藤坂屋に住んでいた国木田独歩
  
餅は円形(まる)きが普通(なみ)なるを故意(わざ)と三角に捻りて客の眼を惹かんと企(たく)みしやうなれど実は餡(あん)をつ丶むに手数のか丶らぬ工夫を不思議にありて、三角餅の名何時(いつ)しか其近在に広まり、此茶店の小さいに似ぬ繁盛......

これは、独歩が明治27年8月、「藤坂屋」の離れにいたころを回想した作品「置土産」の冒頭に記述されている「藤坂屋」の「三角餅」を紹介した部分です。「置土産」の登場人物のモデルは、実在の「藤坂屋」の主人、娘、隣の八幡宮息子らである。また、その頃の作品として「欺かざるの記」もあります。
藤坂屋本店(三角餅製造工場)と独歩
置土産の碑
 
(独歩22歳)独歩一家にとって、「藤坂屋」は柳井最後の居住地で、柳井市姫田の市山医院から柳井市津のここ「藤坂屋」に移住しました。明治27年7月から9月まで(上掲の写真向かって右側の棟)に住んでいたと言われています。「藤坂屋」の向かい側にある「置土産」の碑は、独歩が岩国小学校在学時の同級生で、後に代議士になった永田新之丞の揮毫(きこう)によって、昭和43年に建てられたものです。
置土産碑