との一体化とはちがう。真正のナチュラリストである例の画家は言うだろう。本来自然の一部である人間が、自然との交感を通じそこへ還り、本来の自己を取り戻すのだ、と。しかし、セックスの快楽が、単に自己の確認に過ぎないとすれば、何と退屈なことか。自分ではなくなってしまうかもしれないという、恐怖と背中合わせのスリル。それだからこそ、男も女もわななくのだ。
 幸福な一体感も、よりよきものへの総合の約束もなく、各々先刻まで確かなものと思われていた自己を、互いに当てもなくほどいていく。花に身を開き、そして花が彼女に身を開き、中井もバラも、もう中井でもバラでもいられない。だから二人の寝所には、死の香りさえ立ちのぼる。この交接は最高に、感じる。
 そのecstasyの感覚を、この絵はとどめている。とどめているのだ。これはOrgasmusで他愛なく終わる交接ではない。したがってこのバラを、たとえば画家とバラの子に喩えるなどは的外れで、これは生殖とはまったく関係のないセックスである。生よりは、むしろ死に近い営み。生産性という点では無に等しい。そしてこの無の営みが、くめども尽きぬよろこびをもたらすのである。このバラの作品を前にしたとき、わたしたちはいつも、何かを待つようにゆるく花弁を開いたこのバラの開きに画家がその身を開いた、その法悦のときをかいまみる。
 あるいは、貪婪な画家はこののち、まだいっそう遠く花の快楽の世界に踏み込んでいくのかもしれない。わたしたちもまた、それを望まずにはいられない。それは安易な快楽主義とは無関係の、身を賭した、危険とさえいえる探究の道だ。バラもまた遍歴を重ねていくのかもしれず、飽くまで中井は花を描きつづけていくのだろう。花に魅入られたのだ。花を愛する画家は多くとも、花に愛され、花が身を任せる画家はいない。中井の作品は、画家とバラが共にふるえた、その奇跡の抱擁の名残りである。その花びらに潜むふるえなきふるえ、もっともかすかなふるえの中に、途方もなく深い快楽がある。
「中井博子作品展 〜花の贈りもの〜 こうべの街角・野原・山で出合った花達…」は2007年9/27〜10/2、元町カルチャー倶楽部6階で開催された。  
2007.10.30
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KOBECAT 0038
2007.9.22 尼崎・アルカイックホール
貞松・浜田バレエ団公演「白鳥の湖」

――運命と対決するオデット――
■山本 忠勝


鳥に変えられてしまった自分の重い運命をこれほど真正面から見据えたオデットがはたしてこれまでにあっただろうか。彼女は身に帯びた災厄をただ悲しんだだけではない。その重い運命と対決し、むしろ呪い、反抗の構えを垣間見せさえしたのである。そればかりか、つかのまのことだとしても、悪魔の目を盗んで愛する王子との歓喜の時間を全力で抱き締めさえしたのである。幻想的で、しかも毅然たるオデットだった。瀬島五月の舞台である。尼崎のアルカイックホールで行われた貞松・浜田バレエ団の「白鳥の湖」(チャイコフスキー曲)の目を見張らせる公演だった(2007年9月22日)。
 凛としたオデットの登場である。すでに第一幕の「城の庭」のシーンから、奥行きの深い舞台になるだろうという予感はあった。パ・ド・トロワ(王子ジークフリートの親友そして二人の村娘のダンス)に貞松正一郎、上村未香、正木志保というバレエ団の主力を配したその厚い布陣からいちはやく想像されたことでもあるのだが、この贅沢な布陣と均衡するように青年貴族のグループにも女官たちのグループにもソリストをこなせる男女のダンサーがずらっと並んで、まだ始まったばかりの場面場面を申し分なく大きなダンスで早くも大団円のようにつくりあげたからである。
 きわだったプリマを迎えるためにおのずと大きな風景が築かれることになったのか、あるいはプリマはそのようにみずからはまだ登場しない場面にもすでに陰の力を及ぼすのか。ともあれ観客はいきなり示されたこのキャスティングの厚さとダンスのダイナミズムに導かれ、最も美しい第二幕「湖のほとり」に向かう心の準備をより深く成し終えた。十分に身構えてあの白の幻想を待つことになったのだ。

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撮影:古都栄二(テス大阪)
 じっさい、瀬島のオデットは現れた途端にもう全体を掌握する強い磁場を放射して、あたかも煌々と照る月のようにそこにいた。バレエの舞台で全体を掌握するとは、まずもって自分の真実の姿を一点の隠し立てもなくそこに見せることである。真実の姿こそ、無防備でやわらかな共感を誘い出す。すなわち澄明な満月そのものになるということだ。自分の影をふりほどき、自分の影を追い抜いて、身も心も光に開いて立つことだ。
 瀬島のオデットは何ひとつ隠さない。
 もちろん観客に対して隠さないというだけの意味ではない。もっと重要なこと、それは自己自身に対しても隠さないということだ。彼女はいまや外へも内へも大きく見開かれた「目」であった。オデットがオデットみずからを曇りなく凝視する、その自己を刺し貫く目であった。そこに現れたのは、水晶のようにきらめく美しい肢体であったが、同時に目の構造の主要部にある水晶体そのもののまぶしい輝きだったのだ。
 これまでのオデットはほとんどの場合みずからの運命には半ば目をふさいだものとして空をさまよい、夜の湖に舞い降りてきたのではなかったか。魔王ロットバルトに誘拐され、呪いによって白鳥に変えられてしまったその表面のいきさつ(現象)は彼女も理解してはいる。だが、なにが理由でそんな理不尽な呪いがかけられたのか、裏面のいきさつ(内実)はついに知らされないままできた。この神秘な湖は母(王妃)の涙なのである。だが母はどういう理由で娘を悪魔に奪われるようなそんな仕打ちに遭ったのか、肝心のところは伏せられたままである。しかも考えればじつに不思議なことなのだが、その不条理を「なぜ」と問うオデットがこれまでにたったの一羽もいなかった。重い運命を嘆きはしたが、しかし運命に異議を唱えはしなかった。
 むろんこの「なぜ」に答えはない。むしろ答えがないということが、たぶん「白鳥の湖」というこの曲の永遠性もしくは神秘性なのである。わたしたちはだれもが人生のまだ早い時期にみずからにこう尋ねる。なぜわたしはこのようなわたしとなってこの世に出た? だれの魔法でこんな姿で今ここにいる? 解はない。わたしたちもまたそれぞれに呪いを負ってこの世界と出遭っている不可解な存在だということだ。オデットはわたしたちみんなの、といえばあまりに野放図な言い方になってしまうということなら、すくなくとも疑念と不安に揺れ動くわたしたちの青春のまさしく鏡像なのである。それがこの不朽の名作の隠された核心だ。
 だが瀬島のこの新しいオデットは、その暗黙のタブーを破って自己に課せられた不条理を敢然と問おうとした。彼女の踊りはありありとそう見えた。わたしは一体なにものか? どうしてこのようなわたしになった? これからどんなわたしになっていく? ダンスの舞台でそれを問うとは、つまり、みずからの一挙手一投足にみずからの視線を間断なく注ぎ込むことにほかならない。思い出していただきたい。自分の存在に不審を抱く人びとが最初に見るのが、おしなべて自分の手であるということを。えっ、これはだれの手? えっ、わたしの手? そこから自己の体のすみずみへ意識をみなぎらせていくのである。
 むろん瀬島も、先人たちが築いてきた白鳥の美しい嘆きのフォルムを丁寧に、敬意をもって踏襲する。時間を潜り抜けてきた美の形式は、どれも理由があってのことである。だが彼女はそれを与えられたマニュアルとしてではなく、みずからの血から出たものとして新しく踊るのだ。刻一刻を心の鏡に映しながら入念に踊っていく。わたしはなぜこのパをこう踊る…? なぜ、こう踊らなければならないのか…? 羽ばたきのひとつひとつに、心をしっかりとしたためる。なぜわたしは太陽の現れとともにこんなふうに白鳥の中に死に、月とともにまるで吸血鬼のように甦って、ふたたび太陽とともにこんなふうに白鳥の柩に戻るのか。
 そして凝視のまなざしは、このように運命への問いを執拗に繰り返して、今やついに見るべきものを見る地点に至るのだ。正確に言えば、その極限の地点へとわたしたち観客の視線を誘導する。
 オデットというこの呪縛された存在、この悲劇的な運命のほんとうの軸線は、そうか、夜に生き、昼に死ぬ、その転生の相にあるのだ、と。
 振り返れば夜と昼の間で来る日も来る日も希望のない転身が繰り返されてきたのである。
 生と死の永劫回帰…。
 そうなのだ。この転身の物語は単に人間と白鳥とを往還するファンタジックなおとぎ話ではないのである。出口のない生死の往還がそこにある。青春の苦悩も、根をたどれば死の不安へ降りていく。ほとんど毎日のように現れる死への不安と生への情熱。絶望と希望の往還運動。美しいが、しかし果てしのない徒労。しかもこの現代のオデットはそこから目をそらすことがない。運命の一部始終を見届ける。
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 かつてアルベール・カミユは「シーシュポスの神話」のなかでギリシャ神話に語られてきたひとつの特異な往還運動について詳しく述べた。シーシュポスは神をだしぬいたという罪によって、巨大な岩を山頂まで押し上げる罰を負わされる。ようやく頂上へ着いた岩はふたたび麓まで転がり落ち、彼はまた同じ徒労を繰り返すことになる。カミユは言う。
 この神話が悲劇的であるのは、主人公が意識に目覚めているからだ。…無力でしかも反抗するシーシュポスは、自分の悲惨な在り方をすみずみまで知っている。(清水徹訳)
 しかり、オデットはヨーロッパ世紀末の幻視的な精神界で結晶した新しいシーシュポスだったのだ。ロマンティックな衣装をまとってはいるが、その底を脈々と流れる古代ギリシャからの人間悲劇。瀬島が彼女の体で浮き彫りにした中心核はそこなのだ。
 曲の進行とともにますますエレガントに、ますます幻想的に深められていく絶望と死への凝視!
 だから、終幕に悪魔ロットバルトの目を盗んで王子ジークフリート(アンドリュー・エルフィンストン)と踊られる最後のダンスは、すでに死を覚悟しているという状況に並行して、いっそう情熱的で、凄絶なものになる。近松悲劇の曽根崎の森の道行きにも匹敵する哀切な、しかし切迫した束の間の、黄金のようなデュエットが現れた。そこで炸裂する最後の歓喜は、もはや少女のひたすらな、直線的な愛だけにはおさまらない。命がけの妖しい情感が大きな余韻を残すのだ。
 バレリーナたちの永遠の女神である森下洋子。彼女の表現の凄さのひとつは、可憐な少女と艶麗な女性それぞれの精神世界をその華奢な体に深いビジョンで浮き上がらせることである。「くるみ割り人形」の始めと終わりで踊り分けられる“少女クララ”のういういしい透明感と“女クララ”の豊麗な色彩感。そのたぐいまれなコントラストは人間への鋭い洞察の結果である。洞察から生まれる表現の驚異である。そして瀬島にもこの永遠の女神に通じる二重の美学がすでに見てとれるということだ。彼女のオデットは逆境のなかで、むしろ逆境なればこその愛の激しい高揚に身と心を燃やすのだ。逆境の頂上で深く激しく美しく成熟する。
 なるほど先のカミユは同じエッセーの中でこうも語っていたのである。
 かれ(シーシュポス)の岩はかれの持ち物なのだ。…いまや、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ。(同)
 目覚めた意識のもとでは苦しみは無限になる。だが、喜びも一気に無限へと上昇する。
 だとすれば、あくまでも意識的であるオデットが、決然と死を選んでみずからの運命を乗り越えるのも、きわめて論理的なことである。彼女は苦しい生をのがれる逃走者としてではなく、むしろ自分の運命への挑戦者として死へ向かう。自分の命をみずから断つという決断をこんなに強い意志で舞台に示したオデットもそうはなかったのではなかろうか。王子ジークフリートはオデットの決断に追いすがるものとして、いくらか驚きの表情で彼女のあとを追うのである。目の底に焼き付いたオデットの最後の強烈なシルエットは、荘厳な磔刑(たっけい)の形であった。
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   愛と死による運命の劇的超克。それはこの「白鳥の湖」(1877年初演)ばかりではなく、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」(1842年)や「タンホイザー」(1845年)など19世紀西欧音楽の大山嶺を形成する楽曲の主要モチーフであったことも、あるいはこの機会に併せて思い出しておくのがいいだろうか。
 ダイアナ妃―。悲劇の死へと疾走したイギリスの皇太子妃である。瀬島のオデットが死に向かってきっぱりと立ったとき、一瞬そこに皇太子妃の苛烈な死が重なったのは、単に無秩序な観念連合のひとつに過ぎないものだったろうか。
 いや、たぶん理由があった。
 この英国皇太子妃がわたしたちの記憶に深く刻み込まれているのは、全力で自己を生き抜こうとした女性としてドラマティックで象徴的なエピソードをその短い生にぎっしりと残したからではなかったか。
 時代はいま、女性が構造的に大きく変化しているそのまっただなかにある。
 女性に構造変化が進んでいるということは、人間全体に構造変化が進んでいるということだ。
 瀬島五月はそういう新しい時代のドラスティックな気流のなかでそれにふさわしい意志的なオデットに化身した。
 しかもなおクラシカルな美しさに輝きながら飛翔した。
 貞松・浜田バレエ団特別公演「白鳥の湖」(作曲=チャイコフスキー、原振付=マリウス・プティパ/レフ・イワーノフ)は同バレエ団と尼崎市総合文化センターの主催で2007年9月22日、尼崎・アルカイックホールで上演された。演出・振付は浜田蓉子と貞松正一郎。芸術監督が貞松融。
 ほかの主なキャストは、オディールが廣岡奈美、ヴォルフガングが井勝、ロットバルトが川村康二、四羽の白鳥が安原梨乃、大江陽子、半井聡子、小松原千佳、三羽の白鳥が山口益加、竹中優花、武用宜子。とりわけ川村は彼独自の強烈なロットバルト像を造形した点で特筆に価する。悪魔もまた悪魔自身の運命を呪っているかのような彼の“苦悶するロットバルト”は、裸形の神経のような鋭い動きとあいまって、鬼気迫る空気をつくった。演奏は堤俊作指揮・関西バレエシアターオーケストラ。
 STAFF 照明=柳原常夫、ライティング・セブン/美術=朝倉摂、清水忠雄/衣装=工房いーち、鈴木恵以子、中江三従子、原田すみ子、チャコット、石田コスチューム/大道具=湊謙一、日本ステージ/舞台監督=坪崎和司/プログラム=殿井博/写真=岡村昌夫、古都栄二。
2007.10.7
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KOBECAT 0037
2007.9.30 西宮市民会館アミティホール
千秋次郎作曲 混声合唱組曲「良寛詩抄」

――宇宙的な力学――
■山本 忠勝


西宮混声合唱団の第52回定期演奏会で強い喚起力をもつ新曲を聴いた(2007年9月30日 西宮市民会館アミティホール)。江戸後期の有名な禅僧・良寛の漢詩に作曲した「良寛詩抄〜富貴はわが願いにあらず」である。季節感あふれる三つの律詩「早い秋に」「歳の暮に」「めぐり来る春に」にそれぞれ独立の曲をつけた三部構成の組曲で、作曲者は千秋次郎。瑣末で夾雑な光景に周囲を封じられている現代に、広々と明るい風光を切り開いてくれる初演であった。
 良寛といえども、時代に沿って新しい読み替えのエネルギーに恵まれなければ、ドグマの中に凝固してしまう危険がある。こんにち良寛は却って「脱俗」あるいは「自由」という鋳型の中に堅く封印されてはいないだろうか。こどもたちとの屈託ない遊びのなかに時を忘れる老僧の姿は、なるほど精神の楽園のビジョンではあるけれど、しかしそれが彼のスタイルの典型になってしまうと、わたしたちの心は今度はその不動のビジョンに拘束されることになる。スタイルにはいつもうさんくさい力学がつきまとう。それをそのように見せたいなにものかの意志が背後に働くからである。良寛はいまやむしろ「自由」という紋切り型の定義に囲まれ、最も不自由な僧の象徴ではないだろうか。
 千秋次郎が良寛の漢詩に出遭ったのは比較的最近のことだという。それまで作曲家の想像力を占めていた良寛のイメージは、おそらくわたしたちのだれもがほぼそうであるように、万物の運動にゆったりと身を託して、きたるものをきたるがままに受け容れる、いわば宇宙の大いなる受容者の姿ではなかったか。わたしたちの良寛像はいささかウェットな彼の一群の和歌によっておおむね固められてきたものだが、心の微妙な変転をそれにふさわしいゆるやかな勾配で写し取る日本語特有のこの和歌という表現法もまた、彼を絶対受動のおだやかな覚者に造型するうえで大きな作用をなしただろう。だが漢詩の鋭い勾配はその伝来の良寛像を思いのほか深いところから揺すぶって、馴染みの映像をずらすのだ。やさしさに満ちた面差しをつかのまであれ棚上げして、禅僧の切れ味のいい感性と鋭角的な意識とをきわだたせる。「脱俗」の堅い鋳型が正面から一気に割られて、やわらかな肉体が現れる。ここでの良寛は、ずいぶん敏捷に世界へまなざしを向けるのだ。敏捷に世界を聴く。敏捷に世界へ向かって動くのだ。
 敏捷であるということ。それは時空の裂け目に鋭敏な感受性を差し伸ばすことにほかならない。夏の裂け目にいちはやく秋を嗅ぐこと(早い秋に)。現在の裂け目にすばやく過去の全貌を見通すこと(歳の暮に)。冬の裂け目にはやくも春を見いだすこと(めぐり来る春に)。なにごとにもおっとりと構えるのがトレードマークになっていたはずの宗教者が、ここでは微細な裂け目に俊敏な神経を差し入れて稲妻のように屹立する。時代の向こうから来たその一瞬の稲妻が現代の音楽家を撃ったのだ。音楽家はきりっと対峙し、そして曲を作るという行為を通してこの禅者をあざやかに読み替える。
 ひとつの大きな精神を新しい音楽言語で読み替えるということ。それは単に音階の操作の問題ではないらしい。「良寛詩抄」というこの曲には、どうやら骨格そのものをそれにふさわしい強度にするための精密な設計図が奥に組み込まれているのである。漢詩に対応する明快なリズム、大悟の境地と通底する広々とした旋律、精神の高い品位に均衡する澄んだ和声。それらは確かに表現の重要な要素だし、作曲家がどれほど慎重に個々の表現要素を選択したか、そのことはその端正な響きから十分にわかるのだが、ここには実はそれら聴覚上の表現効果を突き抜けてたちどころに心の深奥にまで入ってくるもうひとつのものがある。表現の奥にある力である。曲を内部から支えている構造の力である。
 じつに巧妙な構造だ。一見、静かなパッセージの推移である。「戸外□練長江流」(戸外には白絹を引き延べたような長江の流れ)あるいは「千山木落葉」(千山 木葉落ち)あるいは「鉢香千家飯」(鉢には香る千家の飯)というふうに、いわゆる白髪三千丈的な大仰なフレーズ(律詩は七文字または五文字で一行の句を構成する)も詩の一角にはあるのだが、それら言葉の過剰な身振りに音楽が流されることは決してない。この作曲家は筋金入りの新古典主義者である。頑として形式の美は譲らない。だからドラマは外部よりもいっそう内部で起こるのだ。
 最も象徴的なのは、混声合唱の何よりの特徴である男声と女声とのこの互いにずれ合いながら統合する二つの要素が、ある明確なビジョンを追うかたちでむしろ建築的に組み立てられたことである。音響的な効果が練り上げられたのはいうまでもない。しかしこの冒険に満ちた新曲では音響的である前にまず建築的であったと、あえてそう言いたい誘惑にあらがえない。
 フーガの妙味。ここではそれが表現の技法というより、さらに深く、まさしく構造の骨格に据えられているのである。作曲家のこの周到で綿密な工夫をフーガという一つのカテゴリー(範疇)でとらえて果たして正しいのかどうか、じつをいうとそこのところにはあまり自信はないのだが、同じひとつのパッセージ(同じ時間)に、男声と女声がそれぞれ別のフレーズ(詩句)を担いながら並行して現れるときの美しさと輝かしさ、それは尋常のものではない。それは交わり合いながら、濁らない。交差しながら、もつれない。競合しながら、調和する。漢詩の生命であるきりっとした対句の美が、西欧の感性から出たフーガの美と交差して、音楽に新しい奥行きと光芒を築いたといってもいいだろう。耳に響き、目に響き、体の中でゆっくりと、完全燃焼へと炸裂する。
 時間のなかを線形に伸びていく音楽が、四次元の奥行きをこんなにまで深めるのは、じっさい、魔法のようである。線の内部に高い穹窿が現れる。むしろ成層圏である。深い階段が現れる。むしろ底知れない地底である。遠い壁が現れる。むしろ地平線である。
 むしろこれは神殿だ。男声と女声とがそれぞれに別のビジョンを提示しながらそそり立ち、しかも大きな調和をつくりだすその光景は、大理石の列柱がそれぞれに輝きながら、しかも巨大な神の殿堂を持ち上げるあの宇宙的な力学にそっくりだ。
 いかにも神殿や寺院は広大な内部を持つ。物理的な面積のことではない。内部に宇宙が開かれるということだ。良寛なら、それを空(くう)と言うだろう。無限と言う。
 そう。作曲家は、その精緻な音楽で禅僧をあらためて無限の中心へ連れ戻す。解き放つ。みずみずしく。

 混声合唱組曲「良寛詩抄」は西宮混声合唱団(団長・中桐宏二郎氏)の委嘱によって千秋次郎氏が作曲し、2007年9月30日に西宮市民会館アミティホールで開かれた合唱団の第52回定期演奏会で初演された(指揮・八木宣好氏、ピアノ・田中景代氏)。歌詞は入矢義高氏(中国文学者、故人)による現代語訳が用いられた。千秋氏は作曲の動機を次のように述べている。「平凡社の東洋文庫の新刊案内で『良寛詩集』が目に留まり購入してみたのですが、心に慈雨をもたらす新鮮な発見がありました。そしてまた、訳注者・入矢義高氏による現代語訳の詩が素晴らしく洗練されたもので、合唱曲への作曲を思い立ったわけです」。千秋氏は1934年生まれ。京都大学・大学院で工学を専攻したのち作曲家に転進。2005年まで大阪芸術大学教授。
 
2007.10.2
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Cahier

  笹田敬子    Love for blue
 青い月、青い城、青い霧…。青はポップスの主役である。聖母の青、モスクの青、東大寺に現れた青衣(しょうえ)の女人…。青はまた聖性の象徴だ。そして、宇宙からの第一声も青だった。「空はとても暗かったが、地球は青かった」(ガガーリン)。青には意味と暗喩がぎっしりと詰まっている。青の領域へ入っていくのは、だから芸術家にとってむしろ危険な冒険だ。俗に溺れないか。紋切り型に流されないか。感傷過多に堕ちないか。だが画家・笹田敬子は決然と青に向かい、青を新たな目覚めへと導いて、未知の響きを生み出した(笹田敬子展 2007年9月15日―26日、神戸・ギャラリー島田)。
 むろん愛があってのことである。青への愛だ。だが、画家は言う。
 「追いかければ追いかけるほど遠くへ逃げる、青はそういう色ですね」
 どうやら青をとらえるには、巧緻な計略が要ったのだ。恋の成就に策略が要るように。
 だしぬけに近づくこと。鋭く刺すこと。全速力で飛び去ること。蜂のように。
 つまり、この画家の作品では、青のなかを線がそのように疾走する。
 笹田敬子のすばやい線!
 線がいつも裂け目として世界に格段の緊張をもたらすことを思い出そう。
 壁の亀裂は家の崩壊の兆しとして家族に不安をかきたてる。国境の長い線は民族をときとして凶暴な戦いへ駆り立てる。地下を走る断層線はいつ大地震を起こさないともかぎらない。神が座を占める結界は、厳かな感情を喚起する聖域の線である。
 線は時空を揺するのだ。
 だから青の上の青い線、青の上の黒い線、青の上の臙脂の線…。じっさい、この画家の鋭利で、繊細で、ときに強靭な線のリズムは、空間と敏捷に呼応する神経の震動のようである。彼女の線は空間のひそかな呼吸に鋭く耳をそばだてる。どんな変化も逃さない。いまだ! 攻撃! だが一瞬たりとそこに囚われてはならない。すかさず、退却! 逃走! 全力の逃走…。
 しかり、恋の要諦は相手を刺し、逃げ、追いすがらせることである。
 キューピッドの金の矢はアポロンを射てたちまちダフネを追跡させることになる。
 そしてそこに生まれる大いなる逆説。囚われの宿命にさらされながらしかしなお自由への逃走を企てることで美しい物語と月桂冠が誕生した。
 そうなのだ。愛が最も精彩を放つのも、自由と宿命とが半ばするこの逃走のさなかである。画家が仕掛けた攻撃と逃走、すなわちそこに起こる撹乱が青に新しい歌を歌わせる。
 撹乱…? モーツァルトは、そうか、時空の最高級の撹乱者ではなかったか。モーツァルトもわたしたちをだしぬけに攻撃する。襲ってきたと思ったら、もうあらぬ方へ逃れている。再び疾走を始めている。なんときらびやかな音楽。なんときらびやかな自由。なんときらびやかな命。モーツァルトこそは最も強力で、最も軽やかな逃走線にほかならない。
 笹田敬子のこの秋の展覧会のタイトルも「‘イマージュ’―私の音楽ノートより」である。
  
青への愛  2007.9.18  Tadakatsu Yamamoto
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Cahier

  石井一男    Maya
 ブッダがどんな顔だったか、ほんとうはだれも知らない。仏教はもともと偶像を禁じていた。だからブッダ入滅の五百年後に最初の仏像が作られたとき、それはまず想像から生み出され、やがて少しずつ形を深めて今のいわば「空(くう)」の相貌に成熟した。イエスの顔もほんとうはだれも知らない。基本的にはブッダと同じことである。ともに遥か彼方へ失われてしまった顔なのだ。だがそれらはなんと高貴に再生されたことだろう。人びとの心にはおそらく聖性のイメージを汲み上げる堅固で深い水系が潜んでいる。
 画家・石井一男は今なおその聖なる水系と強固につながっている幻視者だ。六十代の今に至るまでひたすら女性の顔に打ち込んできた。だがモデルがあったわけではない。現代を生きるにはあまりに傷つきやすいこの画家は、たぶんあからさまにモデルを見つめることができないし、いわんやモデルから見つめられることにも耐えられない。感じやすい目にとって人間の目は最も残酷な剣である。彼が安心できるのは、世俗の視線が届かない世界、すなわち彼じしんの深部である。完璧な意味での内視者…。そしてその深部こそ、白毫(びゃくごう)を額に持つ覚者のあの穏やかな顔が、イバラの冠に宿命をしるしたあの聖なる顔が、ゆっくりと浮かび出てきたその同じ潭水(たんすい)域なのだ。
 釈迦の瞑想像が、あるいはキリストの磔刑(たっけい)像が、今日のあの超越的な姿にまで熟するには、おそらく数百年の時を要したはずである。その気の遠くなるような時間のことを考えると、石井が究極の女性像に至るのに人生の大半を費やしてしまったにせよ、それはまだ幸運なことだろう。約束のない探求のなかで、ともかく遂に至ったのだから。
 2007年・晩夏。
 画家が無題のまま展示したこの肖像は、むしろ日付をタイトルとするのがふさわしい(石井一男個展 2007年9月1日―12日、神戸・ギャラリー島田)。その日付で革命が、この画家の革命が起こったからだ。憂愁? 悔恨? 愛惜? 諦念? 希求? これほどおびただしい言葉を含み、含みながらすべての言葉をこんなに超越した顔が、これまでにどれほどあったろう。まさしく革命とは、すべての言葉を一気に超えることである。
 むろん技術も劇的に深まった。和紙の上にグワッシュで焦げ茶と黒を丁寧に下塗りする。そして、なんと、それをクシャッと潰すのだ。すると複雑に広がる皺に沿ってあたかも無意識の層が浮き出るように、下の色が微妙な色合いで現れる。そうして、その底からの呼びかけと呼応しながら、女の顔のまず暗い部分が整えられ、そして最後に頬や鼻の明るみが闇から滲み上がってくるのである。
 寡黙な画家が絵の前でポツリと言った。
 「いまから考えると、むかし思っていたひとに似ているような…」
 おそらくは画家のなかでいつしか永遠の精神へと成熟を遂げたその女性。
 さて、石井が制作に没頭してきたこの神戸は、近代に誕生した都市にもかかわらずブッダの母の名を冠した高貴な山を背骨に持つ。その地勢にちなんでマヤ(摩耶)と呼ぼうか。
 
摩耶  2007.9.6  Tadakatsu Yamamoto
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  新家保夫    Signs for rebirth ?
 裏の路地へ開くように設計されている通用口の飾り気のない小さなドア。緊急時に駆け下りるために作られたビルの背面のむしろ侘しい非常階段。火急を報せる誘導灯が点灯している即物的な脱出口。あるいは遺体を病室から霊安室へ人知れず降ろすための特設のエレベータ…。都市には表からは見えない陰の装置が無数にある。新家保夫はそれら裏の構造に鋭い嗅覚を働かせる。飾り立てられた表通りに比べると単調で、ときには陰気にさえ見える空間だが、実はそこをこそ裸の生と裸の死が通っていく。
 淡路島の洲本市で制作を続けている画家である。洲本もすでに一つの都市だが、いまだ高い空と広い海と豊かな緑を持っている。京阪神の巨大都市圏の周縁部に位置することで、そこから都市文明をいっそうクリアに相対視できる、そういう境界域の町である。
 「淡路島から海峡大橋を渡りながら明石から神戸への海岸線を眺めますと、長い海岸線がコンクリートでびっしりと埋め尽くされてしまっているのにいまさらながら驚かされます。神戸に入って、長田あたりまでやって来ますと、なにか、こう、ワッと覆いかぶさってくるようなものがあって、元町に着きますと、もう押しつぶされそうな気分です」
 じっさい大都市で生きるには幾重もの武装が必要だ。武装とは有機(命)の弱さを乗り越えるために無機的になることだ。優秀な社員のモデルはいまや性能のいいコンピュータにほかならない。正確な計算。速い思考。強い決断。情緒に流れたりしないこと。そしてなにより契約期間中はまさに機械のように死なないこと。死には一文の値打ちもない。
 一つの大都市が一日に出す死者の数はどのくらいになるのだろう。画家の近作「Where am I going?」(新家保夫展 2007年8月30日〜9月4日、神戸・ギャラリーほりかわ)は、超高層ビルが林立する都市の、その周辺に広がる原野に髑髏(どくろ)とおぼしき物体が無数に散乱しているが、まさしく現代の大都市は死者を排泄物のように都市部の外へ出すのである。そして死をさげすむ構造はむろん生をも軽んじることになる。人が自分の生に戻れるのはようやく会社の裏口を出てからだ。それどころか命を守るために何十階もの無機的な裏階段を必死に駆け下りるはめにならないともかぎらない。
 だが創造の不思議を考えないでいられないのは、ここにきて絶望の形象のような画家の絵にある種の詩情が満ち始めたからである。圧倒的に黒が優勢だった絵に、にわかに白の氾濫が現れた。風が捲き起こったようである。水が流れ出たようである。死の街にジャズが甦ったようである。
 「今年の春ごろになって、急に白を使ってみたくなったんです。薄っぺらな感じにならないか、心配は心配だったんですが、けれど使ってみると、なにか、こう、心が開かれるような、凝(こ)りが解けていくような、体が軽くなるような…」
 注目すべきは画家の七十七歳の変革が思考のレベルではなくむしろ生理のレベルで起こったということだ。なぜなら、それは鋭敏な芸術家の魂がしばしばとらえる未来の予兆かもしれないからだ。すなわち、都市の再生への予兆。荒廃の極から希望の時代への転換…。
再生への予兆?  2007.9.2  Tadakatsu Yamamoto
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「Where am I going?」


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  湯川麻美子    Dance Noir
 大地を下っていった冥(くら)い底。そこで影たちが鋭く飛び跳ねるようだった。
 深く流れていく水の層。そこを影たちがすばやく泳ぎ走るようだった。
 激しく立ち昇る火の柱。そこで影たちがゆらゆら揺れ動くようだった。
 ざざっと巻き上がる風の渦。そこを影たちが閃き昇るようだった。
 そして無限へと開く空(くう)。そこを影たちがさまよい渡るようだった。
 湯川麻美子のダンス作品「Digves Amic―愛しい人よ 教えておくれ」は、影たちが訴えるおびただしい未知の言葉で満ちていた。
 江川バレエスクールの発表会に合わせて初演された湯川の初めての創作である(2007年8月11日、神戸文化ホール)。
 湯川は江川バレエスクールから巣立って、げんざい新国立劇場バレエ団のソリストを務めている。注目を集めているバレリーナのひとりである。夏のふるさとでちっちゃな“後輩”たちと懐かしい舞台に立って、と同時にこれを機会にコレオグラファーとしての本格的な一歩を切った。時空(世界、宇宙)を見る確かな視点と、見えるものを的確に彫琢するシャープな技量が示された。
 「Digvas Amic―愛しい人よ 教えておくれ」は地中海の魂を歌う歌手マリア・デル・マール・ボネットの同名の曲を中心に構成された。
 地中海の魂といっても、いわゆる紺碧の海と古代ポリスの明澄な精神によって象徴されるあのまったき明るさとはまた違う。
 マジョルカ島出身のマリアの歌はむしろ明晰さの裏にある狂気、明るさの裏にある闇だ。
 湯川も、だから、振り付けの動機をこう語る。
 マリアの神秘的で情熱的な歌声に触発されて、と。
 その神秘と情熱が湯川の底にある深い闇と共振した。
 闇のダンスだ。
 そして、闇のダンスとは、まだ適正な文字と的確な発声とに出遭っていない未知の言語の、その敏捷な跳躍のことである。
 いままさに沈黙から誕生へと身構えている新しい言葉である。
 彼女の踊りはなんと古代の楔形(くさびがた)文字に似ていたことか。
 永遠のバラを嗅ぐ女神イシュタルのような鋭利なソロ。
 冥界に眠る詩人たちにいま一度地上へ目覚めよと訴える、そのような呪文にも聴こえた波状群舞。
 そう、新しい彼女の言葉は地下の偉大な詩人たちに呼びかける呪文であった。
 来たれ。ふたたび来たって、この精神を救え、と。
 その太古の地層は地中海の底にあり、この列島の底にもある。
 湯川はたぶんそこをしっかりと見据えている。
 
黒のダンス  2007.8.14  Tadakatsu Yamamoto


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  河東けいのリンダ    Death in structure
 セールスマンの妻リンダの役を演じる河東けいを舞台にとつおいつ追いながらとうとう、そうか、と思い当たった。夫のウィリー・ローマンが自殺して寂しい葬儀のシーンでのことだから、「セールスマンの死」(アーサー・ミラー作、倉橋健訳)の上演もいよいよ終局に迫ってからのことである。劇の途中からスフィンクスの謎のようにつきまとったひとつの疑問は、河東けいが登場すると男たちの陰影が格段に際立ってくるその魔法はなぜなのか、ということだった。それは無論、演出家・熊本一の切れのいいアクセントに負うところも大きいだろうし、田端猛雄(ウィリー)の読みの深さも松浦達也(長男ビフ)の構想力の厚さも、そして山本隆史(次男ハッピー)の直観力の鋭さも、相乗的な力となったに違いない。だがそれでもやはり、河東が独特のスタイルでそこに挟まっていなければ、彼らは悲劇の三角形を明快な図式に構成できても、あれほど深く人間として対峙し合ったかどうか…。つまり河東はそこで葛藤を繰り広げる男たちに、まさしく人間の存在の重さと輝きを吹き込んだ。ではなぜそのような奇跡が起こったのか。劇の最後になって思い当たったその奇跡の秘密は、河東けいの愛だった。この女優が自分の役柄であるリンダを愛し、そしてリンダを取り巻くウィリーを、ビフを、ハッピーを、劇中の出来事としてではなく人間としてたぶん本当に愛していた、その愛のことだった。(2007年7月12日、吹田メイシアター)
 もちろん俳優は役柄を愛さなければその役になりきることは困難だろう。劇中人物への愛は役者の責務のようなものである。だが河東の愛はそのような舞台の上の作法としての愛を大きく超えたもののように受け取れた。それはほとんど身内だけのわびしい夫の葬儀のあと、墓標に向かってリンダが呼びかける最後の言葉の、なかんずくその声の響きに象徴的に現れた。ごめんなさい、と妻は夫に謝るのだ。わたしは泣くことができません。その河東の声は二重の響きを伴って客席に浸(し)み渡りはしなかったか。死者に語りかける妻の声と、そしてそのように泣けない妻に心からの共感を重ねる人間河東そのひとの、慈しみ・愛の声との…。演劇にはときおりこのように魔術みたいな美しい瞬間が訪れる。そのとき劇中人物の一片の台詞のなかで、役者そのひとの全宇宙がありありと炸裂する。愛、憎悪、喜び、悲しみ、くわえて人間観、世界観といった形而上の構造も…。
 そして愛は、救済の盾であるとともに、認識の剣である。落涙できないという一つの行為に、河東ほどに救済の力と認識の力とを濃厚に込め得た女優がかつてどれほどあっただろう。救済とは、生と死の境目まで、そのぎりぎりの別れの線まで、愛を抱いて死者に寄り添っていくことだ。認識とは、そのぎりぎりの線上で、死者を死にいたらしめた構造を愛の尺度で鋭く見抜くことである。もはやドリームを追えない時代になおアメリカン・ドリームを追ったウィリーは、目論見の違った人生を自殺によって締めくくる。せめて二万ドルの保険金で人生の帳尻を合わせようとしたのである。だが見かけは見栄っぱりな時代錯誤者の個人的な死であっても、それは現代社会がもたらした構造の死であった。自殺はいつも構造的な殺人だ。河東はそれがくっきりと見える地点へわたしたちを導いた。愛によって…。
構造の死  2007.8.3  Tadakatsu Yamamoto
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撮影:森口ミツル


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   田波克己個展    Intensity of existence
 人間の顔はこの世界で最も深い不在の場所ではなかろうか。
 そこには無数の意味が埋め込まれ、無数の演出が積み上げられ、あまつさえしばしば恋のような空しい幻想さえ託される。
 顔はたぶん鏡にすら正確には映らない。
 そこでじぶんの顔を確かめようとする人は、しかし鏡面を覗こうとしたその瞬間にもう“鏡ゆき”の表情で構えている。
 彼(彼女)はじぶんにだまされる。
 むしろ喜んでだまされる。
 顔は底知れない穴なのだ。
 田波克己がデフォルメにデフォルメを重ねて顔を描くのは、だから、形態のおもしろさを繰り広げたいというような造形的な理由からではたぶんない。
 不在の場所をつかむには、つまり顔という穴をとらえるには、中をまさぐるほかないのである。
 過敏なまでに感覚を研ぎ澄まして穴の奥をまさぐること…。
 眼窩の窪み、鼻梁の突起、頬の勾配、むろんそれらは仮の構造体にしか過ぎない。
 鋭くとらえないといけないのは、穴に満ちる気流であり、磁場である。
 不在の底の暗がりから存在が放ってくる波動である。
 だから波動の襞(ひだ)へ感覚を差し入れる。
 襞に沿ってその感覚を伸ばしていく。
 そこでは存在の手ごたえの強いものが増幅され、弱いものは捨てられる。
 つまりこの画家の絵は、正しくはデフォルメを目的としたものではないのである。
 デフォルメは結果に過ぎない。
 むしろこれは存在の遠近法というべきだ。
 波動と感覚が出遭うところで存在の強度が測られ、正確に描かれる。
 強度の座標では顔はこういう形になる。
 今回の個展(2007年7月20日〜26日、神戸・トアロード画廊)では、顔に静物が加わった。
 でこぼこに歪(ゆが)んだボトル。
 だがそれは何とそこにありありと立ち上がっていることか。
 このボトルは、スケッチされたあの棚のガラス瓶ではもはやないというその完璧な否定の身振りによって、言い換えれば棚のガラス瓶の不在によって、ここに実在するのである。
 もう少しデリケートに言うならば、棚のガラス瓶が放つ波動と画家の感覚が出遭ったその場の強度によって実在する。
 田波克己はいまなお頑として存在の画家である。
存在の強度  2007.7.31  Tadakatsu Yamamoto
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「FACE」


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随想 風月花 第5回
下村 俊子
汽笛
 今よりもう少し騒音のなかった頃、神戸港を出入りする船の合図は、とてもよく聞こえて、それがお昼頃であったりすると、何だかとてものんびりした午後が始まるように思えたものであった。昭和十六、十七年頃、私の幼稚園時代の記憶である。
 後年、昭和史の年表を繰ってみて、国内の情勢も海外の対応も決してのんびりしたものではなかったことを知るのだけれど、どうしてあんなにのどかに聞こえたのであろう。港のそばに住んで日常、汽船もよく眺めていたのに、実際に船の中に入ったのは昭和二十八年だったように思う。ハワイの教会にチャプレンとして旅立たれる先生を、見送りに行った時である。出航まで時間がなくて、同級生たちとあわただしく第四突堤に降りた春の宵であった。見上げた船の大きさにのみ感激を深くして、先生のお気持ちまでは思い至らなかった。
 石川達三の「蒼氓」を新潮文庫で読み始めたのもその頃であった。「神戸港は雨である。細々とけぶる春雨である。……」という一節にひかれて、私は何度も鯉川筋を歩いたし、諏訪山の麓の当時「移民斡旋所」と呼ばれていた建物の前まで行ったりした。移住船の内情を垣間見た気になっていた。
 戦前の客船時代は、野上彌生子著「欧米の旅」で知った。しかし、この旅も太平洋戦争の勃発により逃げるように帰国する。
 昭和六十四年(1989年)商船三井客船「ふじ丸」の登場により新客船時代が始まり、この年をクルーズ元年と定めたそうである。移住船と客船の歴史について調べなければという思いが強い。
 明年、平成二十年(2008年)、神戸港は開港百四十年を迎え、ブラジル移民の歴史は百年を数える。
 今、元町通りは、汽笛の録音をCDにとって流している。
2007.7.16            神戸凮月堂会長


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   金田弘詩集「青衣の女人」    Absence
 「青衣の女人」という詩集のその表題をつい「セイイのニョニン」と読んで、まず思ったのは聖母マリアのことだった。西欧絵画の伝統では聖母は青い衣装で描かれる。青はマリアの色である。だが、違った。詩集の序によるとこれは「ショウエのニョニン」と読むのが正しく、東大寺の二月堂に現れた美しい幻のことである。お水取りの名で呼ばれる修二会では、東大寺に功のあった人びとの過去帳が延々と読まれるが、あるときその読誦の場に不意に青い衣の女が立った。そして「なぜ私の名を落としたのか」と問いかけるや、たちまち消え去ったというのである。以来、この女性が「ショウエのニョニン」として過去張に加えられることになった。忽然たる出現と、忽然たる消滅。金田弘のこの八十五歳の新詩集にはそのような存在と非在の交錯が随所にある。
 その表題詩「青衣の女人」は収録十八編のちょうど真ん中の九つ目に、無論強力なトポスを与えられて置かれている。まず聞かれるのは深い「非在」の響きである。いきなり一行目でこう歌われる。「お前さんは人類はいらないという」。そしてたたみかけるように二行目でまたこう歌われる。「色もいらないという」と。行間にふっと存在への憎悪のようなものが香り立つ。しかもそれはこの作品に限らない。詩集冒頭の「八月」では、その八月が「海龍王寺と不退寺を結ぶ線上で/消滅する」。「春日野」では牡鹿の足音が「土塀の向う側へ/消えていく」。「そがの」ではついに「永遠も/なくなる」のだ。すべてのものが向こう側へ去っていく。まだ去ったとはいえないものも、すでに去る構えでここにいる。
 だが、去るとは、実は…。実は、いっそう来ることではないのか。消えるとは、いっそう現れる、そのことの謂いではないか。即座にそう考えさせるのが、この新詩集の響きである。「八月」では、夏が透明になって消えた後に「紅いろの風が吹く」。秋の花野さながらに命を搾り出すような苛烈な愛が生まれたようだ。「春日野」では、ひとけのなくなった月下の道でだしぬけに「女の旅人」と遭遇する。「…面(おもて)/をあげよ」。その顔はまるで月の双生児のようにありありと、不安なくらい白くはないか?
 金田弘は詩に堅固な構造を構築するおそらく今日ただひとりの詩人である。無論それは彼にとって必然の作法である。かつてだれがなしたよりも深く消すこと。すなわち、だれがなしたよりもここに厳然と現すこと。
 「青衣の女人」の最後の行はこうである。
 ――わたしはもういないのよ――
 そこでわたしたちは驚愕する。いないというその非在が、その一行にまるでもう、居すぎるほどに存在しているそのことに。堅固な構造と洞察のこれが究極のビジョンである。
 さて、聖母を連想したのは誤りだった。だがあの西方の女性は彼の地でイエスという巨大な「非在」を生むことになる。最も深く消え、最もありありと現れたあの存在を。
 あるいは同じ魂がそれぞれの土地の姿で向こうとこちらに出現したのではなかったか。偉大な詩はいつも根源から形象を掬い取る。
非在  2007.7.1  Tadakatsu Yamamoto
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出版記念会の金田弘さん


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  若柳壽延・吉由二    Eternal flow
 踊りとはまずもって流れである。たぶん流れに化すことだ。ひとときも淀むことなく、ここから向こうへ、もっと向こうへ、さらに向こうへ、ひろびろと流れ出ていくことである。若柳吉由二(きちよしじ)が若柳流の四世家元・壽延(じゅえん)を神戸に招いて、ともに踊った平成生まれの名曲「河涛々」(かわとうとう)。それはまさしく広くて深くて果てしのない流れであった。無限の流れへの讃歌であった。(2007年5月27日、神戸国際会館)
 「河涛々」は壽延みずからの振り付けで平成3年(1991年)に大阪の国立文楽劇場で初演された、日本舞踊ではまだ新しい曲である。若柳流三世宗家・寿童(1921―89)の三回忌追善のために、駒井義之の詞、清元美治郎の曲によって作られた。作調は望月太明蔵。今回は、吉由二が神戸で主宰する舞踊公演(若由会、31回目)のメーンプログラムとしての再演で、とくに吉由二が彼女の師・故吉玉二の三回忌追善に重ねて組んだものである。
 作詞の駒井義之がみずから寄せている解説によると、ここに歌われているのはおもに二つの川の流れである。東の隅田川と西の宇治川(下流で淀川)。宗家・寿童が江戸の生まれで、やがて京都に移った、その舞踊人生の航跡を眺めるうちに、この二つの川が結びついたというのである。江戸文化と上方文化のいうなれば脊柱を形成する大きな流れが、鋭い洞察とみずみずしい想像力で結ばれた。精神の美しい奇跡である。
 永代橋や清洲橋のにぎわいなど隅田川の流れが織り出すエネルギッシュな江戸の活力。あるいは伏見の船宿や三十石船の回航など宇治川が醸すゆったりとした上方情緒。そこにはそれぞれの彩りにあふれる暮らしがあり、仕事があり、遊びある。恋があり、祭りがあり、旅がある。「河涛々」はそれらの流れが生み出す豊かな息吹きを絵巻物のように豪奢に紡いでいくのだが、しかしこの豊麗な曲の神髄は、実はそれら絢爛たる風俗描写のまっただなかから一つの澄明な精神が立ち上がってくる、その心のドラマにある。
 祈り、である。
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撮影:八木淳
 舞踊の先人への追善とそして若柳流という流派の永遠を願っての曲なのだから祈りは当然ともいえるのだが、だがそれが直接の動機であるにせよ、強調しなければならないのは、この曲のニュアンスからはその動機をはるかに超えた、大きな精神が現れてくるということだ。ほとんど宇宙に広がるような大きな祈りの世界である。魚河岸や水天宮や遊女や鳳凰堂や、それらおびただしい聖俗の形象を貫いて強力に流れていく宇宙への祈りである。壽延と吉由二が舞台に印した品位と風格。その美学の核心は、すなわち曲に折り畳まれているその深い精神を刻々と解き放ち、わたしたちの心を祈りへといざなったことなのだ。
 あるいはプラトンが思い描いたようなイデアの世界は、現代の多くの哲学者たちが示唆するようにどこを探しても無いかもしれない。だが、練達の舞踊家の踊りのなかには、まぎれもない、そのイデアの輝きが現れる。世俗の川に、明澄な精神の流れが透けた。それはおびただしい地の霊を呼び起こし、おびただしい季節を横切り、おびただしい心を渡って、そうしていつしか宇宙の銀河へと開かれていったのだ。無限へ流れていったのだ。
無限の流れ  2007.6.23  Tadakatsu Yamamoto


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  道化座公演    From Kobe to Hiroshima
 地震はもとをたどると海底の巨大プレートの運動から発生する。震災はその物理的な運動が地上にもたらす大きな破壊の様である。物理的な出来事がこのときから人間の暮らしの出来事になるのである。そしてそれら破壊と喪失への人びとの悲しみは、ひとりひとりの内部に開く痛烈な心の裂け目にほかならない。いまや地震が精神の出来事へと上昇する。だが人間の美しさと深さと気高さが始まるのも、実はこの精神の出来事からのことである。人の心は大きな破壊に傷つくことで、他者の苦しみや悲しみへも鋭敏な感受性を広げていく。他者の悲劇を自分の悲劇として受け止める。精神の丘の上に、この宇宙での最も稀有な奇跡といっていいだろう、「良心」という心の働きが立ち上がる。劇団道化座の春季公演「ジイジイが来た夏」は、震災の破壊を生きることで神戸の市民が身に付けた、まさしく良心の発現のようだった。それは62年前の大破壊、ヒロシマへ向かっての遅ればせながらも懸命な感受性の発信だった。(2007年5月28日、29日、新神戸オリエンタル劇場)
 小さな家庭での一つの和解が描かれた。父親が若くして他界して、そのために母(馬場晶子)が身を削って三人の娘を育ててきた、平穏な家庭である。だが、ある事情が伏線にある。夫婦は結婚を反対されて、それで夫の郷里の広島を出て神戸で暮らすようになったのだ。だからいまだにジイジイ、つまり広島の義父(須永克彦)には母も娘もこだわりの感情を抱いている。冷たい義父だと思っている。静かな家庭の奥底でひそかに震動を続けている心の活断層なのである。そこへ突然、ジイジイから神戸を訪ねるとの連絡が来た。
 母親はもちろん心の波立ちを沈めながらジイジイを迎えるが、娘たち、なかでも次女のめぐみ(吉安愛)は母の苦労の年月を幼いころから見てきただけに、ことのほか冷たく当たる。無理もない。微妙な空気が広がり始める。だが思いがけない方向からジイジイの実像が浮かび出てくることになる。
 原爆だ。
 まだ少年だったジイジイはその日、広島の町で地獄を見た。とても言葉で言い尽くせない巨大で複雑な悲しみが彼の心に深く刻まれることになる。生き延びたとはいえ、体の底に食い入っている原爆症への不安。それが子供にも影響していないかという明日の世代への不安…。息子の結婚をすなおに祝福できなかったのもそのためだ。だが、母と娘はまったく知らずにいたのだが、破壊の怖さを身をもって経験しているジイジイは、神戸のあの震災の日、矢も盾もたまらず独りこの街に駆けつけて、大混乱の中を一家の安否を尋ねて歩き回っていたのであった。一家は知人をたよっていちはやく神戸を出てしまっていたのだが…。ジイジイの芯の温かさに触れて、閉ざされていた母子の心が開かれていく。
 物語の構成から眺めれば、これは義父が広島から神戸に向けて出てくるという筋立てだ。だが表現の精神を見るならば、神戸から広島へ向けて今あらためて共感のメッセージを送りたいという舞台である。私たちは決して神戸の震災を忘れない。しかしそれと同じ切実さで決して広島のことも忘れない。たぶん震災を生き抜いた道化座のそれが心の声である。


 「ジイジイが来た夏」は作・渡辺鶴、演出・須永克彦。出演はほかに松澤ふゆ、宮内政徳、阿曽修三、淺川恭徳、島田知子。2003年から取り組んできた「ともに生きる」シリーズの6作目で、これがシリーズ最終編である。
神戸から広島へ  2007.6.20  Tadakatsu Yamamoto
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撮影:岩田浩一


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  別役実とピッコロ劇団    Text
 別役実の戯曲作品を一度でも読んだことのある人なら、役者の話すセリフを聞きながら、そこに影のように寄りそうテキストそのものをたぶんありありとみている。それは飽くまでページに印刷された黒い文字の影であり、内容と必ずしも重なるものではない。字面の存在感というのか。だけど別役作品の喚起力はその影にこそ由来するのじゃないかとも思う。もちろん個々の作品にはそれぞれのテーマがあり得ようし、今度上演された「場所と思い出」(兵庫県立ピッコロ劇団第28回公演)なら、人間関係の不確かさ、記憶、言葉の排他性等、それなりの豊かな意味が折りたたまれている。としてもそれは、いまや別役自身によってすでに切り開かれたものとしてあらためて驚くほどのものでもない。驚くべきは、むしろ別役作品のテキストそのものにみなぎる力の方じゃないだろうか。
 こういうことがある。いつも不思議に思っていた。別役作品は放っておけば誰がやっても同じになる。つまりテキストが役者に強力に強いるものがある。少々の演出なら無いも同じで、役者は必ずテキストに命じられるそのようにセリフを口にする。目にみえる原因も確かにあって、別役作品のほとんどのセリフの終わりに脅迫的にぶらさがっている「……」。役者はそこで言い尽くせない思いのうちに沈黙し、次のセリフの役者はご丁寧にもその間(ま)をとってやる。これはしかし不幸な誤解というもので、多くの「……」は今度の松本修の演出がそうだったように、あるいは作者が口をはさめるこの環境で釈明がなされたであろうように、エゴイスティックな人物たちが人の話を最後まで聞けずに言葉をかぶせていくそのマイナスの間の表記である。しかしそれはいい。目にみえる原因と言ったが、テキストとはそもそも目にみえるものだ。みえなくては話にならない。にもかかわらずそこではたらいている強力な力は、強力であるにもかかわらず目にみえない。「……」の誤解が解けたところで、別役作品の舞台においてはどうしてもテキストの影が目に浮かぶ。
 紅茶入りの水筒、ビスケット、カセットプレーヤー……「場所と思い出」にも別役作品のいつもの小道具が登場する。小道具が同じであるように、別役作品というのは、ある側面ではいつも同一だという仮定。100本を越えて執念のように書きつづけられる動機は、ただあのテキストの力を維持することだとしたら? すると別役の作品に取り組みつづける演出家と役者が直面するのは、いつも同じ材料をその都度どう違った料理に調理するかという課題だろう。これは演劇において同じ作品が繰り返し上演され得るといったこととは次元が違う。気を抜けば何をやっても同じ、とはつまり何もやらなかったことになる、という別役作品の緊張感。
 今回、なりゆきだということだが、セリフまわしに方言が採用されたことは、別役テキストの磁場の中で一定の自由を手に入れる可能性を示していたかもしれない。女1を演じた安達朋子の流れるような関西弁は作品全体に軽さを与え、ひいてはそれがユーモラスな前半とその後の展開とのあいだに効果的なコントラストをもたらし得た。それだけにいわゆる標準語を話す男1の孫高宏があのテキストの磁力に捕らえられていることがよくわかり、ある種の懐かしさすら感じながらみていたもの。
 並大抵のことでは対抗できない別役テキストの力。もとよりそれは内容=意味ではなく、いわば音のない「声」のようなものだから、こうして書き言葉を通じて表現するのは難しい。その「声」は意味内容を越えて生き延びる力だろう。聞こえもせずに命令する声。ただしそれは舞台の上だけでのことで、観客として体験するほかはない。そうした「声」の神秘を感じさせる希有な作家だということである、別役実は。作家自身は、もちろん斬新な演出でいい舞台が実現することを願っているだろうけれど、あまたの役者と演出家たちが抗しがたく彼の磁場におちこんでいくのをみて、おのれの「声」がおとろえていないことを確かめつつ、ほくそえんでいる姿が目に浮かぶようなのだ。
 セリフまわしのスタンスは明確ではなかったけれど、女2を演じた木全晶子は深みのあるまなざしが印象的で、また、ひとり周囲に違った時間を漂わせ、共演者のあいだで必要以上に息の間が「共有」されて単調になるのを防ぐ重要な役割を果たしていた。付け加えておきたい。


 なおこの「場所と思い出」は兵庫県尼崎市・ピッコロシアター大ホールで6月19日 (火)まで上演。バス停を舞台にバスを待つセールスマンと女たち のあいだに奇妙な会話が繰り広げられる。出演はほかに和田友紀、福島栄一、森好文・松本修(ダブルキャスト)。別役実は2003年よりピッコロ劇団代表。ピッコロ劇団は同作品で本年7月のチェーホフ国際演劇祭(モスクワ)に参加する。
テキスト  2007.6.14  山本貴士


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  関西舞踊華扇会    A Tale of Three Cities
 関西舞踊華扇(かせん)会がNHK大阪ホールで開かれた。報知新聞社の主催で、今年が43回目。関西を中心に日本舞踊各流派の名手がつどって、舞いに踊りにそれぞれの世界を奥ゆきも深く彫り上げた。神戸からもいま最も注目を集めている三舞踊家がそろって出演。番組の順にたどってゆくと、まず大和松蒔(しょうまき)、次に若柳吉由二(きちよしじ)、そして若柳吉金吾(きちきんご)の三人である。(2007年6月9日)
 今回の華扇会は、秋に催されるもう一つの舞踊の催し「特選上方舞の会」を統合する形で、それを第一部に置いての新構成だが、松蒔はその「上方舞の部」で吉村輝章(きしょう)や山村楽清芳(らくせいほう)らとともに地唄の曲に出演した。彼女のプログラムは「閨(ねや)の扇」。夏が去るとともに遠ざけられる扇のように、かりそめの愛の戯れですぐ忘れられていく遊女、そのよるべない身の上を情感こまやかに歌い上げる作品だ。松蒔はそこに二つの心を重ねて舞った(ように見て取れた、というべきか)が、そのひとつはいうまでもなく遊女ものの典型ともいうべき哀切さ。そしてもうひとつが、これはたぶんこの舞踊家の根源の女性観(人間観)から出るものだが、哀切の中にも貫かれる遊女の矜持。この矜持が表現を内側から明るくし、ほのかに軽妙ささえ垣間見せて、舞いに彼女独特の艶をつくった。
 次に吉由二の踊りは長唄の「紀文大尽」。江戸の豪商・紀国屋文左衛門の豪快な生き様に題材を採ったこの作品は、まさに吉由二の大きな気宇にぴったりの曲である。ふつう「質量」といえばこれは物理学の専門語でいわば存在の充実度のことをいうのだが、吉由二の舞台はこの喚起力に満ちた言葉をあえて転用したくなる量感と密度を見せる。舞踊にも質量があることを彼女ほど表現する者はほかにない。その存在感をこの日も十分に発揮した。
 そして吉金吾は、一門の吉幸吾(きちこうご)を伴って清元の「お祭り」。江戸・山王祭のハレと気概を鳶のカシラと粋な芸者の組み合わせで堪能させるという趣向。吉金吾の魅力はなんといってもその切れ味と品位だが、それは夾雑なものを徹底的に削ぎ落とした究極の結晶から耀き出す。つまり動の核心と静の核心をまっすぐに貫いて、曖昧な回り道は決して通らないということだ。このうえなく澄明な舞台が現れた。
 ところで京都、大阪、神戸と三都の舞踊家が会すると、三都それぞれの特性が出てくるのも興味深いことである。むろん舞踊はもとの地層が途方もなく深いから三都の特性といってもあくまでも表層部でのことなのだが、たとえば京都で活躍する人たちの舞台を見ていておしなべて感じるのは、伝統を尊ぶ心の表れなのだろう、「芸能」の大きな流れを支えながらそこに自己を消し去っても悔いはしないという覚悟のようなものである。一方大阪には、この日「女」(常磐津)を踊った花柳與(あとう)のように、もとより芸能の大きな流れを背景にしてではあるが、時として個性の強い達者な「芸」がぎょっとするほどの存在感で現れる。他方神戸では、舞踊の展開そのものが西欧文化が入った近代以降だったからでもあるだろう、芸能の中に「芸術性」を求める意志が働くように見てとれる。多様化と相互交流を深めながら新しい地平を開いていく、そこに関西舞踊の大きな魅力があるようだ。
2007.6.10  三都物語  Tadakatsu Yamamoto
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「閨の扇」の大和松蒔 (撮影:中野洋征)


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  MIWA    Search for Voice
 顔は内部を鋭敏に映す鏡である。
 同時に外部を敏捷に映す鏡である。
 顔は内部をしっかりと密閉するブラインドだ。
 同時に外部を頑強に拒むブラインドだ。
 顔は近づけ、遠ざける。
 打ち解けさせ、孤独にする。
 とりわけ今日ではほほ笑みを浮かべながらとてもしなやかに拒むのだ。親しみを込めてエレガントに遠ざける。優しい目で孤独にする。
 それは寂しいことだ、とたぶん画家のMIWAは考える。
 もっとこまやかに見詰め合おうではないか。
 神戸のクラウンプラザ(旧新神戸オリエンタルホテル)に設けられた画廊、THE GALLERYで個展を開いた(2007年5月16日〜28日)。タイトルは「VOICE」。アクリルと水彩でたくさんの顔が並んだ。
 そう、理解を深め合うためには、近づき、のぞき込むことが大切だ。その心で何がゆらめいているか、感覚を研ぎ澄まして相手の顔をのぞくこと。
 だが、たぶん、MIWAは人間を描きながらもっと重要なことがあることに気がついた。
 聴くこと。
 顔をのぞき込むだけではなく、顔を聴くこと。
 顔とはそもそもそ声(VOICE)の塊ではないのだろうか。
 赤ん坊は顔をくしゃくしゃにして大声で叫びながらこの世界と出会うのだ。
 老人が世界との別れに吐く最後の息もあれは小さな叫びではないのだろうか。
 むしろ人は全身が声ではないか。
 命は聴くものではないか。
 ずらっと顔の絵が並ぶなかに超高層ビルの絵が一枚ある。
 ニューヨークの今はないツインタワーだ。
 あの日テレビに釘付けになっていたわたしたちはしかし巨大都市の一角から二筋の煙が快晴の空へ昇っていくそのあまりの静けさとあまりの不動に驚きはしなかったか。
 あのときわたしたちは見るよりももっと聴き取ろうとしたのではなかったか。
 むしろ2700人の最後の叫びを完璧に密閉した静謐な映像に現代の深い非情を見なかったか。
 もっと聴かねばならなかった、ほんとうは…。
 八年前にこの画家の作品を神戸で見たとき、彼女は「美和」と称していた。制作にはしばらくブランクがあったようだが、大きく変わったのは、外部を描きながらその線が画家自身の内部をえぐっていることだ。彼女の絵も聴かれるものに深化した。
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2007.5.24  声を探せ  Tadakatsu Yamamoto


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  須永克彦    Myth of City
 ええとこ、ええとこ、シュウラッカン(聚楽館)、そう言いましてナ…。
 一人芝居の舞台で六十何歳かの熟年男を演じる、というよりむしろリアルタイムで「自分自身」を演じる須永克彦が、幕開きまもなく昔の新開地の風景をそんな語り口でゆったりとたどっていくのを聞きながら、いま彼はこのせりふをほんとうはどういう聞き手に向かって話しているのだろうか、とふと思った。
 演劇の舞台だからその場につどった観客に向かって語っているのは、これはいまさらいうまでもないことだ。ただそのときの須永の声の調子には、役者の口から観客の耳へという一本の伝達経路だけには収まらない、いわば第三の耳へ向かっての話しかけ、見えない聞き手へ向かっての訴えかける、そのような微妙な表情も含まれているようにみえたのだ。
 では、その第三の聞き手とは? それはむろん見ず知らずの他者ではない。むしろ須永にも観客にもともにとても親しいもの、おそらくほとんど須永自身であり観客自身でありながら、それでいて自己からはほんの少しずれるもの、そういうものではなかったろうか。
 新神戸オリエンタル劇場で行われた須永克彦の演劇生活50年記念公演「戦災・震災 逃れて生きて」(2007年1月24日、25日)でのことである。
 神戸に生まれ、神戸に育ち、神戸で演劇に打ち込んできた須永が、その半生を振り返る一人芝居なのである。二つの大きな出来事があった。6歳の年に遭遇した大空襲。それから55歳の年の大震災。あっというまに街が壊れた。おおぜいの人が死んだ。うちひしがれた。が、それでも再生へ向かって力を尽くした。生き延びてきたという実感がある。
 須永が語ったのは、彼のその生き延びてきたという実感とそして彼の生を支えてくれたこの街のことである。新開地の名物食堂「赤ちゃん」で大きなビフテキに心躍った子供のころのこと。焼夷弾が街を地獄のように焼き尽くしたときのこと。野外の映画大会で丹下左膳に心を奪われたときのこと。手塩にかけた道化座の稽古場が灰燼に帰したときのこと…。
 だが「赤ちゃん」の真っ赤なのれんを少年がワクワクしながらくぐっていくと、わたしたちもそこを一緒にくぐるのだ。聚楽館の深紅のシートに彼が座ると、わたしたちもその隣に座るのだ。彼が稽古場の瓦礫の前に立ち尽くすと、そこにわたしたちも立ち尽くす。彼が語る場所でわたしたちはその都度わたしたちの思い出と遭遇する。なんとこの街のいたるところにわたしたちの分身がちりばめられていることか。それを彼が紡いでいく。
 そう、彼はわたしたちに語りかけるとともに、これら無数の分身にも訴えかけていたのである。街のあちこちで彼らを目覚めさせるのだ。わたしたちはあそこにもいたし、ここにもいた。あそこで泣き、ここで笑った。彼が語ったのは、わたしたちのことである。
 ところで、なつかしい一つの言葉で共通の記憶がこんなにも目覚めてくるということ、これはまさしく神話の働きではなかろうか。二つの歴史的悲劇を一緒に乗り越えることでいつしか市民の中に育っていた神戸の新しい都市神話。須永の一人芝居はそれをわたしたちに気づかせたのではなかろうか。
都市の神話  Tadakatsu Yamamoto
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震災で焼け落ちた道化座


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  鴨下葉子    Abstraction and Life
 大地の果ては地平線だ。輝くような一本の線が空の下を伸びている。完璧な抽象の線である。あんなにもくっきりと見えるのに、しかし実際にあそこに行けばあのようなものはなにもない。空(くう)に浮かび上がってくる純粋に抽象の線なのだ。鴨下葉子が描くのは、まぎれもない、空(くう)に刻み出されるその気高い線の、まぶしい分身、まぶしい延長、まぶしい切片なのである(個展 2007年4月28日〜5月9日、神戸・ギャラリー島田)。
 絵を描き続けるということはたぶん一つの旅である。鴨下葉子もおそらくはまだ少女と呼ばれていたある日、そっと旅に立ったのだ。どこへ行こうとしているのか、むろん周りにはわからなかった。画家が目指す微妙な場所はいつも言葉を超えている。わかると言うほうがむしろ不遜なことなのだ。だが今、彼女のひたむきな、揺るぎのない、半生に及ぶ歩みのおかげで、画家が目指してきた方向だけは、いくらかの確度で見当がつけられそうな気配である。たぶん、そう、彼女はあの気高い地平線に向かっていた。向かっている。向かってきた。最も純度の高いあの抽象の線の場所へ。
 さてそこで一つの仮説を立てることはできないだろうか。わたしたちの精神もわたしたちから最も遠いあの場所に最も純粋に現れる、と。西方浄土の兆しが立ち現れたのはあの場所だ。マレビトが最初に姿を現したのもあの場所だ。あの場所の向こうにあるというフダラクに向かって、この場合は水平線の向こうのことだが、実際に舟を漕ぎ出した僧たちもいたのである。むろん生きては帰れない旅だった。彼らは自分の心に現れた最も純粋な方位に向かって消え去った。あそこはわたしたちの精神が高い純度で立ち上がる場所…。
 と、この仮説が成り立つなら、鴨下葉子の引く線の輝かしさがいっそう理解できることになる。第一に、彼女の線はあの地平線の親族だ。そして第二に、彼女の線は人間の精神の最も純粋な発現だ。それは売り上げの推移を表すグラフの線から最も遠い線である。不動産の境界を区画する台帳の線から最も遠い線である。国境のありかを示す地図の線から最も遠い線である。精神が描き込む線は、世俗から離れるのに比例してぐんぐん輝きを増すのである。それはやがて光そのもの、自由そのものに熟していく。
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 だがさらに重要なこと、それは彼女が地平線に限りなく近づきながらしかし決して向こうへ超えようとは企てないできたことだ。むしろこちらを歩き続ける幸福を彼女は深くかみしめる。なぜなら彼女はこの大地を渡る風の快さを愛している。花の香の豊かさを愛している。鳥たちの囀りを愛している。子供たちのきれいな笑顔を愛している。それにたぶんショーウインドーに飾られた洒落た装いも愛している。つまり命の営みを愛している。
 「脱俗的なある種信仰の境地を私の絵から感じ取ってくださるかたがいらっしゃるのはまったく身にあまることです。でも正直に申しますと私は自分をそういう所へ行く画家ではないと思っています。私はここでともに生きていることの喜びをもっと描きたいんです」
 生涯をかけて地平線へ向かう旅。それは実は抽象への旅であるとともに、そしてこれこそもっと大切なことだったと今になってわかるのだが、命をくぐっていく旅なのだ。
Tadakatsu Yamamoto


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 ロダン展    Alchemy
 創造はいつも錬金術である。天才的な調香師は新しい香水の香りをまず脳の中で醸成する。脳神経の上で不意に開花したこの世のものでない幻花の香りを、忍耐強い探究心でバラやジャスミンの微妙な配合に転化する。そしてついに一滴の豪奢な結晶を生むのである。むろん青銅(ブロンズ)に幻影を結晶させる彫刻家も同じである。オーギュスト・ロダンは彼の肋骨の奥から立ち上がってくる影たちをすばやい手ぎわで粘土に移し、石膏に固め、鋳造へ送り出す。真の創造はすべからく無からの練成なのである。比喩ではない。疑うなら、神戸のロダン展を見るがいい(2007年4月3日〜5月13日、兵庫県立美術館)。
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 大小二つのバスティアン=ルパージュ像が並んでいる。バスティアン=ルパージュは36歳で世を去った自然主義の画家である。ミレーやクールベの系譜に連なる写実派の作家である。1885年、ロダンはこの夭折の芸術家の記念像を頼まれた。大きな等身大の像のほうはその最終的な完成像(1889年)で、そして小さいほうは制作段階の最初のマケット(試作雛形、1886年)なのである。
 さてこの二つのブロンズ像のたたずまいを言葉で説明しようとすればおおよそこのようになるだろう。画家バスティアン=ルパージュは左手にパレットを抱え持ち、脚を踏ん張るようにして大地にがっしりと立っている。農民の質朴な生活をキャンバスに忠実に移し続けた骨太な画家の面目躍如たる姿である。頭を少しかしげている、と…。
 つまり中間作品と最終作品のこの対の彫像は、同じ叙述で語られて、それでじゅうぶん自然だということだ。作品の概略を述べるなら、同じ一つの文脈で一つのものとして語られてなんの不都合も起こらない。文法的な間違いはなにもない。だが実際にこの一対のブロンズ像の前に立つと、このような言い方が、表面の整合性にもかかわらず、根源的な誤りを含んでいるのにすぐ気づく。この二つのもの実は同じものでは全然ない。二つの台座の間には奈落のような裂け目があり、あまつさえ無限の距離が開いている。
 ロダンはマケットから完成作へごく微妙な変更を行った。それはまったくごく微妙な変更で、決して全体の構成を変えるようなものではない。頭をこころもち下方へかしげた。両腕を少し脇に引き付けた。体の傾きを控えめに抑制した。要するに少量の微分的修正を施しただけである。だが驚くことに、その小さな変更で彫像の意味が正反対に転換した。
 いまや外を眺めていた眼差しが反転して内部を見つめているのである。外に向かって評価を問うていた耳が内部の基準を聴いている。外をつかもうとしていた手が内部を深く探っている。外に立っていた脚が、内部から立っている。つまり、外側にあった宇宙がいま内側に発見されたのだ。そしてこれらは決してモデルの方からやってきた転回ではないのである。モデルはすでに故人である。ロダンそのひとの神経の上で行われた変換だ。
 現代はまさしく新たな発見の時代である。こんなにも多くのことが無から生まれていることを、はっきり見いだすべきである。今も錬金術が生き生きと営まれている、そのことにしっかり気づくべきである。ロダンから改めて教えられることである。
Tadakatsu Yamamoto


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 太田正人    The Tower of Babel
 神がバベルの塔に警戒心を抱いたのは、「パワー(権力)」の問題だったのだろうか、それとも「トポス(位相)」の問題だったのだろうか。パワーの問題だとすれば、言語を分散させて人間をちりじりに分裂させたわけだから、人間の肥大と増長と権力欲に対する罰だったということになる。トポスの問題だとすれば、言語の多様化によって人間を世界に広げたわけだから、人間を繁栄へと差し向ける深遠なプランだったということになる。太田正人が一枚のキャンバスに八基ものバベルの塔を描き込んでその作品に「それぞれの世界」という標題を付けたのは、神の意志にトポロジックなプランを読み込もうとしてのことのように受け取れるし、たとえ権力の問題だとしても、神の警戒心や疑念をなだめてこの世界に調和と平和を招くための美しいメッセージのように読み取れる(2007年4月20日〜30日、神戸・ギャラリーほりかわ)。
 長崎県の炭坑の島に生まれた太田は、石炭産業の衰退とともに荒廃していく町の風景をつぶさに見た。そこで廃墟への特異な感性を養ったようである。廃墟では多くのものが失われる。だがそれ以上に深いものが現れる。バベルの塔を描くようになったのも、滅びていくものへの画家の鋭い嗅覚が、この古代の巨塔に同じ深さを嗅ぎとったからに違いない。
 だが神戸での震災体験が劇的な転回をもたらすことになる。太田は若くして鴨居玲に憧れて神戸に移ってくるのだが、この街で十六年目を迎えた冬、絵の中でではなく現実の都市空間で未曾有の破壊と廃墟に遭遇することになったのだった。一個の都市が目の前で瞬時にして壊滅した。6000人を超える人が亡くなった。
 「廃墟のなかで廃墟を描く…? 人間の心はそういうふうには(そこまで無慈悲には)つくられてないですね」
 そして2001年の同時多発テロも衝撃的な追い討ちだった。世界の耳目がテレビを通して集中しているそのさなかにまさに都市の中心に出現した大廃墟は、安易なアナロジーは慎まねばならないが、現代を象徴する巨塔の崩壊だったことには間違いない。だが21世紀のバベルの崩落はあまりにも血なまぐさく、残酷だった。3000人近くが犠牲になった。
 今日の破壊にはひとかけらの救いすらないことをそこでわたしたちは見たのであった。
 太田は家庭の事情もあって震災のあと大分県の宇佐市に帰り、今はそこで制作を続けている。去年ひさびさの個展を神戸で開いて、今春はそれに続いての発表だが、見るものの心を打ったのはバベルの塔の大いなる変容だ。天に届こうと傲岸に構えていた古代の塔の姿は消えて、代わってむしろ植物のように控えめで繊細な塔が並んで立ち上がってきたのである。ある塔の頂にはボタンの花が咲いていた。別の塔の頂には綺麗な巻貝が載っていた。神と権力を競うというより、神にほほえみかける塔である。世界を睥睨(へいげい)する唯一絶対の脅すような塔ではなく、人びとが互いの存在をうべない合い、互いの住む場所を尊重し合い、多様さをむしろ豊かさと考え合う共存の塔である。
 太田は個展の全体のテーマに「再生」という言葉を選んだ。いま救いへの旅路にある。
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KOBECAT 0036
2007.3.6〜3.18 京都・ギャラリーすずき
小林陸一郎作品展

     
――涯(はて)に立つもの――
■山本 忠勝


こにありありと立っていながら、しかし半ば無いものとしてそこに立つもの。あるいはむしろほとんど無いものとしてそこに立つもの。それどころかむしろはじめから無いものとしてそこに立ったもの…。彫刻家・小林陸一郎の作品にはぐんぐんと無が浸食してくるようである。2005年秋の大阪・信濃橋画廊での個展では、空中神殿のような不思議な家が粗朶(そだ)といってもいいような四本の細木でかろうじて支えられ、ふっと消えそうな危うさで目の高さに浮かんでいた。彫刻作品というよりは空気の中に差し入れられた刹那の裂け目のようだった。そしてこの春の京都・ギャラリーすずきでの個展では、作品は無へさらに大きく開かれて、ついに向こうが透ける格子(こうし)の形で現れた。圧倒的な無の窓がそこに並んだというわけだ。
 格子で出来たその京都の作品は、全体が家の形をかたどっていて、人の背丈をゆうに越える高さだから、かなりのボリュームで空間を占有していたといえるだろう。だがきれいに並んだ十文字の窓を通して向こうがすっかり見渡せた。大阪の地下の画廊に浮かんでいた樹上の小さな神殿も、細い梁と四隅の柱がようやく家の形をほのめかしていただけで、屋根板もなければ四方を囲む壁もなく、ほとんど空洞のように向こう側が空(す)けていた。空気が自在に行き来した。肖像であれ神像であれオブジェであれ、あるいはインスタレーション、あるいはレディーメードであれ、彫刻の歴史がいつも量感を追い求め、懸命に存在感を探究し、いわば空間を遮るもの、すなわち眼差しを跳ね返すものとして編まれてきたことを考えると、この彫刻家の営みはなんとも逆説に満ちた挑戦だ。量感に対しての、浮遊感。存在感に対しての、非在感。遮るものに対しての、開くもの。跳ね返すものに対しての、通すもの。
 そこに無いこと、への情熱…?

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 しかし、そこに無いものとしてそこに在るというこの奇妙な在り方は、その場所でいったい何を目指しているのだろう。そこに存在しないように存在する、そのことにいったいどんな意味があるのだろう。そもそもなにか意味のあるもので、現実にそういう在り方をするものがあるのだろうか。たんに観念のたわむれではないのだろうか。
 旅人…。抽象的な観念のたわむれに過ぎないのでは、と仮にこの作品に疑問がさしはさまれるなら、まず語らないといけないのは旅人のことである。
 なぜなら町を横切っていく旅人、地平のかなたから不意に現れたこの彼は今ここにいるものの、決してここにはいなかったし、それどころかすでにもう半ばここにはいないのだ。とつぜん遠方から現れて、ほとんど無いものとして目の前を歩んでいき、こつぜんとまた遠方へ消えていく。無が現れ、無が進み、無が消える。しかもこれは人びとの目を盗んでこっそりと行われる真夜中の秘事ではない。無は真昼の町にだれはばかることなく現れて、大通りを悠々と歩くのだ。無はありありと現前する。
 するとここで同時に問題の核心も現れる。しかし結局のところ彼はここに来なかったも同然なのではなかろうか。彼がここに来た今日と彼がここに来なかった今日。その既存の今日と仮定の今日はまったく同じ今日なのではなかろうか。無がたとえそこにありありと現れたにせよ、事実として無とはやはり何も無いことで、したがって何も起こらないことで、したがって何も変わらないことではなかろうか。小林陸一郎の作品は大阪の街にそして京都の街に運び込まれ、運び去られ、裂け目は閉じて、街々にはまたもとどおりに無傷の時間が始まることになったのではなかろうか。
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 ところでこのように旅人のことを引き合いに出すにあたって、ここでは少しばかり偶然を装うことになったのだが、実をいうとこれはこの場の便宜的な思いつきなどでは決してない。この彫刻家の作品をずっと見てきている人ならば、この作家が執拗に追い続けてきたシリーズの標題をいままでの文脈ですでに思い浮かべているはずだ。「旅人の碑」―。旅人は間違いなくこの作家がライフワークとして忍耐強く掘り下げている重要なモチーフのひとつである。話を進める段取りにちょっと仕掛けをしたわけだ。
 さて、であるならば、どのような旅人がこの彫刻家の作品を横切っていくのだろう。あるいは芭蕉のような行脚の俳人がそうなのか。あるいはむしろ西行のような遊行の歌人がそうなのか。むろん芭蕉のことでもあるだろうし西行のことでもあるだろう。だがむしろ、もっと切実な危機と破局をわたしたちにもたらすというよしみにおいて、よりいっそう山頭火のような漂泊者のことではなかろうか。
 詩人としての偉大さに触れることはこのさいあえて保留しよう。問題は死に方だ。つまり芭蕉や西行は漂泊者は漂泊者でも、最期はくっきりと死んだように見えないだろうか。彼らは旅においてついに自己の世界を完成させ、この世を完璧に生き終えて、いわば端正な決定稿をまとめてから、けじめをもって去ったように見えないだろうか。一方、山頭火はすべてを未完のまま投げ出して、進行形のままとつぜん消えた。すくなくともわたしたちの目にはそのような残像がのこっている。また一枚ぬぎすてる旅から旅。うしろすがたのしぐれてゆくか…。なるほど、おちついて死ねさうな草枯るる、と大詰めになって詠むには詠んだが、とはいいながら、彼は十中八九みずからのだしぬけの死には気づかないまま、向こうへ越えて行ったのだ。
   すなわち山頭火という旅人が現代のわたしたちに依然として切実で、ひとつの破局でありつづけるのは、いまもまだ先を歩いているように思えてしまう、その苛烈さのためである。この地上の道ではないにせよ、確かにどこかを歩いている。おそらくわたしたちはわたしたちのそれぞれの死に至るまで、托鉢僧の姿で去る彼の後ろ姿を見つづけることになる。彼は永遠に閉じることのない裂け目である。旅はまだ続くのだ。
 では、どこへ?
 むろん、涯(はて)へ。
 涯。
 この世界とこの世界から果てしなく遠いどこかとの、その中間あたりのどこかにあって、しかも絶え間なく先へ更新されつづける境界のことである。
 つまり、小林陸一郎の彫刻が立つ場所もそこに重なりはしないだろうか、ということだ。
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 「旅人の碑」にはしばしば赤が使われる。その赤は祝祭の日のように晴れやかで、それどころか狂気の幻視のように鮮烈だ。しかしその赤はどうも完全にはそこに定着しないまま、言い換えればそこからわずかにずれたものとしてそこにある。そこに立つオブジェとは微妙に不調和なものとしてそこにある。馴れ合えないものとしてそこにある。樹上の小さな神殿もまぎれもなく鮮明な形で中空に浮いている。しかし目に明らかなその形だけがそこにあるすべてだというわけではどうもない。見えないもうひとつの形態へいわば黙示録のようにさしかけられているのである。神殿に寄り添ってすぐわきにもうひとつの神殿が不安定に隠れている。
 鮮烈でありながらこのように不調和であるということ。鮮明でありながらこのように不安定であるということ。それはそこで作品が振動しているということだ。蜃気楼のように震えている。こちらの世界と向こうの世界、見える領域と見えない領域、そのふたつがそこで対峙し、そこでせめぎあっているのである。まさしく山頭火の句がそうである。
 そうなのだ。ひとつの彫刻作品がそこにまるで存在しないように存在するとは、作品がまさしく地平の涯で無窮の運動を発現しているということだ。いうなれば此岸と彼岸の間の振り子運動。永劫回帰。無とはなにも起こらないことどころか、永遠に起こりつづけることなのだ。この危うい彫刻は、地上に置かれたオブジェというより、宇宙に刻まれた亀裂である。そこからわたしたちを無限へ誘い出すのである。
 家の形