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松野地区には「正月に餅をついてはいけない」という言い伝えがあります。正月に餅をつくと火事になるという事が言い伝えられており、松野では今でも正月に餅はつきません。全国的にみても正月に餅をつかないという事はとても珍しい事なのですが、それには、こんな伝説があるからなのです。
ぼっかあさまと赤い餅 (美和郷土誌 参考)
むか〜し、むかし。駿河の国の松野の城に、とても情け深いお殿様がおりました。お殿様は、お天気の良い日には、いつも馬に乗って村の様子をせっせせっせと見て回っておりました。お殿様が来る頃には、村人は、夫婦喧嘩をしている時でも、
「こりゃいかん。そろそろ、殿さんの見回りのころじゃよ。」
「ほんとじゃ。ボッカ、ボッカ、馬のひづめの音がするぞいな。」
と、あわてて仲直りをしたほどでした。こんな具合でお殿様は、いつしか<ぼっかあさま>と呼び親しまれるようになっていたのです。
貧しいけれども平和だったこの村に、ある年とても大きな事件が持ち上がりました。ぼっかあさまが使えていた大殿様が、都の大きないくさに巻き込まれる事になり、ぼっかあさまも馬に乗って出陣しなくてはならなくなったのです。都のいくさは、とても大きないくさで、生きて再び帰れる事やら・・・と村人だれもが案じたそうです。
ぼっかあさまは、かぶとをかぶり、兵を引き連れて城の門を出て行きました。村人たちは、年寄りも子供も、城の門から村はずれまで、ずらっと並んでぼっかあさまを見送りました。
「お殿様、どうかご無事でお帰り下さいまし。わしらはみんな、待っておりますだでー。」
これを聞くと、ぼっかあさまは馬を止めて、
「どんなに大いくさであろうとも、今年のうちには、かたがつくであろう。師走(くれ)の餅つきまでには帰ってくるでのう。正月の雑煮はぜひ、お前たちと一緒に祝いたいものだ。」
とほほえんだそうです。

しかし、お城の裏山にセミが鳴いても、水車小屋のほとりに赤い彼岸花が咲いても、お城の屋根瓦が霜で白く光るようになってもぼっかあさまは帰ってきませんでした。それでも村人たちは、だれが言い出したともなく、ぼっかあさまが帰ってくるまでは、正月の餅は作らないということになったのです。
ところが、村にたった一人、なんでもかんでも、自分の意地を通すばあさまがいて、
「ぼっかあさまが、餅をつくなと言ったわけではあるまいに。餅もようつかんで、正月が来るかいな。」
と村人が止めるのも聞かないで、息子をせきたてて、餅をつき始めてしまったのです。その餅がふっくらつきあがってきたぞ、と思われる頃、
餅の真ん中に何やらぼっちり、赤いものがにじんできたのです。これは何だろうと、ばあさまが顔を寄せてみると、そのぼっちりした点は、まるで吹き出た血のようで、見る見る流れ始めて、うすの中の餅がたちまち真っ赤になってしまいました。
ばあさまは驚いて腰を抜かし、そのまま寝込んで、とうとう三日目に死んでしまったそうです。同じ日に、ぼっかあさまの家来が帰ってきて、殿様の討ち死にを涙ながらに伝えたそうです。
それからというものは、この村では、正月も十五日を過ぎないと、餅をつかないというならわしになったということです。
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